千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。


 しかし叙事詩は悲劇的な終曲へとむかう。「エデンの園」の恋人たちには、呪いの炎の剣が加えられる。ここでは、炎の剣は南アメリカにおける火山の爆発というかたちをとって現われる。この火の洪水のなかから、ロードとロジーは、森の動物たちといっしょに、救いの船に乗って逃げる。海の方へ──詩人の好きな海の方へ。
 すべての神話が望むように、ロードとロジーも滅びないだろう。彼らは禁断の木の実を味わいながら、しかし呪われることなく、遂にその古い呪いの神を殺してしまう。こうして詩人の意志にしたがって、古い神は死に、恋人たちは古い伝統的な運命から解放され、彼らじしんが神となったことを意識する。

  男の名は ロード
  女の名は ロジー

  彼らは 帆船を操った
  彼らは 船の世界をとり仕切った
  そのとき突然 滝のような波のふちで
  死のふちで 瞼は燃え 肉は躍り
  眼ははげしい痛みにみちて
  彼らは 自分たちが神になったことを覚った
  古い神が 呪いの火柱を立て
  炎の剣をふりあげたとき 古い神は死んだのだ
  おのれの創造を完うし それを呪った古い神は
  新しい作物もなく 死んだ
  そしていまや 人間が神になった
  人間は 大地に満たなければならない
  人間は 海に満たなければならない
  なぜなら ひとり新しい神神だけが
  愛の林橋を噛んだのだから

 さて、ロードとロジーはネルーダとマチルデということになろう。『船長の詩』において匿名でうたわれた愛、つづいて『イスラ・ネグラの思い出』『一OOの愛のソネット』において飽くことなく追求された愛は、『炎の剣』において、調子高い叙事詩的な幻想と希望をうたいあげているといえよう。

(この項おわり)

(新日本新書『パブロ・ネルーダ』)

夕やけ

 一九七○年九月に出版された詩集「炎の剣」も、この「世界の終り」の延長線上に書かれたように思われる。なぜなら「炎の剣」は、世界が終り、その廃墟に生き残った一組の男と女を主人公にした物語、つまり、新しいアダムとイヴの創世記であるから。じっさいにも、ネルーダはこの詩集の扉に旧約聖書の「創世記」のつぎの文章をかかげている。
 「こうして神は人間を追放して、エデンの園の東に、いのちの木への道を守るために、天使ケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置いた」
 もうひとつ、ネルーダがこの物語詩のよりどころとしたのは、チリ南部のアンデス山脈の奥に隠されているといわれる「魔法の都」あるいは「セザールの都」の伝説である。この詩集の冒頭に、フリオ・ヴィクニャ・シフェンテス『チリの神話と迷信』からつぎのように引用されている。
 「チリの南部、アンデス山中の、だれも知らない、あるところに、この世のものとは思われぬすばらしい魔法の都がある。そこではすべてが黄金、銀、宝石である。この都の住民の幸福に匹敵するものはない。衣食住をみたすために働く義務もなく、人間世界を襲う貧困や苦しみにさらされることもない……」
 この詩においては、世界の終りが描かれ、そこへただひとり生き残った主人公ロードがやってくる。アラウカニアの地に新しい森を見つけようとやってくる。

  彼は土地を探した 新しい王国のために
  彼は青い水を探した 血を洗い流すために

 ロードはネルーダと同じく年とった失望した男、幻滅した男である。多くの闘いののち、「孤独のなかで/その心を手に負えぬ蔓(つる)草に蔽われた男」であり、「過去と呼ばれるものをうしろに引きずり」「犯罪の共犯者」「他者、すべての他者との共犯者」であることをやめて、「血まみれの魂をもたぬ最初の人間」にもどろうとする。
 そこにはまた怖るべき反省が現われる。

  ひとびとはもはや彼を必要としなかった
  そうだ だれも だれひとりとして

 しかし、この孤独と懐疑に苦労するロードのまえに、「セザールの都」の生き残りの女ロジーが現われる。するとロードの心にはふたたび愛と欲望が生まれる。若い同伴者を得て、孤独者はふたたび春と世界をみいだす。エロティックな美しい詩が、ロジーの口をとおしてこの愛の融合をうたう。

  最初の男(ひと)よ あなたが
  わたしの腹の上に手を置いたとき
  あなたのくちびるが
  わたしの乳房の乳首を味わったとき
  わたしはもう見捨てられた血の滴ではなかった
  道に落ちた棘のある小枝ではなかった
  わたしのからだはその葉っぱをそばたて
  音楽がわたしの血のなかを走った

 しかしこのような愛もロードの懐疑や苦悩を消しさることはない。

  だれもこの地上でわれらに耳傾けない
  みんな出て行ってしまった……
  これからわれらの夢をだれに託そう?

