チリのアルピジェラ Chilean arpillera

ここでは、「チリのアルピジェラ Chilean arpillera」 に関する記事を紹介しています。
千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。


吾妻

「キルトが細かい所までわかるようにぬってある事がすばらしいと思いました。」(野口さん・篠ノ井)
「キルトを見に来たかったので、今日見ることができてよかったです。また、あざやかな色でとてもきれいですが、中に秘められた女性の苦しい思いがとてもよく伝わってきました。」(吾妻さん・松代)

見学
見学

バスツアーで寄られた川嶋女性学級(茨城県筑西市)の皆さん。綺麗!可愛い!と夢中で見てくださいました。

見学
コスモス
若林

千曲市の若林さんがお嬢さんと一緒にアルピジェラを見に来ました。
フォルクローレが大好きという若林さん、チリに滞在したこともあるチリ通です。
今回のアルピジェラ展のことは「NHKラジオ まいにちスペイン語」6月号に掲載された紹介記事をみて知ったそうです。
15日の講演会にみえた小諸市の小林秀一さん(スペイン語通訳)、佐久市の山崎伸昭さん(73.9.11の軍事クーデター時のチリに滞在)と、チリ好きの方が相次いで見えています。

小林

    ◇   ◇   ◇   ◇

高橋正明先生からアルビジェラが23枚、ポケット付きランチョンマットが2枚届きました。その中でメッセージの付いているものが8枚、状態はとても良く、色も美し いです。
5人

五人の写真、誰かわかりますか?
ビオレータ・パラ、ネルーダ、アジェンデ、ピノチェト、シルバ・エンリケス枢機卿。

アルピジェラ

「人生よ ありがとう」を歌うビオレータ・パラ、独創的なアルピジェラを作った。
なぜ作ったの?とのインタビューに「平和を願って」

インタビュー

農民の反乱。農民が非常に貧しい生活を送っている。黙っていることは出来ないので作った。

ネルーダ邸
アルピジェラ

太平洋を望むイスラ・ネグラにあるネルーダの別荘。収集品を飾ってあるが、アルピジェラも飾ってある。ネルーダは女性グループが発表したアルピジェラについて文を書いている。

襲撃

ピノチェトが何をやったかは御存知の通り。9.11軍事クーデター、モネダ宮殿爆撃、弾圧、焚書、国立競技場へ強制収容、行方不明者の墓、多くの人が捕まってそのまま行方がわからない。

ビカリア

それに対して、シルバ・エンリケス枢機卿(カトリック教会のトップ)が中心となって人権保護団体・連帯ビカリアを作った。そこに駆け込んだのが行方不明者の家族の女性たち。苦しい思いを吐き出すセラピーとしてアルピジェラを始めた。

デモ
住宅

ポブラシオンとは、住宅団地。スラムと訳すのは間違い。
ポブラシオン「ロ・エルミーダ」の1970年と2012年の風景。
1990年、軍政末期に訪れた時はあまり進歩していなかった。民政になってからずっと綺麗になった。
この変化を生み出したものは何なのか? それは仕事。収入が入ってくることだ。

本

デヴィッド・ハーヴェイの「新自由主義」はおすすめの本。新自由主義を担った五人の顔写真、サッチャー、レーガン、小泉純一郎、中曽根康弘、そしてピノチェト。新自由主義は1980年代に成功し始める。今は新自由主義の時代。
ピノチェトが政権を取ってまず始めるのが新自由主義の政策だ。新自由主義国家を形成しようとする最初の実験が行われたのは、1973年の9.11にチリのピノチェトが起こしたクーデターの後のことである。

チリは世界で最も貧富の差が激しい国となった。

ポブラシオン

チリは女性の地位が低い。労働者の家庭では男は外へ出て働き、女は家を守る。ところが収入の中心になった男が失業したり捕まり、初めてポブラシオンの女が家の外に出て働いた。例えば共同で食事を作る=共同なべ、いろんな作業所での仕事、注文をとって洗濯して収入を得るなど、女性が家計の中心になっていった。
アルピジェラを作り、これを教会に売って収入を得るのが生活のパターンとなった。

