千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。


 しかし、アランブラの最大の悲劇は、一四九二年、カトリック王フェルナンドとイザベルによって、アラブ最後の拠点だったこのグラナダが落とされたことである。
 アラゴンは、「グラナダの陥ちた前夜」という、ある歌の文句にとり憑かれて、──そこにまた第二次大戦ちゅうのパリの陥落を思いあわせて、やがて、「エルザの狂人」という尨大な散文と詩による大冊を書くことになる。そこでは、アラブの王の悲劇、アラブ文学・哲学、などが縦横に歌われ、二○世紀の問題として、考察されることになる。「巻頭の歌」はアラブ最後の少年王の嘆きを歌っている。

  風も凍てつくアランブラに
  わたしは 痴呆のように生きた
  うつろな眼 灰色のくちびる
  つぶやく噴水 いつか傷つき
  いま割れて 砕ける 鏡よ
  グラナダの陥ちた 前夜

  わたしは 使いはたされた夜だ
  朝がた おのれの思想を探すのだ 
  またわたしは もう賭け金もなく
  自分のシヤツを引き裂く賭博者だ
  すでに刺された心臓をひとが狙う
  グラナダの陥ちた 前夜

注 アランブラ宮殿で、英語による解説者はアルハンブラと発音していたが、グラナダのタクシーの運転手はアランブラと発音し、アルハンブラではないと言った。
(つづく)

(『詩人会議』 1979年4月)

アルハンブラ


グラナダ紀行
                     大島博光
アランブラ宮殿

 さる十一月上旬、マドリッドでひらかれたチリ連帯国際会議に出席した帰途、南スペインのグラナダを訪れた。
 グラナダ……それは、重い、深いひびきをもつ名まえだ。アランブラ宮殿が、繊細優雅なアラブ文化・芸術の粋をいまにつたえると同時に、アラブ王国が滅びさった悲劇をそこに秘めているからである。そしてまた、それは、フェデリコ・ガルシア・ロルカの町であり、しかもかれがそこで銃殺された町である……
 わたしたちはマドリッドを夜の急行で発ったが、急行とは名ばかりの超鈍行列車で、そのうえがたがたと横ゆれがひどい。出発のときは気笛らしいものが、ヒーヒーと鳴って、まるで騾馬の啼き声を思わせる。するとまたわたしには、それがドン・キホーテのお供のサンチョ・パンサの騾馬のように思われてくる……つまり、わたしたちは、のろいサンチョの騾馬に乗って、荒涼として広いカスチリヤの野を、アンダルシヤへと向って、のろのろと走っているのだ……
 翌朝やっとグラナダに着く。駅のカフェテリヤで、ミルク・コーヒー二杯とハム・サンドを食べたが、うまかった。それから、間島さんがかねて目星をつけておいた、ホテル・グワデルーペにタクシーをとばした。街なかに大きな噴水や銅像があり、古い城門をくぐると、鬱蒼と樹木の茂った坂道になる。幾台もの観光バスが走っている。そこがアランブラの宮殿の前庭ということになる。いくつかのホテルを通り越して、最後のホテルがグワデルーペであった。近くに、「アルハンブラ物語」を書いたアメリカ人ワシントン・アーヴィングの名をとったホテルもあった。(「アルハンブラ物語」は江間章子さんの訳で、講談社文庫に収められている。) 通された四階の部屋は、たいへんわたしの気に入った。窓べに、ポプラ林が黄色い葉むれを輝かせていた。その枝越しに、向うは、低い松の点在する小さな低い山になっている。ホテルに鞄をおくと、さっそくアランブラ宮殿へ向うが、ホテルから五百メートルぐらいしかない。道の片側には、赤煉瓦のぶ厚い城壁がそそり立って、つづいており、片側は亭ていとそびえた森になっていて、ポプラや銀杏のたぐいが、黄色くなった葉むれを秋の陽に輝かせている。かねて写真で見た、「獅子の中庭」や「太子の間」などの前に立ってみると、つまり、太陽のひかりのもとにあるそれらを見るとますます夢まぼろしのなかにいるような想いになる。水盤をささえている石の獅子たちの鼻が、永い時の流れのなかで、もう擦りもげている。「コーラン」をモザイクできざみこんであるという大理石の壁面、みごとなアーケードと噴水をあしらった中庭の組み合わせ、すべてが繊細優雅で変幻自在な結構である。また、美女たちがその裸形をさらしたであろう大浴場のうちの「アベンセラーへスの間」には、血なまぐさい物語が伝えられている。ムレイ・アビュル・ハッサンという王は、お気に入りの愛妄ソラヤの子に王位をつがせるために、最初の王妃との間に生れた自分の子供たちをみんな、この部屋で暗殺させたというのである……。
(つづく)