(つづく)

(新日本新書『パブロ・ネルーダ』)

バラ


『世界の終り』『炎の剣』

 一九六九年七月に出版された『世界の終り』には、ネルーダの孤独、幻滅、懐疑などの精神的思想的状況がにじみ出ていると見られる。スターリン批判以来の絶望的情勢、核戦争の脅威など、科学的発見や社会的進歩がみられたにもかかわらず、この二○世紀はネルーダにとって期待はずれなものであった。この世紀を人間の世紀にしようとたたかってきた人びとの理想をうちくだき、裏切ってきたからである。この闘争に参加してきたネルーダはそれを認めずにはいられない。彼にとって二○世紀は「いつわりの勝利の世紀」であり、「断末魔の世紀」である。自然は変ることのない祭りを人類に提供しているのに、人間は研究所の奥で悲劇的な祭り──原爆の祭りを企んでいる。

  もう一つの祭りが準備されているぞ
  世界の自殺が             (「原爆」)

(つづく)

(新日本新書『パブロ・ネルーダ』)

川



道1

道2

赤い実

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チリ支援世界会議の思い出



国際会議
チリ支援世界会議にて、左から間島三樹夫、大島博光、ベトナム代表。1978年11月 マドリード


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黒い季節1


黒い季節



(『詩人会議』1977年3月)

夜 


[黒い季節(一九四四年 フレーヌの牢獄にて)]の続きを読む
瀧口修造

ある日ある時のポルトレイト(1) 瀧口修造氏

 彼はビールを飲むでゐた。大きなアンブレラの下で三・四人の仲間たちと。本誌に「マルドロオルの歌」を連載してゐる大島博光君が乗り出してきて、僕たちの卓子との隔りを塞いでしまった。瀧口修造氏とアヴンギャルトの画家たち──みんな僕は初封面の人たちだった。もう一ヶ月も前のことである。その時、何を饒舌ったかもううろ覚えである。眞夏の太陽がすっかり影を没した頃、新宿の大山でのことである。
「暫らく詩を発表しないやうですが、現在どんなことをしてゐますか。」
「いま写真化学研究所の仕事をしてゐます。」
「近く芸術家の結成が出来るやうですが。」
「アバンガルトの画家のクラブがあったのですが、近く芸術家聯盟クラブと改称して、画壇とか文壇とかの小グループを離れて、全藝術のために、これから来るべき藝術を代表するやうな仕事をしてゆきたいと思ってゐます。ゆくゆくはユニイクな雑誌も発行したい計画でゐます。──レアリスムとか、シュルレアリスムとかを離れて、日本の文化に新しいものを加へてゆきたい、といふのがその主旨なのです。」
 長髪の瀧口氏は思慮深く語った。
「シュルレアリスムは唯美主義の残りの概念である。芸術至上主義である。」とか、「春山行夫氏のポエジイ運動は未完成である」とか、「われわれはラムボオやロオトレアモンにまだまだ学ぶべきものがある。」とか、瀧口氏の言った言葉が断片的に泛んでくる。
「現在、詩を発表してゐないのは、決して機関誌がないからといふ譯ではない。」と瀧口氏は言ってゐたが、近く藝術家聯盟の結成と共に華々しい活躍が見られるものと思ふ。
 次に瀧口氏にその略歴を語って貰はう。
【JOE】

(『蝋人形』1936年10月)
神奈川県立近代美術館

神奈川県立近代美術館でコレクション展「1937―モダ二ズムの分岐点」が開催されています。(11月5日まで)

神奈川近代美術館
神奈川近代美術館

戦争前夜の1937年はモダニズムがひとつの頂点を迎えた年とされます。ヨーロッパで「パリ万博」や「退廃美術展」が開催されたこの年、「海外超現実主義作品展」が瀧口修造と山中散生の企画により開かれました。アンドレ・ブルトン、エリュアールらシュルレアリスムを国際的な運動にしようとしていた海外のシュルレアリストたちと連絡を取り合い、その協力を得て実現したのでした。

神奈川近代美術館
神奈川近代美術館

興味が惹かれる膨大な展示品が。
名前だけ聞いたことのあるトリスタン・ツァラやマックス・エルンストのポートレートを初めて見ました。
ロルカとダリが一緒の写真。ファシストに協力したダリがロルカと……。
ロートレアモン『マルドロールの歌』にダリが挿絵を書いた豪華本。
ポール・エリュアールの詩、マン・レイの写真による詩画集 『ファシール』。影絵のように純化されたニーシェ(エリュアールの妻)のヌードが美しい。
エリュアール、ブルトンらがたくさんの手紙を日本に送っていることにびっくり。笠井裕之先生ら慶応義塾大学の研究グループと美術館の朝木由香さんとの共同作業により翻訳されて小冊子になっています。

