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千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。




 この頃、ランボオの詩想は純粋な神秘主義からそれて、唯物論的な主題へとむかっている。『イリュミナシオン』のなかの「都市」のような新しい散文詩形式の作品を書き始めたのもこの頃である。この「都市」で彼は、近代的な産業都市の怖ろしさ、地平線へむかって伸びる街、小さな家が密集している悲惨な郊外などを、異常な巧みさで具象的に描いている。それらの街街のうえを、黒い喪のヴェールのように、ロンドンの霧と煙が覆うている。これらのイメージの喚起はレアリスム風ではないが、その暗示力はたんなる描写をはるかに越えている。とにかくこれらの『イリュミナシオン』の諸作品はイギリスの雰囲気をただよわせていて、フランスで書かれたものとは思われない。しかし日付がないので、いつ頃書かれたのか、はっきり断定することはできない。

 ヴェルレーヌとランボオは、ロンドンのイースト・エンド地区にあった中国人のアヘン窟に出入りしたのではないか。──出入りしたといわれる。アヘンの吸用によって、ランボオの都市感覚に変化が生じた、ともいわれる。彼の都市感覚は建築家のもので、建築家はちがった地層を発見し、都市を切れ切れに見る。あるいは遠近法のない原始絵画(プリミチーフ)におけるように、ちがったいろいろの面がたがいに重なり合っている。いわばピカソのキュビスムを先取りして、それを言葉の世界で実践しているようである。ランボオはそのようにロンドンを描いている。
 「密集した建物によって、辻公園、中庭、閉ざされたテラスから、御者たちは立ちのかされた。公園はすばらしい技術によって造られた原始的な自然をあしらっている。山の手の街区には不思議なところがある。舟のいない水路が、巨大な枝付燭台をならべた河岸のあいだに、青い霰(あられ)の布を押し流している。短い橋がセント・チャッペルのドームの下の裏門にじかに通じている。このドームは、直径およそ一万五千フィートにも及ぶ、芸術的な鋼鉄の骨組である」(「都市」)
 イギリス人のスターキー女史によれば、ここに描かれている風景はそのまま、ロンドンのウエスト・エンド地区、そこにある辻公園、テラス、公園、人造湖などを思い出させるという。
 ところでロンドンにおけるランボオとヴェルレーヌの放浪生活は、ヴェルレーヌの健康と精神上の不安定によって絶えずおびやかされていた。その破局は避けがたいものになっていたのだ。
(この項おわり)

新日本新書『ランボオ』

ランボオ



4

 ヴェルレーヌはランボオを見ると、まるで魔法にかかったように回復してしまった。二人はまた酒場びたりの生活を始める。ときどきロンドンの郊外や田舎の方も歩きまわる。彼らはまたホワイトチャッペルのような貧民街をぶらつく。この近代的な大都市における貧民の悲惨さをまのあたりに見て、ランボオは虐げられた大衆にたいする新しい同情を覚えずにはいられない。『地獄の季節』のなかにその反映をみいだすことができる。
 「ときおり、あの人は語るのです。ほろりとさせる方言など使って──悔いの残る死について、たしかにこの世にいる不幸な人たちについて、辛い労働について、心ひき裂くような出発について。わたしたちが酔っぱらった汚い部屋で、あの人はよく泣いていました、わたしたちのまわりにいた貧乏な畜生なみの人たちのことを考えながら。また暗い街なかで、あの人は酔いどれを抱き起こしていたものです。あの人は、小さな子供にたいする意地悪な母親のようなあわれみを持っていたのです」(「錯乱」I)
 ここにはランボオのコミュナールとしての心情が姿をみせているようである。
(つづく)

新日本新書『ランボオ』

少女

3.

