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パブロ・ネルーダ Pablo Neruda

ここでは、「パブロ・ネルーダ Pablo Neruda」 に関する記事を紹介しています。
千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。


『基本的なもののオード集』

 「チリに帰った詩人は、ようやく静かな詩作の数年を過すことができた。
 「一九五二年八月から一九五七年四月までの数年は、わたしの回想録では詳しく描かれないだろう。というのは、その時期をわたしはほとんどチリで過して、わたしの読者を楽しませるような特別なことは何も起らなかったからである。そこでいくつか重要なことを列挙するにとどめよう。わたしは書きあげたばかりの詩集『葡萄畑と風』を出版した。わたしは『基本的なもののオード集』『新しい基本的なもののオード集』そして『第三のオード集』の制作に一生懸命とりくんだ。わたしは大陸文化会議をサンティアゴに組織したが、この会議にはアメリカじゅうの重要な人物が参加してくれた。やはりサンティアゴで、わたしの五〇歳の祝いが行われた……わたしはデリア・デル・カリルときっぱりと離婚した。わたしの家『ラ・チャスコナ』を建てて、そこにマチルデ・ウルティアといっしょに移り住んだ……」(『回想録』)

 『基本的なもののオード集』(一九五四年)は、題名の示すように、この世界を構成する基本的「なもの|パン、野菜、鳥、猫、大地、海、愛など人間が日日に出会うものを平明に歌っている。それら、自然、現実、物との情熱的な対話のなかでも、生命の力は躍動し、詩人は愛をうたい、平和をうたい、不義不正や死とたたかっている。「原子へのオード」は、「鉱石のなかに埋もれているかに見えた」原子が「戦争屋」によって核兵器に変えられ、ヒロシマに落とされた歴史を衝撃的に描き、核が平和に役立つようにと訴えている。
(つづく:原子へのオード

新日本新書『パブロ・ネルーダ』

波




亡命


(新日本新書『パブロ・ネルーダ』)

河


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ユリウス・フチーク


(新日本新書『パブロ・ネルーダ』)

弓



[亡命・ヨーロッパで(4)「ユリウス・フチークとの対話」]の続きを読む
 一九四九年八月には、メキシコでひらかれた平和大会に、ネルーダはエリュアールといっしよに参加する。エリュアールは数年前に愛妻ニューシュを失って、まだ途方にくれているような状態にいた。ネルーダはその旅行の模様を書き残している。
 「メキシコにわれわれはいっしょに旅行したが、そのとき初めてわたしは暗い深淵のふちに立っている彼を見た。
 彼は悄然としていた。わたしはこの中央フランスの男を説得して、この遠い土地に引っぱってきた。ところが、われわれがホセ・クレメンテ・オロスコを埋葬した同じ日に、わたしは危険な静脈炎にかかって、四ヶ月のあいだベッドにくくりつけられた。ポール・エリュアールは孤独を感じていた。盲目の探険家にも似た孤立無援の窮状のなかで、暗澹として孤独を感じていた。彼には知り合いもなければ、扉をひらいて迎えてくれるものもいなかった。彼にはやもめ暮らしが重くのしかかっていた。彼は愛もなくひとりぼっちでいた。彼はわたしに言った。『われわれには、いっしょに人生をみつめ、人生のすべての瞬間(とき)を分ちあうような誰かが必要なのだ。わたしの孤独は非現実的だ、犯罪的だよ」と。
 わたしは友人たちに電話をして、彼を無理矢理に外へ連れ出させた。友人たちは気の進まない彼を連れて、メキシコの道を歩きまわった。ある曲がり角で、彼は恋人にでっくわしたのだ。最後の恋人ドミニックに」

