ポール・エリュアール Paul Éluard

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千曲川

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里見公園


平和のための詩



(『エリュアール詩選』1956年)


噴水


平和のための詩1-3




(『エリュアール詩選』1956年)

 死・愛・生   エリュアール

おまえはやってきた すると火はまた燃え上った
影は消えさり寒い下界に星が出た
大地はおまえの明るい肉体に蔽われ
おれは身の軽くなるのを感じた
おまえはやってきた 孤独は敗れさった
おれは地上の案内人を持った おれは
行く道をみいだし けた外れの自分を知った
おれは前進し 空間と時間を手に入れた
    *
畑は耕され 工場は光を放ち
小麦は果てしないうねりのなかに巣を作り
穀物や葡萄の取入れは無数の証人をもち
何ものも単純でもなく単独でもない
海は空や夜の眼のなかにある
森は樹木たちにやすらぎを与える
家々の壁は 共同の皮膚であり
道はつねに交差する

人間は生れついている 互いに共鳴するように
互いに理解し合うように 愛し合うように
その子供たちも人間の父親となるだろう
住む家もない子供たちも
作りだすだろう 人間を
そして自然と彼らの祖国を
すべての人間たちの祖国を
すべての時代の祖国を

(『エリュアール』ドミニック──新しい愛)

ひとはみんな


 ドミニックきょう現われる    ポール・エリュアール

 おまえはやってきた おれはとても悲しかった おれはうんと承諾した
 おれが世界にうんと承諾したのはおまえに会ってからだ
 少女よ おれはおまえを少年のように愛した
 自分の少年時代しか愛せない少年のように

 おまえはやってきた 生きたいという願いはひとつの肉体をもった

 彼は重い夜に穴を掘り影を愛撫した
 彼らの泥を溶かし彼らの氷を溶かすため
 はっきりと見るひとつの眼のようた

 細い草がツバメたちの飛ぶのを停めた
 そして秋はくらやみの袋に重くのしかかった
 おまえはやってきた 岸べは流れを解き放った
 海へと流れをみちびくために

 おまえはやってきた おれの苦しみの奥底に
 空気もない森から引き離された木よりも高く
 すると悲しみや懐疑の叫びは潰(つい)えさった
 おれたちの愛の日の前に
 おまえはおまえの信頼でおれを包んだ
                 (『フェニックス』)

 1946年9月、エリュアールはメキシコを訪れた。そこでひらかれる世界平和大会に出席するためである。ここでエリュアールは平和大会のさなかにふさわしく、「その人たちには戦争は子供のない女のように見えた」とうたって、ふたたび戦争、死、孤独を拒否している。
 そうしてエリュアール再生の奇跡がおこるのは、このメキシコにおいてである。
 ここで九月の光のなかで彼はドミニックに──最後の恋人に出会ったのである。彼女の出現は、「ドミニックきょう現われる」などの詩に調子高くうたわれる。

ドミニック

(『エリュアール』ドミニック──新しい愛)


エリュアール「八月のさなかに」

  一九四二年の終り頃、信じられないような情勢が生まれた。ドイツ軍の最初の敗北が、アフリカ北部キレナイカ地方で始まった。ロンメルの敗退である。
 他方、スターリングラードでは、ドイツ軍第六軍団が、ソヴェト赤軍による逆包囲作載の結果、一九四三年二月三日、ついに降服し、これをさかいに、すべての戦線でドイツ軍の後退、敗走が始まる。敗走するドイツ軍は「オラドゥールの悲劇」のような虐殺を行った。一九四四年六月、連合軍がノルマンディに上陸。ついに八月二十一日、パリは解放される。エリュアールは解放の日の歓喜を「八月のさなかに」に書く。

 八月のさなか、柔かい色をした月曜の夕ぐれ
 新鮮な卵のように明るいパリの
 雲に吊りさげられた月曜のタぐれ
 八月のさなか バリケードのわが祖国
 誇らかな眼をしたバリ
 ついに勝利を叫ぶパリ
 ……
 八月のさなか おれたちは冬を忘れていた
 勝利者の礼儀を忘れるように
 悲惨と死への大いなる挨拶を忘れるように
 恥辱を忘れるように おれたちは冬を忘れていた
             (『ドイツ軍の集合地で』)

