千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。


四 エルザは言う

おまえは言う この詩はわかりにくいけれど
でも わたしが望んだほど難解じゃない(*1)みたい
盗まれた幸福の見える窓などは しめましょう
  陽が射しこんで あなたのお気に入りの
写真が 黄いろく ぼけてしまうから

おまえは言う わたしたちの愛が一つの世界をひらくなら
それは みんながよろこんで 卒直に話しあう世界です
もう お捨てになったら ランスロットや『円卓物語』は
  イゾルデ( *2)やヴィヴィアンヌやエスクラルモンドは
そんな曲った剣を 鏡にしたような人たちは

そんな人たちからでなく わたしの眼から愛を読みとってください 
そんな古いむかしの恋物語などに 酔わないでください
美しい廃墟も ひるま見れば ただの瓦磯の山です
  いまは わたしたちが 二つの影をもつ時です 
うまく 星占い師たちの眼を くらますために

暗い夜の方が 昼よりも魅力があるとでもいうのか知ら
澄みきった空(*3)を待ちこがれない人たちは恥知らずです
若僧などにたちまち まる腰にされてしまう人たち
  街にわき起った歌声にも 野に咲いた一輪の花にも 
涙ひとつ流さない人たちは 恥を知るがいいのです

おまえは言う しばらくは万雷(*4)の交響楽のとどろくにまかせましょう
こんな空模様では 辞書(じびき)をひいて調べることもできず
流行(はやり)の言葉に魅かれる 哀れな人たちがいるからです
  いまに その人たちも低い声でつぶやいて
頭をかしげて 考えこむかも知れないのです

わたしの愛がほしいなら その人たちがやってきて 
のどの渇きをうるおすような 澄んだ水をもってきて下さい 
どうか あなたの傷口から流れでる血で 詩を書いて下さい 
  そうして巣をつくる場所もない鳥たちのために 
屋根のうえの 屋根屋のように 歌ってください

わたしたちのみじめな足どりを報ずる 文芸欄の終りに
「次号につづく」とあるような希望を 歌ってください
人間の声は ラッパの音にうち勝つのだ という希望を 
  そうして生きる理由を 与えてください
なにもかもが 死への誘(いざな)いと見える人たちに

いたるところ 人びとがへとへとになって働き
血にまみれ 寒さに凍(こご)えてる 愛もない場所で
口ずさめば重い足も軽くなるような歌をうたってください
  明けがたの 濃い一杯のコーヒーのような
十字架への道で ひょっこり出会った友だちのような歌を

ほんとに誰のために歌ったら 歌い甲斐があるというのでしょう
あなたがいつも 夢にまでみる人たちのためでないとすれば
思い出せば 鎖(くさり)の音がひびいてくるような あの人たち  
  夜も あなたの血の中で眼ざめていて 帆に語る風のように
あなたの心に語りかける あの人たちのためでないとすれば

おまえは言う わたしの愛がほしいなら あなたを愛しましょう 
でも あなたが描いてくださる わたしの肖像には 
菊の花の奥にひそんでいる青虫のように その主題のなかに 
  かくれたも一つの主題を 描いてください 
そしていまに昇ってくる太陽にその愛を結びつけて下さいな

(*1) わたしが望んだほど難解ではない……──当時、ナチの検閲の眼をくらますために、できるだけ彼らにわからないような詩が要求されていた。
(*2) イゾルデヴィヴィアンヌやエスクラルモンド──中世の悲恋物語の主人公たち。 
(*3) 澄みきった空──ドイツの空軍機の飛ばない空を意味している。
(*4) 万雷の交響楽──ナチの暴虐を指す。
(つづく)

(『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』)

ゆうやけ



 三 星座

エルザになら どんな言葉も大げさすぎはしない
おれは夢みるのだ 雲の衣(ころも)に包まれたエルザを
そんなかの女を見たら 翼をもった天使たちも 
  宝石ちりばめた燕たちも ねたみ うらやむだろう 
地上では 花花が 身の置き場もないと思うだろう 

おれは 硝子と くまつづらとで 詩を編もう 
人形師が妖精をつくるように 脚韻をふもう
また風のような吟遊詩人らしく 感興のおもむくままに
  緑のからす麦をぶちまけて 詩節をよせ集めよう
そうして この戦利品を おまえにささげよう

詩はふくれて おれを巻き込み 過を巻く
このセントローレンス河(*1)は 隣のナイヤガラへと流れこむ
溺れた者の 救いを求める鐘の音が鳴りひびく 
  母獅子を 呼ぶ 子獅子のように
おれはもう地上のことも 我慢つよい葡萄のことも忘れてしまう

