千曲川

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千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。


べんけいわく
切られた千曲川のポプラを供養しようと弁慶ワクに行きましたが、切り株も、切った形跡もありません。
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今朝、ポプラをみにいきました。夕べまでポプラのなくなっていることに気付きませんでした。毎日一度はながめていたのに。行ってみて、何かおかしい、締まりのない感じがしていた原因がどこにあったか分かりました。
でもショックでした。ポプラのなくなっていることに気付かなかったことが。
松代中学の校歌に ポプラが歌う土手こえて アルプス匂う夏の日や(尾崎喜八作詞 )とあって千曲川とポプラは一体のものであったのに。
その昔、長谷川健先生らが運動して残したポプラだったのに。

千曲川のポプラの話は博光が「あのうつくしいポプラ林が伐切された後のベンケイワクは、さぞのっぺらぼうになっていることだろう」と書いていますが、同じ情景が再現されてしまいました。

信州と私(5)
秋の千曲川
                                    大島博光

 戦争ちゅう、故郷の松代に疎開した。からだを悪くしていたので、毎日のように、千曲川べりでぶらぶらしていた。
 その頃、釣りをしてみないか、と誘われて、鯉釣りを始めた。すると、たちまち、釣り竿の先をはげしく揺すぶって、大きな鯉がかかった。竿にかかっても、どのようにして上げるものやら、わからない。タモの用意もない。あわてて引きあげようとしたから、たちまち釣針からはずれたのか、糸が切れたのか、逃げられてしまった。これがやみつきとなって、毎日のように鯉釣りに通った。
 たいていは、松代の西にあたる、俗称ベンケイワクというチンショウのある場所で、このあたりでも有名な釣り場となっていた。岸べには、亭亭と伸びた、みごとなポプラ林があり、北へ遠く伸びている流れと調和して、うつくしい眺めであった。
 きくところによると、このポプラ林は、数年前、建設省かどこかの役人のために、住民の反対にもかかわらず、切られてしまったらしい。ここにも血の通わぬお役所仕事があるように思われる。
 あのポプラ林は、風景のいい、松代市民の憩いの場所であっただけでなく、洪水のおりの護岸の役割を果たしていたのである。つまり、あのポプラ林は、千曲川の流れが、ほとんど直角に向きを変える、直角のところに立って、三、四百メートルつづいていたのだから、洪水が岸をけずりとるのを、その根でふせいでいたのだ。ふせぎきれずに、ポプラの大樹が、根こそぎ、洪水にうち倒されて、根株を無残にむき出していることもあった。
 あのうつくしいポプラ林が伐切された後のベンケイワクは、さぞのっぺらぼうになっていることだろう。
 毎年、秋になると、釣り竿をかついで、行ってみたいなあ、と思うのだが、│思うばかりか、夢にまで見るのだが、ここ数年、行けずじまいである。
 千曲川の水も汚くなって鯉も少なくなった、という風の便りもある。それにしても、ポプラの木の葉が黄いろく色づいて、それが秋の陽にちらちらと舞いながら清らかな水のうえに散りかかる頃の釣り心地はわすれられない。
  松代から北へくだって、小島田村の地域の寺尾橋の上下も、わたしのよく通った釣り場である。寺尾橋の上の左岸の小川の落ち尻には、やはり柳の巨木があって、格好の日蔭をつくっていた。あの落ち尻は、三尺級の大物が、よく釣れる釣り場だったが、いまはどうなっているだろうか。あそこでわたしが釣りあげた大物は、一貫六百匁位あった。その頃はまだ、こういう度量衡で計っていたのである。
 鯉が釣れずに、上流から流れてきた、青い皮をつけたままのくるみの実を拾ったことも、なつかしく思い出される。
一九七三年一〇月二一日「民主長野」


千曲川
前日まではむせかえるような真夏の緑だったのですが・・・
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赤坂橋赤坂橋

開通式にいってきました。
橋の名称を見ると、赤坂橋となっていました。 ”新”はつかないようでした。
市長、国会議員などの手によりテープカット。一家3世代による渡り初め、子ど
も勝ちどき太鼓の演奏。
新しい橋から見える風景は、見慣れた風景であるにも関わらず視点がずいぶん高
くなっていて、初めて見る風景の様でした。千曲川の水面からは遠くなりました。
太鼓を響かせ獅子・神楽が舞われ,シャッターを切る人でごった返す橋の下流
で、古い橋は静かに最後の仕事をしていました。
お年寄りに促すと、「昔の、木の橋の時代は大雨が降ると大変だった・・・」
と話し始め、「半鐘が鳴ると男衆が飛び出していき、橋桁の上に並べられた板を
抱えて袂まで戻ってくる。その繰り返しで板を全部外して橋流れを防いだもん
だ」と。
見上げると、天井は雲の中に隠れそうな大きな新しい橋。
市民新聞の記者が寄ってきて、「友よ 友よ・・ いいですね」と声をかけて
くれました。
5時で古い橋は通行止めになります。
5時から新しい橋は,人と車を支え渡し、新しい時間が始まります。