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千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。


 


私の国には 山がある おいで一緒に わたしたちと
私の国には 山がある おいで一緒に わたしたちと

山にのぼるのは 悲しいから おいで一緒に わたしたちと
川をくだるのは 淋しいから おいで一緒に わたしたちと
私の国には 山がある おいで一緒に わたしたちと

苦しみばかり 続くとも おいで一緒に わたしたちと
私と同じ あなたたち おいで一緒に わたしたちと
私の国には 山がある おいで一緒に わたしたちと

この闘いは きびしいだろう だけどあなたは 行くだろう
この生き方 きびしいだろう けれどあなたは 行くだろう
私の国には 山がある おいで一緒に わたしたちと

おいで一緒に わたしたちと

 作詞 パブロ・ネルーダ
 作曲 ディナ・ロット
 訳詞 笠木透

 
うたごえ1
うたごえ2
うたごえ3
うたごえ4



 
ああ人民の足もとに


(『アラゴン選集』 第Ⅲ巻 大島博光訳)
 
彫像


[ああ 人民(ひとびと)の足もとに流れるのは──アラゴン『パブロ・ネルーダへの悲歌』]の続きを読む


 そしてわたしがつぶやく


『アラゴン選集』 第Ⅲ巻 大島博光訳)

アラゴン

[そしてわたしがつぶやく──  アラゴン『パブロ・ネルーダへの悲歌』]の続きを読む

 
棘1

棘2


(自筆原稿)

*『告別詩集』(1982年)はアラゴンが生前に刊行した最後の詩集。「棘」は工ルザの死を嘆き悲しんだ歌になります。
工ルザの死・『告別詩集』
 
夕暮れ



[アラゴン  棘 (『告別詩集』)]の続きを読む
 

われらのいない


(自筆原稿)
*アラゴンは1963年、エルザ・トリオレとオランダ旅行をし、翌年に詩集『オランダの旅』を書きました。
その訳詩は『アラゴン選集Ⅲ』(飯塚書店)に嶋岡晨氏の訳で収められています。大島博光はアラゴンの訳詩集や評伝では『オランダの旅』に言及していませんが「わたしは わが人生を」 (「前のものと後のものに」より)と「われらのいない時代が」(「青と白の迷宮」より)を訳して原稿に残しています。
 
彫像


[ルイ・アラゴン  「われらのいない時代が」── 『オランダの旅』より]の続きを読む


 
わたしは わが人生を

(自筆原稿)
 
海

[ルイ・アラゴン  「わたしは わが人生を」 ]の続きを読む
 
書評 土井大助

(『詩人会議』1991年11月号)
 
土井大助
土井大助さん 007年6月、長野市松代にて、

 
書評 朝の風
(『赤旗』1991年6月28日)
色紙さいごまで




 
座談会5

出席者

(『赤旗』1993年10月5日)
 
行動
1973年10月21日、国際反戦デーのデモ行進にて




 
座談会4

(『赤旗』1993年10月5日)
 
弾圧

[軍事クーデターから三週間  座談会 チリの事態をめぐって(下) (4)軍の動き]の続きを読む


 
座談会3

(『赤旗』1993年10月5日)
 
チリの闘い

[軍事クーデターから三週間  座談会 チリの事態をめぐって(下) (3)挑発者集団の本領を発揮したMIR]の続きを読む


 
1
3

(『赤旗』1973年10月5日)
 
アジェンデ


[軍事クーデターから三週間  座談会 チリの事態をめぐって(下) (2)反動派、議会でも人民連合の施策妨害]の続きを読む



座談会

デモ 

(『赤旗』1973年10月5日)

 
赤旗物語人民のチリ1
赤旗物語人民のチリ2

アジェンデ

(『赤旗』1982年7月25日)




津森太郎
 


(『赤旗日曜版』1991年7月21日)

りんご
 



[剛直さと優しさ 大島博光詩集『冬の歌』   津森太郎]の続きを読む


 
冬の歌書評


(『赤旗』1991年6月28日)
『冬の歌』目次
 
冬の歌


[愛とたたかいを編む 大島博光詩集 冬の歌  小森香子]の続きを読む


 
木立夕子


(『冬の歌』刊行記念のつどい メッセージ・感想文集 1991年11月)





千曲川を


(『冬の歌』刊行記念のつどい メッセージ・感想文集 1991年11月)


