詩集 老いたるオルフェの歌

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千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。


 運命はわたしを    
                大島博光

運命は年老いたわたしを いやでもおうでも
あのオルフェウスにしたてようというのか
あのギリシャの詩人のようにいつまでも
地獄におちた妻を嘆きうたえというのか

運命はながい難病や死によって幾度となく
わたしの腕の中から妻をもぎとり奪いさって
むごい孤独のなかにひとりわたしを置いて
破れたヴィオロンですすり泣けというのか

うしろを振り返ったばかりに妻を二度死なせて
地獄からオルフェウスはひとりもどってきた
しかし妻のエウリュディケが忘れられずに
竪琴を涙で濡らしながらその不幸を歌った

バッカス祭の酒に酔ったトラキアの女たちは
ほかの女たちに眼もくれなかった詩人を
嫉妬のあまりに八つ裂きにしてその首を
戸板に乗せてヘブロス川の流れに投げ込んだ

おお わたしもひとり泣いて呻めいているよりは
むしろ四つ裂きにされ八つ裂きにされた方がいい
そうしてこの戸板に首をのせられて
千曲川の川波にでも揺られている方がいい

いやいやわたしに生きてきみを歌わせるのは
運命ではないきみだ生ける日のきみの熱い愛だ
いまなおわたしの枯枝を揺すりふるわすのは
生ける日にきみがわたしにくれた春の風だ
            
生ける日にきみがくれためくるめきのゆえに
生ける日のきみの眼の輝きをきみの頬の色を
わたしは歌いつづける 
とり憑かれた男のように

       一九九三年二月十七日  

(『老いたるオルフェの歌』

静江ヤマ


だれもわたしの歌を聞いてくれない
                                大島博光

だれもわたしの歌を聞いてくれない
枯枝が風になおもきしみ鳴るように
夜のさなかにも太陽を歌っているのに

だれもわたしの歌を聞いてくれない
雪のなかに焚火を吹き起こすように
冬のさなかにも春を歌っているのに

だれもわたしの歌を聞いてくれない
ひびきあう鈴をつらねるようにして
心の底から心のたけを歌っているのに

だれもわたしの歌を聞いてくれない
風のなかの炎のように燃えた愛を
わたしの恋びとを歌った愛の歌を

だれもわたしの歌を聞いてくれない
死とたたかい死にうち勝つ愛の歌を
柩を叩いてわたしが歌っているのに

だれもわたしの歌を聞いてくれない
風も凍る氷の山でわたしは歌っている
冬空に消えてゆくわたしの白鳥の歌を

だれもわたしの叫びを聞いてくれない
海で溺れようとする子供たちを助けようと
絶望から希望を救おうと叫んでいるのに

だれもわたしの呻きを聞いてくれない
それは明日の日のあなたの呻きなのに
わたしだけひとりの悲劇ではないのに

だれもわたしの歌を聞いてくれない
枯枝が風になおもきしみ鳴るように
夜のさなかにも太陽を歌っているのに

だれもわたしの歌を聞いてくれない
臓腑をさらけてわたしが歌っているのに
自分の傷ぐちあやまち狂い血の色を

だれもわたしの叫びを聞いてくれない
くだを巻く酔いどれのようにわたしが
わたしの臓腑を吐き出しているのに

わたしの叫びをだれも聞いてくれない
死刑囚のまなざしを叫んでいるのに
牢獄の窓から見るひときれの青空を

わたしの叫びをだれも聞いてくれない
ニセの神 狼が人間を喰い殺すのだと
わたしが狂わんばかりに叫んでいるのに

わたしの歌をだれも聞いてくれない
穴倉のなかでも虹を歌っているのに
森のなかの井戸の底に映った青空を
                    一九九三年五月

(詩集『老いたるオルフェの歌』)

