千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。


誌上インタビュー 第17回多喜二・百合子賞受賞者に聞く

 今年の第17回多喜二・百合子賞は、大島博光詩集『ひとを愛するものは』と佐藤貴美子『母さんの樹』に授賞されました。誌上インタビューとして、受賞のお二人に、つぎの五項目についてお答えいただきました。
(1)今度の受賞作の成り立ちについて。
(2)ご自分の文学的な出発(原点)と、今日の到達について。
(3)その間の民主的文学運動(その他の民主運動)とのかかわりについて。
(4)現在取組まれている文学的なお仕事、これから取組まれようとされているお仕事(計画)について。
(5)その他、受賞のご感想について。

詩集『ひとを愛するものは』について
                        大島博光

(1)こんど多喜二・百合子賞を受賞した詩集『ひとを愛するものは』は、「あとがき」にも書いているように、敗戦後まもない一九四六年、わたしが三十六歳で日本共産党に入党してから以後に書いた作品によって成立っている。しかし、それらの詩作品の性質の点からみれば、個人的な感懐をうたった詩、自己変革をあつかった詩、平和の詩、状況の詩、政治詩などによって成立っている。
 そしてもっと根源的に考えれば、このわたしの詩集を成り立たせたものは、そういう詩を書きたいと思ったわたしの意識であった。そしてそういう意識を与えてくれ、そういう活動を保証してくれたのは党であるから、この詩集の成り立ちは党のおかげによるのである。「……多少なりと詩をたたかう武器とし、状況の詩、政治詩を書くことができるようになったとすれば、それは党のおかげであり、そこに党があったからである」とわたしが「あとがき」に書いたのもそういう意味である。

(2)わたしはまた「あとがき」につぎのようにも書いている。「わたしは元来レアリスムからは遠いところ、むしろレアリスムとは相反するところから出発した。わたしは戦前から戦中にかけて青春を送った世代にぞくしているが、党員になる前のわたしは多かれ少なかれ芸術主義者であって、きわめて狭い小さな内面生活をうたうことしか知らなかった。外部では、苛烈な階級闘争がおこなわれ、治安維持法をふりかざした特高によって小林多喜二が虐殺され、とうとうファシズムがのさばり、侵略戦争がおし進められていたのに、それがそのものとして見えなかった。見ようともしなかった。そういう外部世界、状況、歴史は、詩とは無縁のものだとわたしは思いこんでいた。」
 戦前のわたしが詩について抱いていたこのような考え方、態度は、詩の分野におけるブルジョア・イデオローグたちが、こんにちもなお宣伝にこれつとめているところのものである。新しいよそおいやニュアンスなどのちがいはあるにしても。戦後のわたしの詩は、このような戦前の詩にたいするアンチ・テーゼである。
 といっても、このアンチ・テーゼをどれほど実現しえているかは、わたしじしんにはわからないが、それはわたしにとって容易なことではなかった。古いおのれの詩を変えることは、単なる頭の切り換えなどでできることではないからである。おのれの詩を変えるには、新しい思想を身につけると同時に、実践をとおしておのれの人間そのものを変えるよりほかに道はない。つまり意識と詩法を変えるには長い時間にわたる過程が必要なのである。
 詩を書くという作業の点についていえば、たとえば状況の詩、政治詩を否定するブルジョア・イデオローグたちは、外部世界──状況を詩にもちこむことは詩の後退であり、詩の貧困であり、詩に政治をもちこんではならない、と説教している。戦前のわたしも、こういう禁制をうけいれていたのであり、わたしにもたくさんの「禁じられた言葉」があった。したがって新しい詩をかくことの第一歩はまずこういう禁制を自分からとっぱらい、みずからに禁じていた言葉を解放することであった。
 詩における形式の問題についていえば、たとえば定型という問題がある。日本には俳句、短歌という定型詩形があるが、詩にはそれほど決定的な定型はないし、現代詩にあってはそんなことを問題にする意識すらもほとんどないようである。それにもかかわらず、わたしが形式らしいもの、ソネット形式などを採用しているのは、アラゴンの詩論に負うところが大きい。アラゴンは、詩の内容における個人主義を克服すると同時に、形式における個人主義を克服しなければならないといって、フランス詩における民族形式──伝統的な定型の採用を主張し、実践し、その定型に新しいひびきを与えた。フランス詩の定型は、脚韻、胸韻シラブルなどをもった詩句versのさまざまな組み合わせから成り立っている。むろん、われわれのところには、そのような詩句はないし、そのような概念もない。しかし、われわれのところにも伝統的な音数律があり、語呂あわせといわれるようなかたちでの胸韻、脚韻も考えられるのだから、それらを採用して、定型とまではゆかなくとも、形式にたいする意識なり精神をもって詩を書くことはまったく無意味というわけではあるまい。──それが、わたしが形式らしいもの、ソネット形式などを採用した理由である。それが何ほどかの効果をあげているかどうかは、わたしにはわからない。ただ、何ほどかの言葉のひびきあいを創りだし得たと思った時、創りだしたもののひそかな悦びがあったことを、わたしは告白しておきたい。言葉の音楽といわれるものが、詩を構成するところの要素であるとすれば、それを否定しさるよりは利用した方が、詩の豊かさのためにも役立つであろう。そしてそれは、なんら詩におけるレアリスムをそこねるものでも、それに相反するものでもないのである。

(4)わたしはこれから理念(イデエ)の詩にとりくんでみたいと思っている。社会主義・共産主義の新しい理念、精神といったものを、意識的に積極的に詩で追求したい。むろんそれは実践的に追求するほかはない。詩の分野においても、そういう理念は自然成長的に生まれてくるわけではないから、詩人が意識的にそれを追求する必要があるだろう。この理念(イデエ)の詩の追求を、何か観念論でないかと怖れたり、気がねすることはあるまい。それは詩人の先見性と先駆性をみずから否定し、詩人から翼を奪うことになろう。
(『民主文学』1985年5月号)

民主文学

ひとをあいする

 アラゴンは、この詩の冒頭で、ドリュ・ラ・ロシェルに毒舌を返えしている。「おれが呼吸をしていると、ある連中の生きる邪魔になり何かの苛責で彼らは夜もおちおち眠れぬのだ」と。そして「そこなる美女」──祖国フランスにたいする愛と熱情をあかし立てるために、国巡(めぐ)りをして、地方地方の美しさや、歴史や歴史的人物を喚び起こしている。そこには『ローランの歌』のローランが祖国のために戦死したロンスボーの峠があり、一七九二年のパリ・コミューンの義勇軍による勝利の地マルヌ(ヴァルミ)がある。
 この国巡りという歌いぶりは、後の『フランスの起床ラッパ』のなかの『百の村の出征兵』にも見出される。

  アルルから吹いてくる風には 夢がある
  その夢は 私の心そのものだから声高くは語れぬのだ
  オニスや サントンジュの黄ばんだ沼地を
  侵略者どもの 戦車の轍が踏みにじっているとき

 このくだりは、一九三七年十二月の、フランス共産党アルル大会を暗に歌って、アラゴンは同志たちに想いを馳せている。この大会では、「世界におけるフランスの高貴な使命を忠実に守ろう」と呼びかけたモーリス・トレーズの報告が採択されたのだった。そうして、この詩を読んだ多くの同志たちは、大会を思い出して、アラゴンに手紙を書いたのである。

 一九四三年の始め、ド・ゴール将軍は、「涙よりも美しき美女(ひと)」の数行を、アルジェ放送を通じて朗読することになるが、この詩は、きわめて興味ぶかい事情によって、北アフリカで合法的に発表されたのである。
 一九四二年、チュニジア総督、エスデヴァ提督は、独仏休戦条約におけるドイツ側の大きな権限に不満で、自分の新聞で腕曲に「愛国心を喚起する」方法を探していた。愛国主義は、対独協力派やヴィシー派の作家たちの間では殆んど見当らなかったので、提督はついにアラゴンに書かせることになった。提督の使者が、ニースにアラゴンを訪ねてきて、週一回、いろいろな問題を扱った記事を書くように求めた。非公式とはいえ、その筋からの求めをすげなく拒わるのは、困難でもあり、危険でさえあった。そこでアラゴンは、ドリュ・ラ・ロシェルにたいする反駁として書上げたばかりの「涙よりも美しき美女(ひと)」をチュニスの新聞に発表することにしたのである。
(つづく)