神奈川近代美術館

記念館所蔵の『蝋人形』1936年10月号(瀧口修造に関する記事)が展示されています。(大島博光が『蝋人形』の編集に携わりシュルレアリスムの紹介に力を尽くしたとの解説)

神奈川近代美術館

エイゼンシテイン監督の映画「全線~古きものと新しきもの~」を上映していました。
「ロシア革命100年記念 エイゼンシテイン監督映画作品上映会とスライド・トーク」の3日目で、10月7日が「戦艦ポチョムキン」8日が「十月」でした。
スライド・トークをした籾山昌夫氏は2014年に展覧会「ユートピアを求めて ポスターに見るロシア・アヴァンギャルドとソヴィエト・モダニズム」を担当した方でした。

 ポスター


1952年7月に奈切哲夫が呼びかけた大島博光救援会のカンパに画家の浜田浜雄が応じて書いた手紙。

浜田浜雄てがみ

「いつぞや 小山田君と会った折 いろいろと色々と話し合ったことでしたが 大兄のマルドロールの歌に挿絵を描いてみたいと異様に眼を輝かせて語ったのが非常に印象的でした。
もしそれが実現されたら心から   のは勿論私だけにとどまらないでせう。待望するものの一つです。
心にかかりながら何時も何もできません。同封の金子わづかですが手前勝手な給料のつもりです。お納め下さいますよう 奥様によろしく
浜田浜雄」

「マルドロールの歌」(ロートレアモン著の散文詩)は大島博光が訳して『蝋人形』に昭和11年2月から11月に連載されたが、とても奇怪でシュールな作品。小山田二郎の絵のイメージがぴったりなので、確かに実現していたら面白いものになったに違いない。

浜田浜雄



おうむ


(「ニクソンサイドのすすめとチリ革命への賛歌」──新日本出版社『ネルーダ最後の詩集』)

夕暮れ




壁

*この詩は「闘いの日に」(「勤労者文学」6号 1948年10月)と似ています。「闘いの日に」では、壁は労働者を閉じ込めている刑務所の壁を指しています。

二人



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廃墟


*詩誌「至上律」を編集した真壁仁は山形の詩人で、1952年7月、「大島博光救援会」にカンパを寄せている。

電車庫




ムリエタ1


ムリエタ2



    ムリエタの首は語る

  だれもおれに耳をかさないが おれはしゃべることができる
  くらやみのなかの子どもは 死んでしまった
  なぜおれは死んで あてどもなく砂漠のなかを
  さまよいつづけるのか おれにはわからない

  愛して愛して おれは悲しみにたどり着いた
  闘って闘って おれはうちのめされてしまった
  そしていまや テレサの両の手のなかに
  おれという ひとりの悪党の首は眠るのだ

  おれがぶっ倒れると おれは咽喉(のど)をかっ切られ
  おれのからだはまず まっ二つに切り離された
  おれは 完全犯罪のために叫ぶのではない
  おれは さまようおれの愛のために抗議するだけだ

  死んだ妻がおれを待っていた そしておれは
  険(けわ)しい道をとおって たどり着いたのだ
  死んだ妻といっしょになるために おれは·
  ひとを殺し自分も死にながら たどり着いたのだ

  おれはもう 血も流れさった空っぽの頭に過ぎぬ
  くちびるももう おれの声をきいても動かない
  死者はもう 何も言ってはならないのだろう
  雨や風をとおして 語りかけるというほかは

  だが これから霧のなかをやってくる人びとは
  どのようにして ありのままの真実を知るのだろう?
  同志たち おれは要求するのだ 一○○年後に
  パプロ・ネルーダが おれのために歌ってくれることを

  それは おれが犯した あるいは犯さなかった悪のためではない
  それはまた おれが守った善のためでもない
  おれが持っていた 唯一のものを失ったとき
  ただ 名誉だけがおれの権利だったからだ

  こうして ゆるぎないたしかな春のなかに
  時は流さり おれの生涯はひとに知られるだろう
  それは苦(にが)い人生でもなく 正義にみちたものでもなかった
  おれはおれの人生を 勝ったとも負けたとも思わぬ

  そして過ぎさってゆく すべての人生のように
  おれの人生も きっと夢といりまじっていた
  血の好きな残忍なやつらが おれの夢を殺した
  そしておれは遺産として残すのだ おれの深傷(ふかで)を

 ここでネルーダは、詩人の声をとおして、ムリエタの伝説の真実をとおして、アメリカ大陸における奴隷制・圧制を告発し、一時的な敗北を越えて、来るべき闘争に立ちあがるよう呼びかけているのである。
(この項おわり)