 解放とともに、エリュアールは世界的な栄光につつまれる。彼の抵抗詩は世界じゅうで読まれ翻訳される。彼はフランス共産党の栄光にみちた活動家となり、アラゴンとともに国民詩人となる。

<「エリュアール・ノート(12)」『民主文学』1988年7月号>
 そうしてエリュアール再生の奇跡がおこるのは、このメキシコにおいてである。ここで九月の光のなかで彼はドミニックに──最後の恋人に出会ったのである。彼女の出現は調子高く歌われる。

 きみはやってきた すると火はまた燃え上った
 影は消えさり 寒い下界に星が出た
 大地はきみの明るい肉体に蔽われ
 ぼくは身の軽くなるのを感じた
 きみはやってきた 孤独は敗れさった
 ぼくは地上の案内人を持った ぼくは
 行く道をみいだし けた外れの自分を知った
 ぼくは前進し 空間と時間を手に入れた
    *
 畑は耕され 工場は光を放ち
 小麦は果てしないうねりのなかに巣を作り
 穀物や葡萄の取入れは無数の証人をもち
 何ものも単純でもなく単独でもない
 海は空や夜の眼のなかにある
 森は樹木たちにやすらぎを与える
 家々の壁は 共同の皮膚であり
 道はつねに交差する

 人間は生れついている 互いに共鳴するように
 互いに理解し合うように 愛し合うように
 その子供たちも人間の父親となるだろう
 住む家もない子供たちも
 作りだすだろう 人間を
 そして自然と彼らの祖国を
 すべての時代の祖国を
               (『フェニックス』──「死・愛・生」)

 「きみがやってくると孤独は敗れさった」という詩句の意味は、愛の力は孤独をまぎらわすことにあるのではなく、孤独に勝利することにある、ということである。そして『不死鳥(フェニックス)』の扉に詩人は書く。
 「不死鳥は夫婦アダムとイヴである。」
 孤独にうち勝った新しい愛は、ここで愛し合う夫婦(クープル)というかたちをとり、エリュアールの詩のなかに意識的に登場してくる。アラゴンは『ベル・カント通信』に書く。

 「……現代詩には、永遠のプラトニスムの名に、われわれを二度と戻らせることのできぬような新しさがある。男はもはや女なしには考えられないし、女は男なしには考えられないからである。そして現代の愛についての調子たかい表現は,もはやあの愛についての『理念(イデエ)』でもなく、欲望の一方的な表現でもない。それが表現するのはもはや恋人ではなくて、夫婦である。そしてエリュアールの詩はこの新しさによって説明される……」
 エリュアールとドミニックは一九五一年に結婚する。しかしドミニックとの愛は短い。一九四九年九月にメキシコで出合ってから、一九五二年までの数年にすぎない。
一九五一年にはまた有名な「平和の顔」が刊行される。ピカソの石版画──鳩と女の顔をくみあわせた「平和の顔」二十九点シリーズに、エリュアールが二十九篇の詩をかいた詩画集である。

 おれは鳩の棲みかをみんな知っている
 いちばん自然な棲みかは人間の頭の中だ
   *
 あんなに長いこと人間は人間を怖がらせ
 人間の頭の中にいる鳥たちを怖がらせてきた
   *
 おれたちの歌は平和を呼びかけ
 おれたちの答えは平和のために行動すること
   *
 平和の殿堂は
 全世界のうえに建つ

 エリュアールは一九五二年にはまた「ピカソ・デッサン」と題するピカソ論を書く。思えば詩人は生涯をとおしてピカソに多くの詩やエッセイをささげてきた。
 エリュアールの詩にたいするピカソの影響は、「ゲルニカの勝利」を始めとして、社会的現実をうたう序曲となった『民衆のバラ』(ー九三四年)から「ひとりの地平から万人の地平へ」の移行へと、だんだん強くなってゆく。そして詩人と画家はめいめいの作品において協力し、たがいに霊感を与え合う。例えば、ピカソに贈った「画家の仕事」のなかで、エリュアールは画家を両刃の剣をもった自由の化身として歌っている。