白バラ



    涙よりも美しきもの

  おれが呼吸(いき)をしてると 或る連中の生きる邪魔になり
  何かの苛責で 彼らは夜もおちおち眠れぬのだ
  まるで おれが詩を書けば 笛や太鼓が鳴り出して
  その音で死んだ者までが 眼を覚ますらしいのだ

  君らが おれの詩の中の戦争の響きにいきり立ち
  車軸の異様な叫びが その空にきしんでいても
  それは嵐が オルガンの奏でる天使の声をかき消し
  おれがダンケルクを思い出すからだ 諸君

  いかにも悪趣味だが ほかにやりようがないのだ
  おれたちは いつまでも「北国(メール)」の地酒に酔っばらい
  地獄の炎の火照(ほて)りを ちゃんと胸に受けとめている
  あの悪趣味な連中の まぎれもない仲間なのだ

  おれが愛を語れば きみらはその愛に苛(いら)だち
  いい天気だと書けば 雨降りだと言いたてる
  きみらは言う 「おまえの野には雛菊が多すぎる
  おまえの夜には星が多すぎ おまえの空は青すぎる」と

  外科医が 切り開いた心臓をせんさくするように
  きみらは おれの言葉の中に言いがかりの種(たね)を探すのだ
  おれは「新橋(ポン・ヌーフ)」もルーヴルも失ってしまったのに
  おれに復讐するには それでも足りぬというのだ

  きみらは ひとりの詩人を黙らせることもできる
  空とぶ鳥を 籠の鳥にかえることもできる
  だが フランスを愛する権利を奪いとることは
  きみらにもできぬと 知るがいい

  そこなる美女よ さあ戸口から戸口へと廻って
  おれがおん身を忘れてしまったかどうか 見てくれ
  おんみの眼は 手にした葬いの花束の色そっくりだ
  昔の春は おん身の前掛には花が咲きこぼれていたのに

  おれたちの愛が見せかけで 熱情はまっかなにせものだったのか
  にわかにかき曇るこの空を この額をとくと見てくれ
  ひろい表畑のなかの毒麦を さっと射(い)あてる
  あのボース平野のような深い眼なざしで

  おん身は あの黒パンを焼く石の国で見かける
  石像のような腕をしているはずではないのか
  ジャン・ラシイヌの面影は 優美な完璧さで
  永遠に フェルテ・ミロンに立っているのだ
 
  おん身のみごとな唇に浮かべたランスの微笑み(1)は
  処刑されてゆく聖者や予言者たちが最後に見た
  とあるタぐれの タ焼けの色にも似ており
  髪には シャンパーニュの葡萄を絞(しぼ)る匂いがしている

  モントーパンのアングル(2)もその絵に描いた
  おん身の肩のくぼみで ひと休みしよう
  山山の岩まをくぐり 濾(こ)され練(ね)られた
  美酒のような清水で 長旅の渇きをいやそう

  アヴィニョンの狩人の 手から逃れた牝鹿に
  鼓舞された 槍の穂先のようなあのペトラルカ(3)が
  ラウルを愛したのは おん身に似ていたゆえなのか
  傷ついたおん身のために 今日(きょう)おれたちは血を流す

  呼び起こせ 呼び起こせ 幽霊どもを追い払うため
  燦然と輝やく奇跡を 千と一つのいさおしを
  サン・ジャン・デュ・デゼールからブラントーム(4)の穴倉まで
  ロンスボーの峠(5)から ベルコールの高原まで

  アルルから吹いてくる風には 夢がある
  その夢はおれの心そのものだから 声高くは語れぬのだ
  オニス(6)や サントンジュの黄ばんだ沼地を
  侵略者どもの 戦車の轍(わだち)が踏みにじっているとき

  名を競(きそ)いあう町町や国国の この壮大な腕くらべは
  まさしく花花の美を競いあうにも似ている
  美を競った花花は 王侯たちの恋路に消えたが
  夢とその由来は 遺跡の中に溶けあっている
  おお 空とデュランス(7)の流れを遮(さえぎ)る山脈(やまなみ)よ
  おお 羊飼いたちの 葡萄の色をした大地よ

  フランス王 フランソワの愛(め)でたマノスク(8)の町よ
  その美しさに 王はその名を城壁に書いたのだ

  それに劣らず優しいのに 狂わんばかりのおん身は
  おれがおん身を歌っているのにも気がつかぬのだ
  ノールーズの水門(9)で ちょっと足をとめよう
  ここでおれたちの二つの運命は 二つの海の間でためらう

  いやおん身は 歌い止(や)まぬ歌のように止ろうとはせぬ
  どこへ行かれるのか もうヴァントーの山(10)も過ぎて
  眼下を流れているのはセーヌ河だ そうして
  ラマルティーヌ(11)が マドレーヌ(12)の林檎林(りんごばやし)で夢みている

  女なのか美酒(さけ)なのか 子守歌なのか風景なのか
  誰を愛し何を描いているのか もうおれにもわからない
  あの金色の脚なのか 母の胸のみどり児か
  ブルターニュとその糸杉は まだ老いてはいない

  白い襟飾りのような国で おれの口は所望する
  なみなみと注いだ林橋酒と牛乳を ぐっすり眠れるように
  おお ひっそりとしたノルマンディ おん身のために
  パルミルの廃墟に追われた兵士らは胸痛むだろう

  パリの魅惑は何処(どこ)から始まるのか わからない
  レ・ザンドリのような 血のにじむ名前があるのだ
  風景は身をのけぞらせて おれたちに涙を見せる
  ああ 泣き声など立てないでくれ おれのパリよ

  歌ごえ湧き起こるパリ 怒りに燃え立つパリ
  だが旗は 洗濯場で水びたしになったままだ
  北極星にも似た 光放つ首都パリ だがパリは
  舗道の石畳をひっぺがしてこそ パリなのだ

  おれたちの不幸に呻めくパリ クール・ラ・レイヌのパリ
  ブラン・マントーのパリ 「二月革命」のパリ
  フォブール・サン・タントワーヌからシニレンヌの丘へと
  硝子売りの叫びよりも 胸かきむしるパリよ

  何がおっ始(ぱじ)まるか あの酷(むご)い郊外は早く通り過ぎよう
  また夜明けがくれば 恐らく生命(いのち)が消されよう
  だがロワーズに物語もなく マルヌには歌声もない
  人影もないバロワには もうシルビーもいない

  思い出の銃眼よ ここにおれたちも兵隊で並んでいた
  あやふやな空に向けた 根もない廿才(はたち)の野望よ
  出会ったのは愛ではなく シュマン・デ・ダームだった
  旅びとよ 思い出してくれ あのムーラン・ラフォーを
  巻きあがる砂塵のなかを おんみは歩きつづける
  足のむくまま 国から国へと 辿りつづける
  アルゴンヌの森を通り オー・ド・ムーズの台地へ
  不滅の栄光と 裏切りの悪名とをもつ東方へ

  脱走兵に脚(あし)を折られ 傷ついた小鹿のように
  青い沼の眼は 森の下草を眠らずに見守っている
  スイスに通ずる 亡命者の道でひと休みして
  曼陀羅華の生える クールペの国へと向おう

  失(なく)しちまったアルザスでは ラインが溢れ出すと
  ゆれ騒ぐ枝から 雉子(きじ)がさっと舞い下りる
  ウェルテルは しばしおのれの悩みを忘れようと
  クリスマスには 百姓たちにお慈悲を垂れる

  嵐は ダンケルクからポール・バンドルへと荒れ狂い
  おれたちの愛するすべての声を かき消してしまうのか
  いや 誰にもできぬはずだ 伝説を追いちらし
  エイモンの四人息子から アルデンヌの地を奪いとることは

  いや誰にももぎ取ることはできぬ 世紀から世紀へと
  おれたちの咽喉(のど)から迸(ほとばし)りでた あのフリュートの歌は
  月桂樹は切り倒されても ほかの闘いがある
  陽気でへこたれぬ仲間たちよ そうして薔薇の木の