(新日本新書『パブロ・ネルーダ』)

男

『ホアキン・ムリエタの栄光と死』

 一九六七年、ネルーダの最初の詩劇『ホアキン・ムリエタの栄光と死』が出版され、一○月、チリ大学演劇研究会によって初演された。
 ホアキン・ムリエタは、「ゴールド・ラッシュ」の時代の伝説の人物である。彼は一団の部下を連れて、ヴァルパライソからカリフォルニアに渡って、黄金を手に入れるために懸命に働く。しかし彼らは成金の残酷な北アメリカ人たちから鞭(むち)と弾丸の報復をうけ、ムリエタは妻のテレサとともに首を切り落されてしまう。その頃北アメリカ人たちは人種的差別によって、チリ人やメキシコ人を排撃し虐殺したのである。伝説では、切り落されたムリエタの首は馬に乗ってチリに帰り、その怒りをぶちまけることになっている。この詩劇の「まえがき」に作者は書く。
 「ホアキン・ムリエタの亡霊はいまもカリフォルニアをうろついている。月の夜、憎しみに燃えた馬にまたがって、ソノラ砂漠をよこぎり、メキシコのマドレの山なみに消えてゆく彼の姿が見える……亡霊の足どりはしかしながらチリへと向かう……ホアキン・ムリエタはチリ人であった。……
 彼の切り落された首はこのカンタータを要求した。わたしはそれを反逆者のオラトリオとしてだけでなく、ひとつの出生証明書として書いた。
 ムリエタに関する書類のたぐいは、ヴァルパライソの地震や黄金獲得の闘いのなかで失われてしまった。こういうわけで、彼は彼の流儀でもう一度生まれなければならない。亡霊としてまた炎の男として、きびしい時代の開拓者として、希望のない復讐者として。
 この歌にとりかかるにあたって、わたしはただこの反逆者のいさおしを明らかにすることを心がけた。わたしはこの反逆者とその生活を共にした。それゆえわたしは、この男の生の輝きと死の広大さを証言するのだ」
 この詩劇の頂点をなすムリエタの声を──ムリエタに託したネルーダの声をきいてみよう。
(つづく)

(新日本新書『パブロ・ネルーダ』)

彫像

(3)ソネットの形式


「わたしの妻はわたしと同様に田舎者だ。彼女は南部の町チジャンで生まれた。そこは、田舎風の陶器による幸福と怖るべき地震による不幸とで有名な町だ。わたしは彼女を語ろうとして、『一○○の愛のソネット』のなかで彼女のすべてを歌った。それらの詩、それらのソネットは、恐らく彼女がわたしにとって何を意味するかを明らかにするだろう。大地と生とがわたしたち二人を結びつけたのである。」(『回想録』)
 『一○○の愛のソネット』において、ネルーダは、ソネットの形式を愛の詩にもっともふさわしいとする西欧の伝統に従っているのである。
 ソネットの巨匠はおそらくイタリアのべトラルカ (一三○四〜一三七四)であろう。フランスではロンサール(一五二四〜一五八五)のソネットが鳴りひびいていた。スべイン詩にあっては、フェルナンド・デ・エレーラ(一五三四〜一五九七)、ルイス・デ・ゴンゴーラ(一五六一〜一六二七)などがソネットを発展させていた。ネルーダはこの詩集の「まえがき」に書く。「いつの時代の詩人たちも、めいめいそれぞれに、気どった優雅な趣味によって、金銀細工の音や、水晶の音や、あるいは砲声のように鳴りひびく脚韻をもちいてきた。
 わたしはこれらのソネットを、きわめて謙虚に、つつましく木材でつくり、それらに木材というこの不透明で純粋な物質の音をあたえた。ねがわくば、これらのソネットがそのようにきみの耳にとどいてくれるように。きみとわたしとは方ぼうの森や砂漠を歩きまわり、荒涼とした湖水や灰色の高原を歩きまわって、水に流されるにまかせ、嵐に吹かれるにまかせた純粋な木材や板切れを拾い集めた。これらのいともなつかしい足跡から、わたしは斧や小刀やナイフで愛の骨組をつくり、一四枚の羽目板で小さな家を建てた。そのなかに、わたしの愛し歌うきみの眼が住めるように……」
 詩人はここで、優雅な金銀細工の音楽にたいして素朴な木材の音を対置させ、それを自分の手法として採用する。そして美しい比喩をとおして、彼は恋人とさまよった「森や砂漠」や「湖水や高原」などの大地のうえの生に詩の源泉をみいだすというレアリストの詩法を語っている。
(つづく)

ネルーダとマチルデ
ネルーダとマチルデ

(新日本新書『パブロ・ネルーダ』)