浅間山

きみは恋人をなくして


きみは恋人をなくして泣き暮れる
太陽をなくしたように泣き崩れる
母のないみなし子のように泣き寝入る

恋びとをなくしてきみはすすり泣く
涙をあたりにまき散らして泣きわめく
穴に落っこちた獣のように泣き呻めく

きみには落ちた穴の壁しか見えない
その穴のうろのうつろしか見えない
消えうせた春のバラしか見えない

きみはもうおのれの影しか歌わない
広い空を太陽を大地を春を歌わない
あけぼのを風を小鳥たちを歌わない

さあ湿った穴倉から這い出したまえ
ちっぽけな涙の壷からぬけ出したまえ
外に出てひろい地平を見いだしたまえ

愛する妻ニューシュをうしなった
エリュアールは絶望のなかで歌った         
ひとりの地平から万人(みんな)の地平へと

(詩集『老いたるオルフェの歌』)

海

わたしのなくした春の



わたしのなみだを



<詩集『老いたるオルフェの歌』──静江の狂人>

きみの炎


(つづく)

<詩集『老いたるオルフェの歌』>
  静江の狂人
                 大島博光

 中世アラブ文学に『ライラとマジュヌーン』という悲恋物語がある。このアラブの伝承的な物語詩の主人公カイスは美しい娘ライラを熱愛し、ライラも彼の情熱にこたえて結婚を約束する。しかしライラの父親は二人の結婚をゆるさない。絶望と苦悩のあまり、狂ったカイスは放浪生活をおくり、吟遊詩人となってライラへの愛をうたいつづける。そこで「ライラの狂人(マジュヌーン)」というあだ名がカイスに与えられる。médjnounとはアラブ語で狂人、とり憑かれた者を意味する。
 アラゴンが『エルザの狂人』Le Fou d'Elsa という厖大な詩を書いたのは『ライラの狂人』に想を得てのことであろう。この詩のなかで、アラゴンはマジュヌーンの口をとおして歌っている。しかしアラゴンが歌うのは過去のライラではなく、未来のエルザである。
 「わたしは未来の美しさを見るために過去をもう一度思い描く」
とアラゴンは書く。

 そうしてもしもわたしが死んだ妻静江を狂わんばかりに歌って歌いつづけるならば、わたしもまた「静江の狂人」ということになるだろう。



愛するとは


(つづく)

<詩集『老いたるオルフェの歌』>
地獄のうた         
             大島博光

わたしはひとり 地獄におちた
きみと暮した 四十六年が 
あまり楽しく 幸せだったから
わたしはひとり 地獄におちた

わたしは抜け殻 もぬけの殻
風にからから 泣くばかり
枯枝のうえの 蝉殻のように
わたしは抜け殻 もぬけの殻

わたしはひとり 老いねばならぬ
あの木のように 枯れてゆくのだ
梢の方から 根っこから
わたしはひとり 老いねばならぬ

生きるのはもう 苦行だ責苦だ
眼はしょぼつき 息は切れる
壁をつたって 喘えぎあえぎ
生きるのはもう 苦行だ責苦だ 

しびれる足を ひきずって
わたしは夜を よろめきまわる
地獄のなかを のたうちまわる
しびれる足を ひきずって

地獄のなかで 地獄の火と
なおたたかって 生きたまえと
ペッシミストを きみははげます
地獄のなかで 地獄の火と

地獄でこそ 夢みることだ
地獄を出て 星を見る日を
みんなの未来を あけぼのを
地獄でこそ 夢みることだ

そうだ 枯木も夢みるのだ   
泉から 水は流れるだろう
春の香りを 風は運ぶだろう
そうだ 枯木も夢みるのだ

         一九九三年十月

(詩集『老いたるオルフェの歌』)


一九九四年二月九日



(詩集『老いたるオルフェの歌』)

*テキスト≫
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 きみのいない時間と空間のなかに
                               大島博光