 一八七二年十二月の終り、ランボオは母親の忠告にしたがってシャルルヴィルに帰る。この頃、『イリュミナシオン』のなかの数篇の詩が書かれる。
 そのときひとりロンドンに残ったヴェルレーヌは、相棒を失ってたちまち意気消沈、ノイローゼにおちいる。ハウランド街の小さな部屋は、ランボオがいたときには陽気だったのに、いまや冬のさなかで暗鬱であった。深い霧のたちこめる日がつづいたかと思うと、こんどはしとしとと雨が降りつづいた。ヴェルレーヌは孤独のなかで、あの有名な詩を書く。

  街に雨が降るように
  わが心にも 雨が降る
  わが心に 沁みとおる
  この憂鬱は 何んなのか

  おお 大地に屋根に降る
  やさしくあまい 雨の音!
  倦(うん)じ 悩む 心に沁みる
  おお 降るこの 雨の音!

  ここにはヴェルレーヌの孤独な旅愁と悲哀がにじみ出ている。そんな状態で新しい年を迎えると、彼は病気になった。たんなる風邪にすぎなかったが、ノイローゼのために彼は重病と思いこみ、いまにもひとりのまま死ぬのではないかと大げさに考える。彼は母親に手紙をかき、急いで病床に駆けつけてくれるように、またランボオに旅費を送って会いにくるよう連絡してほしいと懇願する。ヴェルレーヌの母親はさっそく姪をつれてロンドンに向かう。ランボオは二日おくれて彼女たちのあとを追う。
(つづく)

(新日本新書『ランボオ』)

雨


2.飢えの祭り

 二人の生活はヴェルレーヌの母親の送金に頼るだけで、みじめなものであった。生徒がみつかった時にはフランス語の家庭教師などもしている。その悲惨な生活は「飢えの祭り」のなかに反映している。

    飢えの祭り

  おれの飢えよ アンヌ アンヌ
  おまえの驢馬で 逃げうせろ
  おれに食い気が あるならば
  ただ 土くれと 石ころだ
  ディン ディン ディン 食ってやれ
  空気を 岩を 石炭を 鉄を

  おれの飢えよ ぐるぐる廻われ
  音の鳴る牧場の 草を喰(は)め!
  昼顔から
  陽気な毒を しぼりとり

  食ってやろう
  貧乏人の砕いた 砂利を
  教会堂の 古びた石を
  洪水ののこした 石ころを
  灰色の谷間に横たわったパンよ!

  おれの飢えは 黒い空気の端(はじ)っこだ
  鳴りひびく 青空だ
  ──身を引きちぎるような胃袋だ
  それが おれの不幸なのだ

  地のうえに 青草が現われた!
  ふだん草の葉を 採りに行こう
  畝(うえ)のなかに 摘みとろう
  野萵苣(のぢしゃ)と すみれを

  おれの飢えよ アンヌアンヌ
  おまえの驢馬で 逃げうせろ

 この詩の日付は「一八七二年八月」であるから、ベルギーをさまよっていた頃に書かれたとも思われる。しかし、S・ベルナールの注釈によると、ロンドンでランボオが眼にした石炭置場や鉄材などの風景に触発されたものとされる。とにかく季節は冬で、石や鉄ばかりの風景と飢えのなかで、詩人はみどりの春とその野菜を夢見ている。
(つづく)

(新日本新書『ランボオ』)

