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映画

ここでは、「映画」 に関する記事を紹介しています。
千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。


かぐや姫の物語

不老不死・穢れのない月の世界よりも、故郷の山里と草や花々、虫や獣、一緒に遊んだ仲間がおり、愛や苦悩に満ちた地上の生活が好きになったかぐや姫。しかし地上に残りたいという願いは叶えられず、月からお迎えが来ることに・・・。

別れを告げにきた山里で、かぐや姫は初恋の相手・捨丸と出会います。一緒にどこまでも連れていって、と乞うかぐや姫。二人が抱き合って大空を翔けながら愛を誓うシーンが美しくも切ない。

(『かぐや姫の物語』高畑勲監督作品 2013年11月公開)
DSCF1350ウイーン
DSCF1365ドナウ川

初めて海外旅行した寅さん、ウイーンの風景も、音楽も美しかったわね。
登場する女性も素敵だった。ダンスの相手をしてくれた女性が美しくて優しくて・・・。マダムの淡路恵子も決まっていた。
モーツァルトにもクロワッサンにも興味が無い寅さん、なぜか女性にはモテたね。
当時の社会状況が織り込まれているね。仕事に追われる会社人間が精神を病んでしまったり、光男が受験に失敗して浪人になり、受験戦争に巻きこまれたり。
心が暖かい寅さんがいい、自由な生き方はうらやましいね。
鉄道自殺の状況を話す寅さんの語り口がみごとで、感心した。「血がブアーッと飛んで・・・」聞いてるさくらが悲鳴を上げちゃうほど。
寅さんの映画は好きなので、またやって欲しい。
「寅次郎サラダ記念日」がとてもいいよ。

DSCF1821寅次郎心の旅路
砦

映画「レ・ミゼラブル(2012)」のフィナーレ、コゼットとマリウスに見守られてジャン・バルジャンが永遠の旅に向かいます。天国から迎えに来たフォンテーヌとともに歩むジャン・バルジャンを、闘い散ったバリケードの若者たちが「民衆の歌」を歌って迎えます。

闘う者の歌が聞こえるか
鼓動があのドラムと響き合えば
新たに熱い命が始まる
明日が来た時 そうさ明日が!

列に入れよ 我らの味方に 
砦の向こうに 世界がある
闘え それが自由への道

闘う者の歌が聞こえるか
鼓動があのドラムと響き合えば
新たに熱い命が始まる
明日が来た時 そうさ明日が!

悔いはしないな たとえ倒れても
流す血潮が 潤す祖国を
屍越えて 拓け 明日のフランス!

列に入れよ!我らの味方に 
砦の向こうにあこがれの世界
みな聞こえるか ドラムの響きが
彼ら夢見た 明日が来るよ

ああ 明日は

コゼットとマリウスの愛が結ばれたのは民衆のために闘い倒れた仲間たちの力があったこと、自由への闘いは終わらないことを高らかに歌う感動的なエンディングでした。
「レ・ミゼラブル」の呼びかけるメッセージがくっきりと浮かび上がり見事でした。
東京への空襲が激しくなってきた昭和19年、小学5年の進二は、母親(岩下志麻)に連れられて富山県に疎開する。小学校のクラスでは都会から来た子として好奇のまなざしで見られるが、ガキ大将で級長のタケシは違っていた・・・。
篠田正浩監督の映画「少年時代」を見て、語りあいました。
田舎の風景が懐かしい映画。蒸気機関車も懐かしい。岩下志麻が綺麗。
最後の汽車の上と線路での別れが美しい曲とあいまって良かった。
子どもたちの仲間の群像が生き生きと描かれていた、ガキ大将から子分、いじめられっ子、自分はどの子供だったか、あてはめてみれる。
恋人の出征の場面では、行かないでと泣き叫ぶ娘を無理やりリヤカーで家に運び折檻する父親。戦争が終わると、「恋人が帰ってくる!」と狂喜して叫ぶ娘。
戦争が終わって東京に帰る進二を駅まで見送りにきた学友たちは軍歌を歌う。駅長(大滝秀治)があわてて制止するが、叔父の辰男(河原崎長一郎)は「軍歌しか知らないんだから軍歌を歌え」。戦争に奉仕した教育を告発している。あの時代の子どもの世界を描きながら静かに反戦を訴えている。
最後に、映画の余韻に浸りながら「少年時代」を歌いました。