 盲人のように狂人のように
 きみは鋭い剣を突き立てる 空虚のなかに……

 きみは鋭い剣を突き立てた
 逆風にひるがえる旗のように

 詩人と画家はおなじ言葉を書き、おなじ言葉を描く。一九五二年に描かれたピカソの壁画──ヴァローリスの「平和の殿堂」の壁を飾っている「載争」のパネルにおいては、画面の左端に、平和と自由の戦士が正義の剣を右手にもち、剣をまっすぐ突き立てて構えている。左手には象徴的なミネルヴァと鳩の紋章のついた楯をもって、破壊と死をあらわす不吉な戦争の柩車をおしとどめるように、これに面とむかって立ちはだかっている。
 またつぎのような持句かある。

 荒野の家の窓べの
 牡牛の耳──その家には傷ついた太陽
 内なる太陽がひきこもる
               (『見せてくれる』──「パブロ・ピカソに」)


 シャルル・パシャが指摘するように、この世界に向かってそばたてた「牡牛の耳」に、ピカソの「赤い牡牛の頭の静物」の模写を見ることができよう。傷ついた太陽とは「内なる眼」である。その眼についてエリュアールは書く。
 「ピカソの高潔寛大な精神は仕事によって説明される。それは、人間が理解し、認め、あるいは変形させうる、つまり描いたり、描き変えることのできるすべてを、人間史のエクランのうえに投影することに熱中し、すべてを見ることに熱中する視覚による仕事である」(「ピカソデッサン」)。
   (つづく)

<『民主文学』1988年8月号>
  この『道徳の教え』は、さらに詩人の実践によって補足される。一九四九年六月、エリュアールは秘密の道をとおってギリシャに行き、グラモス山で英雄的に闘うパルチザンたちを訪ねる。エリュアールは一九四六年と一九四九年の二回にわたってギリシャを訪れ、マケドニヤの山獄地帯、グラモス山の根拠地にパルチザン部隊を見舞っている。英軍と米軍の干渉によって、革命をふみにじられたギリシャ人民の悲劇をまのあたりにし、闘うパルチザンたちと生活を共にする。平和活動家イヴ・ファルジュはそのときのエピソードを書いている。

 「ある日彼は、戦争で息子や孫たちを失くしたという二人の老婦人を両腕にかかえた。どうしてそういうことになったのか、わたしには分らない.エリュアールはものも言わずに歩いた。二人の婦人は、彼女たちの肩をかかえていた彼の腕のなかに因われて、彼と歩調を合わせていた。それはまるで、不幸のうえに突然落ちてきた、この上ない優しさのようであった。恐らくこのとき、彼は『未亡人と母たちの祈り』を作ったのにちがいない……」(『ウーロップ』誌一九六二年十一・十二月号)
 その『未亡人と母たちの祈り』はつぎのようなものである。

 わたしらはわたしらの手を一つにしました
 わたしらの眼はわけもなく微笑んでいました
 
 どうか 武器でもって 血でもって
 ファシズムからわたしらを解放してください

 わたしらは光を揺りかごでゆすって育てました
 わたしらの乳房は乳でふくらんでいました

 わたしらにも銃を握らせてください
 ファシストどもを撃ち殺すために
 
 わたしらは泉であり流れでした
 海になることを夢みていました

 ファシストどもをゆるしてはおかない
 手だてをどうかわたしらにください
 
 やつらの数はわたしらの死者より少いのです
 わたしらの死者たちはだれも殺さなかったのです

 わたしらは愛し合っていました 人生について
 考えることもなく 何ひとつ分らずに

 わたしらにも銃を握らせてください
 そうすればわたしらも死と闘って死にましょう
          (『ギリシャわが理性の薔薇』)

 一九四九年六月、エリュアールはギリシャ訪問から帰国すると、9月にはメキシコを訪れる。そこでひらかれる平和世界大会に出席するためである。
 この平和会議のなかで、詩人はもう一度あのレジスタンスの夜の時代を思い出して、「未来の人びと」に語りかける。「わが時代の人間たちの大きな気がかり」という詩がそこで書かれる。

 どうか分かってくれ給え よく考えてほしいのだ
 すべてはそんなに生まやさしくも陽気でもなかった
 ……
 未来の人びとよ 昨日を振り返って見る必要がある
 わたしは語ろう 春を知らずに死んだ死者たちを

 未来の人びとよ わたしは語ろう きょうを
 わたしは現在のなかにいる それを納得してほしい
 わたしは生きてる人びとの大群衆のなかにいる
 ……
 もちろん そこには襤褸(ぼろ)を着た人たちがおり
 廃墟があり いばらがあり 幻滅があった
 ……
 われわれは愛した われらの英雄たち殉難者たちを
 ……
 その人たちは貧困悲惨を拒否した
 古い武器でひとを殺す貧困悲惨を
 その人たちには戦争は子供のない女のように見えた