小僧


ロンドンへ

1.
 初め、ランボオとヴェルレーヌの友情は彼らに大きな悦びを与え、詩作上の刺戟ともなった。やがて彼らの関係は苦痛、苦悩、はげしい嫉妬の原因となり、同性の二人は深く傷つけあうようになる。『地獄の季節』のなかの「地獄の夫と気狂い娘」は、こういう情況の緊張と苦悩を現わしている。この章は一般に二人の関係を描いたものとみられているが、ここでも、ランボオが知的にも感情的にもヴェルレーヌを支配していたことがうかがわれる。「気狂い娘」とその繰り言は、優柔不断で泣き虫のヴェルレーヌの姿を忠実に示している。まさにその泣き言、涙もろさ、絶えざる告白癖、その弱さが、ランボオを絶望させたのである。「気狂い娘」の繰り言をきこう。
 「……そうです、わたしはむかしは真面目な女でした……あの人はほとんど子供でした……彼の不思議な気むずかしさがわたしを誘惑したのです。わたしは人間の義務を忘れて、彼のあとをついてきたのです。なんという生活でしょう!ほんとうの生活などはないのです。わたしたちはこの世界にはいないのです。彼の行くところへわたしはついて行きます。そうしなければならないのです。ときどき彼はわたしに、哀れな魂であるこのわたしに、怒鳴りちらすのです。悪魔め!──あれは悪魔です。人間などではありません。」
 ヴェルレーヌは次第にランボオへの依存関係を深め、ランボオの愛に飢える。「わたしはますます彼の優しさに飢えたのです。彼に接吻され、親しく抱きしめられると、わたしはもう天国に、ほの暗い天国にのぼった思いで、そこに、哀れな者として、何も聞かず、何も言わず、盲目のままで、じっとしていたかったのです。わたしはもうそういう習慣になっていたのです……」
 ヴェルレーヌとランボオは、ふた月のあいだベルギーをさまよった後、九月七日、ドーバー海峡をわたってロンドンに行く。すべてその場の思いつきであり、風まかせの気まぐれな放浪である。ロンドンで、彼らはヴェルレーヌの旧友で画家のフェリックス・レガメエを訪れ、画家はよれよれの服を着た二人の詩人の姿を描いたデッサンを数枚のこしている。ぼろ服を着た二人の詩人が、二人をうさんくさそうに見やるロンドンの警官の前を、ぶらぶら街歩きをしている図も残っている。
 彼らはまたロンドンで、有名なコミュナールのウジェヌ・ベルメルシュに会い、その紹介で、やはり亡命中のコミュナールであるリサガレ、ジュル・アンドリゥ、カミィユ・バレールなどとも会っている。この人たちは活動的なグループをつくっていて、警察から眼をつけられていた。
 二人はロンドンの名所を見物して歩いたり、博物館を訪れる。とりわけランボオは大英博物館の閲覧室を訪れている。彼はロンドンの空を、「ガラスのような灰色の空」(「メトロポリタン」)、「まるで喪の海がつくったような陰鬱な黒い煙りに覆われた空」とノートに書く。『イリュミナシオン』の「都市」もロンドンの思い出によって書かれているようである。

(つづく)

ロンドンへ
ランボオとヴェッレーヌ(レガメエ画)


(新日本新書『ランボオ』)


5
ほとんどの田で稲刈りは終わったようです
7
6
作業センター
23
8
9
流しそうめんをやっています。
10
屋代高校付属中学の生徒たちが農作業をする人たちのために無料で提供。
11
1
12
手作業でてきぱきと稲を刈っています。
13
14
2
なにか取ってきました
15
イモリの子どもです
16
17
3
4
カエルか何かをとっています
19
20
作業もそろそろ終わり。
21
中学生たちも帰っていきます。
24
帰る中学生たちに手を振る
22
愛のポエム──アラゴン

幸福と


解説 大島博光(詩人)
 アラゴンは、フランスのレジスタンスの代表的な詩人として、また多くの愛のシャンソンの詩人として、日本でもひろく知られています。かれは第一次世界大戦の時代に青春を迎えた、あの輝かしい世代の典型的な詩人です。かれはシュルレアリスムの詩運動のうちに見いだした反抗を、やがて共産主義のなかで追求し発展させることになります。しかしそれはまた、古い人間から新しい人間へと自己を改造することであり、アラゴンは多くの苦しみにみちた、きびしい自己批判と実践をとおして、それを追求しつづけます。この苦しい改造を助けてくれたのが、妻のエルザであり、エルザの愛でした。これをたんに愛による救いというだけでは、皮相に過ぎます。エゴイズムや退廃のみなもとである個人主義から脱けでるためには、他者をみとめ、他者を愛することが必要です。「愛するひとよ、わたしはおまえの眼をとおしてこの世界を見る。この世界をわたしに感知させ、わたしに人間らしい感情を自覚させてくれるのはおまえだ……」と彼は書いています。ここにはひじょうに重い意味があります。彼はそこから論をすすめて、新しい未来社会においてもその社会的精神的基礎となるのは、愛しあう、幸せなひと組の男女──夫婦である、と結論しています。これはきわめて深い洞察です。
 ここに掲げた詩も、その愛の力、愛の意味を、詩のことばで、いっそう美しく、いっそう具象的に表現しています。この詩は六〇歳に近い頃に書かれた詩ですが、つねに青春を愛した、詩人の若わかしい精神が躍動しています。「あのまぶたのしたに秘めたアネモネ色の眼」──この美しいイメージこそは詩にぞくするものです。
(詩は角川書店版『アラゴン詩集』一八八ページ)