しかし、恋人に出会ったのはエリュアールだけではなかった。ネルーダ自身も新しい愛人に再会したのだ。この大会の会場に、チリの声楽家マチルデ・ウルティアがネルーダを訪ねてきたのである。ネルーダがマチルデと最初に会ったのは一九四六年の春で、サンティアゴにおいてであった。そのときマチルデはメキシコに住んで、音楽の勉強をしていた。ネルーダが平和大会に出席するという新聞記事を読んで、彼女は訪ねてきたのだった……。こうしてここに二人の新しい愛の物語が始まる。
(つづく)
(新日本新書『パブロ・ネルーダ』)

ドミニク
 亡命・ヨーロッパで

 一九四九年二月、アンデスを越えて、アルゼンチン側のサン・マルティンに着いたネルーダは、ブエノス・アイレスを通り、パラグァイに行って、そこから偽のパスポートで空路ヨーロッパへ向かう。

 四月二〇日、パリのプレイエル・ホールで第一回世界平和大会がひらかれた。ピカソの鳩のポスターが初めてパリの街に貼りめぐらされた。この大会は、とつぜん満場の拍手をもって珍客を迎えることになる。──国際的な官憲の追及と監視の眼をくぐって、パブロ・ネルーダが会場に姿をあらわしたのだ。この大会ではまた、ピカソが発言をもとめて、国際警察によるネルーダ追及を非難し、その追及をやめさせ、ネルーダを擁護するように訴えた。ネルーダはそのことを回想して書いている。

 「わたしは数日ホテル・ジョージュ五世に泊ったが、わたしのアンデスの山男のいでたちが、金持ちで優雅なホテルの客たちの間では不釣合いだったことなど、あまり気にもかけなかった。ピカソがひょっこり現われたのはそのときだ。かれの親切はその天才と同じように偉大だった。ピカソは、生涯で最初の演説をしたばかりで、子どものようにうれしそうだった。その演説はわたしの詩やわたしの受けていた迫害やわたしの不在について述べたものだった。いま、現代絵画の天才的ミノトールが、兄弟の優しさをもって、わたしの置かれた困った立場を小さな点まで解決しようと心をくばってくれた……」(『回想録』)
 「困った立場」というのは、ネルーダにはパスポートもビザもなく、そのうえチリ大使館はフランス当局にたいして執拗にネルーダの本国送還を要求していたのである。

 こうして三年五ヶ月にわたるネルーダのヨーロッパ、アジアにかけての亡命の旅が始まる。 六月にはソヴェトへの最初の旅行に出かけ、七月にはポーランド、ハンガリーを訪れる。
(つづく)

新日本新書『パブロ・ネルーダ』

鳩

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 帰国・人民のなかへ

 一九四四年、祖国チリに帰ったネルーダは、政治闘争に参加する。チリ北部の草原地帯をまわって、坑夫や農民や船員たちに語りかけ、詩を朗読する。人民に直接ふれることによって、ネルーダと人民とのむすびつきはいよいよ堅く、深くなってゆく。

    帰国──一九四四年

  わたしは帰ってきた……チリは
  黄色い砂漠の顔でわたしを迎えてくれた
  わたしは苦労を重ねて 不毛の月から
  砂の火口へと辿りついて
  地球の巨大な荒地を見いだした
  ……
  草木もなく 鳥獣の姿もなく 畑もなく
  大地はありのままの赤裸の姿をわたしに見せてくれた
  その彼方で人間たちは 地の果てを掘って
  硬い鉱石を集めていた……

  わたしは砂漠に身を投げこんだ
  鉱滓(かなくそ)のような男が 無言の荒々しさで
  穴のなかから出てきた
  わたしはわがみじめな人民の苦しみを思い知った
  ……

  わたしは警察に追われた だが闘いはつづく
  月は高いが 真実はもっと高い
  鉱山の人びとは夜を見つめたとき
  黒い船の上の人のように月のような真実を見た

  そしてくらやみのなかで わたしの声を
  地上でもっとも頑強な仲間たちが分かち合った     (『大いなる歌』)

