千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。




友よ手を結ぼう


 詩人たちもまた、ヴェルサイユ軍の兵隊たちに、三月十八日のように、人民の側に寝返って、協力するように呼びかけ、あるいは、地方のひとたちに、パリを支援するように訴える。

(『パリ・コミューンの詩人たち』)

コミューン


*テキスト




共和連合

(『パリ・コミューンの詩人たち』)

パリ・コミューン


板橋詩人会
前列右から3人めが長岡昭四郎さん

1982年11月28日に開催された板橋詩人会の結成大会の様子が『会報』第一号に載っています。記念写真とともに出席者名(山中和子、山口えく子、葵生川玲、角田博、橋元英樹、古庄紋十郎、宮林義信、広井三郎、風間光作、井上八蔵、井上千文、斉藤幸雄、天童匡史、長岡昭四郎、鈴切幸子、内藤健治、千川あゆ子)が紹介され、作品のページでは会員の詩14篇を掲載。「春の詩の祭典」案内ページでは、土橋治重と大島博光のスピーチが予告されています。
板橋詩人会

最後のページに長岡昭四郎さんが板橋詩人会を結成した理由について書いています。「一昨年松本に一人で住んでいた父が他界した。故郷の人のいないわが家はあっという間に廃家と化していく。漸く私は乳離れのしたような気持になれた。……もう板橋を永住の地と決めてもいいのではないかと思った。そこで自分のライフワークは何んだと問うてみた。……終戦後すぐ詩を書きはじめた私は途中寄り道はしていたが、詩から離れられず、何時の間にか自分の心のほとんどの領域を占めてしまっているのに気がついた。それにしては、詩を書く仲間が少なく板橋を永住の地と決めた私は淋しすぎたのだ」(「追憶の詩」)

板橋詩人会


猪熊

昭和女子大学教授の猪熊雄治先生が来館されました。

猪熊

猪熊先生は昨年「『蝋人形」(昭和五年─昭和十九年)の検討」(近代文化研究叢書)を刊行されました。

猪熊

この著作では、昭和19年まで14年間、発行を続けた『蝋人形』(164冊)を概観して論じています。西條八十が主宰し、その門下生が編集業務を担当した『蝋人形』は詩誌・文化誌でありながら読者の投稿作品の掲載に力を入れた投書雑誌の一面も持っていた。編集者が加藤憲治、ついで大島博光に代わる中で詩誌としての専門性と公器性が追求され、充実して行ったこと、後進育成の面でも成果を上げたことなどを詳細に論じ、詩史上での再評価が求められているとしています。

おれは空の

詩「早鐘が鳴ったら」の冒頭からとっています。

おれは 空の麻袋をかついで
飲まず食わずに 街道すじを
ほっつき歩く 宿なしの仲間だ
働いても 搾りとられてすかんぴん

そしてむかしの だれかのように
行きだおれて のたれ死にするのだ
それでも 奴隷暮らしよりはましさ

安酒にでもありつけば 酔っぱらって
風の吹く野っぱらの 野草のうえで
こおろぎといっしょに 眠るのだ
垢だらけの顔を赤いタ日に染めて

だがいつか 早鐘の鳴るのを聞いたら
おれもしゃんとなって 駆けつけるのだ
みんなといっしょに あけぼのの方へ
(『橋』21号 1988.3、 詩集『冬の歌』)

浮浪ぐらしをしていても
いざ事がおきれば
パリのガブローシュのように駆けつけて
いっしょに闘うぞ──


夜のサヴァンナ


風刺詩「夜のサヴァンナ」(1989年2月)からとっています。

夜のサヴァンナ 百鬼夜行
これはこれ 弱肉強食の世界

王者のライオンどもは
「獅子の分け前」を ぶんどり合い

そのまた分け前の おこぼれを
サヴァンナじゅうに 大盤ぶるまい

出てくるわ 出てくるわ
ハイエナどもに ハゲ鷲ども

腐肉に群がる ジャッカルども
月が照しだす たかりの構図

うすくらがりの その奥に
さらにうごめく 「巨悪」の影
……


今につづく弱肉強食の政治……


*「夜のサヴァンナ」(『冬の歌』)


未来とは


アラゴンの詩「未来の歌」からとっています。

未来とは 死にたいして たたかいを
いどむ 戦場なのだ これこそが
不幸から わたしのかちとったところのものだ
これこそ 人間の思想が 一歩また一歩と
けずりとってきた 前進基地なのだ
いましがた 最後の力をふりしぼって
海の泡が たたかいをおし進めた場所に
たえず 寄せてはかえす 波のように
……

(詩集『エルザの狂人』──「未来の歌」)