きみのいない 時間と空間のなかに
わたしはひとり あとに残された
ただ泣くために 呻めくために

ある雪の降る日 きみが長野の駅に
みずみずしい姿を 現わしたときだ
わたしたちの物語が 始まったのは

きみがこんなに早く 倒れなかったら
冬に始まった わたしたちの物語は
永遠の春の物語に なるはずだった

そのとき 雪のなかに泉をさがして
ひとり さまよっていたわたしを
きみは 春の方へ連れだしてくれた

きみは 渇いていたわたしに
無限の扉を ひらいてくれて
わたしを よみがえらせてくれた

きみのおかげで 孤独者のわたしは
ひとびとのなかの ひとりとなって
みんなといっしょに 歩くことができた

きみのおかげで この人生を
わたしは 歩きながらうたい
うたいながら 歩くことができた

もしも きみに会わなかったら
吹きつける 吹雪の野っ原で
わたしは 行き倒れていただろう

もしも きみに会わなかったら
わたしは 荒野の荒くれのように
アナーキーに 荒れていただろう

もしも きみに会わなかったら
わたしは 深いよどみのなかに
足をとられて 溺れていただろう

きみを失った 孤独なわたしは
貝殻をなくした みじめな男だ
海の音をなつかしむ すべもない

わたしが 呻めき泣くのをやめるとき
わたしが きみを歌うのをやめるとき
わたしは 生きることをもやめるのだ

きみのいない 時間と空間のなかに
わたしは生きるために きみを歌い
きみを歌うために わたしは生きる

だが澱んでこもる水は 腐る
敵を見失って おのれの弱さや
くら閻にひたるものは崩れ落ちる

わたしも 涙を火に変えよう
きみを歌うことが他者をうたい
絶望にうちかつ希望の歌となるように

わたしは 歌のしらべを変えよう
きみの生と愛を うたうことが
死にうちかつ 生の勝利の歌となるように

そうだ わたしはきみを歌って光を歌おぅ
きみはいつも ヒマワリのように
太陽の方へ 顔を向けていたのだから

<詩集『老いたるオルフェの歌』1995年>

緑地

宛名はあっても0

宛名はあっても

 あけぼのの方へ

わたしは暗い深夜の通行人だった
目的(あて)もなく うたう対象(もの)もなく
恋びともなく ひとり悪夢の夜を
わたしは ほっつき歩いていた

そのときだ わたしの夜のなかに
そよ風のように きみがやってきて
空を赤く染める あけぼのの方へと
わたしを 連れて行ってくれたのは

やっと 深い長い地獄をぬけでて
夜空に 星を見あげたひとのように
わたしは 闇を照らす光をみいだし
生きるカを大地を みいだした

何かのぬけ穀のように 酔いどれて
千鳥足でさまよっていた わたしも
やっと 人間らしい足どりで歩き
みんなと 足なみを揃えようとした

ともすれば 道から逸(そ)れて迷いだし
みんなから はぐれるわたしを
きみは いつもひきもどしてくれた
きみは 弱いわたしの守護神だった

こうして 暗い深夜の通行人から
わたしは あけぼのをめざして歩く
たくさんの人びとのひとりとなった
あけぼののまたの名を 未来というのだ

                  一九九一年十一月
 きみとわたしは

永遠と瞬間の交差点で
この時間と空間の接点で
きみとわたしは 偶然のように
めぐり会った 必然のように

きみとわたしは いつもいっしょに
飲んで酔った おんなじ酒に
おんなじ音楽にききほれた
おんなじ夜を夢みて過した

きみとわたしは いつもいっしょに
あのアカシアの 林のかげに
おんなじ小鳥の声をきいた
つぶやく泉のうたを開いた

きみとわたしは いつもいっしょに
見とれて歩いた おんなじ花に
おんなじ山の峯にのぼった
山のうえの空は青かった

きみとわたしは いつもいっしょに
揺られて泳いだ おんなじ海に
おんなじ波の泡にまみれた
おんなじ砂に 身をよこたえた

