ぶうわの日記

ここでは、「ぶうわの日記」 に関する記事を紹介しています。
千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。


絵日記

8月3日 水曜日 曇りのち雨
おふろに水をいれたりしていると空がくもってきたので いそいでまきやせきたんをばけつにいれたりしてもって おふろばにいれておいた。そうしているうちに そらがまっくらになって あめがいっぱいふってきました。うちにはいっておとうさんやもも子たちと外をみていました。このまえのえいが「さばくはいきている」のようでした・。むこうのほうからどんどん水がながれて にわじゅうが水だらけになりました。

*風呂に水を入れるのも、沸かすのも子供の仕事でした。井戸で水を汲んでバケツで運ぶのが大仕事でした。大変なので、水の入れ替えは毎日はしませんでした。一週間も替えないと白く濁ってくるのですね。
*「砂漠は生きている」は天然色の美しい記録映画で、サソリのダンスのシーンが面白くて覚えています。ディズニー映画だと思いますが、だいぶ評判でした。たしか海の記録映画もありましたね。


絵日記

8月2日 火曜日
おかあさんに本をかってもらった。小学三年生という本だった。ふろくはでんわのふろくだった。
いっしょうけんめいにでんわをくみたてたが できなかった。
それからしばらくその本をよんでいた。夕方ほかりくんたちとしんぶん紙やござをもってけいさつのまえのひろばにえいがをみにいった。
あとからおかあさんたちがきた。

*この頃、三鷹警察署は三鷹駅から南にのびる三鷹銀座の通りの先、今よりずっと駅に近いいい場所にありました。向かい側に「ひばり園」があり、まわりに空き地も多かったようです。今ではミニマンションが立ち並ぶつまらない町並みになってしまいました。<ひばり園と園長先生のこと

絵日記

8月1日 月曜日
きょうはがっこうへいきました。ぼくはえんげきはんでした。
ぼくたちの外川先生もいました。にんぎょうげきを二つとかみしばいを二つしました。
うちにかえってから すいかをたべたり外川先生におそわったにんぎょうげきのゆびにんぎょうをつくった。
おひるがすぎてからピアノの先生のところへおかあさんといっしょにいった。
えびがにはにげないでいた。

*外川先生は担任だった女の先生。お年を召されていて、「意地悪な魔法使いのおばあさん」がぴったりのイメージ。子ども達にとっては人気がなかったと思いますが、この日記にはきちんと目を通して赤ペンを入れています。最後のページには<大へんりっぱなえにっきです。級として最上のものです。保存しておきましょう。>と書いてくれました。先生の良さが小学三年生にはわからなかったのでしょう。

*ピアノの先生は第六小学校の音楽専任の山本先生。この先生も怖い(と子供が思った)先生でした。ピアノをひくときは指を直角に曲げて鍵盤を押すように厳しく教えられました。前にも書きましたが、夜、ピアノの練習で先生の家に入るときは猛犬の襲撃から逃げ回りながら入らなければならないので、悪夢のようなレッスンでした。<母とヴァイオリン

絵日記

7月31日 日曜日

かんけりをしていると おかあさん帰ってきたので うちに帰りました。
うちにかえってから おかあさんたちとすいかをたべた。
おひるすぎにさかいさんがきた。
おとうさんがひさとみさんのところへいくので さかいさんにたのんで しばらくうちのるすばんをしていきました。
よる おかあさんが えびがににあげるするめをかってきた。

*さかいさん:酒井輝雄さん。近くに住んでいた博光の同志で、よく家に来ました。松代出身なので、松代で博光と知り合って三鷹に出てきたのかもしれません。労働者党員の典型のような、人が良くて楽天的な人でした。大島生花園で働いていた藤子さんと結婚しました。<酒井輝雄君の結婚仮祝言

*ひさとみさん:久富徳松さん。三鷹の共産党の草分けのような戦前からの活動家。地方議員をしながら南浦で小さなパン工場を経営していたような気がします。その工場(事務所)には会合などで博光さんのお供をして行きました。<『三鷹事件の真相を究明し、語り継ぐ会』梁田政方さんからの手紙




絵日記

7月30日 土曜日
きんちゃんがえびがにを二ひきくれた。
ぼくは「どこからとってきたの」というと きんちゃんが「おにいさんがたま川からとってきたの」といった。ぼくはおれいをゆって べんとうばこにいれた。
「あしたのあさ うちのいけにはなそう」と弟とそうだんしてから にげないようにべんとうばこのうえにあみをはった。

*穂苅君の兄弟とは一番良く遊びました。兄がわたしの一年上、弟のきんちゃんは一年下で秋光と同学年でした。家は道をはさんだ北側にあり、広い裏庭で遊びました。ある日、一緒に楽しく歌を歌っていると、お父さんがジロット目を光らせました。仕事が刑事だったのです。

魚拓

7月29日 金曜日
おふろにはいっていると おとうさんが、たま川から大きいこいをつってきたので いそいでいどのところへみにいった。
おふろから上ってから よくこいをみておいた。おとうさんがぎょたくをした。
こいはもうしにそうだった・
あしたはこいこくをしてもらうのです。

*鯉こくは鯉を輪切りにして味噌汁に入れて煮る料理。鯉の旨味・風味と味噌の味が合わさって独特の美味しさがあります。鯉は静江さんがさばきましたが、一番大事なのは最初にキモ(胆のう)を取り外すことです。うまく取り出せないと苦い味がついてしまうのです。