  茂みの中から 走り去る蹄(ひづめ)の音が聞こえてくる
  止ってくれ す速い者よ ああ 気のせいだったか
  だが希望は 泉の言葉で 夜につぶやきかける
  あれは馬だったのだ いやデュゲスクランだったのだ

  いつか聖なる面影が よみがえりさえすれば
  描き終らぬうちにおれは死んでも かまわぬのだ
  立ち上ろう 若者たち 奮い立とう 娘たち
  わが祖国は飢えて惨(みじ)めだが 愛にみち溢れているのだ

(1) ランスの微笑み──マルヌ県の都市ランスの、十三世紀に建造された有名なカテドラルを指す。
(2) モントーバンのアングル──アングル(一七八○〜一八六七)はモントーバン生れ。フランス古典派の巨匠。
(3) ペトラルカ──(一三○四〜七四)イタリアの大詩人。アヴィニョン在住中、一三二七年聖金曜日(四月六日)美女ラウラにめぐり会い、彼女を歌った詩『カンツォニエーレ』は、彼の傑作となる。
(4) ブラントーム──フランス西南部ドルドーニュ県の町。シャルルマーニュ王によって建てられた教会堂がある。
(5) ロンスボーの峠──フランスとスペインの国境、ピレネー山中の峠。七七八年、シャルルマーニュの軍勢は、バスク人に粉砕され、「ローランの歌」にうたわれたローラン伯爵は戦死する。
(6) オニス、サントンジュ──フランス西南部、太平洋に面した地方名。
(7) デュランス──デュランス川はアルプスを源として、ローヌ河に合流する。
(8) マノスク──南仏バッス・アルプ県の町。
(9) ノールーズの水門──南仏、太平洋と地中海を結ぶミディ運河の要衝。
(10) ヴァントーの山──南仏ヴォークリューズ県、アルピス山系南部に位置する山。
(11) ラマルティーヌ──(一七九○〜一八六九)フランスロマン主義の詩人。『瞑想詩集』で有名。
(12) マドレーヌ──ロアール河とアリエ河の間の高原地帯。ラマルティーヌの生地は、その近くのマコンにある。
(つづく)

(『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』)

ばら


狛江

昨日2月5日の東京新聞に狛江市の航空写真が載っていました。
狛江の土井大助さんのお宅にたびたび伺ったことが懐かしく思い出されます。
お宅は写真の右手の和泉多摩川駅から上(東)に5分ほど行った多摩川の堤防のすぐ近でした。

1974年9月に台風で多摩川が決壊し、民家19戸が流出する大被害がありましたが、最後に流出したのが土井大助さんの家でした。彼は被害住民が国を相手に起こした損害賠償請求訴訟の事務局長となって活動し、長い闘いの末に勝訴したのでした。
かつて矢野裕さんが共産党員市長として狛江市の住民自治に大きな貢献をしましたが、その誕生も土井さんが関わっていました。1996年の市長選挙の際に、市民派の候補として土井さんに説得にきたのが矢野裕市議でしたが、逆に、君なら今度の選挙は勝てる、と言って矢野さんを市長候補に押し上げた土井さん、その判断が実を結ぶことになります。
民主文学同盟や詩人会議のことをはじめ、土井さんの数々の武勇伝は自伝「末期戦中派の風来記」に語られています。



人間たちの歌を


(『詩学』 1950年1月号)


雪


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二月の風


(『日本抵抗詩集』1953年、『大島博光全詩集』)

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『蝋人形』目次一覧

第1巻 1930 (昭和5年)
第2巻 1931(昭和6年) 
第3巻 1932(昭和7年) 
第4巻 1933(昭和8年) 
第5巻 1934(昭和9年) 
第6巻 1935(昭和10年)
第7巻 1936(昭和11年)
第8巻 1937(昭和12年)
第9巻 1938(昭和13年)
第10巻 1939(昭和14年)
第11巻 1940(昭和15年) 5月号から大島博光が編集 
第12巻 1941(昭和16年) 
第13巻 1942(昭和17年) 
第14巻 1943(昭和18年)
第15巻 1944(昭和19年) 2・3月合併号で休刊

『蝋人形』と大島博光(生誕100年記念展「西條八十と大島博光」より)

 西條八十の創刊し主宰した詩誌『蝋人形』は昭和5年から19年にかけて月刊で163号まで刊行された。戦前の昭和では14年余も月刊で続いた詩の雑誌は他にない。部数の上でも内容の上でも最大の規模を誇り、詩を中心とした文芸総合誌として大きな意味をもつ。グラビア頁をもち百頁を越すような詩誌によって「詩」そのものの社会的価値を高めようという西條八十の意図もあった。
 室生犀星、堀口大学、三木露風、千家元麿ら著名な詩人の執筆と、竹久夢二、河野鷹思、三岸節子たちが表紙を描いているのも魅力で、多いときは三~四〇〇〇部発行していた。多くの詩人の育成輩出に寄与した。この同人詩誌の創刊号(一九三〇年五月)一六〇〇部が、たちまち売りきれてしまったことや、その後も売れて、詩ばかりか歌、句、小説、評論もある、いわば綜合雑誌的な長命と影響力と、人気も併せもった。
 卒論「アルチュール・ランボオ論」で西條八十に認められた大島博光は早稲田大学卒業後、昭和10年から8年余りにわたってその編集者を務め、フランス詩の研究・紹介、多くの詩人との交流などの経験を積んだ。

(大島博光) 私は昭和十一年ごろから編集に携わるようになったのですが、先生は寛大というか、ほとんど私に任せっきりで、私が自分の好きなようにしても、つまり当時私もシュールレアリスムの紹介などもしたり、そういう原稿を依頼したり、作ったりしておりましたが、先生は何にもおっしゃらずに任せて下さいました。そういう中で逆に先生は新しいものに共感を持って、積極的な、進取的な態度をいつも持っていたという風に思われます。(座談会「西條八十の詩業と人間」──「無限」44号 特集 西條八十 昭和56年6月発行)

 わたしは自分の好きなように、エリュアールの訳詩をのせたり、ロートレアモンの「マルドロールの歌」を訳して連載したり、シュルレアリスムの紹介などをした。シュルレアリスムの紹介についていえば、先生はそれを奨励するという風であった。いまにして思えば、そこに西條八十の寛大さ、包容力の大きさを見いだすこともできよう。
(「先生とわたし」─西條八十詩集「石卵」所収)

蝋人形
『蠟人形』目次 第11巻 1940年(昭和15年)

●第十一卷第一号(新年号)一九四〇(昭和十五)年一月一日発行
表紙 三岸節子
扉・目次・カット 古家新
カット 滝口綾子

自然美・絵画 野口米次郎
いのり 茅野雅子
芸術を讃へて 千家元麿
対談 ポオル・ヴアレリイ 刈部雁雄訳
新年の唱三篇 前田鉄之助
 初日影
 新年
 二千六百年
睡眠の詩二篇 掘口大學訳
 眠る人々 イヴァン・ゴル
 眠る女 R・M・リルケ
詩の現状とその方向について
 今日の詩の生き方 阪本越郎
 現代詩の位置 原一郎
 年少の友に与へて詩壇をいふ 菊岡久利
東亜の血 正富汪洋
詩人兵士へおくる詩 大島博光
U夫人に 繁野純
病床譜/あるひとに 波々伯部武
鑑賞評釈 わが愛吟詩(44) 西條八十
 誰が知つてる 福士幸次郎
 嵐 富田碎花
蛙──古池や蛙とびこむ水の音──/堰堤 青木谷彦
再合/秘唱/秋雲 八條冷子
質問
(1)詩の協同制作論についての貴下の御所感?
(2)詩の短歌、俳句への解消(又は復帰)論に対する貴下の賛否、及びその理由について?
 栽原朔太郎 恩地孝四郎 小野十三郎 岩本修造 川路柳虹 高橋新吉 近藤東
 岩佐東一郎 福田正夫 北園克衛 佐藤惣之助 岡本潤 加藤介春 安藤一郎
 原一郎 佐伯郁郎 江口集人 野口米次郎 城左門 生田花世 山宮允 阪本越郎
 外山卯三郎 伊良子清白 喜志邦三 神原泰 上田静栄 春山行夫 逸名氏 北川冬彦
 滝下繁雄 丹野正 倉橋彌一 山崎智門 村野四郎 久保八十男 田中令三 永田助太郎
 大島博光 梶浦正之 小林英俊 佐藤義美
名古屋支部十月例会レポ
十二月神戸詩話会レポ
旅舎を求む 伊藤重徳
ゆづる/初秋の情 晶玲子 
揺曳 村田和歌子
幽鬼の如く 末竹余四春
群舞の中の孤踊 岩本碧雨 
深夜の唄──脊椎カリエスを病む── 岡登志夫
新年推薦十五人集
 山の幸・海の幸(詩) 川上高
 秋といふ季節(詩) 渡辺澄雄
 無題──冬のある日に──(詩) 三木滋
 秋の序章/秋のノオト(詩) 小嶋直記
 空白な思想(詩) 岬洋一郎
 空襲警報(小曲) 水木端芽子
 林擒──村田和歌子君に──(小曲) 阿部圭一郎
 君が名(小曲) 草丘愁
 かたばみの実(小曲) 中野路えいこ
 秋・ふるさと(童謡) 深町敏雄
 風邪ひきお月さん(童謡) 川俣栄一
 支那の飴売り(童謡) 大川三郎
 おちくり(童謡) 中村朔二
 新宿BLUES(小唄) 上代不二
 アリラン乙女(小唄) 新木純
 幌馬車ぐらし(小唄) 深町敏雄
支部ニユース
新年特選歌集 沢田光荏 福本潔 逸名氏 湯月与志美 中西筏舟 紗舵鐘潔
 片岡弥惠子 斎藤忠三 松浦紅火 野口勝美
 選後の記 茅野雅子
全国詩人録 1940版
〈読者文芸欄〉
 詩 西條八十選
 小曲 西條八十選
 短歌 茅野雅子選
 童謡 西條八十選
 小品 加藤憲治選
蝋人形の家
編輯後記