アラゴン

(『学習の友』連載「愛のポエム」1979.4)

 実践的な真実をこそ
                    大島博光

詩はただに美をもり込むだけのうつわではない
そうだ それは人間らしく生きてゆく道をこそ
そのたたかいをこそ うたいすすめるものだ
「詩は実践的な真実をめざさなければならない」*

だからそれはまた ひとがその身と心を変え
草むらに蛇が残した白い抜けがらのように
古くしみついたくせや狂いをもぎり捨てて
生れ変って行くその道すじをもうたうことぞ

かつてぼくもくずれる砂の上に書いていた
孤独を歯がみするもののいらだちばかりを
ゆれる水にゆがんで映るおのれの影ばかりを
ぼくも人びとから遠くはなれたナルシスだった。

目ざめた友らが引ったてられ牢にぶち込まれ
黄いろい奇妙な帽子をかむった長靴のやからに
仲間たちが丸太でなぐられ戦場に駆り出され

煮えくり返える叫びを胸に死んで行ったときに

ぼくもまだ この世は愚劣だ無虚だと叫んで
絶望と狂気の身ぶりでこの人生をお茶らかし
その愚劣な世を変えることには眼をつぶって
逃げ出すことばかりを夢みたひとりだった

ぼくもまたほんとうの愛の深い力を知らずに
愛の喜劇を恥しらずにも闇の中へさがしに行き
おろかな沼に落ちこんで若さをむだ使いにし
おのれを泥に変え ひとに泥水を飲ませるばかり

砂っ原のひと粒の砂のようなひとりぼっちの男を
泉の方へ兄弟たちの方へと連れもどしてくれる
根なし草を根ざす大地へとみちびいてくれる
あの大きな愛を知らぬ詩人たちのひとりだった

柿や落葉松がその立っている大地を忘れぬのに
ぼくらが根をおろさずにいられぬ祖国の土を
ぼくらを育て生きさせてくれたははのくにを
その兄弟たちを忘れはてていられるだろうか

その背なかに泣きさけぶ子どもも背おわず
ひかりも重荷もせおわぬ うつろな言葉で
かつてのぼくがものしたもやのような詩は
ただ読むひとの眼をくらますだけではない

そのとき、ぼくはその詩のなかでもやのなかで
桑の枯枝にぶらさがった尺とり虫のように
おのれの素顔や姿をもくらましていたのだ
ひとの眼をひらかせることこそが詩の役目なのに

そしてぼくも よその家によばれた客のように
窓わくの中の 煙が吹きちぎれる風景などを
ただ横わきの壁にもたれて眺めるばかりで
けっして一人称では語らぬ詩人のひとりだった

犬どもがかぎつけて吟えたてるのを恐れてか
「ぼくは」と決して一人称では語らぬ詩人は
かれもまたおのれの姿をくらましているのだ
そのときそれを客観とはよくも言ったものだ

「ぼくは」と一人称ではけっして語らぬ詩人は
燃えさかる火事場の煙を見ながら叫ぼうともせず
ましておのれをまもる窓わくをぶち破って
火のなかの子どもたちを救い出しには行かぬのだ

そればかりかぼくも大きな敵から眼をそらし
小さなごみ箱の髪くずやげろなどをほじくり出し
おのれのゆがみ狂いを 夜のがらくた市へ
高値に売りつけに行こうとしたひとりだった