 太陽の下で大地の上で その人たちは願った
 人びとが兄弟となり 泉から泉へとつながる
 その人たちのはっきりした感覚は夜明けを予感していた
          (「すべてを言うことができる」)

 ここでエリュアールは平和大会のさなかにふさわしく、「その人たちには戦争は子供のない女のように見えた」と、うたって、ふたたび戦争、死、孤独を拒否している。

(つづく)
<『民主文学』1988年8月号>
エリュアール・ノート (13)
『道徳の教え』・ギリシャ・平和の顔
                          大島博光

 一九四八年の夏、原爆反対の最初の世界平和大会が、ポーランドのプレスロオでひらかれた。エリュアールはピカソといっし上にこの大会に参加する。この大会から世界の平和運動が生まれ、ピカソの鳩がその象徴となる。
 一九四八年はまた詩集『道徳(モラル)の教え』が書かれた年である。この詩集に収められた詩はどれも「悪に」「善に」という二つの側面をもち、ペッシミスムにたいして楽天主義が対置されるという構成をもつ。エリュアールはこの発想をロートレアモンの『詩論』のなかから汲みとる。
 「善は悪にたいする勝利であり、悪の否定である。もしもひとが善を歌うなら、この妥当な行為によって悪は排除される……」
 エリュアールは青年時代からロートレアモンの『詩論』の思想、言葉の重要性につよい関心を抱き、これを指針としてきた。「詩は実践的真理を目的としなければならぬ」というロートレアモンの言葉は、『政治詩集』のなかの一つの詩の題名として使われている。
 『道徳の教え』の序文に詩人は書く。
 「悪は善に変えられねばならない……わたしは否定し根絶したかった、あらゆる病気や悲惨の黒い太陽を、塩辛い夜を、あらゆる影と偶然の下水溜を、目もあてられぬ光景、盲目の世界、破壊、乾いた血、墓などを。
 たとえわたしが全生涯で、希望のほんの一瞬をもつにすぎなかったとしても、わたしはこの闘いに挑むだろう。たとえこの闘いにわたしが敗れるかも知れぬとしても。なぜなら、ほかの人びとが勝利するだろうから。
 すべてのほかの人びとが。」
 この詩集では、どの詩も悪から善へと書き変えられて、最後の「すべては救われた」という詩にいたる。この詩ではペッシミスムが正面から描かれる。

 すべては破壊される おれは前もって破滅を見る
 鼠が屋根のうえにいて 小鳥が穴倉にいる
 くちびるは本の中で もう唸り声もあげない
 すべての絵が逆さまになり 重なりあい
 思い出と証言は いっしょに曇りかすんでゆく

 老人が揺籠(ゆりかご)のそばにつまらぬ人形のように横たわり
 子供がひとり歯車仕掛のかけらを噛っている
 墓地の窪みでは ひとりの死者が抵抗した

 ……
 冬に生まれたおれには すべてがネガティフに見える
 おれは死ぬために生まれ すべてがおれとともに死ぬ

 このぺッシミスムにたいする反歌、「すべてのほかの人びと」のオプティミイスムによる反歌はこう歌われる。

 何も破壊されはしない すべては救われる そうおれたちは願う
 おれたちは未来にいる おれたちは約束だ
 見よ 明日がきょう地上を支配しているのを

(つづく)

<『民主文学』1988年8月号>

 さて、全世界に大きな衝撃を与える事件が起きた。ゲルニカの悲劇である。一九三七年四月二十六日、フランコを支援するナチス・ドイツ空軍機の編隊は、バスク地方の小さな町ゲルニカにたいして、波状攻撃による爆撃をくわえた。 町は全焼し全滅した。非戦闘員の全市民のほとんどが犠牲になった。ヒットラーの空軍によるこの爆撃の目的は、爆弾と焼夷弾との併用効果を、非戦闘員にたいして実験することであった。それはやがて始まる第二次世界大戦にそなえての予行演習でもあった。

