ぶうわの日記

ここでは、「ぶうわの日記」 に関する記事を紹介しています。
千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。


絵日記

8月7日 日曜日
かとうくんといのがしらにさかなをとりにいこうとして ぼくのじてん車でいっしょに行った。
いのがしらにつくと きゅうにあめがふってきたので きのしたであまやどりをしていたがやまないのでそのままじてんしゃで帰っていった。でもびっしょりになってしまった。おひるすぎからかとうくんとしょうぎをしたりした。

*井の頭公園はとても大きな公園で、バス通りの西側が動物園、東側が低地になり、水族館と大きな池があります。この池がボート遊びができ、春は桜がみごとに咲いて一番人気のあるところです。大きな池の最後が小さな川(神田川?)になって流れ出ます。ここが子どもの釣り遊びの場所で、ザリガニやフナをとりました。上を京王電鉄の井の頭線が走ります。
井の頭公園にいた砂漠のキツネ
井の頭公園の桜


絵日記

8月6日 土曜日
べんきょうをすましたりしてから かとうくんとせみをとりにいった。とれたのはひぐらしを二ひきとあぶらぜみ一ぴきの三びきだった。せみとりがすんでからかとうくんにじてんしゃのれんしゅうをさしてくれた。
夕方いのがしらのはなび火があるので、うちじゅうで中西のへいのまえで見た。つづけて十もあがるはなびや一どにいっぱいでるはなびをみた。

*子供用自転車は母に泣き騒いでせがんで買ってもらいました。余裕が無いころで大変だったと思います。
*井の頭公園は家から3〜4キロは離れているのですが、よく見えたのですね。

絵日記

8月5日 金曜日 晴
きょうはがっこうへいく日なので、あさごはんをたべてからがっこうへいった。
ちょうれいがあるのでみんなごうれいだいのまえにならんだ。ちょうれいがおわってからきょうしつで三くみの子たちと本にまるをつけた。それが二、三ページでおわった。
それからくさがはえているのでみんなで草をとった。
夕方おかあさんたちとえいがを見にいった。まんがのえいがとビニロンと東京ものがたりの三つをした。とちゅうであかばねくんのおかあさんと一ねんにもあがっていない女の子におとうさんの三人にあって おわるときいっしょにかえった。
弟はねてしまった。赤ばねくんのおとうさんが弟をおぶってとちゅうまできてくれた。弟はそこからみんなとあるいて帰った。おとうさんはまだかいぎからかえっていなかった。

*映画は小学校の校庭でやった野外映画会だったと思います。「東京物語」は見た記憶がありますが、理解できたのでしょうか?ビニロンは覚えていません。子供向けの映画だったのでしょうか?
この頃はたびたび野外映画会をやっていたのですね。

絵日記

8月4日 木曜日
もりにせみとりにいった。あぶらぜみが大かったけど、たいがいのはにがした。ぜんぶであぶらぜみがおすめす一ぴきづつで、にいにいぜみがおす一ぴきの三びきでした。
とちゅうで ぼくのくみのてるちゃんにあいました。うちにかえって おかあさんがおつかいにいっていると もも子がうちのふかいほうのいけにおっこちてしまいました。そばにいた弟がいそいでたすけたのでたすかりました。

*この頃は家の南側は麦畑が広がっていました。歩いて5、6分のところに雑木林があり、セミやクワガタを捕りによく行きました。その西側には鬱蒼とした藪の森があり、ここにはなかなか入れませんでしたが、甘い桑の実がなっていました。その西に三福というパン工場があり、イースト菌の美味しそうな匂いが流れてきました。今は大成高校のグラウンドになっています。まわりが宅地化されたあとも雑木林は残されて「どんぐり公園」の名で親しまれ、博光さんの散歩コースにもなっていましたが、今はマンションになってしまいました。

どんぐり公園
みんなが遊んだどんぐり公園が大きなマンションに。つきあたりが都営住宅。この辺りに博光が書いた「マチスの壁」があるはずですが、この日は見つかりませんでした。(2017年4月)
絵日記