小林
遊ぶ

詩人で劇作家のセルバンテスは街の広場で芝居をしていて逮捕される。宗教と教会を揶揄する内容だったからだ。宗教裁判を待つあいだ、城のような大きな牢獄に入れられたが、そこで大勢の囚人に襲われた。牢名主が皆を静め、まずここで裁こうといって裁判を始める。

(検事)詩人は罪なのか?
(セルバンテス)詩人は罪ではない。
(検事)詩人は無意味な言葉で現実を曇らせる。
(セルバンテス)その通り。現実とは人の心を押し込む石牢だ。詩人は想像力で夢を見つけ出すのだ。
(検事)君の罪状は理想家で、つまらぬ詩人で、正直であることだ。有罪だ。

セルバンテスは弁明として芝居を演じることが許され、囚人たちを巻き込んでドン・キホーテの物語が始まる。
夢を追い続けたドン・キホーテは病床に臥すが、希望に目覚めたアルドンサとサンチョ・パンサが訪れる。再び夢に挑戦しようと3人で歌うなか、ドン・キホーテは息絶え、芝居が終わる。アルドンサも囚人たちも夢と理想を呼びかけるセルバンテスの物語に感動し、もはや以前の彼らではなかった。恐怖の宗教裁判に呼びだされるセルバンテスの背に「見果てぬ夢」の大合唱が響き渡るのだった。

 旅に疲れていても 届かぬ星に手を
 どんなに高くても
 求める心を忘れず
 遠く 到達しがたい星に向かおう
オーケストラ
30年前、指揮者の座を追われたアンドレがニセのボリショイ管弦楽団を編成してパリ・シャトレ座での公演を企てる。演奏するのはチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲、指名したソリストは美貌のヴァイオリニスト・アンヌ=マリー。彼の目的は何なのか?なぜこの曲でアンヌ=マリーなのか?ラストの感動的な演奏シーンで秘密が明らかになる。
一味違う音楽映画。名曲が散りばめられていて楽しめるが、ストーリの展開がハラハラドキドキ、笑いと涙のうちに、たくさんのことを考えさせられる。ブレジネフ時代のユダヤ人迫害問題から、現在のロシアの共産党への風刺、貧富の差が著しくなった社会を生きる人びとやロマの民の生き生きした姿。

オーケストラ
快い余韻に浸りながら語り合いました。
音楽の迫力に感動した。演奏を聴いてこんなに感動したことはない。フランス流のウイットが詰まっている。感極まって男性同士がキスするシーンもおしゃれ。フランス語に加えてロシア語が聞けたのも嬉しかった。かっては斬新な建築だったフランス共産党本部が古ぼけて見えた・・・
(2009年 フランス 上映時間124分)
   *   *   *
米国は一九五四年、太平洋のビキニ環礁などで、六回もの水爆実験を繰り返した。無線長だった久保山愛吉さんが亡くなった「第五福竜丸」以外にも、多くの日本の漁船が「死の灰」を浴びたことはほとんど知られていない。
▼米国の原子力委員会の機密文書からは、日本全土が核実験の死の灰で覆われていた実態も明らかになる。
   *   *   *
南海放送(松山市)が制作したドキュメンタリーについて、東京新聞のコラム「筆洗」(2012年9月13日)で紹介しています。

この映画の公式サイトにカトリック中央協議会・広報の推薦文が載っていました。


カトリック中央協議会・広報推薦
≪推薦理由≫
「東日本大震災」による福島第一原発の放射能事故から1年半。深刻な健康被害、環境汚染、被災地住民への言われなき差別は、いまだ終息のきざしすら見えず、被災者を先の見えない苦しみに突き落としている。この甚大な放射能汚染に遡ること57年前の1954年。南海のビキニ環礁で、アメリカによる水爆実験が5回にわたり行なわれた。