いまや 空はひらけて 讃歌の湧きあがる国
おまえのうつくしい手から 雪のように光が降る
ひとを眠らせる クロロフォルムの指をしたおれの星よ
  どうしておれを 眠りこませようとするのか
ことあるごとに近よるおれを おまえは遠ざけるみたいだ

おまえの手を こんなに愛するおれが いままで 
その手について何も歌わなかったとは どうしたことか
いくたびおれは その手を握りしめて 暖めたことか
  あの地獄で 二人が凍(こご)え ふるえていたとき
おお 春を約束する おれのこころの桜草よ

すばらしいおまえの手を ほかの人たちも夢みた 
極楽鳥のように奔放で しなやかなその白い手を 
おれは 嫉妬ぶかく 後生大事に守ってきたのだ 
  秋も 夏も 春も 冬も ながいこと 
おまえの手を 何も歌えなかったほどに 愛してきたのだ

この手の秘めてる秘密は おれたちの時代を越えて 
恋人たちを導き 彼らはおれたちのことを語りあうだろう 
だが 嵐を知らぬ者に うつくしい太陽が何んだろう
  砂漠がなければ 歴気楼が何んだろう 
敗れて膝まずく時 ひとは偉大な祖国に気づくのだ

人間嫌いになるようなこの時代の 名づけようもない悲惨さに 
おれはおれたちの愛を結びつけよう おれたちの甥たちが
その愛の光に ひまわりのような眼を向けて
  ヨーロッパの夜を よく知ってくれるように 
おまえの風になびく髪のように 燃えあがる火明りで 

現代のへラクゥラヌゥム(*2)の都の 災禍(わざわい)にみちた空の中に
 燃える 菜の花畑のような ふさふさとした髪を
 おれは 最初に記録し 最初に 名づける
  天文家たちが きのうまで知らなかった
おまえの星座を 「エルザの髪座」と

おまえを捕えようと 星占い師(*3)たちは 星座表を見て
すっかりめんくらい おずおずと占うだろう
急(せ)きたてられる 空のおべっか使いどもは
  忠勤をはげもうと布告(ふれ)をだす 「一番乗りの栄冠は
最初の猟犬にとらせるぞ 運のいい兵士でもかまわない」

希望の空港よ おまえの誘導燈にみちびかれて いま着陸する
彼らの十二宮の間を 追いまわされてきた運命は
そうして われら二人の新紀元(*4)の新しい年が
  美しいオートジャイロのように せり上がる
牢獄(わびずまい)を暖めようと おまえが焚く火のほむらのなかに

*1 セントローレンス河──カナダの河。ここでは、ふくれあがった詩想の流れを河の流れにたとえ、詩想にゆきづまると、隣のナイヤガラ つまり隣室のエルザに助けを求めにゆくことを歌っている。
*2 へラクゥラヌゥム──イタリアの町。でんデツによれば、ヘラクレスによって創られたといわれる。紀元七九年、ベスビヤス火山の噴火によって、廃墟となる。
*3 星占い師たち──ナチとその手先の官憲を指している。
*4 新紀元──アラゴンが動員解除によって、戦線から帰えり、ふたたび二人の新しい生活が始まったことを指している。

(つづく)

(『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』)

軽井沢



映画「サウンド・オブ・ミュージック」後半の山場で歌われた「エーデルワイス」。音楽祭の会場で、ナチスに併合されようとする祖国オーストリアへの愛を込めてトラップ大佐が歌うと、マリアと子供たち、最後は聴衆も加わって大合唱となり、感動的な場面となりました。

竹松さん

竹松さんの美しい声とピアノ演奏で楽しく歌いました。



きみを失って



(『老いたるオルフェの歌』)