8月3日 水曜日 曇りのち雨
おふろに水をいれたりしていると空がくもってきたので いそいでまきやせきたんをばけつにいれたりしてもって おふろばにいれておいた。そうしているうちに そらがまっくらになって あめがいっぱいふってきました。うちにはいっておとうさんやもも子たちと外をみていました。このまえのえいが「さばくはいきている」のようでした・。むこうのほうからどんどん水がながれて にわじゅうが水だらけになりました。

*風呂に水を入れるのも、沸かすのも子供の仕事でした。井戸で水を汲んでバケツで運ぶのが大仕事でした。大変なので、水の入れ替えは毎日はしませんでした。一週間も替えないと白く濁ってくるのですね。
*「砂漠は生きている」は天然色の美しい記録映画で、サソリのダンスのシーンが面白くて覚えています。ディズニー映画だと思いますが、だいぶ評判でした。たしか海の記録映画もありましたね。


絵日記

8月2日 火曜日
おかあさんに本をかってもらった。小学三年生という本だった。ふろくはでんわのふろくだった。
いっしょうけんめいにでんわをくみたてたが できなかった。
それからしばらくその本をよんでいた。夕方ほかりくんたちとしんぶん紙やござをもってけいさつのまえのひろばにえいがをみにいった。
あとからおかあさんたちがきた。

*この頃、三鷹警察署は三鷹駅から南にのびる三鷹銀座の通りの先、今よりずっと駅に近いいい場所にありました。向かい側に「ひばり園」があり、まわりに空き地も多かったようです。今ではミニマンションが立ち並ぶつまらない町並みになってしまいました。<ひばり園と園長先生のこと

絵日記

8月1日 月曜日
きょうはがっこうへいきました。ぼくはえんげきはんでした。
ぼくたちの外川先生もいました。にんぎょうげきを二つとかみしばいを二つしました。
うちにかえってから すいかをたべたり外川先生におそわったにんぎょうげきのゆびにんぎょうをつくった。
おひるがすぎてからピアノの先生のところへおかあさんといっしょにいった。
えびがにはにげないでいた。

*外川先生は担任だった女の先生。お年を召されていて、「意地悪な魔法使いのおばあさん」がぴったりのイメージ。子ども達にとっては人気がなかったと思いますが、この日記にはきちんと目を通して赤ペンを入れています。最後のページには<大へんりっぱなえにっきです。級として最上のものです。保存しておきましょう。>と書いてくれました。先生の良さが小学三年生にはわからなかったのでしょう。

*ピアノの先生は第六小学校の音楽専任の山本先生。この先生も怖い(と子供が思った)先生でした。ピアノをひくときは指を直角に曲げて鍵盤を押すように厳しく教えられました。前にも書きましたが、夜、ピアノの練習で先生の家に入るときは猛犬の襲撃から逃げ回りながら入らなければならないので、悪夢のようなレッスンでした。<母とヴァイオリン

絵日記

7月31日 日曜日

かんけりをしていると おかあさん帰ってきたので うちに帰りました。
うちにかえってから おかあさんたちとすいかをたべた。
おひるすぎにさかいさんがきた。
おとうさんがひさとみさんのところへいくので さかいさんにたのんで しばらくうちのるすばんをしていきました。
よる おかあさんが えびがににあげるするめをかってきた。

*さかいさん:酒井輝雄さん。近くに住んでいた博光の同志で、よく家に来ました。松代出身なので、松代で博光と知り合って三鷹に出てきたのかもしれません。労働者党員の典型のような、人が良くて楽天的な人でした。大島生花園で働いていた藤子さんと結婚しました。<酒井輝雄君の結婚仮祝言

*ひさとみさん:久富徳松さん。三鷹の共産党の草分けのような戦前からの活動家。地方議員をしながら南浦で小さなパン工場を経営していたような気がします。その工場(事務所)には会合などで博光さんのお供をして行きました。<『三鷹事件の真相を究明し、語り継ぐ会』梁田政方さんからの手紙




絵日記

7月30日 土曜日
きんちゃんがえびがにを二ひきくれた。
ぼくは「どこからとってきたの」というと きんちゃんが「おにいさんがたま川からとってきたの」といった。ぼくはおれいをゆって べんとうばこにいれた。
「あしたのあさ うちのいけにはなそう」と弟とそうだんしてから にげないようにべんとうばこのうえにあみをはった。