これについては第五福竜丸の被ばくが有名だが、ほとんど知られていないもう一つの被ばくがあった。この海域で何も知らず操業していたマグロ漁船や貨物船の乗組員が「死の灰」を大量に浴びていたのだ。本作品は高知県を拠点に、歴史の闇に埋もれていたまぐろ漁船員の被ばくの実態を調査してきた高校教師と生徒たちの活動を知った南海放送のテレビマンが、8年にわたって過去の放射能被害と関係者のその後、日米両政府の間で交された「機密文書」を掘り起こして検証した、驚くべき歴史の真相である。「死の灰」を浴びた働き盛りの海の男たちが、40代、50代の若さでガンや心臓疾患によって次々に亡くなっていく。焼き場で夫の遺骨を拾った妻の証言、「他の人の骨はすっきり残っちょるけん、うちのお父さんのはぐちゃぐちゃになっとった」には戦慄を覚える。

こうした恐るべき放射線被害に対してアメリカは、200万ドルの賠償金で日本政府を黙らせる。漁業組合に渡された見舞金も「まぐろの町・高知」の漁業振興のために使われ、遺族のもとには入らなかったという。そして汚染されたマグロが堂々と日本の家庭の食卓に上り続けていたという驚愕の事実。なぜ声を挙げなかったのか。「あんたら今、こんな時代じゃけんそんなことを言えるが、(当時)ひとことでも言ったらここでは生きていけんじゃった。あん時代、日本は石炭とさかなで立て直すほかなかったけん」、敗戦後まだ9年、「日本が(赤ん坊のように)やっとつかまり立ちした頃じゃけん(何も言えなかった)」、「いっつの時代も損をするのは弱い者ばっかりよ」。夫を亡くした妻たちのこれらの言葉は、現代の評論家先生の「高説」よりはるかに正鵠(せいこく)を突く。

ささやかな幸せや安全な自然環境より、経済や効率、スピードを最優先するその構図は、福島第一原発の放射能汚染に呻吟する福島の人々の苦しみとオーバーラップする。腰を据えて日本の座標軸を構築しなければならない今、本作品はその基礎資料ともなる必見の映画である。
以上の理由から、ドキュメンタリー映画「放射線を浴びた『X年後』」をカトリック中央協議会・広報として推薦します。


今年1月にテレビ放送されたものを見て衝撃を受け、これを広げたいと書き起こした方がいました。<日本テレビ NNNドキュメント「放射線を浴びたX年後 ビキニ水爆実験、そして」書き起こししました!>
ぜひ見てみたいと思いました。上映運動がおこることを期待したいです。


一九二八年、博光が十八歳の頃、三里の道を自転車で行き長野の町で見た映画『レ・ミゼラブル』がフランスの文化・芸術に興味を持つきっかけになったと言っていました。(尾池和子「希望の火」)
もう一度見てみたいと言われて探しましたが、ジャン・ギャバン主演のものより以前の映画で、見つからなかった。
これが1925年アンリ・フェスクール監督の『レ・ミゼラブル』で、昨年6月に早稲田大学で上映されていたことを尾池さんが調べてわかりました。大正15年(1926年)日本封切り。
主催した早稲田大学GCOE映像コースによれば、「このアンリ・フェスクール監督版は、数あるレ・ミゼラブル映画の中でも最もよくヴィクトル・ユーゴーの原作の雰囲気を伝え、映画作品としても芸術的に最も成功した」「我が国では1920年代以降一度も上映されていない傑作映画」ということです。(復元上映『レ・ミゼラブル』-アンリ・フェスクール監督(1925年)-
3部構成で上映時間5時間弱といいますが、見てみたいですね。
若葉が目に映え、千曲川の土手に上がってみると、強い風に吹かれて草も若葉も波打つばかり。シャッターチャンスは決まらず、体が冷えこんでしまって・・・

夜の名画鑑賞会は「風の又三郎 ガラスのマント」・・・雨はざっこざっこ雨三郎、風はどっこどっこ又三郎・・・強風に木々が揺れ大雨が降りしぶくクライマックスに、撮影者や出演者の苦労を思ってしまった。
── 風よ、子供たちよ、大自然を駆けめぐれ──
子供たちが生き生きと走り回り、美しい映像と音楽、宮沢賢治のファンタジーの世界に触れ、期せずして拍手。昼間の強風も風の又三郎の挨拶だったのね?