(『詩人会議』 1979年4月)

アルハンブラ
 しかし叙事詩は悲劇的な終曲へとむかう。「エデンの園」の恋人たちには、呪いの炎の剣が加えられる。ここでは、炎の剣は南アメリカにおける火山の爆発というかたちをとって現われる。この火の洪水のなかから、ロードとロジーは、森の動物たちといっしょに、救いの船に乗って逃げる。海の方へ──詩人の好きな海の方へ。
 すべての神話が望むように、ロードとロジーも滅びないだろう。彼らは禁断の木の実を味わいながら、しかし呪われることなく、遂にその古い呪いの神を殺してしまう。こうして詩人の意志にしたがって、古い神は死に、恋人たちは古い伝統的な運命から解放され、彼らじしんが神となったことを意識する。

  男の名は ロード
  女の名は ロジー

  彼らは 帆船を操った
  彼らは 船の世界をとり仕切った
  そのとき突然 滝のような波のふちで
  死のふちで 瞼は燃え 肉は躍り
  眼ははげしい痛みにみちて
  彼らは 自分たちが神になったことを覚った
  古い神が 呪いの火柱を立て
  炎の剣をふりあげたとき 古い神は死んだのだ
  おのれの創造を完うし それを呪った古い神は
  新しい作物もなく 死んだ
  そしていまや 人間が神になった
  人間は 大地に満たなければならない
  人間は 海に満たなければならない
  なぜなら ひとり新しい神神だけが
  愛の林橋を噛んだのだから

 さて、ロードとロジーはネルーダとマチルデということになろう。『船長の詩』において匿名でうたわれた愛、つづいて『イスラ・ネグラの思い出』『一OOの愛のソネット』において飽くことなく追求された愛は、『炎の剣』において、調子高い叙事詩的な幻想と希望をうたいあげているといえよう。

(この項おわり)

(新日本新書『パブロ・ネルーダ』)

夕やけ

 一九七○年九月に出版された詩集「炎の剣」も、この「世界の終り」の延長線上に書かれたように思われる。なぜなら「炎の剣」は、世界が終り、その廃墟に生き残った一組の男と女を主人公にした物語、つまり、新しいアダムとイヴの創世記であるから。じっさいにも、ネルーダはこの詩集の扉に旧約聖書の「創世記」のつぎの文章をかかげている。
 「こうして神は人間を追放して、エデンの園の東に、いのちの木への道を守るために、天使ケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置いた」
 もうひとつ、ネルーダがこの物語詩のよりどころとしたのは、チリ南部のアンデス山脈の奥に隠されているといわれる「魔法の都」あるいは「セザールの都」の伝説である。この詩集の冒頭に、フリオ・ヴィクニャ・シフェンテス『チリの神話と迷信』からつぎのように引用されている。
 「チリの南部、アンデス山中の、だれも知らない、あるところに、この世のものとは思われぬすばらしい魔法の都がある。そこではすべてが黄金、銀、宝石である。この都の住民の幸福に匹敵するものはない。衣食住をみたすために働く義務もなく、人間世界を襲う貧困や苦しみにさらされることもない……」
 この詩においては、世界の終りが描かれ、そこへただひとり生き残った主人公ロードがやってくる。アラウカニアの地に新しい森を見つけようとやってくる。

  彼は土地を探した 新しい王国のために
  彼は青い水を探した 血を洗い流すために

 ロードはネルーダと同じく年とった失望した男、幻滅した男である。多くの闘いののち、「孤独のなかで/その心を手に負えぬ蔓(つる)草に蔽われた男」であり、「過去と呼ばれるものをうしろに引きずり」「犯罪の共犯者」「他者、すべての他者との共犯者」であることをやめて、「血まみれの魂をもたぬ最初の人間」にもどろうとする。
 そこにはまた怖るべき反省が現われる。

  ひとびとはもはや彼を必要としなかった
  そうだ だれも だれひとりとして

 しかし、この孤独と懐疑に苦労するロードのまえに、「セザールの都」の生き残りの女ロジーが現われる。するとロードの心にはふたたび愛と欲望が生まれる。若い同伴者を得て、孤独者はふたたび春と世界をみいだす。エロティックな美しい詩が、ロジーの口をとおしてこの愛の融合をうたう。

  最初の男(ひと)よ あなたが
  わたしの腹の上に手を置いたとき
  あなたのくちびるが
  わたしの乳房の乳首を味わったとき
  わたしはもう見捨てられた血の滴ではなかった
  道に落ちた棘のある小枝ではなかった
  わたしのからだはその葉っぱをそばたて
  音楽がわたしの血のなかを走った

 しかしこのような愛もロードの懐疑や苦悩を消しさることはない。

  だれもこの地上でわれらに耳傾けない
  みんな出て行ってしまった……
  これからわれらの夢をだれに託そう?