 「わたしは砂漠に身を投げこんだ」──一九四五年三月ネルーダは北部の砂漠地帯──タラパカとアントファガスタ地方を地盤に、共産党の指導のもとに上院の選挙戦に参加したのである。
 「数年にわたって、わたしはこれらの砂漠を縦横に歩きまわった。このかさかさに乾燥した広大な地方の住民たちが、わたしを労働者部隊の代表として銅や硝石を掘りだし、カラーやネクタイをつけたことのない人たちの代表として、わたしを上院議員に選んでくれたのである。……

 ある日わたしは、『マリア・エレナ』硝石採掘所の労働者たちと話しあうことになった。わたしたちが集った部屋の床は、水と油と酸で、びしょびしょになっていた。わたしを案内してくれた組合の指導者とわたしは、このじくじくした沼地とわたしたちをへだてる床板のうえを用心深く進んだ。労働者たちがわたしに話した。
 『この床板のために、おれたちは一五回もストライキをぶち、八年間というもの、かずかぎり「なく要求を出し、しかも七人の仲間が殺されたのです』
 つまり、あるストライキのさいちゅう、会社の警備係が、組合の七人の活動家を逮捕した。「活動家たちをロープで数珠つなぎに縛って、徒歩で歩かせ、かれらは馬に乗って出て行った。やがてかれらは、活動家たちを銃弾で穴だらけにして、砂漠に死体を野ざらしのまま、ほったらかしにしたまま帰ってきた。みんなが同志たちの死体を見つけて葬ったのは、やっと数ヶ月あとだった。……
 「わたしは文学賞を──蝶のいのちのようにはかない賞をたくさんもらった。だがわたしはまた、もっとすばらしい賞をももらったのだ……その賞とはこういうものだ──ひとりの男が、ロタの炭坑、あるいは硝石坑や銅坑の奥底から上がってくる。もっと正確にいえば、地獄から抜けだしてくる。ひどく骨の折れる仕事で顔はゆがみ、眼はほこりで血走っている。男は、草原のしるしがひび割れやたことなって刻まれているざらざらした手を、わたしにさしだして、燃えるような眼をして言う。「おら、ずっと前からあんたを知っていただ、兄弟……』。わたしの人生のこういう素朴な瞬間こそ、わたしのすばらしい賞なのだ。草原に掘られた坑道の穴から出てくる労働者にむかって、風が、夜が、チリの星がささやいた。『きみは孤独じゃない。きみの不幸に想いを馳せている詩人がいるのだ』と。これこそわたしの月桂冠なのである。
 一九四五年七月一五日、わたしはチリ共産党に入党した」(『回想録』)
 ここには、その頃のチリの草原の状況、硝石坑の労働者たちの暮らし、そして詩人の対応が生きいきとリアルに描かれている。

 「数年前、わたしにインタヴューしたクルツィオ・マラパルテはいみじくもこう書いた。<わたしは共産党員ではない。だが、もしもわたしがチリの詩人だったら、わたしもパブロ・ネルーダのように共産党員になっただろう。ここチリでは、キャデラックを乗りまわす連中の側に立つか、勉強する学校もない、はく靴もない人びとの側に立つか、どちらかを選ばなければならない。」(『回想録』)

 さて、総選挙につづいて行われた一九四六年の大統領選において、急進党から立候補したがブリエル・ゴンサレス・ヴィデラが、共産党の支持をとりつけて当選した。ヴィデラが、労働者の権利を守り、農地改革を実行すると公約したので、チリ共産党はこれを支持した。ヴィデラの勝利は大半は共産党員の献身によるものであった。
 ところで、銅、硝石、マンガンなど、重要資源にめぐまれたチリは、いつも外国帝国主義に狙われてきた。第一次大戦以後は、北アメリカの帝国主義的大独占資本が、チリのゆたかな資源にたいして支配権をふるうようになった。アメリカ帝国主義は、この支配と利権を維持するために、チリの反動勢力と共謀して、あらゆる手段を弄した。一九三八年、反ファシズム人民戦線が政権をにぎって以来、アメリカ帝国主義は、代々の大統領に圧力を加えて、民主勢力を圧殺しようとした。
 共産党はヴィデラ政府に三人の閣僚をおくりこんで政権に参加した。しかし、アメリカ帝国主義はまたしても大統領ヴィデラに圧力を加えて、フランスやイタリアで行ったと同じように、三人の共産党員閣僚を内閣から追放させる。一九四七年、ヴィデラのアメリカ帝国主義への追従政策はますます露骨なものとなる。民主的な自由はふみにじられ、労働組合は破壊され、共産党は非合法化に追いやられる。「われわれの投票のおかげで当選した共和国大統領は、アメリカ合衆国の庇護のもとに、卑劣で執念深い小吸血鬼へと変貌した」(『回想録』)のである。
 一九四八年一月、ネルーダは上院で、ヴィデラの裏切りを痛烈に告発し、弾劾する。

