狼煙

ここでは、「狼煙」 に関する記事を紹介しています。
千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。


     よろしく
                 小林その

ねえ
私 病気していろいろ出来なくなったんだよ
外見だけ見ると変わっていない
よくしゃべるし 歩いている
ところがそれがかえってくせ者
自分でも前のままと思ってしまうから大変
あれ?
手紙が書け無いどころか字が書けない
「数」がどこかへ行ってしまって時間も解らない

直に戻ると思っていたのに
どうもそんなに簡単じゃ無いみたい
有り難いことに落ち込まない性格に助けられて
 ちがうよ
 くよくよ落ち込む心配性で
 目の前の道に突然穴が開いて落ちたらどうしょうなんて
 性格は変わったんだよ いつの間にか
有り難いことに落ち込まない性格に助けられて
もうじき直る もうすぐ元に戻るって

パソコンの操作を少しずつ思い出して
手紙は出せるようになった
(封筒の宛名が書けてポストに入れた時の興奮)
出来ることが少しずつ戻ってくる

病気になって2年が過ぎた
おかげさまでって云わなくてはいけないね
ほんとに大勢の人がいてくれて
あっちからこっちから支えてくれて
隙間無いくらいに支えてくれて
ほんとだよ

算数はあまり期待できないから
お金心配から解放
複雑な込み入った事は上手く整理できないから
ごめんね
良いなと思うこといっぱいやる

わがままに 自分の思いのままに生きてきた
だから少しは反省して
なんて思わないんだよね
まだまだ もっともっとやりたいことを
まだまだ もっともっとやりたいことを
やりたいんです

 (『狼煙』第71号)
狼煙71
狼煙71詩
狼煙71もくじ
おめざ
                清美

父は、東京で
兄と創めた小さな工場をたたみ
姉を連れ、母の里に疎開した。
終戦後、私が生まれ、妹が生まれた。

空襲に怯え、都会の暮らしに馴染めなかった母が、
東京に戻ることを承知しなかったため、
そのまま、田舎暮らしを余儀なくされた。

そして、長野市内の印刷会社で植字工として働いた。
鉛に囲まれた裸電球の町工場
冬になると卒業文集等の受注が多くなるのか、
恒常的な残業が続いた。
遅くなる日は、会社から、お夜食といって、
イチゴジャムや、ピーナツジャムの食パンが、支給された。

帰りの遅い父を待てずに、私たちは寝ていた。
そして、翌朝、枕元におかれたパンを、
私たちは、「おめざ」といって楽しみにして食べた。

そのころ、父は何時に帰り
夕食に何を食べたていたのか、まったく記憶にない。

暗く寒い夜半、千曲川の木橋は、ガタガタと音をたてた。
家路に向かう父は、何を思い自転車をこいだのだろう。

給料は遅配、残業代は削られて、
それでも父は黙って働いた。
この不景気でと、頭を下げる社長に何も言えなかったと。

今は、母も亡く、父も亡く、東京生まれの姉も逝ってしまった。
幼かった殊に尋ねても、何も憶えていまい。

「おめざ」なんとも、懐かしくせつないことば。

<『狼煙』70号>
70号になりました

 1990年12月創刊の長野詩人会議機関誌「狼煙」が創刊70号を迎えました。
 意気高く発行部数500、季刊で始めましたが現在130部、年3回発行がやっとの状況です。
 存亡の危機にも遭いましたがそのときは、大島博光さんが千曲川から大きな声を掛けてくださって、何とか今日まで狼煙を上げ続けることができました。
 詩を愛し、詩を人生の支えと来られた、沢山の先輩との別れにも幾度となく出逢うことになりました。
 そのときにも最後は詩が励ましを与えてくれました。
 さらに、新しい詩の書き手が育っていることも希望です。
 迷いながらも、人生から、書くことから離れられないでいるのです。
 そろそろ 飛躍、脱皮の時を迎える頃ですね。
 詩集発行の準備をしている仲間が何人かいます。
 有り難いことに横浜詩人会議の皆さんからは、大島博光記念館で泊まりの学習交流会のお誘いを頂きました。
 この機会に詩を愛する皆さんの、大きな胸を借りて詩の喜び楽しみに溺れようではありませんか。
 狼煙は何度あげても良いのです。

     2012年10月15日   長野詩人会議

<『狼煙』70号>

狼煙
狼煙
狼煙
のろし


今号も原発廃止を訴える詩を石関さん、八町さん、宮沢さん、新村さんが書いています。

狼煙


のろし


狼煙

そのちゃん
                      宮沢栄一

「はい 大島博光記念館です」
母のようなやさしい声にホッとする
恋人のように時めく声にドキッとする
大島博光記念館を松代に建てた
大島博光記念館を全国に発信している
大島博光が好きで
大島博光の詩を愛して
夢も希望も幸せも、博光に学び
そして「狼煙」に活かす
おもしろい もっともっと書いて
これは君らしくない、自分でしっかり書いて
贋作を見ぬかれてしまった
倒れてもなお博光への思いと
詩への情熱は高まるばかり
平和への想いも高まるばかり
そうやっていっしょに歩む友がいる
大島博光記念館の電話の向こうから
「そのちゃん」のあの笑顔が話しかけてくる
「そのちゃん」をかこんで励ます友の話し声もする
だいじょうぶだよね
そのちゃん!

(「狼煙」第六七号)

狼煙
狼煙

狼煙

狼煙

狼煙
狼煙

昨年発行の予定が大幅に遅れましたが、ようやく発行になりました。
博光生誕100年記念の取り組みのうち
  「西條八十の素顔ー西條紀子さんを囲んでー」    石関みち子
  「大島博光生誕100年のつどい」            小林 その
  「イリーナ・メジューエワ、ピアノコンサートの印象  八町敏男の記事があります。
お求めください。1部500円です。(ご注文はメールまたは電話で記念館へ。

イリーナさんは、2010年度レコードアカデミー賞15部門の中の、器楽曲部門で最優秀賞を受けられました。
おめでとうございます。最高のものを聞かせていただいて、感謝いたします。

のろし
のろし
のろし


のろし



のろし

届いた絵
届いた絵

届いた絵

(長野詩人会議「狼煙」第64号)
のろし

(もくじ)
のろし
      
「狼煙」第63号が出来ました。 

のろし



[「狼煙」第63号]の続きを読む
「狼煙」62号が出来ました。
のろし

のろし

三方克さんの「斑猫譚 大島博光覚え書」博光へのインタビューに興味深い話が。
─西条八十が詩をかき続けたら、日本の詩の流れが変わったともいわれます。それだけの詩人がなぜ歌謡曲の作詞家になったんでしょうか?
「関東大震災の時ね、上野の山に逃げ込んだそうです。何しろ東京が連日燃え続けたんだから、皆不安でいっぱいだった、先生も。その時、避難民の中から流行歌が聞こえてきて、たちまち人々全体の大合唱となったそうです。歌いながら泣いている人も大勢いて、先生も歌いながら心をゆさぶられたそうです。歌っているうちに、暗い民衆の顔がだんだんと明るくなってきて、生気を取り戻してくるのがわかったそうです。歌う。また歌う。歌い終わっても近くの見知らぬ人と話し出して、生気は消えるどころか、一層強まって行く。先生自体がそうなって行く。そこで考えたそうです。ここで私が現代詩を朗読したところで、こんなに皆は感動するだろうか。おれは詩をやめよう、いや、やめるんじゃない、歌詩をかこう、歌詩人になってやろうって考えたそうです。」