このゲルニカの悲劇をとおして、ピカソはスペイン人民の死の叫びを聞いた。パリで開かれる万国博覧会のスペイン館を飾る壁画を描くように依頼されていたピカソは、 ゲルニカの悲劇を主題として、ファシストの暴虐にたいする深い怒りを『ゲルニカ』のなかに描く。のちに全世界がみることになるこの傑作こそ『ゲルニカ』である。スペインの詩人アルヴェルティは言う。
 「数千年前、芸術家たち──アルタミラの猟師たちは、スペインの堅い洞窟の岩に、野牛、猪、鹿を刻みこんだ。同じようにピカソは、同じような偉大さをもって、彼の世紀の光の下で、踏みにじられ虐殺されたスペインそのものを彫みこんだ……」
 ピカソの『ゲルニカ』にあわせて、エリュアールは詩「ゲルニカの勝利」を書く。これらの作品はどちらも念入りな準備や推敲から生まれたものではない。それは、ゲルニカの悲劇という、スペイン戦争におけるファシストのもっとも残酷な暴力行使にたいする、画家と詩人の意識の奥底からの反発、全身的な反発から生まれたイメージであり、瞬間写真(スナップ)である。
 ピカソの壁画に描かれた、断末魔の叫びをあげる馬、犠牲となった戦士や女たちの痙撃する体や顔、苦悩にみちた驚きを現わす牛……これらは暴力の暗い力をあらわにしている。
 エリュアールは詩人として反発し反応する。絵画とちがった詩という表現形式で、おなじ痛み、おなじ怒りをもって、おなじ対象にむかう。「ゲルニカの勝利」はつぎのように始まる。

 廃家(あばらや)と 鉱山と
 曠野との 美しい世界

 火に耐えた顔たち 寒さに手荒い仕打ちに
 夜に侮辱に爆撃に耐えた顔たち
 あなた方の死は見せしめとなる

 心臓を地面に投げ出された 死

 まず、爆撃され焼き殺された人たちのイメージが呼び起こされる。ついで虐殺と圧制をこととする支配者たち、ファシストたちは、「やつら」という簡単な代名詞で呼ばれる。

 やつらはあなた方に支払わせた
 パンを空を大地を水を眠りを
 そしてみじめさを
 あなた方の生命(いのち)で

 やつらは言った もの分りよくおとなしくしていろ
 やつらは強い者にパンを割り当て 狂人を裁き
 施しをし びた銭を二つに分けた
 やつらは屍(しかばね)に敬礼した
 やつらは礼儀正しく見せようと心砕いた

 やつらはごり押しに押しまくり
 大げさに言ってぺてんにかけた
 やつらはおれたちの世界のものではない

 ここには、エリュアールがロンドンの講演「詩的自明のこと」のなかで、この世の支配者たち、「死の顔をした怖るべき財宝」の所有者たちにたいして加えた非難攻撃のこだまが聞かれる。そういう怪物どもにたいして、無辜の人民の愛と希望が対置される。

 女たち子どもたちはおなじ宝をもつ
 春の新緑や清らかな乳や
 いのちの時間を
 その澄んだ眼のなかに

 そしてこの詩は、善意の人びとにむかって希望を呼びかけて終わる。

 男たちよ きみたちのためにこの宝は歌われた
 男たちよ きみたちのためにこの宝は浪費された

 真の男たちよ 絶望はきみたちにとって
 希望の火を燃えたたせる油となる
 さあいっしょに 未来への最後の芽をふくらませよう
                            (『自然の流れ』)

(新日本新書『エリュアール』)
 わたしの知っている詩人たち
                    ポール・エリュアール

わたしの知っている詩人たち
かれらの思い出は秋のように
くら闇のなかでも太陽の光をふやしてくれる

わたしの知っている詩人たち
生きているものや死んだもの 弱いものや強いもの
しあわせにみちたものや苦しみにみちたもの
そんなみんなをわたしは愛し理解した
あやまちだらけ いいところもいっぱい
じぶんから難破しようとしたものや
また 神の救いを信じたものをも

かれらのこころの塊(かたま)りは変った
あるときは灰に あるときは金に
かれらの言葉は聞こえた
それはだんだん昇っていった
あかつきのくちびるに沿って
無邪気の丘のうえに
空が灰いろに曇っていたときさえ
しかし 空の丸天井はかれらの頭上で崩れた
しかし 魅惑の泉は草のかげで涸れた
びっくりした詩人たちは叫びつづけた
 武器をとれと呼びかけ
正義と友愛をまもれと呼びかけた