●第十一卷第二号(三月号)一九四O年三月一日発行
表紙 三岸節子
扉・目次・カット 古家新
カット 滝口綾子

詩集を読む 川路柳虹 
うぐひす 安成二郎
恋他一篇(恋/偽善のやから) エスター・マスイウズ 山宮允訳
鮭 福田正夫
詩人について 滝口修造
協同製作の論拠について──ある友に── 佐藤一英
詩壇時評 詩の意味に関連して 永田助太郎
掌篇四人集
 その朝 島俊夫
 帰還兵 清水由紀夫
 義郎 姫多武良
 自転車 伊藤聖子
漢口の街──野戦日記──中村朔二
十二月大阪詩話会レポ
三月号推薦十九人集
 雪に濡れてゐる亜寒帯植物(詩) 水島秋夫
 メロンの蔭に──あゝ、女児は成長する──(詩) 滝原徳治
 晩秋の戦地にて(詩) 大川三郎
 青春の日記帳に(詩) 褪極彩美智正 
 朝の頃ほひ(詩) 西田春作
 果肉の座といのちの座(詩) 水木瑞葉子
 きりのこみち(小曲) 富沢義治
 わが身(小曲) 根本たづ子
 きしやのまどから(小曲) 大川三郎
 海浜余情/愁ひやいとゞ(小曲) 無名氏  
 髭をまさぐる(小曲) 佐藤播津雄
 雨(小曲) 碧ナナ
 ピラミッド(童謡) 川俣栄一
 ひるの海(童謡) 白海嶺美
 ろう人形の夢(童謡) 深町敏雄
 山(童譜) 藤原鷗風
 蒼い城幻想譜──歴史は夜作られる(小唄) 川俣栄一 
 あ、戦友(小唄) 瀬川百合子
 戦場の子守唄(小唄) 中井としを
前号詩欄評 小林英俊
三月特選歌集
 長峰寺隆 速水千絵 山本純 伊藤豊秋 竹內茂 同人 三木矩子 大川三郎
 褪彩美智正 光川ゆき緒 篠崎栄一 囃子藤夫 川田作治 丸山しげる
 選後に 茅野雅子
少年悲歌 未竹余四春
美しい蝶 八篠冷子
思慕 村田和歌子
病人 岩橋脩
叛逆 三谷木の実
病むものは(入選) 三好順子
契機(入選) 島俊夫
〈請者文芸欄〉
 詩 西條八十選
 小曲 西條八十選
 短歌
 童謡 西條八十選
 小唄 西條八十選
 小品 加藤憲治選
蝋人形の家
編輯後記

●第十一卷 第三号(四月号) 一九四O年四月1日発行
表紙 三岸節子
扉・目次・カット 古家新
カット 滝口綾子

青き花など 西條八十
西條八十君の詩 三木露風
職業に就くをとめを詠ふ 杉浦翠子
蝙蝠 D・H・ロレンス 上田保訳
頸飾/室石 安藤一郎
富士 丹野正
詩・今日の問題
 詩の技術発達史への関心の必要とその文化的価値 北園克衛
 詩人の耳 小野十三郎
 詩と同時代性 永田助太郎
 整理時代 橫山青峨
夢の書物 大島博光
青い手記(精神と魂のために) 村田和歌子
燈火の群れ 大砂辰一
冬 岩橋脩
灯 西村由美子
地球──まき起らうとする世界戦争── 八篠冷子ビルデイング街 伊藤寛之
警防団歌(歌謡) 瀕川忠司
一人の女性/悔恨 波々伯部武
詩壇時評──平和なる詩壇──暗誦可能の詩──詩人と古典文学── 喜志邦三
三人集
 時雨にぬれて森田千恵
 さようなら 杉原智沙
 白萩 加藤伊那
なぜか楽しい夕ぐれだ/旅の頁 伊藤重徳
四月号推薦十五人集
 星夜(詩) 滝原德治
 都会の第一楽章/神話の誕生(詩) 丸山姚
 風立ちぬ(詩) 比樫行一
 人形(詩) 斎藤忠三
 春雷(詩) 西田春作
 姫鏡(小曲) 麻美はるを
 春雨(小曲) 水無月京弥
 麦踏(小曲) 川田作治
 青いろ哀歌(小曲) 富沢義治
 ボーツと汽笛が(童謡) 滝原徳治 
 みそつちよ(童謡) 加藤明徳
 ハナデマリ(童謡) 褪彩美智正
 鈴(童謡) ゆがわべに
 雪夜の橇唱(小曲) 谷玲之介
 交代兵の歌へる(小唄) 長谷永春
四月特選歌集 
 斧鬼景 三ヶ島慧 真木京平 今村浮草 吉富英夫 山本純 
 伊藤豊秋 東條龍一
 選後に 茅野雅子 
鈴虫(入選) 小野沢寬
環境(入選) 佐藤六郎 
支部ニユース
〈読者文芸欄〉 
 詩 西條八十選
 小曲 西條八十選
 短歌 茅野雅子選
 童語 西條八十選 
 小唄 西條八十選
 小品 加藤憲治選 
蝋人形の家
編輯後記

●第十一卷第四号(五月号)一九四〇年五月一日発行 
表紙 三岸節子 
カット 古家新・滝口綾子・荒木剛

坐る人間の詩 野口米次郎
詩と詩人に就いて 萩原朔太郎
阿片を喫んだ話 西條八十
正しき境域 ポオル・エリュアル 大島博光訳

 梅酒 高村光太郎
 春風 深尾須磨子
 伴ふもの 佐藤一英
今日の詩の問題
 月評を求む 草野心平
 言葉 田中令三
 高度の悟性 山本和夫
詩人の日記 菱山修三
風俗と風儀 安西冬衛
生命ある種子──故吉江喬松先生の御霊前に捧ぐ── 奈切哲夫
ある朝の出来事 波々伯部武
無題──故高井キクに 山崎智門
幸福の思想 大島博光
詩歌に於ける言語の特殊性(1) 横山青峨
詩壇時評──最近の詩集── 安藤一郎
南風 青木谷彦
白い指 末竹余四春 
哀恋 村田和歌子
墓地三章──墓地は悠久の曲に装填されて、墓は悲しみの碑であるか──伊藤寛之
灯  三谷木の実
五月推薦十人集
 たそがれ抄(詩) 河合幸男
 私はもはや歌はない(詩) 今野清二 
 青き梢 月笛鈴慕
 砂金採り/壺(小曲) 川俣栄一
 まめまき(小曲) 草丘愁
 山楂子(童謡) 大葉嗣夫
 焚火(童謡) ごろう・ほり
 たわみつこ(童謡) 里見蹊子 
 元町ブルース(小唄) 内田皓夫
 霧の夜の挿話(小唄) 古川俊
五月特選歌集
 はやし・まさを 草丘愁 川田作治 松島翠 福本喜代志 褪彩美智正 花田勳 
 選後に 茅野雅子
〈誌者文芸欄〉
 詩 西條八十選
 小曲 西條八十選
 短歌 茅野雅子選
 支部ニュース
 童謡 西條八十選 
 小唄 西條八十選
編輯後記