  そのとき わたしは弾劾した
  希望を締めころした男を
  ……
  するとたちまち裏切者や雇われ者の一群が
  わたしの「反逆」を非難した
  ある夜 彼らはわたしの家を焼きにきた
  (こんにち火は火つけ人の名を書きしるしている)
  裁判官どもは 全員結託して
  わたしを有罪にし わたしを追及した
  ……
  しかし わたしの言葉は元気に生きており
  わたしの心は 自由に弾劾する    (『大いなる歌』──「わたしは弾劾する」)

 ヴィデラは逮捕令状と投獄をもってネルーダに答える。二月五日、最高裁判所はネルーダの上院議員特権を剥奪し、翌日には逮捕令状が出される。ネルーダは地下生活にはいらざるをえない。一年二ヶ月のあいだ、かれは絶えず住居を変えて身をかくし、そのあいだに『大いなる歌』を書きつづける。

  はてしもない夜のなかを 世界のなかを
  あの暗い日日 わたしは歩きつづけた
  涙を紙に書きつらね 身をやつし姿を変えて
  わたしは 警察に追われるお尋ね者だった
  わたしは 町町をよぎり 森を抜け 
  畑のなかを歩き 港町を通り
  戸口から 戸口へと
  ひとの手から手へと 渡り歩いた
  夜はつらいものだ しかし ひとびとは
  兄弟の合図を 送ってくれた
  わたしは 小さな星のような灯(とも)しびに迎えられ
  森のなかの狼に 食われずに残っていた
  ひとかけらのパンに ありついた……(『大いなる歌』ー「お尋ね者」)

 「兄弟の合図」と隠れ家は、ネルーダの行くさきざきで待っていた。ネルーダの地下生活をささえたのは、まさに人民の支持と庇護であった。それはブリキ屋や船員や農民など、貧しい労働者であり、庶民であった。

  お尋ね者のわたしは 敷居から敷居へと行った
  ほかのつつましい家家が ほかの手たちが
  祖国のどの皺のなかでも わたしの足音を待っていた
  犠牲者を続出した炭坑の地方でも
  南極の岬に近い海べの港でも
  澄んだスープの皿がわたしを待っていた
  みんなが言った 「兄弟
  みんなが言った 「兄弟
  よくわしらのむさくるしい家にきてくれました」と
  わたしが会ったのは 小さなブリキ屋
  幼い女の子たちを抱えたお母さん(ママン)
  不恰好な農民
  シャボン作り……...      (『大いなる歌」ー「お尋ね者」)

 「ネルーダは人民の海のなかに身をかくしたのだ。そして自分は人民の一員だという意識を「とうもろこしの人民」というイメージをとおして歌って、「お尋ね者」という詩をしめくくっている。

  わたしは夜のなかでも
  大地のくらやみのなかでも ひとりぼっちではない
  わたしは人民だ 数かぎりない人民だ 
  わたしの声には 純粋な力があるから
  それは 沈黙をやぶり
  くらやみのなかでも 芽を出す
  死や 迫害や 影や 氷が
  とつぜん 種子を覆いかくし
  人民は 土のなかに埋められたかに見える
  しかし とうもろこしは大地にもどり根ざす
  その不屈の手 赤い手は 沈黙をつき破る
  死から われわれはよみがえる