釣り
多摩川にて


絵日記

7月28日 木曜日
きんちゃんとせみとかぶとをつくって木にとまらせてあそんだ。
あとからほかりくんがはいった。あぶらぜみをとまらせたり ひぐらしをとまらせたりしてから ほうきでせみをおとしてとったりしてあそんで。
うちにかえるとよごれているので おふろにはいった。


日記

7月27日 水曜日 晴
せみをとりにいってから かとうくんのうちでお金しょうぎをした。
かとうくんのお兄さんとぼくとくんで かとうくんとほかりくんとがくみました。ぼくは一かい百円をだしました。
お金しょうぎはぼくたちのまけでした。すこしたってからみのるちゃんやほかりくんたちとでべやきゅうをした。
夜におかあさんがすいかをかってきてくれました。ももこや弟におねしょをしないようにゆってから すいかを食べた。


桃

7月26日 火曜日 晴
きょうのあさラジオたいそうにいってから みんなでうちのももをとりました。
ぼくがももを二つもっていると もも子がももというので一つもも子にもたせました。
弟は木にのぼって ももをとったりしました。もも子がももを二つもたべてしまいました。
ほとけさまにももをあげました。あさごはんをたべてから おきゃくさんがきたので ももを二つあげました。

*庭に水蜜桃の木が一本あり、毎年甘い果汁たっぷりの実を成らせていました。
*家には仏壇がないのに仏様がいました。奇しくも5年前の1950年7月26日、静江の弟の鈴木久男が伊豆の海で亡くなり、静江は遺影を本棚に飾り、毎日祈りをささげていました。(「美しき若者への挽歌」)


絵日記

7月25日 金曜日 晴
しのずかさんのうちに きんぎょを一ぴきと きんぎょの子どもを四、五ひき かんからにいれて もっていきました。しのずかさんのうちにはきんぎょが二ひきいたけれど 一ぴきしんでしまったので きんぎょをもっていってあげるのです。しのずかさんがなごやからもってきたももを五つもかごにいれてくれました。ぼくはおれいをゆって うちにさっさと帰りました。

*篠塚さんは市営住宅に住んでいたインテリの夫妻。奥さんが「こどものアトリエ」を開いていて、ぶうわと弟がここに通って絵を教わっていました。「♫むかし アヒルは からだが おおきくて・・・♫」という歌を教わったのが懐かしい思い出。博光さんと知り合いだったようですが、くわしくはわかりません。


絵日記

7月24日 日曜日 晴
うちじゅうで80円のすいかをたべた。
さらのうえにのせてたべた。おとうとのは すいかから しるがたれていました。
8分くらいですいかをたべてしまいました。
おひるすぎにこうりメロンをたべた。ぼうしをわすれたので おじさんがぼうしをもってきてくれました。かえりにのぶおちゃんがじてん車にのっけてくれた。

*日曜日で母もお店(花屋)が休業なので、家族がそろって一緒にスイカを食べられたのですね。

絵日記723


7月23日 土曜日
ゆうがた おふろにはいって ゆかたにきかえて だい六小学校にえいがを見に行った。だい六につくと ほかりくんたちやござにいたので いれてもらいました。しばらくすると えいがをしはじめました。東京ニュウスがいちばんはじめでした。まんがもしました。
マラソンのえいががおも白かった。ぜんぶで三つした。帰る時とちゅうでおかあさんがむかえにきた。

*校庭の上に張られたスクリーンは夜風に吹かれて映像が揺れました。漫画はディズニーのミッキーマウスだったと思います。テレビがない時代、学校でやる映画が一番の娯楽でした、「風の又三郎」や「われは海の子」を見たことを覚えています。
絵日記722

7月22日 金曜日
ほかりくんとでべやきゅうをした。
ぼくはキャッチャーでした。
さくらいくんとほかりくんがホームランをうちました。とちゅうのくみかえをしました。ぼくのほうは ほかりくんにきんちゃんの三人でした。
やきゅうはぼくたちのほうがかちました。
よるおふろにはいった。

*でべ野球:ゴムのボールを使い、投手はホームベースの前でワンバウンドするように投げる。バッターは握りこぶしをバット代わりにして打ちます。タイミングが取りやすいので打つのが面白かった。
*近所に空き地があり、子どもたちはここで野球や相撲、チャンバラなどをして遊びました。



絵日記

7月21日 木曜日
ほかりくんたちとくちくすいらいをした。ぼくたちのほうは、ぼくがたいしょう、中学一年の早川くんがすいらいで、ほかリくんの弟のきんちゃんがくちくでした。むこうのでんしんばしらとこっちのでんしんばしらがじんちです。ぼくは三年二組さくらいくんにつかまえられましたが、もういっかいやりなおしました。
おかあさんがくつしたをかってきてくれました。

絵日記
絵日記


小学3年の時の絵日記がでてきました。60年も前のふだんの生活や友だちのことがわかって懐かしいです。
絵はいい感じですが、年令の割に文章が拙く、漢字が使えていなくてショック。最後のページに担任の先生のコメントが書いてありました。<大へんりっぱなえにっきです。級として最上のものです。保存しておきましょう。>
*自分のことをぶうわと呼んでいました。母親が「坊や」と呼んだことが語源だったそうで、結婚した時に相手から使用禁止を命じられました。