夕やけ


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美女1


美女2



*1 シャリアール──『千一夜物語』のなかの暴君。夜ごとひとりの娘をはべらせ、恋物語をさせては、朝になると、部下に命じて処刑させた。ここではヒトラーを指している。
*2 「愛の物語りひとくだり」──註1を参照。ここでは、ナチの官憲を前にした、愛国者たちの祖国愛の陳述を意味している。
*3 「あの影も形もない」──「抗戦(レジスタンス)で倒れていった英雄たちが、その英雄的な死によって抵抗運動を鼓舞したことを想起されたい。 
*4 「南」の海──一九四○年、フランスの三分の二がドイツ軍に占領されたが、ロアール河以南の地は「自由地帯」として残された。「南」の海とは、この自由地帯を指している。 
*5 「ハラルの砂漢」──『地獄の季節』で有名な、フランス十九世紀末の天才詩人ランボオが、十九歳で 詩筆を投げすてて、フランスから脱け出して、行ったところ。アビシニァ──こんにちのエチオピアの都ハラル。 
*6 バミューダの島──大西洋の小さな島。 
*7 「フランチェスカとパオロ」──ダンテの『神曲』の『地獄篇』に歌われている、フランチェスカ・ダ・リミーニはランチオット・マラテスタの妻。義弟のパオロ・マラテスタと恋に落ちて、ともに処刑される。 
*8 ランスロット──中世の騎士道物語である『アーサ王の円卓騎士』の主要人物・王妃ギニヴィアに愛をささげ、純愛と忠誠を兼ねた騎士道精神の理想像として描かれている。
*9 リミーニ──註7を参照。イタリアの町。フランチェスカは、リミーニのフランチェスカと呼ばれた。
*10 べレニス──ユダヤのへロデ王の王女。ティトウスは彼女を妻にしようと思い、ローマに連れてくるが、ローマ人たちに反対されて、送りかえさねばならなかった。
*11 べロナ──ロメオとジュリエットの悲恋の、北イタリアの町。ロメオとジュリエットは、一つの墓に葬られる。
*12 エレーヌ──十六世紀のフランスの詩人ロンサールに霊感を与えた愛人エレーヌを指すものと思われる。
*13 ラウル──美女ラウルと呼ばれ、ペトラルカの詩に歌われている。 
*14 エルビル──ラマルチィヌが『瞑想集』のなかで歌っている美女。 
*15 マリアの月──聖母マリアを記念する月──五月
*16 コルドパ──スペインの町。

(『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』)

フルート


[『エルザの眼』(12)エルザへの讃歌 2 美女たち]の続きを読む


オーボエ


(『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』)

ピアノ


[『エルザの眼』(11)エルザへの讃歌 1 序曲]の続きを読む
あずみの
「特養あずみの里裁判を学ぶつどい」が市川市(千葉県)でありました。
国民救援会市川支部と市川市民診療所の共催。
はじめに国民救援会市川支部の清水みな子さん(市川市議)が開会の挨拶。
この支援運動で国民救援会と民医連院所の共催は初めてではないか。

あずみの
弁護士の大門さんが事件と裁判の経過について講演。
おやつの時間にドーナツを食べていた入所者が意識消失し、入院1か月後に亡くなった。
遺族との間に示談が成立していたが、警察が強引に捜査に入り、検察が准看護師を
「注意義務を怠ったために誤嚥し、窒息死させた」と業務上過失致死で在宅起訴したもの。
ところが検察は窒息の事実を証明していない。
気管内挿管した救命士は気管内に異物を認めなかったという。
そもそも、老人介護施設での誤嚥事故で介護従事者が業務上過失致死で訴追された例はない。

あずみの
当日の状況を再現した動画を上映しました。
「窒息」したとされる人がむせたり苦しがることもなく意識がなくなり、
これに気づいた職員がてきぱきと対応しています。

あずみの
協立福祉会事務局長の塩原秀治さんが「特養あずみの里裁判で
無罪を勝ち取る会」を中心にした支援運動の現状を報告。
裁判所にあてた「無罪を求める要請書」に多くの方が署名しています。

あずみの
警察が大手を振って介護現場に介入することになれば、
現場の萎縮と職員の離職、人間的な介護の後退を招きかねません。
「この裁判には、介護の未来がかかっている」と思います。


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    獅子王リチャード

  なんとこの世は わしらの閉じ込められておる
  フランスは トゥールの兵舎にそっくりだ
  外敵が うまごやしの牧場を踏み荒らし
  なんときょう一日の 長いことか

  ただじっと 時の経(た)つのを数えていなければならぬのか
  かつて憎んだことのないわしが ひとを憎み 
  流れる時を じっと数えていなければならぬのか 
  もうわが家は 心のなかにさえありはせぬ 
  おお わしの国よ これでもわしの国だというのか

  このわしには 見やることもならぬのだ 
  ご法度の文句を 空でささやく燕が姿も 
  あの老いぼれの 不忠な雲めが むかしの夢を 
  投げ捨てて 国境越しに流れてゆくその姿も

  わしは思いのたけを 口に出してもならぬ 
  大好きなあの歌を 口ずさんでもならぬのだ 
  輝やいてる太陽を 悪い天気のように怖れ 
  沈黙にさえ びくびくせねばならぬのだ

  あのやからは権力で わしらは数字に過ぎぬ 
  苦しみに喘(あえ)ぐ君らよ わしらは同類なのだ
  いくら夜を暗くしても むだというものだ 
  囚われの身でも 歌のひとつは作れるわい