またぼくもほんとうの敵への憎しみを歌わずに
また仲間うちの歌いすすんだ点を見とらずに
その小さなきずや灰汁ばかりをあげつらう
あのあまんじゃくのやからのひとりだった

ぼくもまた地べたを這いまわって泥をこねあげ
もう大地を現実を抱きとったとうぬぼれて
遠い地平にやってきた春を夢みるひとを
あまっちょろい奴だとあざ笑ったひとりだった

だが横わきの高みから眺めとられたものは
ひとかけらの現実の皮か殼にすぎなかろう
みずから身を起こし手に血をにじませぬなら
とらえた真実も詩のなかで息吹かぬだろう

みずからのはらわたをよじり震わせぬものに
のどを突き上げる叫びをみずからおし殺すものに
どうしてひとのこころの共鳴りを呼び起こし
その詩をうたう武器に変えることができよう

詩はただに美をもり込むだけのうつわではない
そうだ それは人間らしく生きてゆく道をこそ
そのたたかいをこそ うたいすすめるものだ
「詩は実践的な真実をめざさなければならない」

* 「詩は実践的な真実をめざさなければならない」はロートレアモンの言葉

(『現実と文学』10号 1962年6月1日 現実と文学社)
*『現実と文学』はリアリズム研究会の機関誌。リアリズム研究会は民主主義文学同盟の前身にあたる。

雲





(5)
 しかし、放浪の幸福感もだんだん薄れてゆく。マチルデの影がまた二人のあいだに落ちてくる。一八七二年七月二十一日、マチルデは母親といっしょにブリュッセルに向かう。ヴェルレーヌが手紙を出したからである。彼はホテルで妻と義母を迎える。久しぶりの夫婦の逢う瀬で、たちまち抱擁、涙、笑い、和解となる。マチルデが再び一緒に暮らそうと本題をもちだすと、ヴェルレーヌは口を濁して逃げてしまう。とにかく夫人たちは彼をパリに連れ帰ろうと汽車に乗せたが、国境のキエヴラン駅で乗客がみんな税関の手続きをするために下車した、その混雑にまぎれて、彼は姿を消してしまう。それがヴェルレーヌ夫妻の最後の別れであった。そのときの妻との出会いを詩人は書いている。

  ぼくはまたきみを見る 扉を少し開ける
  きみは疲れてか ベッドに寝ていた
  おお 愛に駆られた 軽やかな肉体
  きみは裸で跳ねる 泣きぬれて陽気に

 ヴェルレーヌは、マチルデと過したホテルの午後を思い出しては、甘くて苦い嘆きにひたる。しかし、それはランボオには嫌らしい泣きごとに聞こえる。喧嘩になった後など、ヴェルレーヌはランボオに捨てられはしないかと不安になる。ヴェルレーヌは書く。

  さあ 眠れ! ぼくはきみへの恐怖で眠れぬのだ

 後にランポオもまた書くことになる。──「哀れな兄きよ! きみのおかげで、幾夜つらい夜明かしをしたことか」
 その頃、ランボオは哀れなヴェルレーヌにまるで呪文をかけたように、思いのままにあやつっている。彼はまだヴェルレーヌを解放してやる、「太陽の子」の本然の姿に還元してやるという使命感を、正確にいえば、自分のまぼろしの使命感を抱いている。彼はヴェルレーヌへの手紙に書く。「ただぼくといっしょにいて、初めてきみは自由になれる。ぼくを知る前にきみはどんなだったか、思い出してもみたまえ」この頃、ヴェルレーヌがランボオについてどう考えていたか、彼はそれを「英智」のなかにほのめかしている。

  きみはもう優しくなくて役立たずだ
  きみの言葉は隠語と冷笑で死んでいる
(この項おわり)

(新日本新書『ランボオ』)