●第十一卷第五号(六月号) 一九四○年六月一日発行
表紙 三岸節子
カット 古家新・滝口綾子


 けむり ステファヌ・マラルメ 西條八十訳
 春の雨の日の哀歌 前田鉄之助
 ほこりかの舞姫 ポオル・ヴアレリイ 刈部雁雄訳
海潮音解題 日夏耿之介
詩的体系について 高橋玄一郎
Inventionの考察 春山行夫
詩人の本質──W・B・イエーツに関連して──W・H・オーデン 上田保訳
海 壺井繁治
色蒼褪めてゆきました 滝下繁雄
プラネタリューム 村上菊一郎
リルケとヴアリイ 笹沢美明
湖 山田岩三郎
彷徨 松本隆晴
羽根 野田真吉
家もなく 大島博光
詩壇時評 岡本潤
詩人の日記 西川満
郊外日誌 村野三郎
晚春日記 北園克衛
影を忘れた日から 岩橋脩
白鳥 八篠冷子
春のおとづれ 滝川厳
霧 晶玲子
九州詩壇の現状 野田宇太郎
六月号推薦十人集
 海酸  西田春作 
 時の葬式(詩) 川上高
 天の姫(詩) えいき・みやべ
 雨の日(詩) 菅野三郎
 「時」の人(小曲) 中山美津枝
 雲雀(小曲) 葉子
 裸婦(小曲) 一條武詩
 やまびこ(童謡) 菊池禎三
 じやがたら船(童謡) 川俣栄一
 花びら哀歌(小唄) 一條武詩
〈誌者文芸欄〉
 詩 西條八十選
 小曲 西條八十選
 短歌 茅野雅子選
 童謡 西條八十選
蝋人形の家
支部ニユース
編輯後記

●第十一卷第六号(七月号) 一九四〇年七月一日発行
表紙·題字 福沢一郎
扉・目次・カット 大塚耕二
カット 古家新・滝口綾子

一握の玻璃 西條八十
山鱒 佐藤惣之助
よく見る夢 ヴェルレエヌ 堀口大學訳
エミイル・ヴェルアランに就いての講演 ポオル・ヴァレリイ 根津憲三訳
リルケの詩について 大山定一
詩歌に於ける言語の特殊性(2) 横山青峨
詩は無用である 大島博光
心の歳月抄 シュテファン・ゲオルゲ 阪本越郎訳
流涙の首 中野秀人
途上 菱山修三
男性/鈴蘭 上田静栄
襤褸は寝てゐる 山之口獏
立原道造論──覚書として 古賀剛
角の揺り椅子 小山田輝彦
素描(デッサン) 酒井正
日向葵 田中敏子
ウイン/天文学者 久保八十男
危篤 山崎智門
胸の痛みに 石井健次郎
憂愁 岩橋脩
摂理 伊藤寬之
花々咲ける日に 末竹余四春
ある日のうた 伊藤重徳
青イリボン 近藤東
詩壇時評 村野四郎
ゐなかうた──愛するもののための日記── 龍野咲人
詩人の日記 永田助太郎
支部ニュウス
北海道詩壇の現状 東郷克郎
五月(推薦) 小島直記
花さくみち(推薦) 川上高
最近の詩集二つ 梅坂健一
四・五・六月推薦時評 小林英俊
七月特選歌集
 千曲速夫 滝登志夫 山田紫 さい・みさき 九品与志夫 五十嵐雄
 温井章 若葉きよ子 小里江一
 選後に 茅野雅子
〈誌者文芸欄〉
 詩 西條八十選
 短歌 茅野雅子選
 小唄 西條八十選
批評
編輯後記

●第十一卷第七号(八月号) 一九四〇年八月一日発行
表紙・題字 福沢一郎
目次・扉カット 今井滋・藤井令太郎
カット 古家新・滝口綾子・今井滋

陽色 三木露風
煩悶 ヴェルレエヌ 堀口大學訳
火の鳥 西條八十
詩の絶壁 大江満雄
カロッサについて 石中象治
水辺悲歌 吉田一穗
テラスの上には/タぐれは私の本 ライネル・マリア・リルケ 笹沢美明訳
生業 殿岡辰雄
橋上 岡本潤
ウィリアム・ブレイク T・S・エリオット 上田保訳
マラルメとラムボオ アルベェル・ティボオデ 大島博光訳
鳥 繁野純
詩とペン 滝口修造
大天后宮の歌 西川満
ミノトオル(デッサン) 藤井令太郎 
絕頂 鮎沢露子 大島博光訳
首都死守 高橋玄一郎
智慧と芸術 奈切哲夫
ペンテコステ前六日の日記 平野威馬雄
式根島紀行 五十嵐二郎
野尻湖の書 泉潤三
有用なる人間/脚 ポオル・エリュアル 大島博光訳
化粧をした口碑 西山克太郎
夢幻の走法 菊島常二
戎克 北原政吉
花 邱炳南
茨哀唱 波々伯部武 
わが棘の高みに 大島博光
告白/穹 三谷木の実
夏の音楽──夏、山、海、水、花火に関連して── 掛下慶吉
台湾詩壇の現状 池田敏雄
抗議への抗議 鮎川信夫
花火 八條冷子
八月推薦六人集
 追境 川上高
 蜜柑 河合幸男
 詩魂 川上潤
 山頂 富永瀞
 菱の果実 新井淡水
 南風の歌へる 西田春作
八月特選歌集
 九品晃 岡村瑞夫 片岡弥惠子 高野力 四宮美紀 時雨小道
 武山俊光 若葉きよ子 鈴木達子 草丘愁
 選後に 茅野雅子
〈請者文芸欄〉
 詩 西條八十選
 支部ニユース
 短歌 茅野雅子選
 小曲 西條八十選 
 童謠 西條八十選
蝋人形の家
編輯後記

●第十一卷第八号(九月号) 一九四〇年九月一日発行
表紙・題字 福沢一郎
扉・目次カット 藤井令太郎・大塚耕二
カット 古家新・滝口綾子・今井滋

秘めたる詩 ポオル・ヴァレリイ 刈部雁雄訳 
眩耀郷 前田鉄之助
日光通信(1) 西條八十
無題 ハンス・カロツサ 高橋義孝訳 
水魚 平田内藏吉
夏日誦 永瀬清子
雨 佐伯郁郎
対話──韻律について── 佐藤一英
詩を考へる 松田解子
ボードレールの光輝 ギラン・ド・ベヌーヴイール 花村清訳
ボオドレエルの鏡 ポオル・エリユアル 大島博光
美しい人 山中散生
胸の中の神話 西原茂
再起 川口魚彦
海辺抄 木川新太郎
詩壇時評 菊岡久利
満洲詩壇の現状 八木橋雄次郎
支部ニユース
東京 丹野正
求法者 村上成実 
夜に寄する歌 滝沢寛 
山嶺 淺井俊吉
猫の歌へる 松畑優人
哀恋 西村由美子
わが旅は終りを告げぬ 瀬川忠司  
炎の詩 伊藤寛之
海 村田和歌子
幻夢の考証 伊藤重徳
彷徨 松本隆晴
五十嵐二郎追悼 
 多くの友人と共に君の死を悲みて 滝下繁雄
 哀しい幻花 小林英俊  
 五十嵐君の死とその前後 門田ゆたか
 遅過ぎる手紙 木村康彦
 不思議の床 大島博光
詩集『海へ投げた花』への挨拶 北園克衛
支部ニユース
蠟人形八月号詩評 石川武司
「柵を越えろ」といふから 岩橋修
九月号推薦九人集 
 夏夜の讃 囃子藤夫 
 墓碑銘 えいき・みやべ
 影像 みず・あき
 歩みつつ 佐藤正三郎
 顔 田川葉子
 転回 鈴木亮逸
 ふぢだなのした 川上潤
 おとづれ 早川鞆夫
 耳病む日 川俣栄一
〈誌者文芸欄〉 
 詩 西條八十選
 小曲 西條八十選
 短歌 茅野雅子選
 童謡 西條八十選
 戦時歌謠 西條八十選
編輯後記