ポブラシオン

ポブラシオン「エルミーダ」、ポブラシオン「オヒギンス」でもアルピジェラを作り始めるが、教会で作られたアルピジェラとはちょっと作風が違う。

ポブラシオンの作業所の様子をビデオで撮ってきたのでご覧になって下さい。

講演会
講演会
講演会
講演会
懇親

民主化後のチリでは女性たちの共同組織はなくなり、助け合いの精神も見られなくなった、と言う高橋先生。今は「福島原発行動隊」に参加し、放射能汚染のモニタリング等の活動をしているそうです。
アルピジェラサイト

'チリのキルト=アルピジェラに出会う Meeting Chilean Arpilleras'のサイトを作りました。
iWebというMacのパソコンに付属しているソフトを初めて使いましたが、簡単に作ることができてびっくり。HTML 言語は不要、ページレイアウトソフトでパンフレットを作る感覚で、写真や文字を配置してリンクを貼れば基本は完成です。(現在AppleはiWebの配布や開発をやめていますが、惜しいことです)

長野市民新聞

(『長野市民新聞』7月20日)
酒井
酒井朋子先生の講演「世界を翔けるアルピジェラ」。プロジェクターを使ってアルピジェラの魅力、作り手への効果、人々に働きかける優れた力等々を分かりやすく解説されました。

酒井
はばたく
スライド
スライド
魅力
酒井
「2月に続き2回目の先生のお話は、とても心にしっかりとしみ、アルピジェラの意味するものが深く理解でき、1枚のキルトから沢山のメッセージを読みとれることが嬉しいです。これからの日本の動きの中で、何をしていけば良いか考えさせられました。力強く学んで生きねばと思いました。」(今井伏子さんの感想)

酒井

ネルーダ詩「おいで一緒に」 El monte y el río (Pablo Neruda)


ヴィオレータ・パラ「何という胸の痛みだろうか」 Que pena siente el alma (Violeta Parra)


「ベンセレモス」 Venseremos

2月16日、バシックさんの講演「アルピジェラと詩」のあと、ネルーダ詩「おいで一緒に」とヴィオレータ・パラ「何という胸の痛みだろうか」チリ人民連合歌「ベンセレモス」を合唱しました。
読売記事
Meeting Chilean arpilleras