そうして詩人たちは努力した
仲間たちに見習うように
そうしてわたしはアラゴンの家にたどりつき
そうしてわたしは聞いた アラゴンの語るのを
わたしに語り 胸をひらいて心を見せてくれるのを
かれのこころはまたわれわれみんなの心だ

『この世にはたくさんのひとたちがいる
わたしたち二人よりももっと感じやすいひとたちが
そうしてすばやくすべての秘密を見ぬく
たくさんの暗い眼と青い眼がある

じぶんの生活を人生をよくしようと
はっきりした意志をもったたくさんのひとたちがいるのだから
あすの朝の太陽は
かれらの力をまざまざと照しだすだろう』

わが友アラゴンとともに人々ははっきりじぶんを知ることができる
じぶんの力の限りで

そうしてじぶんの力の限りを越えて
じぶんの国境のうちがわで
そうしてじぶんの国境を越えて

国境ということばは めっかちのことばだ
世界を見るため 人間には二つの眼がある

わたしの知っているすべての詩人のうちで、アラゴンはいちばん理性をもった詩人だ。怪物どもに向ける理性を──そうしてわたしに向ける理性を。
彼はまっすぐな道をわたしに指し示してくれた。かれはきょうもまた、すべてのひとびとにその道を指し示している。不義不正とたたかうことは、じぶんの生活のため、希望の花さく生活のため、そうして世界を愛するためのたたかいだということを理解しないすべてのひとびとに。

<『角笛』3号、『エリュアール詩選』>
 愛する女
     一九二三年

彼女は わたしのまぶたのうえに立っている
彼女の髪は わたしの髪のなかにからむ
彼女は 愛撫するわたしの手の姿をし
彼女は わたしの眼の色をしている
彼女は わたしのくらやみのなかにとけこむ
空のなかに消え入る石のように

彼女はいつも眼をひらいていて
わたしを眠らせようとはしない
光りあふれる彼女の夢は
太陽の光りをも消しさり
わたしを笑わせ 泣かせ 笑わせ
言うこともないのに わたしに口をひらかせる

<『エリュアール詩選』1956年>
 エリュアール詩選 目次

まごころ
鉄かぶとをかぶった兵士たち
案じながら
一生けん命働け
おれたちの死

平和のための詩
恨みなしに
愛する女
はだかの真実
わたしの知っている詩人たち
一九三六年十一月
勇気を
よき正義
脅かされる勝利
詩はじっさいの真理を目的としなけれはならない
詩の批判
メッセージ
ヨシフ・スターリン
詩人の栄光
ゲルニカの勝利
アンリ・マルタンの確信
プラーグの 春の一夜
ルイス・カルロス・プレステス
もっと遠くへ
われら二人の人生
恍惚
墓碑銘
アラゴンのエリュアール論(訳者)

<『エリュアール詩選』大島博光訳 緑書房 1956年>
 恍 惚
          ポール・エリュアール

この女の風景をまえにして
わたしは 火をまえにした子どものようだ
ほのかにほほえみ 眼には涙をうかべ
この風景をまえにして わたしのなかですべてがざわめく
ならんだ二つの季節のような 二つのあらわな肉体を映しながら
鏡たちは たがいに曇らしあい 照らしあう

この地平線のない空のした この道のない大地のうえで
わたしには 迷いこむ たくさんの理由(わけ)がある
そのかずかずのうつくしい理由を きのうまで わたしは知らなかった
これからは もうけっして忘れぬだろう
まなざしの うつくしい鍵 娘たちそのものをとく鍵
この風景をまえにして 自然はわたしのものだ
何よりも よい理由
おなじひとつになった星
火 さいしょの火をまえにして

大地のうえ空のした わたしのこころのそとで うちがわで
二番めのつぼみ さいしょの緑の若葉
海は その翼で おおいかくす
そして わたしたちにうち勝った太陽
この女の風景をまえにして
わたしは 火のなかの一本の木の枝のようだ

<『エリュアール詩選』1956年>
 詩人の栄光  ウラジミール・マヤコフスキーについて
                    ポール・エリュアール/大島博光訳