 

戸隠に


(『冬の歌』刊行記念のつどい メッセージ・感想文集 1991年11月)
 
戸隠




[戸隠の水芭蕉を見に行った   小熊忠二]の続きを読む



大島さんはわたしの師
 

(『冬の歌』刊行記念のつどい メッセージ・感想文集 1991年11月)


[大島さんはわたしの師  日下新介]の続きを読む

 
吉岡


1991年11月、松代で開催された「大島博光『冬の歌』刊行記念のつどい」にあわせて、「メッセージ・感想文集」が発行されました。友人や詩人会議、長野詩人会議のメンバーら44名が文章を寄せています。

表紙
[夫婦愛の深さに心打たれた──吉岡よし  『冬の歌』感想文集]の続きを読む
詩集『冬の歌』初出一覧

1.愛について
  愛について   『詩人会議』1987年3月号
  恋する女   1991年1月 未発表
  炎を縛ることはできない  1988年6月 未発表
  ミラボオ橋  板橋詩人会『橋』 1990年
  詩を書かない詩人と女と  『反戦詩集』1990年6月

2.生きるのはむつかしい
  宮本百合子とマヤコフスキーと  『文化評論』1987年3月号
  死ぬのはやさしいが生きるのはむつかしい  『詩人会議』1986年9月号
  人生とボードレールの一行と  『詩人会議』1986年4月号
  清水のような流露  『赤旗』日曜版 1986年5月11日
  ミゲル・リティン監督は語る  『赤旗』 1987年9月30日
  ランボオ

3.冬の歌
  不幸は忍び足で  『民主文学』1989年8月号
  きみが地獄の岩に  『民主文学』1990年10月号
  もう思い出しかないのか  1991年 未発表
  きみはやってきた      〃
  きみがやってくると      〃
  きみはわたしを連れて行ってくれた      〃
  きみは 大地を      〃
  孤独な散歩者      〃
  わたしは眠ろう きみといっしょに      〃

4.鳩の歌
  鳩のねがい  『赤旗』1986年2月26日
  鶴と鳩と  『民主長野』1985年12月
  核戦争と平和と──核戦争が起きたら  1988年6月 初出紙誌不明
  戦争と平和と  『赤旗』 1988年1月17日
  いまは走るときだ  『赤旗』 1991年2月23日
  ヒロシマ・ナガサキから吹く風は  『赤旗』 1985年8月7日

5.風刺の季節
  うごめく亡霊  『赤旗』日曜版 1986年9月
  風刺の季節  『民主文学』1987年3月号  
  狼の憲法に改悪させてはならない  『いま声をあげるとき』第1集 月刊『憲法運動』165号1987年10月
  歴史の歯車を逆転させるな  『赤旗』 1988年11月16日
  夜のサヴァンナ  『赤旗』 1989年2月17日
  自由 平等 友愛  『東京革新懇ニュース』1989年1月

6.わたしは党をうた
  光をはこぶ党に  『赤旗』 1986年1月1日
  わたしは歌う この党を  『グラフ・こんにちは』1986年6月
  それは党のおかげだ  『赤旗』日曜版 1987年9月13日
  光をかかげて六十年  『グラフ・こんにちは』1988年1月17日
  ま夏の太陽    『赤旗』 1990年7月1日
  小林多喜二    『赤旗』1988年2月21日 
  おれたちの希望には  『赤旗』日曜版 1991年1月6日

7.風と雨のなかで
  千曲川 その水に  『狼煙』2号 1991年3月
  断片  1989年 未発表
  戦争前夜の街で  『NOVA』1988年8月
  早鐘が鳴ったら  板橋詩人会『橋』21号 1988年3月
  夢みる  『赤旗』1989年7月18日
  夕映え  1984年3月 未発表
  佐木秋夫先生への別れのことば  『文化評論』1988年8月
  八〇歳になった  1990年11月17日  未発表