Voices of solidarity speak to us when looking into the history of this collection of arpilleras that reside in Oshima Hakko Museum and others that live in Japan and around and beyond.
Arpilleras (pronounced "ar-pee-air-ahs") are three-dimensional appliquéd textiles from Latin America, originating as a Chilean folk craft. From the first, pieces of strong hessian fabric (called ‘arpillera’ in Spanish) were used as the backing and that word became the name for this particular type of tapestry. The images are done using scraps of materials, threads and a needle and all is hand sewn. Violeta Parra, the well-known Chilean folk singer made arpilleras at a time she could not sing and brought them to Paris in the late 1960s; they showed scenes of Chilean history and also illustrated characters. ‘Bordadoras de Isla Negra’ also influenced the arpilleristas as they stitched in bright colours bucolic scenes of their peasant lives.
In the context of systematic human rights violations under the Pinochet dictatorship in Chile between 11 September 1973 and March 1990, this style of sewing developed into an act of political subversion and a way to raise international awareness of the violence and repression. Their influence is now threaded through arpilleras produced in other countries of Latin America, Africa and Europe.
The Japanese Committee for Solidarity with the People of Chile was established in February 1974 and dissolved in April 1991. It started to buy, promote and commercialize arpilleras in 1988. The ones presently on exhibit at this museum belong to those times. Professor  
Masaaki Takahashi, who owns a personal collection, has written about this. He is a source of memory for this collection and the solidarity project. In 2009, many years after the committee ceased its activity, Professor Takahashi donated these arpilleras to Oshima Hakko Museum.
Through the simple activity of sewing, women, whether working individually or as a group, remember, bear witness to, resist and denounce the atrocities they have lived. Thus their sewing, a traditional domestic activity, becomes a powerful act of resistance, testimony and a mechanism for spreading that message of resistance worldwide.
In the foreword to Tapestries of Hope, Threads of Love: The Arpillera Movement in Chile 1974 – 1994 by Marjorie Agosín (1996), Isabel Allende says: “With leftovers of fabric and simple stitches, the women embroidered what could not be told in words, and thus the arpilleras became a powerful form of political resistance.” Marjorie Agosín herself says: “The arpilleras flourished in the midst of a silent nation, and from the inner patios of churches and poor neighbourhoods, stories made of cloth and yarn narrated what was forbidden.”
The simple act of appreciating and buying these pieces also had a powerful effect. The Japanese Committee for Solidarity was not alone, and many other groups from different parts of the world, also connected to the arpilleristas and supported their work. Their motivation was sometimes political and ideological as in Japan, sometimes humanitarian and sometimes religious. But in all cases these voices of solidarity stood beside the women to remember, bear witness, to resist and denounce the atrocities. It is also important to say that the arpilleras were a means of economic survival for the arpilleristas and played an important role in strengthening and empowering the women and building global opposition to the Pinochet regime.
Arpilleras often also have a ’relief’ quality for the makers while powerfully connecting the issues they portray to the viewers and inviting them to respond and express their own concerns. The scrap material and stitching, which create the simple, clear lines and forms of the figures and motifs -- often three-dimensional -- allow the viewer to comprehend and appreciate the determination of these Latin American sewer artists and lets the women feel that they have a voice which empowers them.
This exhibition features arpilleras in their politicised form. Perhaps it is the surprisingly complex depth of emotion articulated by an apparently simple visual style that makes the appeal of the arpilleras strong and their language universal.
I invite you to respond to this exhibit with your mind and your heart, and perhaps with stitches of your own; at this time when we mark 40 years since the military cup d’état.