マチルダ


(4)
 さて、アンドレ・ジルによって「暗鬱な駿馬」と呼ばれたヴェルレーヌは、マラルメによって「とてつもない通行人」とよばれたランボオのあとをついてゆく。それからの数カ月というもの、ヴェルレーヌの生活は西部劇のようにくるくると変る。ランボオを追い払う……ふたたびランボオを呼びもどす……ヴェルレーヌはマチルデと和解を試みる……ヴェルレーヌはランボオといっしょに逃げる……マチルデはヴェルレーヌを追ってベルギーにゆく……ヴェルレーヌとランボオはイギリスに渡る……ランボオが逃げだす……ヴェルレーヌはランボオを探す……ヴェルレーヌはマチルデを探す……眼のまわるようなドラマの転回である。ヴェルレーヌは絶えずマチルデとランボオのあいだに引き裂かれて揺れている。
 一八七二年七月の初め、放浪に出た始めの頃、哀れなヴェルレーヌは、家庭的束縛から解放されて身軽になり、放浪生活の面白さに心奪われて、わずらわしい重荷をみんな捨て去ったと思い込んでいた。

  おれたちは こころも動かさず
  パリに 重荷を置いてきた
  かれは かつがれた阿呆者で
  おれは どこかの微笑む姫君で……

 行方をくらました二人の詩人は、いまは信頼しあい、解放をわかちあう。

  まるで 浮かれた二人の幽霊だ……

 ランボオにとって、放浪はすでに手馴れたものである。脱出というよりはひとつの征服であった。彼にはパリに置いてくる荷物さえなかった。ベルギーでの道中では、彼も旅の悦びに浸り、緑の国のゆたかさに慰めをみいだしている。

  おお 季節よ おお 城よ
  無疵(むきず)の魂が どこにある?

  おお 季節よ おお 城よ

  だれも 逃れられぬ 幸福の
  魔法を おれは究(きわ)めたのだ

  おお 幸福よ 万歳だ!
  ゴールの鶏(とり)の 啼くたびに

  だが おれにもう望みはないだろう
  そいつが おれの生を引受けた

  あの魅惑! そいつが身も魂も捉えて
  すべての努力を 吹き散らした

 ブリュッセルでは、二人の詩人は、「桜んぼの熟す頃」の詩人ジャン・バチスト・クレマン、ジョルジュ・カヴァリエなど、コミューヌの亡命者たちとしばしば会っている。
(つづく)

(新日本新書『ランボオ』)

レストラン


(3)
 しかしまた同じこの頃書かれた「渇きの喜劇」では、詩人の拒否と絶望が色濃くうたわれている。

  おれたちは おまえの遠い祖先だ
  おれたちの酒倉へ降りて行こう
  そこで りんご酒や牛乳を飲むとしよう

  おれ──牝牛どもの飲む処へ行くことだ
  ……
  いつか ある 「夜」
  おれは どこか 古い町で
  こころ しずかに 酒を飲み
  こころ みちて 死ぬだろう
  おれは 耐えてきたんだから

  もしも おれの悪病が しずまって
  おれに いくらか 金(かね)ができたら
  おれは 出かけて 行こう
  「北国」か 「葡萄の国」へ
  ……
  あの森を染めるあけぼのの色のような
  湿った菫のなかで 息絶えることだ

 祖先たちは因襲的な飲料をすすめ、祖先崇拝や信仰をすすめる。パリの友人たちはボヘミヤンの飲み物、ビッテルやアブサンをすすめる。それにたいして、ランボオは精神の渇き、未知への渇き、冒険への渇きを対置して拒否する。そうしてこの詩の結びはもの悲しい。「どこか古い町」を夢みながら、「董のなかで息絶える」ことを夢みる詩人の絶望は深いのである。
(つづく)