●第十一卷第九号(十月号) 一九四〇年十月一日発行
表紙・題字 福沢一郎
扉・目次カット 今井滋
カット 古家新・滝口綾子

日本詩形の発達 三木露風 
軽井沢から 柳澤健
日光通信(2) 西條八十
老酋長夫妻 中西悟堂 
閑吟抄 小林英俊
忍耐──或る夏の アルチウル・ラムボオ 大島博光訳
鰐魚/接吻 トマス・ベトウズ 上田保訳 
月光抄 阪本越郎
万葉植物園にて 小野十三郎
覚書(現代に就て) 伊藤信吉
詩と詩人について──ジイドの日記より── 新庄嘉章訳 
リルケとカロッサの出会 石中象治
支部ニユース
夏の日 滝口修造
詩の創造性に連関して(詩壇時評)  永田助太郎
支部ニユース
鉄の額 宮崎孝政
光ある中を… 西山克太郎
田園/潮風 久保八十男
波騒ぐ海辺にて 東郷克郎
風の椴松 山崎智門
少年期 曽根崎保太郎 
眼/死 波々伯部武
わが刀の歌 伊藤寛之
微風 八條冷子
性 村山太一
死と魚族 村田和歌子
名まへなきものへ 大島博光  
京都詩壇の現状 臼井喜之介 
茶煙亭手記 岩佐東一郎
鹿鳴館の壁紙 村上菊一郎
支部ニユース
花信風(1) 龍野咲人
十月推薦九人集 
 夜のうた 今野清二
 青磁の壺 志垣トヨカ
 かぎろひの河 川上高
 はな 市原政美
 望鄉 稲葉秀栄
 龍胆 伊奈文喜
 南京煙火 川俣栄一
 北満拓士便り 佐野葉累児
 戦線夜曲 田村淳一郎
十月特選歌集
 作田啟一 原迦代 稲葉秀栄 藤原青児 清水の庵 佐野葉累児 宮正児 金田佗藻津
 朝井美智正
 選後に 茅野雅子
〈誌者文芸欄〉
 詩 西條八十選
 小曲 西條八十選
 戦時歌謠 西條八十選
 童謠 西條八十選
蝋人形の家
編輯後記

●第十一卷第十号(十一月号) 一九四〇年十一月一日発行 
表紙・題字 福沢一郎 
扉・目次カット 浜田浜雄
カット 古家新・滝口綾子・今井滋

詩人の出陣 高橋玄一郎 
リアリティのランプ 上田敏雄
ロオトレアモンのけものたち ガストン・バッシュラアル 大島博光訳
詩人の義務について 古賀剛 
訣別/生命の歳月 へルダーリン
白鷲 木川新太郎
武装して 上田静栄
秋の抒情歌 鈴木政輝
傾く夜の中で 村野四郎
新体制と詩人 長田恒雄
花信風(2) 龍野咲人
象徵主義論 エドマンド・ウィルスン 上田保訳天ぶら詩人 滝下繁雄
生ける日々 奈切哲夫 
初秋幻想 西倉保太郎 
崩壞 山崎智門
哀しき愛 村田和歌子
哀しき瞳 石井健次郎
秋風のうた 滝川厳
焔の夜 滝沢寛
旅人 瀬川忠司
午後 岡田芳彦
征旅の人 晶玲子
不具者 岩橋修
母 長門鳴海 
幼画 岡登志夫
園の嘆き 伊藤重徳
よき民族のために 大島博光
横浜詩壇の現状 笹沢美明
蝋人形十月号詩鑑賞と批評 石川武司 
支部ニユース 
「蒼める雪」に寄せて 平野威馬雄
木下夕爾「生れた家」について 西尾洋 
支部ニユース 
十一月号推薦七人集
 暮れゆく草原 川上高
 夕暮抄 林光太郎
 旅の日 酒井一実
 たつたひとこと 上羽君子
 わが鉄兜 五十嵐雄
 空爆行前夜の歌 川俣栄一
 亞細亞建設譜 寒川猫介
〈読者文芸欄〉 
 詩 西條八十選
 小曲 西條八十選
 短歌 茅野雅子選
 支部ニュース
 童謡 西條八十選
 戦時歌謡 西條八十選
編輯後記

●第十一卷第十一号(十二月号)一九四〇年十二月一日発行
題字・表紙 福沢一郎
扉・目次カット 宮城輝夫 
カット 滝口綾子・今井滋

存在 ポオル・エリュアル 大島博光訳
分水嶺 中野秀人
海のうた  R・M・リルケ 大山定一訳
或人に 滝口武士
現代ドイツの詩人について 高橋義孝
詩学随想 平田内蔵吉
帰還詩人の言葉 吉田曉一郎
灰燼鈔 岡崎清一郎
秋の夜の 木下タ爾 
あいつはまだゐる 浅井十三郎 
石の窓より 大島博光
太陽と共に──「リアリティのランプ」の後に── 上田敏雄
歴史の苛酷性と詩人の位置 山田岩三郎
魂祭 島崎蓊助
秋の日記帖より 上田静栄
コンクリートの街 小林善雄
私は思はずにはゐられない 田村昌由
彷徨 松本隆晴
塚の人 伊藤重徳 
月光 未竹余四春
橋のない風景 山田芳夫 
死とともに 伊藤寛之
昭和十五年度詩壇の回顧 近藤東
支部ニュース
本年度の本誌投稿作品の回顧 大島博光
詩壇時評 奈切哲夫
回想の中から 川島達次郎
在満詩人として 川島豊敏
阪神詩壇の現状 福島公肇
支部ニユース 
新刊詩集評 
 綠川昇「稗子抄」小感 伊藤信吉
 横山青峨著「海南風」に就て 西尾洋 
 「戦場通信」を読む 永田助太郎
 詩集「山脈」の望見 安藤一郎 
十二月推薦十一人集
 天の階段 遠藤正英
 姿なきひと 佐藤初夫 
 南支那海にて えいき・みやべ 
 暁の歌 三好順子
 秋の昼 西田春作
 窓 今野清二
 輪廻 川俣栄一
 母を憶ふ 金田佗藻津  
 ゆすろゆすろ 一條武詩
 戦ひやんで 種田季介 
 大陸の夜 竹内幸吉 
〈誌者文芸欄〉
 詩 西條八十選
 小曲 西條八十選
 短歌 茅野雅子選
 童謡 西條八十選
 戰時歌謡 西條八十選 
支部ニユース
蝋人形の家

<国書刊行会『西條八十全集・別巻』による>

*昭和15年5月号で編集者が加藤憲二から大島博光に交代しています。
この経緯について猪熊雄治氏(昭和女子大学)が論考「『蠟人形』の検討 V」で紹介しています。また、以後『蠟人形』に新しい執筆者を採用するなどして専門的な詩誌としての性格が強まったと指摘しています。

蝋人形

 『リベラックの教訓』は、リベラックが生んだ中世の吟遊詩人アルノー・ダニエルや、クレチアン・ド・トロワを、博識を駆って論じてはいるが、その真の主題は、一九四〇年における詩人たちとその任務という問題にあることは疑いない。
 『リベラックの教訓』は、一九四一年六月、アルジェで発行されていた「泉(フォンテーン)」誌に掲載された。アラゴンの旧友で、いまやヴィシー派になっているドリュ・ラ・ロシェルは、右翼団体「反共十字軍」の機関紙「民族解放」紙(一九四一年十月十一日付)でこれを取りあげて、「真紅の騎士」とは赤騎兵およびソヴィエト・ロシヤと解すべきだと書いた。これが書かれた一九四一年における主な事件をあげると、