Roberta Bacic
Chilean Curator of arpilleras
May 2013
www.cain.ulst.ac.uk/quilts

大島博光記念館 企画展「チリのキルト=アルピジェラに出会う」
序 文

大島博光記念館にあるこのコレクション、および日本内外のその他の場所にあるアルピジェラの歴史を見つめるとき、連帯の声がわたしたちに向けて語りかけてきます。
アルピジェラ(arpillera)はラテンアメリカの三次元のアップリケの裁縫作品で、もとはチリの民芸品です。当初から丈夫な麻の厚布を裏布として用いており、その裏布をさす語(スペイン語でarpillera)がこのタペストリー自体の呼び名ともなりました。端切れと糸と針を用い、すべて手縫いで描き出されている作品です。チリの有名なフォーク歌手、ヴィオレタ・パラには歌うことのできなかった時期がありました。パラはこのときアルピジェラ作品を作り、1960年代後半にパリに持ってゆきました。パラの作品には、チリの歴史のいくつかの場面と人物を見ることができます。農民の暮らす田園風景を色鮮やかなステッチで描いた「イスラ・ネグラの刺繍作品」もまた、アルピジェラ作家たちに影響を与えています。
1973年9月11日から1990年3月まで続くチリのピノチェト独裁体制による組織的な人権侵害の文脈のなかで、この裁縫のスタイルは政治的な抵抗行動の技法であり暴力と抑圧について国際的な意識を高める技法でもあるものへと発展していきました。その影響力は大きく、ラテンアメリカ、アフリカ、あるいはヨーロッパの他の国でも現在アルピジェラが縫われ、作られるに至っています。
チリ人民連帯日本委員会は1974年2月に結成され、1991年4月に解散した団体です。この委員会は1988年にアルピジェラの購入と普及活動、販売を開始しました。大島博光記念館で現在展示されている作品は、この時期に作られたものです。アルピジェラの個人コレクションを自分でも所有する高橋正明氏がこの経緯を書き記しています(訳注:『チリ・嵐にざわめく民衆の木よ』大月書店、1990年)。高橋氏はここに展示されているコレクションと連帯活動の記憶の源であるといえるでしょう。連帯委員会が活動を終えてしばらくの後、2009年、高橋氏はここにあるアルピジェラを大島博光記念館に寄贈しました。
個人で作業をするにせよ、グループで作り上げるにせよ、女性たちは縫い物というシンプルな手段を通じ、自分たちの生きてきた残酷な経験を記憶し、証言し、抵抗し、告発しています。こうして伝統的な家庭の仕事であった裁縫は、抵抗と証言の力強い行動となり、世界中にその抵抗のメッセージを伝える装置ともなっていったのです。
マージョリー・アゴシン著の『希望のタペストリー、愛の糸:チリのアルピジェラ運動 1974-1994年』(Tapestries of Hope, Threads of Love: The Arpillera Movement in Chile 1974 – 1994, 1996年出版)によせた序文でイザベル・アジェンデは以下のように描いています。「使い古しの生地と素朴なステッチを用いて、女性たちは言葉にできないものを刺繍にしていった。そうしてアルピジェラは力強い政治抵抗の方法となったのである。」マージョリー・アゴシンによる本文にも次のようにあります。「アルピジェラは沈黙する国民のただなかから咲き出てきたのであり、布と糸で作られた物語が、禁じられた事柄を教会の中庭と貧民地区から物語ったのである。」
これらの作品に価値を見いだし購入するという行動も、それだけで大きな効果をもっていました。チリ人民連帯日本委員会のみならず、世界の他の地域の多くの団体が、アルピジェラと関係し、アルピジェラ作りを支援しました。その動機は、日本の連帯委員会がそうであったように、時には政治的、イデオロギー的なものであり、時には人道的であったり宗教的なものでもありました。けれどもいずれの場合においても彼らは、その連帯の声でもって作り手の女性たちのかたわらに立ち、残虐な行いを記憶し、証言し、抵抗し、告発しようとしてきました。またアルピジェラによって作り手たちが生き延びるための経済的手段をえたことも記しておかなければなりません。アルピジェラは彼女たちを勇気づけ、彼女たちに機会を与え、ピノチェト政権に対する抗議の声を世界で打ち立てていくために貢献したのです。
アルピジェラはしばしば作り手たちの「苦痛をやわらげる」性質をもっています。その一方で、見る者を作品に描かれている問題に深く接続し、それに対し応答するよう、そして自分自身の事柄として何かを表現していくよう導きます。素朴ではっきりとした輪郭と形状の人物やモチーフ—しばしば三次元で表現されます—を作り上げている端切れとステッチによって、作品を見る者は、ラテンアメリカの裁縫作家たちの決意を理解し評価することができるようになります。そして作り手の女性たちは、自分が力ある声をもっていると感じることができるのです。
この展覧会は、政治的な形態をとったアルピジェラに焦点をあてています。驚くほど複雑で深さをもった感情が一見すると素朴なスタイルで表現されていることによって、おそらくアルピジェラは人びとに力強く訴えかけ、普遍的な言葉をもつものとなっているのでしょう。
この展覧会に対しあなた自身の心と魂で、そして願わくばあなた自身の縫いものを通じて応答してほしい。チリの軍事クーデターから40年を数える今、わたしはそう願っています。

2013年5月
チリ出身のアルピジェラ・キュレーター
ロベルタ・バシック
www.cain.ulst.ac.uk/quilts

(英文和訳 酒井朋子)
展示
展示

ロベルタさんの序文=Introduction。・・・驚くほど複雑で深さをもった感情が一見すると素朴なスタイルで表現されていることによって、おそらくアルピジェラは人びとに力強く訴えかけ、普遍的な言葉をもつものとなっているのでしょう。この展覧会に対しあなた自身の心と魂で、そして願わくばあなた自身の縫いものを通じて応答してほしい。チリの軍事クーデターから40年を数える今、わたしはそう願っています。(英文和訳 酒井朋子氏)I invite you to respond to this exhibit, so carefully put together, with your mind and your heart -- and perhaps with stitches of your own; at this time when we mark 40 years since the military cup d’état.