 
冬の歌
<青磁社 1991.5.20>

 
1

2


(『民主文学」1989年8月号)
 色紙さいごまで

[冬の歌]の続きを読む
 山本隆子さんがエッセイ「春になったら」(『詩人会議』特集──大島博光とわたし)の中で、「一九九〇年頃の夏、吉祥寺の喫茶店で大島先生からできたての詩「冬の歌」をみせてもらったが、翌年送られてきた詩集『冬の歌』には「冬の歌」という題の作品は見当たらない」と書いています。詩「冬の歌」はどういうものなのか、気になりましたが、「不幸は忍び足で」の最後のフレーズ
  最後まで希望を太陽を抱いてゆくことだ
  それが冬にうち勝つ きみの冬の歌だ
を思い出して、この詩のことかも知れないと思いました。
 この詩の初出とある『民主文学」1989年8月号を国会図書館オンラインで調べたら、「冬の歌」の題で載っていました。
内容は同一です。題だけを「不幸は忍び足で」に変えて詩集に載せたことがわかりました。

 
冬の歌
『民主文学」1989年8月号

 
山本隆子ミニエッセイ


 山本
大島博光の84歳を祝う会で朗読する山本隆子さん(94年11月)


[ミニエッセイ「大島博光とわたし」──春になったら  山本隆子]の続きを読む
 ニュース1
ニュース2
ニューう3
ニュース4



 犯罪調査

ビクトル・ハラ


[チリ軍事政権犯罪調查国際委員会  拷問、虐殺の実態を告発(1974年3月)]の続きを読む
 1
今日も雪が積もり、寒い日でしたが
みんなで元気に歌いました。
2
1年中の歌、知りませんでした。
3
武松さんが新しい「春がきたら」を歌いました。
大島博光の詩に松田敏春さんが作曲した明るい曲です。
次回にみんなで歌いたいと思いました。
4
まほろばの国、これも知りませんでした。
5
さいごにいつものように輪になって歌いました。
6
7
伴奏された4人を囲んでケーキとコーヒー。
8
9
みなさん、ありがとうございました。



 
タシケント映画祭で

デモ
軍事クーデター糾弾のデモ行進(1993年9月17日、横浜)




 
ヒロシマを訪れた

アジェンデ夫人



 
最後の数日

ネルーダ



[パブロ・ネルーダの最後の数日]の続きを読む
 
チリ連帯


チリ連帯


[アジェンデ夫人を迎えて連帯集会  チリ連ニュース]の続きを読む

尾池

尾池
 


[〈高み〉を心に     尾池和子]の続きを読む
寝室の机上の青と灰色の花瓶

その花瓶大切なものだからね 割らないでね 編集の仕事をしていた時 何しろ
当時僕の給料が百五十円の時代に 四十円もしたんだから あとは全部飲んで
銀座の画廊何て言ったけ 日動? そうそうそこで 買ったんだから これだけが
残っているよ 青春のね

西條先生の一番弟子が私 その次が彼なんだよ 会合で会うとね 彼は顔を見ないんだよ   
私は資本主義に迎合するようなものは作らない

散歩中公園の銀杏の木の下まで歩かれ 木に寄りかかられて 青いコートで
あぁ しあわせだ bonheur(ボヌール)だよ 太陽を浴びて
  soleil(ソレイユ)だ

(尾池和子「博光語録1」)
 
花の絵
大島静江「紫陽花」

 
詩人をつくる


狼煙
[詩人をつくる]の続きを読む
わたしたちは歌いたい

千曲川 その水に──大島博光『冬の歌』刊行記念のつどい

A わたしは歌おう
※ わたしたちは歌おう
B 生を変え
C 世界を変え
※ 生を変え 世界を変え
D たたかい生きるのは
E もっと美しいのだと
※ たたかい生きるのは もっと美しいのだと
  (※は参加者全員で)
 つどいに参加した全員が声を合わせる。
 美しい詩の言葉とリズムが、自分のものとなり、仲間のものとなり、心がふくらんでいく、つながっていく…。
 第一部の最後、「わたしは歌いたい」の群読が終わっても気持ちは残り、席を立ち去りかねる。「もっと歌いたい、わたしは歌いたい」という気持ちがあふれてくる。普段、詩を読む人も、読まない人も。