新日本新書『ランボオ』

夕暮れ


(2)
 ランボオはもうパリに嫌気がさしていた。ヴェルレーヌ夫妻の和解の試みのために一時シャルルヴィルに帰っていたランボオは、一八七二年五月にはまたパリに出てきてソルボンヌの近くに住んでいた。一八七二年六月の日付をもつドゥラエ宛の手紙は、その頃のランボオの暮らしぶりと仕事ぶりをよく物語っている。
 「ぼくは夏が嫌いだ。……壊疽(えそ)になりはせぬかと恐れるほどのどがかわく。アルデンヌやベルギーの河や洞穴がいまはなつかしい……いまぼくが仕事をするのは夜だ。夜中から朝の五時まで。先月いたムッシュ・プランス街のぼくの部屋は、サイ・ルイ高等中学の庭に面していた。小さな窓の下には鬱蒼と樹木が茂っていた。朝の三時には、蠟燭も蒼ざめ、小鳥たちが樹のなかで啼きだす。仕事はおしまいだ。朝まだきの、このえも言えぬひとときに浸った樹や空を、ぼくはよく見ることにしている。高等中学の寄宿舎を見ると、まだひっそりとしていた。……五時にぼくはパンを買いに降りてゆく。その時間なのだ。いたるところ労働者たちが歩いている。ぼくにとっては酒屋へ行って酔っぱらう時刻だ。それから帰って食べて、朝の七時に寝るのだ……」
 これでみると、ヴェルレーヌと連れだって、飲んだくれていたにもかかわらず、彼がきわめて勤勉に仕事をしていたことがわかる。噂にのぼっていた、二人のあいだの同性愛を思わせるような退廃の雰囲気はすこしも感じられない。この頃、「涙」「渇きの喜劇」「朝のよき想い」などが書かれている。この手紙はそのままこの「朝のよき想い」の解説ともなっている。この詩はまた、コミューヌの時代の、労働者をほめたたえた詩として、民主勢力の昂揚の象徴として、たとえばジャック・デュクロの『パリ・コミューン』(新日本出版)におけるように、しばしば引用されてもいる。

     朝のよき想い

  夏の 朝まだきの 四時
  愛の眠りは まだつづき
  夜明けの木かげにただよう
    祭りの夜の名残りの匂い

  だが向うの 広い工事場では
  ヘスペリデスの太陽にむかって
  腕まくりした 大工たちが
    もう 立ち働いている

  苔むした空地で 黙々として
  彼らは豪奢な羽目板をととのえる
  いまに都会(まち)の金持女が笑うのさ
    その偽の空の下で

  おお バビロン王の忠臣の
  この いとしい大工らのため
  心にも王冠を戴いたヴィナスよ
    しばし恋人たちから離れよ

  おお 羊飼いたちの女王よ
  労働者たちに 火酒(ロ・ド・ヴィ)をふるまえ
  彼らの力が 無事にあるように
  正午(ひる)の 海水浴を待ちながら
                     一八七二年五月

 こういう詩を読むと、「あらゆる感覚を錯乱させる」見者の詩学のため、「飲んだくれてみずから無頼の徒となる」S'encrapulerというパリでの生活が、退廃としてこの詩に反映するどころか、むしろこの詩が健康で力強いのに驚くほかはない。「ランボオの革命的モダニスムは、生ける現実から切り離された、型にはまった因襲的な詩の虚偽に根本的に対立している」というM・A・リュフの言葉は、まさにこの詩にこそふさわしいだろう。
(つづく)