 六月の始め、アルジェの「泉」誌に、「リベラックの教訓」が発表される。
 六月廿二日、ヒトラーがソヴィエト攻撃を開始する。
 七月廿三日、「マルクス主義の宣伝扇動家」は死刑に処するというヴィシー政権の布告。
 九月五日、ドリオは、ドイツ軍の制服をきて、ロシヤ戦線に出発する。
 九月十六日、パリで、十人の人質が銃殺される。
 九月二十日、パリで、十二人の人質の銃殺。その中に、「共産党員官吏」ピタールとアジがふくまれる。
 九月廿二日、ヴィシー政権の軍法会議で、ウーグ、A・ギヨー、カトラ等が、共産主義活動のかどで、死刑を宣告され、後にギロチンにかけられる。
 十月十一日、ドリオ編集の「民族解放」紙上に、ドリュ・ラ・ロシェルのアラゴンに関する記事が、動員中のアラゴンの写真入りで、一頁全段に掲載される。
 十月廿二日、シャトーブリアンにおける五○人の人質の銃殺。これについて、後に、アラゴンは有名な「殉難者たちの証人」を書く。

 こういう情勢のなかで、ドリュ・ラ・ロシェルはこう書く。
 「……ここに、雑誌「泉」四号に発表された『リベラックの教訓』という一文がある。論旨はまことに文学的で、極めて純粋な郷土愛にあふれているかに見える。それは、偉大な詩の時代であったフランス中世への讃美である。……しかし、そこには一つの「しかし」がつく。いや、たくさんの「しかし」がつく。
 アラゴンの激賞するのは、奇妙な中世である。それは、じっさいの中世に全く反するかに見える一つの中世であり、性急な弁証法によるマルクス主義的方法によって捉えられた一つの中世であって、それはすでに中世そのものを飛び越えているのだ。
 ……この気まぐれの愛国主義にとっては、問題は、目的としてのフランスではなくて、手段としてのフランスである。赤い糸で縫いとじられている詩文学雑誌で、アラゴンが、レジスタンスとその強化のためにふり撤いているあの悲憤梗概、祖国の尊厳に注いでいるあの感涙、あの片言の呼びかけなどは、排他的かつ熱狂的な讃美でフランスをほめたたえているかに見えても、けっしてフランスに奉仕するものではない。ここに、この一文の最後の言葉がある。
 <……ねがわくばフランスの詩人たちが……新しい真紅の騎士の立ち現われる日のために準備されんことを。そのとき、閉ざされた芸術の実験室で準備された彼らの言葉は「言葉の一つ一つに法外の重要さを与えながら」すべての人びとに、詩人たち自身にも、明らかになるだろう。そしてそれは、国境を知らぬ、フランスの真の夜明けとなり、その光は空高く染めて、世界の果てからも見えるだろう> たしかに、国境を知らぬこの夜明けは、モスクワから見えるだろう。そしてこの真紅の騎士は、私にはむしろ赤騎兵に見えるのである。
 アラゴンは、つねにそうだったが、ここでもやはり大偽作者である。この邪悪な偽作者は、あらゆる価値を変質させて、横取りしてしまい、それを、自分の猿まねの贋金に作り変え、ロシヤ狂(きちが)いでロシヤ贔屓(びいき)の贋金に作り変え、頑迷な国際主義の贋金につくり変えてしまう。彼にとっては、「わが祖国よ」というトレモロも、文学的弥次馬どもがよく使ういんちきなトリックに過ぎない」

 ドリュ・ラ・ロシニルの、この批判というよりはデマゴギーを、ほぼ三○年後のこんにち、読みかえしてみるのは興味深い。アラゴンの人民的愛国主義とも言うべきものは、ここでは、「ロシヤ狂い」とののしられ、「国際主義」と言われている。しかし、だれがじっさいに「鷹金作」であり、「文学的弥次馬」であったかは、いまや歴史が証明している。アラゴンは「涙よりも美しき美女(もの)」を書いて、ドリュ・ラ・ロシェルに答える。
(つづく)

(『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』)

パ栄占領


エルザの眼

 リベラックの教訓

 ペタンが、屈辱的な独仏休戦条約に署名した日、アラゴンは、フランスの南西部、ドルドーニュ県ペリグー市に近い小さな町リベラックにいた。ダンケルクから脱出してきた部隊の、生き残った仲間たちといっしょであった。こうしてこの町で『リベラックの教訓』がかかれることになる。
 「この一九四〇年六月廿五日、われわれはちょうど、一三〇〇年の復活祭の夜明けのダンテとヴィルジルのように、地獄から脱け出ることになった。そして

  ふたたび星の見られる出口がそこにあった

 と、彼らのように言うことのできたのは、リベラックにおいてであった」

 詩集『エルザの眼』に収められている『リベラックの教訓』は、リベラックの町に滞在した折に想を得たもので、この詩集を解きあかす鍵でもある。
 ナチによる占領と、それにたいする抵抗運動という情勢のなかで、詩によって国民の覚醒と決起を呼びかけるという任務は、ますます緊急なものとなっていた。フランス人民に呼びかけ、「生きている者にも、死んだ者にも声を挙げさせる」という歴史的要請を前にして、広範なひとびとにどのように訴えるか、どのように書くか、が問題となってくる。かつてシュルレアリストたちによって提起された、「なぜに書くのか」という問題は、もはや時代錯誤でしかなかった。
 「わたしは人間とその武勲(いさおし)を歌う……いつにもましていまはその時である。廿年前、わたしは当時の友人たちといっしょに、「なぜに書くのか」という意地わるなアンケートを出したが、こんにち、それを問題にすることは無用である。わたしの答えは、ヴェルギリウスのなかにある」(『われは武勲と人とを歌う……』)
 こうして十二世紀にさかのぼって、フランスの詩的伝統とその技法を見直し、革新し、延長することが問題になってくる。それは、「民族的な語り口」を回復するためでもある。フランスの十二世紀には、いわゆる中世騎士道物語や、『ローランの歌』などの雄大な詩的主題がうたわれると同時に、フランス詩の最初の韻律形式、とりわけ、フランス詩の特徴的な要素となる脚韻が現われたのだった。しかし、アラゴンが復活を試みたのは、この伝統的な詩法だけではなく、この中世紀騎士道の精神であり、その「女性崇拝」である。
 「クレチアン(ド・トロワ)のペルスヴァルは、いくつかの点で、リヒァルト・ワーグナーのパルシファルとは違っている……。彼は、女たち、弱き者たちを守る、さ迷える騎士である。彼は、ワーグナーとニイチエとがそこでいっしょになるような、あの個人主義の最後の表現などではない。……ペルスヴァルは、真実の担い手であり、審判者である。彼は、フランス人とはかくあれと願うようなフランス人、フランス人の名に価いするようなフランス人の、もっとも高潔な化身である。ここで、男性の使命とむすびついた女性崇拝は、あの正義と真実をまもるという使命に光を与えるのである」そしてアラゴンは、ジャン・ジオノの「這いつくばって生きよう」という敗北主義にたいして、クレチアン・ド・トロワの「辱しめられて生きるよりは潔ぎよく死んだ方がいい」という詩句を対置して、こう書いている。「こんにち、あの英雄主義、あの祖国への深い忠誠について、数千の生きた模範があることは疑いない。……だが、こんにち、それについて語ることができるだろうか。いや、できはしない。真紅の騎士ペルスヴァルをとおして、わたしは彼らに挨拶をおくる」真紅の騎士ペルスヴァルのなかに、アラゴンがまさに先取りしていたのは、英雄的なフランス人民にほかならない。
(つづく)

(『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』)

林


  絶望したものたちがみなそこに身投げする……

 という詩句も、エルザの深い眼によって、深い教えによって、絶望した者が、絶望を克服する、というほどの意味であろう。この絶望した者とは、アラゴンじしんでもある。この詩句は、『未完の物語』のつぎの詩句にも通じているだろう。

  おまえはおれの肉から 刺(とげ)を抜くように 絶望を抜きとってくれた

 そしてまた、「飛ぶ鳥」や「雲」や「風」は、ドイツ軍とその爆撃機や、ヴィシー政府をも意味しており、エルザの眼は「空」とも歌われ、「青い海」とも歌われる。青空にかかる悲しみの影は風も吹き払えぬとは、エルザの青い眼に浮んだ、悲痛の影は、どんな敵の嵐も奪いとることはできないということを歌っている。むろんこのような意味だけに還元してしまったのでは、詩の魅力は消えてしまう。「飛ぶ鳥たちの影で暗くかげる青い海」なども、詩の影像としての美しさそのものでも自立しているのである。