(つづく)

(新日本新書『パブロ・ネルーダ』)

バラ


『世界の終り』『炎の剣』

 一九六九年七月に出版された『世界の終り』には、ネルーダの孤独、幻滅、懐疑などの精神的思想的状況がにじみ出ていると見られる。スターリン批判以来の絶望的情勢、核戦争の脅威など、科学的発見や社会的進歩がみられたにもかかわらず、この二○世紀はネルーダにとって期待はずれなものであった。この世紀を人間の世紀にしようとたたかってきた人びとの理想をうちくだき、裏切ってきたからである。この闘争に参加してきたネルーダはそれを認めずにはいられない。彼にとって二○世紀は「いつわりの勝利の世紀」であり、「断末魔の世紀」である。自然は変ることのない祭りを人類に提供しているのに、人間は研究所の奥で悲劇的な祭り──原爆の祭りを企んでいる。

  もう一つの祭りが準備されているぞ
  世界の自殺が             (「原爆」)

(つづく)

(新日本新書『パブロ・ネルーダ』)

川



道1

道2

赤い実

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チリ支援世界会議の思い出



国際会議
チリ支援世界会議にて、左から間島三樹夫、大島博光、ベトナム代表。1978年11月 マドリード


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黒い季節1


黒い季節



(『詩人会議』1977年3月)

夜 


[黒い季節(一九四四年 フレーヌの牢獄にて)]の続きを読む
瀧口修造

ある日ある時のポルトレイト(1) 瀧口修造氏

 彼はビールを飲むでゐた。大きなアンブレラの下で三・四人の仲間たちと。本誌に「マルドロオルの歌」を連載してゐる大島博光君が乗り出してきて、僕たちの卓子との隔りを塞いでしまった。瀧口修造氏とアヴンギャルトの画家たち──みんな僕は初封面の人たちだった。もう一ヶ月も前のことである。その時、何を饒舌ったかもううろ覚えである。眞夏の太陽がすっかり影を没した頃、新宿の大山でのことである。
「暫らく詩を発表しないやうですが、現在どんなことをしてゐますか。」
「いま写真化学研究所の仕事をしてゐます。」
「近く芸術家の結成が出来るやうですが。」
「アバンガルトの画家のクラブがあったのですが、近く芸術家聯盟クラブと改称して、画壇とか文壇とかの小グループを離れて、全藝術のために、これから来るべき藝術を代表するやうな仕事をしてゆきたいと思ってゐます。ゆくゆくはユニイクな雑誌も発行したい計画でゐます。──レアリスムとか、シュルレアリスムとかを離れて、日本の文化に新しいものを加へてゆきたい、といふのがその主旨なのです。」
 長髪の瀧口氏は思慮深く語った。
「シュルレアリスムは唯美主義の残りの概念である。芸術至上主義である。」とか、「春山行夫氏のポエジイ運動は未完成である」とか、「われわれはラムボオやロオトレアモンにまだまだ学ぶべきものがある。」とか、瀧口氏の言った言葉が断片的に泛んでくる。
「現在、詩を発表してゐないのは、決して機関誌がないからといふ譯ではない。」と瀧口氏は言ってゐたが、近く藝術家聯盟の結成と共に華々しい活躍が見られるものと思ふ。
 次に瀧口氏にその略歴を語って貰はう。
【JOE】

(『蝋人形』1936年10月)
神奈川県立近代美術館

神奈川県立近代美術館でコレクション展「1937―モダ二ズムの分岐点」が開催されています。(11月5日まで)

神奈川近代美術館
神奈川近代美術館

戦争前夜の1937年はモダニズムがひとつの頂点を迎えた年とされます。ヨーロッパで「パリ万博」や「退廃美術展」が開催されたこの年、「海外超現実主義作品展」が瀧口修造と山中散生の企画により開かれました。アンドレ・ブルトン、エリュアールらシュルレアリスムを国際的な運動にしようとしていた海外のシュルレアリストたちと連絡を取り合い、その協力を得て実現したのでした。

神奈川近代美術館
神奈川近代美術館

興味が惹かれる膨大な展示品が。
名前だけ聞いたことのあるトリスタン・ツァラやマックス・エルンストのポートレートを初めて見ました。
ロルカとダリが一緒の写真。ファシストに協力したダリがロルカと……。
ロートレアモン『マルドロールの歌』にダリが挿絵を書いた豪華本。
ポール・エリュアールの詩、マン・レイの写真による詩画集 『ファシール』。影絵のように純化されたニーシェ(エリュアールの妻)のヌードが美しい。
エリュアール、ブルトンらがたくさんの手紙を日本に送っていることにびっくり。笠井裕之先生ら慶応義塾大学の研究グループと美術館の朝木由香さんとの共同作業により翻訳されて小冊子になっています。