  その歌は 清水のように清らかな歌 
  昔のパンのように まじりけのないやつ
  それは 秩桶(まぐさおけ)の上に高らかに湧き上って 
  牧童たちが聞きつけずにはいられぬのだ

  羊飼いも 舟乗りも 牧師たちも 
  車引きも 学者先生も 肉屋たちも 
  言葉の手品師や ぺてん師の絵描きたちも 
  日ぐれの市場にむらがる 女たちも 

  商売(あきない)をする連中も 貿易商人たちも 
  鉄をつくる労働者も 布を織る織工たちも 
  電柱によじのぼる電工も まっ黒な坑夫たちも 
  みんな その歌を聞きつけるだろう

  フランス人はみな ブロンデルそっくりだ 
  その名は みんな ちがっていようと 
  自由を求める心は 翼の音のようにひそかに 
  獅子王リチャードの歌に 答えるのだ

さて、『エルザの眼』の最後を飾っているのは、大きな組詩『エルザへの讃歌』である。
(つづく)

(『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』)

オーボエ

(7)

だが 浅間を彼らに勧告し
うりつけたのは
誰だ
日米合同委員会分科会の正体は
あの内灘における仲間たちの
血を吐くよりも強い叫びをしりめにし
彼ら米軍機に乗りたくって
彼らの足元へ告げかえったのは
誰だ
軽井沢町民の仲間たちが
最初 ものわかりよく陳情に行ったとき
風紀云々を云っているばかがどこにある
と直接仲間の顔に
考えられない うそのような言葉をあびせたのは
誰だ
伊関国際協力局長の魂は

よく思いついた
よくも 彼等に思いつかせた
だが 浅間を彼らに思いつかせた原因がまだあった

自分がどんな恐ろしい事をしているか
それがよく判らないで ものごとを進める場合があるものだ
それは現実の認識不足
それに大衆の意見を軽んずる独善
それに米国デモクラシーのからみ
もうけ主義に侵された ものの考え方からくる
もうける事しか考えていなかった軽井沢の一部の商人
軽井沢町当局のブルジョワ育ちの一部のボス
現実のなにものも知らなかったおろかもの
大衆の声を無視した土地出身の県会議員
後藤県会議員
彼の無知はさもしいことを考えた
万平ホテル 及び
ニューグランドホテルの接収解除が
どこから広がりはじめたか
だれが言いふらしたと言うでもないように
うわさされだした
そのとき

彼らの あざむきの眼の色を知らず
こう申し出た
「軽井沢町 自体としては
二つのホテルが接収されていることによって
貧乏人六百余名の労働者が給料をもらえて生活でき
また 商店街は米軍の落とす金によって それなりきのうるおいがあった
それが いま折角米軍がいてくれるのに
解除されると失業者がふえ
商店街は悩み くるしむ
こんな 損な
ばかげたことはない」と
後藤は県会で言った
後藤は得意だった
後藤は親分になったような気がした
おれの一言で多くの貧乏人を助けることができる
後藤はそれを考えるとき
待合での酩酊も気持ちよかった
このとき社会党県知事 林虎雄
また こころある県会議員たちは
彼らの駐留を認めること
それは一層軽井沢一帯に腐敗をまねくとして
恐れて
そのとき 後藤に警戒をうながした
後藤は面白くなかった
もうけること
それだけしかかんがえぬ一部軽井沢商人の
見えぬくもの糸であやつられている後藤にとって
おれの言葉ほど正しいものはない
と考えていたから
(つづく)

(『呼子』10号 1953年7月)

浅間山



日本の漁夫


<『角笛』23号 1962.8>

海

(前略)
いま、呼子では、ご承知の浅間の問題をとりあげ、協同制作による叙事詩を創っております。ここまでみんなを結集させるに、ずい分と苦労しました。と共に非常にいろいろな事を学びとりました。詩人のなかに団結のこころと協同性をやしなうこと、これはいちばん大切なことだと感じました。ほどなくできあがると思いますが、そしたら、いろいろなことが直接うかがってお話しできるとおもいます。それから角笛のことも、かみあわせて話しを発展させてみたい。
(中略)
ご意見うかがいながら、おちから頂きたいと思っております。また、浅間について何か書いていただければ、ありがたいと思います。(一週間ほどで)すばらしいものができそうです。

6月1日
東京都三鷹市下連雀 大島博光様
長野市狐池 小熊忠二

小熊忠二ハガキ
小熊忠二ハガキ

(6)