展示
展示
展示
展示
展示
展示

多くの皆様の応援を頂いて開催することができました。
ぜひ、見にいらして下さい。
タンス

家具職人の松本さんが特注のアルピジェラ収納用タンスを作ってくれました。大きさも丁度で、これで保管もしやすくなりました。

タンス
引き出し

Yamamoto, Cabinetmaker


 アナさんはまだ40歳だが7歳になる孫が一人いる。「33歳でおばあちゃんになった」とのことだ。結婚は19のときだった。でも子どもがすでにいた。その長女も結婚前に子どもができた。ポブラシオンでは婚前交渉が多い。未婚の母もたくさんいる。1970年、アナさんは土地占拠に参加した。占拠に加わると夫に言って、板切れをもって出かけたという。占拠したのは用水路の脇の空き地で、ひどいところだった。「猫ほどもある鼠が出た」。やがていまの場所に移った。共同なべは8年前からやっている。ビジャ・オヒギンスの11の共同なべのなかでもっとも歴史が古い。最初のなべで指導者の女性がビカリアからの物資を一人占めしてしまったので、これに怒ったアナさんが新しくいまの共同なべを設立したとのことだ。途中、共同なべから抜けたことがある。すると共同なべは活動を停止してしまった。「もう一度参加してくれって言われたの。それでまた加わって共同なべを再建したわ」。共同なべが彼女のような特定のリーダーに依存する度合いが大きいことが分かる。
 現在この共同なべには26家族が参加している。食事は100人分ほどつくる。各家族は月に1200ペソを会費として払う。家族の人数にかかわりなく一律である。共同なべがあるのは毎週月曜から金曜までの5日間だから、月に20数日となる。月額会費1200ペソでは1回あたり60ペソ弱、1家族4人分としてひとりあたり10ペソそこそこだ。これではとてもやっていけないので、どうしても外部の援助が必要となってくる。教会が野菜などを無償で供給してくれるほか、市場などにもらいに出かける。個人の善意も無視できない。
(つづく)
<高橋正明『チリ・嵐にざわめく民衆の木よ』──ポブラシオンの女たち>


車の窓ふき
「車の窓ふき」作者 L.A.(詳細不明)1990年ごろ

失業した人形たちは生活のためになんでもやる。道路で自動車の窓拭きをしたり駐車中の乗用事の番をする者もいれば、街頭で「店」を広げる露店商もいる。
道路工事
「失業者対策プログラムの道路工事」作者不明 1990年ごろ

 アルピジェラにはPOJH、PEMの文字がしばしばでてくる。POJHは「世帯主雇用計画」、PEMは「最低雇用計画」の略称で、自治体の失業対策事業のことである。月額六〇〇〇ペソ(三〇〇〇円)、四〇〇〇ペソ(二〇〇〇円)という驚くべき低賃金で道路の補修や公園の整備などの作業をする。働いている人形たちの背景には、入口に大きく☓印が書かれた工場が描かれている。工場が閉鎖されて失業に追いこまれたことを指している。失業した人形たちは生活のためになんでもやる。道路で自動車の窓拭きをしたり駐車中の乗用事の番をする者もいれば、街頭で「店」を広げる露店商もいる。街頭でのこうした仕事は、クーデター以前のチリではほとんど見られなかった。「作業所」や「共同なべ」、「共同購入」など生活を守るための自分たちの活動を描いたものも多い。(高橋正明著『チリ・嵐にざわめく民衆の木よ』)
洗濯
「ポブラシオンの洗濯所と共同なべ」作者不明 制作年:1990年ごろ

 ポブラシオンとはスペイン語で「人口、集落」を意味するが、チリでは都市周辺部に広がる低所得者層の団地をいう。サンティアゴ市だけで大小合わせて四〇〇以上のポブラシオンがあり、市の人口四〇〇万人のざっと三分の一から半数が居住している。(高橋正明著『チリ・嵐にざわめく民衆の木よ』)
 住民たちは互助組織をつくって苦しい生活を支えあった。その代表格が共同なべやアルピジェラの作業所である。