 「この地下生活のなかで書きつづけられた『大いなる歌』は、一九四九年二月に書きあげられる。

  ここに わが『大いなる歌」を書き終える
  祖国の地下の 秘密の翼の下で歌いながら
  迫害のなかで書いた 詩集だ
  きょう一九四九年二月五日
  チリの「ゴトマル・デ・チェナ」で
  わたしはもう数ヶ月で 四五歳になる      (『大いなる歌』)

 これが『大いなる歌』の最後の詩句である。

 翌二月六日、ネルーダはいよいよチリを脱出する。かれは馬に乗って、数人の同志に守られて、チリ南部のリペラ峠を越え、むかし密輸入者たちが歩いた、危険にみちた秘密の通路を通って、アンデス山脈を越え、アルゼンチン側のサン・マルティン・デ・ロス・アンデスに到着する。
 「うち捨てられた一軒の廃屋が、われわれに国境を指さしていた。わたしは自由になった。わたしは小屋の壁に書いた。(さようなら、祖国よ。わたしは出かけてゆく。しかし、おまえをいっしょに連れてゆく」(『回想録』)
 「そのときの写真──顔じゅうひげだらけでフェルト帽をあみだにかぶり、狩猟服を着た、乗馬姿のネルーダの写真はよく知られている。

ネルーダ写真



新日本新書『パブロ・ネルーダ』
 しかし叙事詩は悲劇的な終曲へとむかう。「エデンの園」の恋人たちには、呪いの炎の剣が加えられる。ここでは、炎の剣は南アメリカにおける火山の爆発というかたちをとって現われる。この火の洪水のなかから、ロードとロジーは、森の動物たちといっしょに、救いの船に乗って逃げる。海の方へ──詩人の好きな海の方へ。
 すべての神話が望むように、ロードとロジーも滅びないだろう。彼らは禁断の木の実を味わいながら、しかし呪われることなく、遂にその古い呪いの神を殺してしまう。こうして詩人の意志にしたがって、古い神は死に、恋人たちは古い伝統的な運命から解放され、彼らじしんが神となったことを意識する。

  男の名は ロード
  女の名は ロジー

  彼らは 帆船を操った
  彼らは 船の世界をとり仕切った
  そのとき突然 滝のような波のふちで
  死のふちで 瞼は燃え 肉は躍り
  眼ははげしい痛みにみちて
  彼らは 自分たちが神になったことを覚った
  古い神が 呪いの火柱を立て
  炎の剣をふりあげたとき 古い神は死んだのだ
  おのれの創造を完うし それを呪った古い神は
  新しい作物もなく 死んだ
  そしていまや 人間が神になった
  人間は 大地に満たなければならない
  人間は 海に満たなければならない
  なぜなら ひとり新しい神神だけが
  愛の林橋を噛んだのだから

 さて、ロードとロジーはネルーダとマチルデということになろう。『船長の詩』において匿名でうたわれた愛、つづいて『イスラ・ネグラの思い出』『一OOの愛のソネット』において飽くことなく追求された愛は、『炎の剣』において、調子高い叙事詩的な幻想と希望をうたいあげているといえよう。

(この項おわり)

(新日本新書『パブロ・ネルーダ』)