きみとわたしは いつもいっしょに
燃えあがった おんなじ炎に
きみのおかげでしあわせだった
わたしの生は すばらしかった

わたしたちは歌うたいながら
前へ歩いた 太陽の方へ
みんなといっしょにたたかいながら
おんなじ道を 未来の方へ

きみとわたしも そんなにいっしょに
いられなかった この空間に
君は行ってしまった さっさと
わたしを残して 向う岸へと

いつも並んで かけたベンチに
散った銀杏の枯葉のように
いまやわたしもひとりぼっちだ
わたしも天から地獄におちた

きみの姿を見うしなうとき
きみをうたうのをやめるとき
わたしはたちまち腐ってしまう
まどろむ水は よどんでしまう

きみの眼と手を思い出すとき
きみの光と影をうたうとき
わたしはおのれから はみ出る
おのれの枠から 溢れこぼれる

永遠と瞬間の交差点で
この時間と空間の接点で
きみとわたしは 偶然のように
めぐり会った 必然のように

「老いたるオルフェの歌」

『老いたるオルフェの歌』 もくじ

序 詩
不幸は忍び足で
きみが地獄の岩に
もう思い出でしかないのか
きみはやってきた
きみがやってくると
きみはわたしを連れて行ってくれた
きみは大地を
妻静江を送る
最初の涙
きみはいまごろ
運命はわたしを
宛名はあっても
姐虫はもう
静江の狂人
  愛するとは
  きみの炎は
  わたしの失くした春の
  わたしのなみだを

きみは恋人をなくして
また春が
きみが一歩あるくと

きみといっしょに歩いた道
きみがこの地上に
どこに刻もう
きみのいないうつろな部屋は
きみを失って
地獄のうた
きみはどこにもいた
きみはさっさと
だれもわたしの歌を聞いてくれない
泣いてる男は
あけぼのの方へ
孤独な散歩者
きみはもっていた
灰を撒く
わたしは狂ってしまった
一九九三年二月九日
生と死が地つづきの
往生ぎわのわるい男は
きみとわたしは
愛の弁証法
きみのいない時間と空間のなかに
わが地獄の季節
わたしの不運は
もう行き暮れて
静江の希い
墓碑銘1
墓碑銘2
最後のうた
もしもわたしに
わたしは眠ろう きみといっしょ
わたしはそこに壮大な未来を見た
あとがき

宝文館出版 1995年2月9日 初版

老いたるオルフェの


 きみはいまごろ            
                  大島博光 

きみはいまごろどこらを歩いているだろう?
無限のどのへんをさまよっているだろう?
永遠のどのあたりでうたっているだろう? 

きみはやはりなつかしく訪ねて行くだろう
あのふるさとの利根川べりの敷島公園の
チャイコフスキーをかなでる泉のほとりを

きみはまた尾瀬や白馬のうえを飛んでゆくだろう
ヤナギランや日光キスゲやチングルマのうえを
センダイムシクイやメボソムシクイのあいだを

まもなくわたしもそちらへさまよってゆくだろう
そうして永遠のなか無限のなかにいるきみを
わたしはどのようにしてもさがし出すだろう

きみはきみの愛した大雪山の駒草のように
どこにいてもすぐわたしの眼につくだろう
そうしてわれらはまた二人いっしょになろう

思い出せばパリの東駅からサン・マルタン運河の
細い鉄の橋を渡ってコロネル・ファビアン広場へと
二人ならんで坂道を登って行ったときの楽しさ!

あの時のようにまた地図にもない見知らぬ国を
太陽も月も昇らない独裁者も死刑執行人もいない
未来のような国を二人ならんで楽しく歩いて行こう
  
そうしてもうひとりが先に行ってしまったり  
ひとりがあとに置いてけぼりに残されたり 
相棒がいなくなってひとり片棒になったり

もう二度と別れたり離れたりはしないだろう  
そうしてわれら二人は永遠の愛のなかに入ろう 
あの地上でのわれら二人の花咲いた春の日のように

              一九九三年二月二〇日

(詩集「老いたるオルフェの歌」1995.2)