かれは羊毛のように優しく
絹のように気高かった
かれはおとめの手よりも
もっと弱々しい手をしていた

子供たちに語るすべを知っていたし
そぼくなひとたちに語るすべを知っていた
こどもみたいな母親よりももっと
かれには無邪気さがあふれていた

誰にも見えないようなものを
かれは見ぬく眼をもっていた
疲れがつくりだすさまざまな地獄や
死をもたら埃(ほこり)まで

かれは照りかえして歌った 科学を
大きな野心にみちた労働を
綿密に闘争を
希望がかれをみちびくままに

かれは大砲のように
人民の勝利を叫んだ
かれはまず生命を髪のようにかき乱し
それから上の方からその髪をゆった

闇のなかでも山のうえでも
かれの正義はすっくと立っていた
すべての彫像のまえで光景のまえで
かれは泣くことも笑うことも知っていた

愛撫では愛情ぶかい手をしていたが
かれの怒りは敵を恐れおののかせた
そんなときかれはじぶんの肉体を
敵の火に面とぶつけた

かれの敵は滅び去ったが
かれは生き残った
もっとも素朴なひとたちの心にも
かれの血はかき立て回した

人類の旋盤を

(『角笛』1952年6月、『エリュアール詩選』1956年)

 一九五二年には、エリュアールはまた「ピカソ・デッサン」と題するピカソ論を書く。思えば、詩人は生涯を通じてピカソに多くの詩やエッセイをささげてきた。二人の友情についてはすでに「ゲルニカの勝利」を扱った章で触れたが、ここで少し書き足しておこう。
 エリュアールはシュールレアリスムの時代からピカソを知っていた。しかしこの詩人と画家の友情が、おたがいの創作活動の協力へと発展するのは一九三六年からである。エリュアールの詩集『豊かな眼』(一九三八年)から『ドイツ軍の集合地で』(一九四四年)『平和の顔』(一九五一年)にいたる多くの詩集は、ピカソのデッサン、油彩、石版画などの造形的な注釈によって飾られる。
 エリュアールの詩にたいするピカソの影響は、社会的現実をうたう序曲となった『民衆の薔薇』(一九三四年)から『ひとりの地平から万人の地平へ』の移行へと、だんだん強くなる。画家も詩人も人民のなかへ入ってゆく。芸術に希望を与える根本的な力、生ける真実は人民のなかにあるからである。詩人と画家はめいめいの作品において協力し、たがいに霊感を与え合う。例えば、ピカソに贈った「画家の仕事」なかで、エリユアールは画家を両刃(もろは)の剣を持った自由の化身として歌っている。

  盲人のように狂人のように
  きみは鋭い剣を突き立てる 空虚のなかに・・・

  きみは鋭い剣を突き立てた
  逆風にひるがえる旗のように・・・

 詩人と画家はおなじ言葉を語り、おなじ言葉を書き、描く。一九五二年に描かれたピカソの壁画──ヴァローリスの「平和の殿堂」の壁を飾っている「戦争」のパネルにおいては、画面の左のはじに、平和の戦士が正義の剣を右手にもって剣をまっすぐ突き立てて構えている。左手には象徴的なミネルヴァと鳩の紋章のついた楯をもって、破壊と死をあらわす不吉な戦争の柩車をおしとどめるように、これに面と向かって立ちはだかっている。<ピカソの「戦争と平和」>
 またつぎのような詩句がある。

  荒野の家の窓べの
  牡牛の耳──その家に傷ついた太陽
  一つの内なる太陽がひきこもる
           (『見せてくれる』──「パブロ・ピカソに」)

 シャルル・バシャが指摘するように、この世界にむかってそばたてた「牡牛の耳」 に、ピカソの「赤い牡牛の頭の静物」の模写を見ることができよう。「傷ついた太陽」とは「内なる眼」である。ピカソのその内なる眼について、エリユアールは書く。
 「ピカソの寛大高潔な精神は仕事によって説明される。それはすべてを見ることに熱中する視覚による仕事である。つまり、人間が理解し、認め、あるいは変形させうる、描き、描き変えうるすべてを、人間史のエクランのうえに投影することに没頭し、熱中する視覚による仕事である」 (「ピカソ・デッサン」)

  きみが眼を見開くと眼はおのれの道をゆく
  すべての年齢(とし)の自然なものたちのなかを
  きみは自然なものたちをとりいれて
  すべての時代のために種子を播く
             (「パブロ・ピカソに」)

<新日本新書『エリュアール』>
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