彼等は そして
なおも 眼をつける
”おお おじょうさん”
そういう彼らの声がいやらしくひびくとき
基地がふえ
彼らはそうして紳士気取りの淫欲な眼つきを
浅間にむけた
高原浅間の山に思いついた。
”おお 浅間山 おじょうさん”
山岳演習地としてほしい
彼らはそうして申込んできた

浅間よ
噴火しつづけるわたしらの胸浅間よ
おまえがいま
再び鳴動しはじめている意味を
わたしたちは知っている
おまえのかわらぬ熱い血潮のたぎるのを

よく思いついた
よくも 思いついた
よくも浅間に 思いついた

だが しかし
彼らの奸策を知りつくしているわたしたちにとって
当然
予期していたときであった

或る一部の人たち
自分に直接 被害がきて
とりかえしつかなくなって ものごとをはじめてのみこむ
ひとりよがりの考えをもつ 人たちにとって
よもや山国 長野県にだけは
屈辱と悲しみはあり得ぬだろうと考えてもいた
この長野県にもやってくるだろう
身にあまる屈辱を予期していた

彼らの奸策 それは
朝鮮戦争に形象され
はっきりあらわれてきたところの
ファシズムによる世界制覇である
ファッシズムデモクラシーである
デモクラシーの武器と武力 それは
細菌爆弾である
パンパン合体の奇形兵士である
そうして 彼らは
朝鮮の土地に
朝鮮国民の生命を腐敗させ
殺し
ばらまいた
そうして 彼等は
日本の土地に 日本のパンパンをつくり
日本の貞操を鉄板じきにして
パンパンを滑空路にして夜ごと飛び立った
飛び立つごとに配色が濃くなった
その疲労感
巨人米国のみだらな生殖器から放出される
おびただしい精子
その彼らがどうして朝鮮のレヂスタンス
きびしい山岳戦にはむかうことができたろう

そこで彼らは 考えた 弱さをみとめた
だが彼らは
この根本原因をさぐることをせず
なおその上の尊い精子の浪費を考えた
リッジウェイからバトンをうけたクラーク大将
日本本土内に山岳戦学校を設け
訓練し
強力部隊を朝鮮に送りこみ
細菌戦争による敗色をぬりかえようと考えた

ときも とき
三十八度線においては
北鮮 および中国の指導者たちが
平和を 熱望し
主張を折って捕虜交換がはじまりかけていたのである
なんという奇怪な演習地化
彼らはそうして私らの愛するからだ
祖国をまるはだかにして調べあげた
全国二十二ヶ所
なんという破廉恥な手のはだざわり
浅間よ
おまえの純けつのすべてが朝鮮の山岳に似ていた
(つづく)

(『呼子』10号 1953年7月)

浅間山



国民詩について

(「希望/エスポワール」 1953年10月号)

妙義
妙義山

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松竹
竹松さんが歌ってくださいました。



 一九四一年、ジョルジュ・デュダックが、ニースに住んでいるアラゴンをたずねてくる。そうして、パリへ行って党の指導部と連絡をとるようにと伝える。六月二十三日、アラゴン夫妻とデュダックは、被占領地帯と自由地帯との境界線を越える。ちょうどその前夜、ヒトラーのソヴィエト攻撃が開始されていたので、警戒は厳重をきわめていた。運わるく、彼らは三人とも、ドイツ軍のパトロール隊につかまって、トゥール市の騎兵隊の兵営に拘留される。正規の身分証明書をもっていたのにも拘らず、十日間も引き留められる。彼らは、南仏から来たのではなく、パリから来たのだと主張して釈放され、パリへ「もどされる」ことになる。そのうえ、父親が病気だという口実で、パリへ行ってニースに帰える通行証まで手に入れる。この監禁中にアラゴンは「獅子王リチャード」を書く。

 かれらがパリに着くと、エリュアールが駅で待っていた。アラゴンとエリュアールは、一九三三年の訣別いらい会っていなかった。その頃、エリュアールは入党したばかりであった。そういうわけで、エリュアールは妻のヌーシュとともに、アラゴン夫妻を迎えにきていたのである。エリュアールはエルザに花束を贈り、ヌーシュは手作りのパイをアラゴンに贈る……

  エリュアールの花束の なんと心うったことか
  パリ・リヨン・地中海線の駅で

  ここで兄弟がまた手を結んだのだ
  あんなに長いこと別れていた兄弟が……
                       (『眼と記憶』)
(つづく)

(『アラゴンとエルザ 抵抗と愛の讃歌』)

エリュアール
ピカソ「エリュアールの肖像」