新日本新書『ランボオ』

カモメ



ランボオとヴェルレーヌと

(1)
 ところで、ニコレ街のモーテ邸では雲行きが険悪になっていた。ランボオが現われて以来、ヴェルレーヌは昼から出かけて、夜はおそく酔っぱらって悪い眼つきで帰ってくる。マチルデとの間にはげしい夫婦喧嘩が起こる。マチルデはまったくちがった環境で育ったので、詩人の感性を思いやるどころか、ヴェルレーヌの激昂に拍車をかけた。子供が生まれたが、それも彼をマチルデに結びつけるには役立たなかった。こうしてすでにマチルデの両親のすすめで別居の手続きが始められた。──マチルデはこの不幸のすべての責任をランボオの出現に帰している。「楽園の一年、それから地獄の一年、そして絶えることのない苦しみ」(『回想録』)と彼女は書いている。
 彼女はまだ、世人の眼に明らかになっていた事態に気がつかなかった。そのとき、ヴェルレーヌはランボオとほんとうの世帯をもっていたのだ。カンパーニュ・プルミエール街の屋根裏部屋は、二人の天才詩人の夜の祭りに都合よかった。ヴェルレーヌの将来を案じて、友人のルベルチェは、サチュルヌスの詩人が若い娘ランボオ嬢に腕をかして、テアトル・フランセの休憩室を歩いている、とペンネームで書きふらした。それは燃えひろがらぬように火を消すためであったが、最悪の事態を予告するように見えた。
 そのときヴェルレーヌは二十七歳だったが、世代のちがいも二人を引き離さなかった。最初の近づきが過ぎると、もう保護する側も保護される側もなかった。二人の詩人は、放浪無頼のなかに酔いどれて相棒となる。二人の詩的密猟者は、おなじ隠語と子供っぽさで詩的追求をつづける。そして、カルチェ・ラタンをさまよっていたこの無作法者のあとをついていったのは、ヴェルレーヌだった。
(つづく)

新日本新書『ランボオ』

カモメ


『イリュミナシオン』について

 散文詩集『イリュミナシオン』が書かれた日付については多くの議論があり、『地獄の季節』の前とするものもあり、後とするものもあり、この問題だけに一章をささげている論者もいる。
 一八八六年、『イリュミナシオン』の初版本を刊行した時ヴェルレーヌは書いている。
 「われわれがいま世におくるこの書は、一八七三年から一八七五年にかけて、ベルギー及びイギリスへの旅行中に、そしてまたドイツにおいて書かれた」
 一八七二年九月から十二月まで、一八七三年五月から七月初めまで、ランボオはヴェルレーヌといっしょにロンドンで過ごしている。そのあいだ、『地獄の季節』と並行して、『イリュミナシオン』のいくつかの作品も書かれた。
 また一八七四年には詩人ジェルマン・ヌーボオといっしょにロンドンに滞在している。その時ランボオはふたたび詩を書き始め、ヌーボオはいくつかの作品の一部分、「都市」の始めとか、「メトロポリタン」の終りの部分とかをコッピイしてランボオを助けている。ヌーボオの筆蹟によってそれが証明されているのである。
 イリュミナシオンという題名の意味そのものも、ヴェルレーヌの言葉を認めるか否かによってちがってくる。ヴェルレーヌによれば、Illuminationという語は、英語で「色刷り版画」coloured platesを意味するという。
 『イリュミナシオン』をよくみると、そこにはいろいろちがった主題、詩想のあることがわかる。「精(ジェニイ)」「ある理性に」のように、希望に輝いた楽天的な詩とならんで、苦悩にみちた暗鬱な詩があり、幻覚幻影にみちた詩があると思えば、「橋」「都市」「岬」のように、明らかに叙述的な性格をもった詩があり、そこにはまた旅の思い出、放浪の思い出が反映している。それは恐らく、それらの詩がちがった時期に書かれたことを物語っているのである。
 『イリュミナシオン』にみられる奇抜なイメージ、幻覚幻視は、多くの批評家たちの長い形而上学的饒舌の対象となっている。
 ランボオの幻覚幻視についてみると、彼が長いこと幻覚を得るために自ら訓練し、鍛(きた)えて、因襲や習慣の束縛から詩と精神を解放しようとしたことを忘れてはならない。ドゥラエによれば、彼は一八七〇年にこう書いた。
 「なんと骨の折れることだろう! 頭のなかのすべてを破壊しすべてを消しさるのは! ああ、野の隅に捨てられ、野放図に育てられ、先生や家族に教えこまれた、どんな考えもなしに大人の年になるような子供は幸せだ……」
 ランボオじしんその「野放図に育てられた子供」であり、つねに「教えこまれた考え」慣習、因襲にたいする反抗者であった。
 『イリュミナシオン』の冒頭の詩を見てみよう。
(「大洪水の後」につづく)

新日本新書『ランボオ』

イラスト
イリュミナシオンのためのフェルナン・レジェのイラスト



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