 十一月二十三日、夜、長野市松代町のサンホール・マツシロで、「千曲川 その水に─大島博光『冬の歌』刊行記念のつどい」が開かれました。
 昨年、同じ会場での、板倉弘実詩集『松代大本営』出版記念「詩と絵と音楽のつどい」につづく二回めのとりくみです。
 「うまく書けるようになりたい」という長野詩人会議会員の願いは、詩を読む人、求める人がふえることなしにはささえられない、という思いから、詩を書く力量を高めることと同時に、詩を愛する人々をふやしていくことを常に思う私たちは、このつどいのために、「"愛と革命の詩人”大島博光さん、故郷(松代)に帰る」のちらし四〇〇〇枚、案内状三〇〇枚、返信用はがき二〇〇枚(感想・メッセージ要請を含む)、実行委員会ニュース三回(四〇〇枚)を配布しました。
 寄せられたメッセージ・感想文は、パンフレットにまとめて参加者にお配りし、欠席者に送りました。
 大島博光さんの旧知人をはじめ、神戸、愛知、千葉からの詩人、県労連議長、県高教組委員長、長野合唱団指揮者など、多彩な方々、七十四名が参加されました。
 計画の当初は、大島先生に来ていただくのは無理と思っていたのですが、先生から「行こうか」と言っていただいた時は、天にも昇る気持ち。
 しかし、結核を患われた大島先生には、十一月末は"地獄の季節"。風邪のために来ていただくことができないことが分かったのは前日。"つどい"のなかみを再検討。せっかく来てくださるみなさんに満足していただけるようにと、前夜おそくまでの準備となりました。
 プログラムは、大きなスクリーンに、美しい松代・千曲川の映像(篠ノ井旭高校、中川正巳先生製作)を映しながら、『春がきたら』(大島博光全詩集)の朗読ではじまりました。
 ついで、開会のあいさつにかえて、長野詩人会議の中川、荒井、上原の三人が構成詩(『狼煙』一号~四号の作品の中から、十人の作品で。構成、中川あき子)の朗読で、長野詩人会議の紹介を行いました。
 『ひとを愛するものは」で始まった詩の朗読。
 『不幸はしのび足で』、『君はやってきた』、『わたしは眠ろう 君といっしょに』と続くと、会場は大島博光の詩の世界にひきこまれていく。
 ハンカチで涙を拭う人もいました。
 「詩集で知っていた言葉が、朗読を通してまったく異質の立体的な言葉となって、私の心の底に落ちてきたのです。すばらしい朗読は詩に生命を吹きこむことだ」と感想文に書いてくださったKさんは、その日、会員になってくれました。
 『ヒロシマ・ナガサキから吹く風は』、『夜のサバンナ』、『それは党のおかげだ」そして『千曲川 その水に』とすすむと、会場の雰囲気が高揚して、よい演劇をみる時のような雰囲気が生じて、「朝まで聞いていたかった」ともらす人も。
 朗読は青年劇場・勝山春子さんと長野合唱団・古沢望さん。
 勝山さんは、前日から来てくださって、朗読の指導をしてくださいました。
 寸暇を惜しんで、練習に打ち込む勝山さんの姿に、プロのすごさを見ました。
 練習を繰り返す中で、古沢さんは飛躍的に成長。会場から、「青年劇場の人?」と声が出るほど。古沢さんにはこの日、長野詩人会議の会員になっていただきました。
 長野合唱団指揮者・渡辺亨則さんが徹夜で選曲し、同じく徹夜に近い状況で小林啓子さん(会員)が編集してくださった井上頼豊のチェロの音楽と、松代中学校演劇班(小林啓子先生指導)の生徒の照明が、効果を盛り上げました。
 「あの音楽は、勝山さんと組んでいらっしゃる専門家の方がなさったんでしょ?」という声もあったほど。
 大島先生欠席にいたる"つどい"の取り組みの経過を、小林その事務局長が報告。
「ほんとうに行きたいんだよ」と繰り返しおっしゃっていた大島先生の言葉と、ひたすら詩に打ち込む先生の生活を報告、了承をお願いしました。
 大島先生に代わって、長野詩人会議の板倉弘実代表から、大島先生の「年譜」、「巨(おお)きな人」、「その詩」などのレジメにしたがって、三十分ほどお話を聞きました。
芸術至上主義から社会主義レアリスムへの苦闘をへての大島先生の巨(おお)きさ、そして謙虚で誠実、あたたかな人柄にふれ、詩に対する大島先生の情熱に圧倒されたと話す板倉代表の言葉にあふれる真情から、参加者はそれぞれ大島先生の人柄を感じとっているようでした。
 また板倉代表は、大島先生が今回無理をしても松代に来られようとした(二十余年ぶりだそうです)お気持ちの中には、たんにふるさとに対する思いだけでなく、長野詩人会議やその仲間に対する大きな期待があったからではなかったか。
 八十年をかけて"愛と革命の詩"に挑んでこられた、そのすべてを伝え、さらに発展させてほしいとされる大島先生から学びつくし、それを発展させていこう、と訴えました。
 このことに関連して、板倉代表は、「長野の仲間の中に"大島先生を超える"可能性をもった詩人がいる」という感想文があった。大島先生は、長野の会員に「行動・実践する詩人」がいることを一番喜び、期待しておられる、と報告。
 最後に、大島先生に、春あるいは夏、かならず松代に来ていただいて、『冬の歌』からさらに、『春の歌』、『夏の歌』、『実りの秋の歌』をうたっていただきたい、と結びました。
 参加者からは、「大島先生にお会いできなかったことは本当に残念だったけれど、反面、大島先生ご自身の口からは聞くことのできない姿を知ることができた。会場に大島先生がいらっしゃるように感じた」、との声がありました。
 第二部では、四十余名が盃をかわしながら懇親、交流を深めました。
 松代平和歌う会の仲間が、「たたかいの中に」、「ノーパッサラン」、「泉のほとり」などの美しいコーラスを披露。
 多忙な中を参加してくださった県高教組の中沢憲一委員長から、「"愛と革命"の詩のすばらしいひと時をもつことができた。"指導者"には詩心が必要です」とあいさつをいただき、愛知から駆けつた長谷川節子さん、千葉の武力也さんらの詩人、新保五一さん、長谷川健さんら大島先生の旧知の人たちなどからも、あいさつをいただきました。
 すばらしい"つどい"をもつことができて、長野詩人会議はこれを機会にいっそう確信を深め、前進していくことができます。
 ご協力いただいた皆さんに心から御礼申し上げます。
《付記》
「12・8平和集会」の実行委員会から、長野詩人会議あて、「平和集会のための"群読"の詩をつくってほしいとの要請がきています。
(小林その)
 