夕やけ

 一九七○年九月に出版された詩集「炎の剣」も、この「世界の終り」の延長線上に書かれたように思われる。なぜなら「炎の剣」は、世界が終り、その廃墟に生き残った一組の男と女を主人公にした物語、つまり、新しいアダムとイヴの創世記であるから。じっさいにも、ネルーダはこの詩集の扉に旧約聖書の「創世記」のつぎの文章をかかげている。
 「こうして神は人間を追放して、エデンの園の東に、いのちの木への道を守るために、天使ケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置いた」
 もうひとつ、ネルーダがこの物語詩のよりどころとしたのは、チリ南部のアンデス山脈の奥に隠されているといわれる「魔法の都」あるいは「セザールの都」の伝説である。この詩集の冒頭に、フリオ・ヴィクニャ・シフェンテス『チリの神話と迷信』からつぎのように引用されている。
 「チリの南部、アンデス山中の、だれも知らない、あるところに、この世のものとは思われぬすばらしい魔法の都がある。そこではすべてが黄金、銀、宝石である。この都の住民の幸福に匹敵するものはない。衣食住をみたすために働く義務もなく、人間世界を襲う貧困や苦しみにさらされることもない……」
 この詩においては、世界の終りが描かれ、そこへただひとり生き残った主人公ロードがやってくる。アラウカニアの地に新しい森を見つけようとやってくる。

  彼は土地を探した 新しい王国のために
  彼は青い水を探した 血を洗い流すために

 ロードはネルーダと同じく年とった失望した男、幻滅した男である。多くの闘いののち、「孤独のなかで/その心を手に負えぬ蔓(つる)草に蔽われた男」であり、「過去と呼ばれるものをうしろに引きずり」「犯罪の共犯者」「他者、すべての他者との共犯者」であることをやめて、「血まみれの魂をもたぬ最初の人間」にもどろうとする。
 そこにはまた怖るべき反省が現われる。

  ひとびとはもはや彼を必要としなかった
  そうだ だれも だれひとりとして

 しかし、この孤独と懐疑に苦労するロードのまえに、「セザールの都」の生き残りの女ロジーが現われる。するとロードの心にはふたたび愛と欲望が生まれる。若い同伴者を得て、孤独者はふたたび春と世界をみいだす。エロティックな美しい詩が、ロジーの口をとおしてこの愛の融合をうたう。

  最初の男(ひと)よ あなたが
  わたしの腹の上に手を置いたとき
  あなたのくちびるが
  わたしの乳房の乳首を味わったとき
  わたしはもう見捨てられた血の滴ではなかった
  道に落ちた棘のある小枝ではなかった
  わたしのからだはその葉っぱをそばたて
  音楽がわたしの血のなかを走った

 しかしこのような愛もロードの懐疑や苦悩を消しさることはない。

  だれもこの地上でわれらに耳傾けない
  みんな出て行ってしまった……
  これからわれらの夢をだれに託そう?

(つづく)

(新日本新書『パブロ・ネルーダ』)

バラ


『世界の終り』『炎の剣』

 一九六九年七月に出版された『世界の終り』には、ネルーダの孤独、幻滅、懐疑などの精神的思想的状況がにじみ出ていると見られる。スターリン批判以来の絶望的情勢、核戦争の脅威など、科学的発見や社会的進歩がみられたにもかかわらず、この二○世紀はネルーダにとって期待はずれなものであった。この世紀を人間の世紀にしようとたたかってきた人びとの理想をうちくだき、裏切ってきたからである。この闘争に参加してきたネルーダはそれを認めずにはいられない。彼にとって二○世紀は「いつわりの勝利の世紀」であり、「断末魔の世紀」である。自然は変ることのない祭りを人類に提供しているのに、人間は研究所の奥で悲劇的な祭り──原爆の祭りを企んでいる。

  もう一つの祭りが準備されているぞ
  世界の自殺が             (「原爆」)

(つづく)

(新日本新書『パブロ・ネルーダ』)

川



ムリエタ1


ムリエタ2



    ムリエタの首は語る

  だれもおれに耳をかさないが おれはしゃべることができる
  くらやみのなかの子どもは 死んでしまった
  なぜおれは死んで あてどもなく砂漠のなかを
  さまよいつづけるのか おれにはわからない

  愛して愛して おれは悲しみにたどり着いた
  闘って闘って おれはうちのめされてしまった
  そしていまや テレサの両の手のなかに
  おれという ひとりの悪党の首は眠るのだ

  おれがぶっ倒れると おれは咽喉(のど)をかっ切られ
  おれのからだはまず まっ二つに切り離された
  おれは 完全犯罪のために叫ぶのではない
  おれは さまようおれの愛のために抗議するだけだ