*穂苅君の兄弟とは一番良く遊びました。兄がわたしの一年上、弟のきんちゃんは一年下で秋光と同学年でした。家は道をはさんだ北側にあり、広い裏庭で遊びました。ある日、一緒に楽しく歌を歌っていると、お父さんがジロット目を光らせました。仕事が刑事だったのです。

魚拓

7月29日 金曜日
おふろにはいっていると おとうさんが、たま川から大きいこいをつってきたので いそいでいどのところへみにいった。
おふろから上ってから よくこいをみておいた。おとうさんがぎょたくをした。
こいはもうしにそうだった・
あしたはこいこくをしてもらうのです。

*鯉こくは鯉を輪切りにして味噌汁に入れて煮る料理。鯉の旨味・風味と味噌の味が合わさって独特の美味しさがあります。鯉は静江さんがさばきましたが、一番大事なのは最初にキモ(胆のう)を取り外すことです。うまく取り出せないと苦い味がついてしまうのです。

釣り
多摩川にて


絵日記

7月28日 木曜日
きんちゃんとせみとかぶとをつくって木にとまらせてあそんだ。
あとからほかりくんがはいった。あぶらぜみをとまらせたり ひぐらしをとまらせたりしてから ほうきでせみをおとしてとったりしてあそんで。
うちにかえるとよごれているので おふろにはいった。


日記

7月27日 水曜日 晴
せみをとりにいってから かとうくんのうちでお金しょうぎをした。
かとうくんのお兄さんとぼくとくんで かとうくんとほかりくんとがくみました。ぼくは一かい百円をだしました。
お金しょうぎはぼくたちのまけでした。すこしたってからみのるちゃんやほかりくんたちとでべやきゅうをした。
夜におかあさんがすいかをかってきてくれました。ももこや弟におねしょをしないようにゆってから すいかを食べた。


桃

7月26日 火曜日 晴
きょうのあさラジオたいそうにいってから みんなでうちのももをとりました。
ぼくがももを二つもっていると もも子がももというので一つもも子にもたせました。
弟は木にのぼって ももをとったりしました。もも子がももを二つもたべてしまいました。
ほとけさまにももをあげました。あさごはんをたべてから おきゃくさんがきたので ももを二つあげました。

*庭に水蜜桃の木が一本あり、毎年甘い果汁たっぷりの実を成らせていました。
*家には仏壇がないのに仏様がいました。奇しくも5年前の1950年7月26日、静江の弟の鈴木久男が伊豆の海で亡くなり、静江は遺影を本棚に飾り、毎日祈りをささげていました。(「美しき若者への挽歌」)


絵日記

7月25日 金曜日 晴
しのずかさんのうちに きんぎょを一ぴきと きんぎょの子どもを四、五ひき かんからにいれて もっていきました。しのずかさんのうちにはきんぎょが二ひきいたけれど 一ぴきしんでしまったので きんぎょをもっていってあげるのです。しのずかさんがなごやからもってきたももを五つもかごにいれてくれました。ぼくはおれいをゆって うちにさっさと帰りました。

*篠塚さんは市営住宅に住んでいたインテリの夫妻。奥さんが「こどものアトリエ」を開いていて、ぶうわと弟がここに通って絵を教わっていました。「♫むかし アヒルは からだが おおきくて・・・♫」という歌を教わったのが懐かしい思い出。博光さんと知り合いだったようですが、くわしくはわかりません。


絵日記

7月24日 日曜日 晴
うちじゅうで80円のすいかをたべた。
さらのうえにのせてたべた。おとうとのは すいかから しるがたれていました。
8分くらいですいかをたべてしまいました。
おひるすぎにこうりメロンをたべた。ぼうしをわすれたので おじさんがぼうしをもってきてくれました。かえりにのぶおちゃんがじてん車にのっけてくれた。

*日曜日で母もお店(花屋)が休業なので、家族がそろって一緒にスイカを食べられたのですね。