  おれは 流れ星の網に つかまったのだ

 の「流れ星」は、眼のなかをよぎる微妙な光やその魅力を歌ったもので、『未完の物語』のなかの少年時代をうたった詩にもそれが出てくる。

  彼女の眼のまわりには金色のそばかすがあって
  「千一夜物語」からでも聞こえてくるような声をしていた
  「あのトルコ女の処でおまえはいつも何んしてるの?」

  マリーはわたしに尋ねたが わたしは流れ星だとか
  霧雨のなかに見える虹だとかを 持ち出さずに
  どうしてうまくかの女に 答えられたろう

 最後の章節における、壮大なイメージの美しさは無類のものである。おそらくここには、ダンケルクで九死に一生を得たときの、詩人の体験がそのまま歌われているのであろう。
(つづく)

(『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』)

海

    エルザの眼

  おまえの眼の深いこと 身をかがめて飲もうとして
  おれは見た すべての太陽がきらめき映り
  絶望したものたちがみな そこに身投げするのを
  おまえの眼の深いこと おれは気も遠くなる

  飛ぶ鳥たちの影で 暗くかげる青い海
  ふと 晴れ間がのぞけば おまえの眼の色も変わる
  夏は雲をちぎって 天使たちの仕事着に仕立てる
  麦畑のうえの空ほどに 青いものはない

  青空にかかる悲しみの影は 風も吹き払えぬ
  涙のひかるとき おまえの眼は空よりもきらめき
  雨あがりの澄んだ空さえ おまえの眼をねたむ
  砕けたグラスの かけらほどに青いものはない
  涙のなかに射す陽の光はさらに胸かきむしるばかり

  おお 「七つの苦悩」をになう母の 濡れた眼(ま)なざしよ
  七つの剣(つるぎ)が 七つの色のプリズムを射しつらぬいた
  涙のなかに射す陽の光は さらに胸かきむしるばかり
  悲しみに射(い)ぬかれた瞳(ひとみ)は 喪にふしていやましに青い

  おまえの眼は 不幸のなかに二つの突破口をひらく
  そこから「三人の博士」たちの奇跡が起こるのだ
  あのとき かれら三人は心躍らせて 見たのだ
  まぐさ桶にひっかかった マリアのマントを

  「五月」の月を 言葉で歌い 嘆くには
  ひとりの詩人の口で こと足りた
  だが千万の星たちには 一つの空では足りぬのだ
  かれらには おまえの眼や同じ秘密が必要だった

  うつくしい絵本に見とれた子供が ぱっちりと
  見ひらいた大きな眼も おまえの眼には及ばぬ
  ひとを煙にまくように おまえが大きな眼をひらくときは
  まるで にわか雨に濡れて咲いた野の花のようだ

  昆虫たちが激しい恋をとげる あのラヴァンドの
  花の中には ひらめく稲妻も隠してあるのか
  おれは 流れ星の網につかまったのだ
  八月のさなかに 海で死んだ水夫のように

  おれは このラジウムをウランから取り出した
  この禁断の火で おれは手の指を焼いたのだ
  何度となく 見失ってはまた見つけだした楽園よ
  おまえの眼はおれのペルー ゴルコンド おれのインドだ

  とある夕べ 世界は暗礁にのりあげて砕けた
  難破者たちは 暗礁に火を放って燃え上らせた
  だがおれは見た 海のうえに かがやく
  エルザの眼を エルザの眼を エルザの眼を

 「わたしは、眼にたいして特別の愛着をもっている」と、アラゴンはどこかで書いているが、この詩では、エルザの眼をとおて、世界が歌われている。それはエルザの眼ではあるが、「砕けた世界」──祖国の地獄のような現実を映しとっている鏡であり、抗抵運動にみずからも身を投げいれているエルザの眼である。こうしてここでは、すべての言葉が寓意的であり、象徴的である。太陽、星、天使などの言葉は、愛国者、指導者、活動家などをも意味している。
(つづく)

(『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』)

雲


あずまや
はなや庭園のあずまやが雪の重みで倒れてしまいました。
この柱は善光寺に奉納された回向柱(えこうばしら)の先端部分を用いている縁起物だそうで、浄めの塩を撒いたそうです。
回向柱とは、善光寺の7年毎の御開帳の時に立てられる10メートルの柱で、江戸時代、焼失した善光寺を松代藩が再建した縁で松代から寄進するようになったそうです。3月29日、牛に引かれて善光寺に向かう回向柱奉納行列は町の人にとっては大事な行事だそうです。

劇団
長野詩人会議の女性たちが集合、劇団をやろうという話が出たそうです。実現したらすごいですね!





さとうきび畑

うたごえ
冬の歌を中心にしっとりと歌い、とてもいい雰囲気で楽しみました。

竹松
飯山の竹松さんがピアノ伴奏をして下さいました。
美しい声で歌う「生きるものの歌」「さとうきび畑」に感動!

   ダンケルクの夜

  フランスは 擦りきれたぼろ布(きれ)のように
  一歩一歩 おれたちの歩みをこばんだ

  死者たちが 藻にからみあう海のなか
  ひっくり返った舟は 司教の帽子さながら

  空と海とのほとりの 十万の露営
  空のなかに伸びる マローの浜べ

  馬の屍臭のただよう夕ぐれ 移動する野獣の群が
  踏みならす地響きのような どよもしが起こる

  踏切が 縞模様の腕木を上げる
  おれたちの心は またばらばらになる

  十万の「土地なしジャン」の心に高鳴る愛も
  もうずっと黙りこんでしまうのか

  人生で傷だらけになった聖セバスチャンたち
  なんと君らは わたしによく似ていることか

  そうだ 心の傷口を愛さずにいられぬような
  ひとびとだけが おれに耳傾けてくれよう

  せめておれは叫ぼう かつて歌ったあの愛を
  燃える戦火が花花のようによく見える夜の中で

  おれは叫ぼう叫ぼう 燃えあがる町のなかで
  夢遊病者たちを 屋根の上から呼びおろすまで

  おれは叫ぼう おれの愛を あの朝はやく
  包丁 包丁と歌って通る研(と)ぎ屋のように

  おれは叫ぼう叫ぼう おれの愛する眼よ
  どこにいるのか おれの雲雀 おれの鷗よ

  おれは叫ぼう叫ぼう 砲弾よりも強く
  傷ついた者よりも 酔っぱらいよりも激しく

  おれは叫ぼう叫ぼう おまえの唇の杯(さかづき)で
  酒をのむように おれは愛を飲んだのだと

  おまえの腕の木蔦(きづた)が おれをこの世に縛(しば)りつける
  おれは死ねないのだ 死んだ者は忘れてしまう

  おれは思い出す 舟でのがれた人たちの眼を
  ダンケルクへの愛を だれが忘られよう

  とび交う曳光弾のために おれは眠れぬ
  自分を酔わせてくれた酒を 誰が忘られよう

  兵士たちは 身をかくす穴を掘った
  まるで墓場にゆらめく幽霊のように

  並んだ石ころのような顔 ぶざまな寝姿
  みんな びくびくおびえながら眠っているのだ

  ここ北仏の砂丘に 「五月」は死に
  ただよう春の香りを 砂は知らない

(1)「土地なしジャン」──「Jean-sans-terre(一一六七〜一二一六)イギリスの王。獅子王リチャードの実弟に当る。フランス王フィリップ・アウグストに敗れて、フランスに持っていた領地ノルマンデイ、アンジウ等の地を失う。ここでは独軍に土地を奪われたフランス人を指している。

 ここでは、「空と海と」の遠大な光景のなかに、悪夢のような影像がくりひろげられ、「幽霊のように」ゆらめいている。しかし、この暗い敗残のなかでも、詩人の愛は声高くよびかけている。それは、

  おまえの腕の木蔦(きづた)が おれをこの世に縛(しば)りつける
  おれは死ねないのだ 死んだ者は忘れてしまう

 という、愛のつよい力が詩人を希望の方へ押しあげるからだ。そして、ひろく知られている詩『エルザの眼』は、無類の美しさで、その愛の力と希望をうたいあげている。
(つづく)

(『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』)

波