神奈川近代美術館

記念館所蔵の『蝋人形』1936年10月号(瀧口修造に関する記事)が展示されています。(大島博光が『蝋人形』の編集に携わりシュルレアリスムの紹介に力を尽くしたとの解説)

神奈川近代美術館

エイゼンシテイン監督の映画「全線~古きものと新しきもの~」を上映していました。
「ロシア革命100年記念 エイゼンシテイン監督映画作品上映会とスライド・トーク」の3日目で、10月7日が「戦艦ポチョムキン」8日が「十月」でした。
スライド・トークをした籾山昌夫氏は2014年に展覧会「ユートピアを求めて ポスターに見るロシア・アヴァンギャルドとソヴィエト・モダニズム」を担当した方でした。

 ポスター


1952年7月に奈切哲夫が呼びかけた大島博光救援会のカンパに画家の浜田浜雄が応じて書いた手紙。

浜田浜雄てがみ

「いつぞや 小山田君と会った折 いろいろと色々と話し合ったことでしたが 大兄のマルドロールの歌に挿絵を描いてみたいと異様に眼を輝かせて語ったのが非常に印象的でした。
もしそれが実現されたら心から   のは勿論私だけにとどまらないでせう。待望するものの一つです。
心にかかりながら何時も何もできません。同封の金子わづかですが手前勝手な給料のつもりです。お納め下さいますよう 奥様によろしく
浜田浜雄」

「マルドロールの歌」(ロートレアモン著の散文詩)は大島博光が訳して『蝋人形』に昭和11年2月から11月に連載されたが、とても奇怪でシュールな作品。小山田二郎の絵のイメージがぴったりなので、確かに実現していたら面白いものになったに違いない。

浜田浜雄



おうむ


(「ニクソンサイドのすすめとチリ革命への賛歌」──新日本出版社『ネルーダ最後の詩集』)

夕暮れ




壁

*この詩は「闘いの日に」(「勤労者文学」6号 1948年10月)と似ています。「闘いの日に」では、壁は労働者を閉じ込めている刑務所の壁を指しています。

二人



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廃墟


*詩誌「至上律」を編集した真壁仁は山形の詩人で、1952年7月、「大島博光救援会」にカンパを寄せている。

電車庫




ムリエタ1


ムリエタ2



    ムリエタの首は語る

  だれもおれに耳をかさないが おれはしゃべることができる
  くらやみのなかの子どもは 死んでしまった
  なぜおれは死んで あてどもなく砂漠のなかを
  さまよいつづけるのか おれにはわからない

  愛して愛して おれは悲しみにたどり着いた
  闘って闘って おれはうちのめされてしまった
  そしていまや テレサの両の手のなかに
  おれという ひとりの悪党の首は眠るのだ

  おれがぶっ倒れると おれは咽喉(のど)をかっ切られ
  おれのからだはまず まっ二つに切り離された
  おれは 完全犯罪のために叫ぶのではない
  おれは さまようおれの愛のために抗議するだけだ

  死んだ妻がおれを待っていた そしておれは
  険(けわ)しい道をとおって たどり着いたのだ
  死んだ妻といっしょになるために おれは·
  ひとを殺し自分も死にながら たどり着いたのだ

  おれはもう 血も流れさった空っぽの頭に過ぎぬ
  くちびるももう おれの声をきいても動かない
  死者はもう 何も言ってはならないのだろう
  雨や風をとおして 語りかけるというほかは

  だが これから霧のなかをやってくる人びとは
  どのようにして ありのままの真実を知るのだろう?
  同志たち おれは要求するのだ 一○○年後に
  パプロ・ネルーダが おれのために歌ってくれることを

  それは おれが犯した あるいは犯さなかった悪のためではない
  それはまた おれが守った善のためでもない
  おれが持っていた 唯一のものを失ったとき
  ただ 名誉だけがおれの権利だったからだ

  こうして ゆるぎないたしかな春のなかに
  時は流さり おれの生涯はひとに知られるだろう
  それは苦(にが)い人生でもなく 正義にみちたものでもなかった
  おれはおれの人生を 勝ったとも負けたとも思わぬ

  そして過ぎさってゆく すべての人生のように
  おれの人生も きっと夢といりまじっていた
  血の好きな残忍なやつらが おれの夢を殺した
  そしておれは遺産として残すのだ おれの深傷(ふかで)を

 ここでネルーダは、詩人の声をとおして、ムリエタの伝説の真実をとおして、アメリカ大陸における奴隷制・圧制を告発し、一時的な敗北を越えて、来るべき闘争に立ちあがるよう呼びかけているのである。
(この項おわり)

(新日本新書『パブロ・ネルーダ』)

男