  死んだ妻がおれを待っていた そしておれは
  険(けわ)しい道をとおって たどり着いたのだ
  死んだ妻といっしょになるために おれは·
  ひとを殺し自分も死にながら たどり着いたのだ

  おれはもう 血も流れさった空っぽの頭に過ぎぬ
  くちびるももう おれの声をきいても動かない
  死者はもう 何も言ってはならないのだろう
  雨や風をとおして 語りかけるというほかは

  だが これから霧のなかをやってくる人びとは
  どのようにして ありのままの真実を知るのだろう?
  同志たち おれは要求するのだ 一○○年後に
  パプロ・ネルーダが おれのために歌ってくれることを

  それは おれが犯した あるいは犯さなかった悪のためではない
  それはまた おれが守った善のためでもない
  おれが持っていた 唯一のものを失ったとき
  ただ 名誉だけがおれの権利だったからだ

  こうして ゆるぎないたしかな春のなかに
  時は流さり おれの生涯はひとに知られるだろう
  それは苦(にが)い人生でもなく 正義にみちたものでもなかった
  おれはおれの人生を 勝ったとも負けたとも思わぬ

  そして過ぎさってゆく すべての人生のように
  おれの人生も きっと夢といりまじっていた
  血の好きな残忍なやつらが おれの夢を殺した
  そしておれは遺産として残すのだ おれの深傷(ふかで)を

 ここでネルーダは、詩人の声をとおして、ムリエタの伝説の真実をとおして、アメリカ大陸における奴隷制・圧制を告発し、一時的な敗北を越えて、来るべき闘争に立ちあがるよう呼びかけているのである。
(この項おわり)

(新日本新書『パブロ・ネルーダ』)

男

『ホアキン・ムリエタの栄光と死』

 一九六七年、ネルーダの最初の詩劇『ホアキン・ムリエタの栄光と死』が出版され、一○月、チリ大学演劇研究会によって初演された。
 ホアキン・ムリエタは、「ゴールド・ラッシュ」の時代の伝説の人物である。彼は一団の部下を連れて、ヴァルパライソからカリフォルニアに渡って、黄金を手に入れるために懸命に働く。しかし彼らは成金の残酷な北アメリカ人たちから鞭(むち)と弾丸の報復をうけ、ムリエタは妻のテレサとともに首を切り落されてしまう。その頃北アメリカ人たちは人種的差別によって、チリ人やメキシコ人を排撃し虐殺したのである。伝説では、切り落されたムリエタの首は馬に乗ってチリに帰り、その怒りをぶちまけることになっている。この詩劇の「まえがき」に作者は書く。
 「ホアキン・ムリエタの亡霊はいまもカリフォルニアをうろついている。月の夜、憎しみに燃えた馬にまたがって、ソノラ砂漠をよこぎり、メキシコのマドレの山なみに消えてゆく彼の姿が見える……亡霊の足どりはしかしながらチリへと向かう……ホアキン・ムリエタはチリ人であった。……
 彼の切り落された首はこのカンタータを要求した。わたしはそれを反逆者のオラトリオとしてだけでなく、ひとつの出生証明書として書いた。
 ムリエタに関する書類のたぐいは、ヴァルパライソの地震や黄金獲得の闘いのなかで失われてしまった。こういうわけで、彼は彼の流儀でもう一度生まれなければならない。亡霊としてまた炎の男として、きびしい時代の開拓者として、希望のない復讐者として。
 この歌にとりかかるにあたって、わたしはただこの反逆者のいさおしを明らかにすることを心がけた。わたしはこの反逆者とその生活を共にした。それゆえわたしは、この男の生の輝きと死の広大さを証言するのだ」
 この詩劇の頂点をなすムリエタの声を──ムリエタに託したネルーダの声をきいてみよう。
(つづく)

(新日本新書『パブロ・ネルーダ』)

彫像