刊行記念

(『狼煙』5号 1991年12月)


 
花束売って

 
三鷹にて
末次さんと三鷹の自宅にて 昭和27年前後


[よみがえる詩人 大島博光(6) 花束売って  小熊忠二]の続きを読む

 
夜の歌声


(『狼煙』 57号 2006年6月)
 
フランスの起床ラッパ


[よみがえる詩人 大島博光(5) 夜の『歌声』   小熊忠二]の続きを読む

 
戦後詩の出発


(『狼煙』 57号 2006年6月)

[よみがえる詩人 大島博光(4) 戦後詩の出発   小熊忠二]の続きを読む
 
よみがえる


(『狼煙』 57号 2006年6月)

千曲川 その水に
[よみがえる詩人 大島博光(3) 千曲川の詩   小熊忠二]の続きを読む
 運営委員会

1月14日、大島博光記念館運営委員会を開きました。
昨年1年間の活動のまとめと今年の活動方針を論議しました。
1)今年はチリ・軍事クーデターから50年、アルピジェラ展開始から10年であり、関連したシンポジウムを9月に開催する
2)3年間お休みしていたヴァイオリンコンサートを7月に開催する
などを決めました。
 

記念館
記念館

 
よみがえる2


(『狼煙』 57号 2006-6)
*わたしはよみがえる……「点滴の歌(詩と散文)
 
狼煙ひょうし



 
1


(『狼煙』 57号 2006-6)

 
狼煙通信1


狼煙通信2


 
恐らくそのときだ

 
ネルーダ


[恐らくそのときだ わたしが変ったのは      パブロ・ネルーダ]の続きを読む



泣いている若者に
 


(『狼煙』 4号 1991年9月)

夜景
 

[泣いている若者に   大島博光]の続きを読む
 
2

1


香りもない花束──わが師西條八十の思い出に
 
ランボオ研究
(西條八十 「ランボオ研究」 グラビアより)


[先生とわたし (西條八十教授の思い出) 4]の続きを読む


 
3


(西條嫩子〈ふたばこ〉編『西條八十詩集 石卵』 1987年1月)
 
西条八十
西條八十


[先生とわたし (西條八十教授の思い出) 3]の続きを読む

 
2


(西條嫩子〈ふたばこ〉編『西条八十詩集 石卵』 1987年1月)
 
『蠟人形』

[先生とわたし (西條八十教授の思い出) 2]の続きを読む