風の又三郎
風の又三郎
風の又三郎
廃線となった長野電鉄屋代線の代替のバスが走っていました。

風の又三郎
風の又三郎
昨年移植した杏の木に実がつきました。

映画
記録映画「ベンセレモス(我々は勝利する)」の上映会を開きました。
1970年4月のアジェンデ政権の誕生に沸く人々から始まり、アジェンデと民主主義勢力の3年間の闘い、アメリカ支配層と軍部・右翼の系統的な陰謀、9.11クーデターと残虐な殺戮、国際的なファシズム反対の運動の高まり、ネルーダ葬送の感動的な場面が続きました。
映画会
「20歳頃にアジェンデの大統領当選を聞いて心が躍った」「クーデターの時の怒りも覚えている」「チリ人民支援のコンサートに参加した、あの頃の熱気を、いまの若い人は体験できない・・・」など、見終わってから話がはずみました。一番左が映写を担当された長野映研の宮沢さん。

ジブリのアニメ映画「コクリコ坂から」は、時代設定が東京オリンピックがあった頃で主人公は高校生、ちょうど同じ世代で、大学の4年間は横浜ですごしたので、当時の横浜に出会えるか期待して観た。

<港の見える丘公園>
コクリコ坂にあるコクリコ荘は港の見える丘公園の近くの設定という。映画ではそこからすぐ下に横浜の海と航行する船が見えたが、実際は手前に港湾関連の工場が広がっていて気持のいいデートコースのムードを損ねていた。映画ではコクリコ坂の下の海岸線を電車が走っていたが、この風景は江ノ電の通っている鎌倉の海岸のよう。実際の根岸線は山手の丘ではトンネルをくぐって内陸部を走っており、根岸から海岸線に出ている。
いずれにしても、港の見える丘公園、外人墓地からフェリス女学院に至る山手の丘はかっての横浜の雰囲気がよく感じられる処で、そこにある洒落たレストランにはいつも心が惹かれた。

<山下公園と氷川丸、ホテルニューグランド>
半世紀も続いた横浜の名所だが今は氷川丸がなくなったようだ。
学生時代の山下公園とはベトナム反戦全学デモのゴール地であり、団結小屋の基地であった。
有名なホテルニューグランドも学生の時は関心がなかった。

<元町>
主人公のカップルが市電の停留所で別れ際に友情を誓い合う大事な場面、この「西の橋」停留所から市電は元町、山手トンネルをへて麦田に抜ける。有名な元町商店街には労働争議中で組合が管理する帽子店があり、よく出入りしていた。麦田にはML講座が開かれたときに通い、眠気と闘いながら聴講したが、どれだけ身についたものかは??

<桜木町駅>
昔の古びた桜木町駅が大きく描かれ、背景には三菱重工横浜造船所の煙突が林立、煙を吐いている。今の無表情・無国籍のみなとみらい地区とはちがう、生き生きとした工場と労働者の街が再現されていてなつかしい。雑然とした下町の商店や民家、汚れた桜川を再現しているのもいい。あの附近で学生の身で早朝から立ちんぼをして、ドヤ街の労働者といっしょに貨物船に運ばれ、穀物の荷揚げの仕事をしたのは得がたい経験だった。
できれば開港記念会館など歴史的な建物や山手の丘の港町横浜らしい風景を登場させるサービスがあってもよかったと思う。

<ストーリー>
高校の部室の建物「カルチェラタン」が老朽化のために取り壊されることになった。これに対して生徒達が反対運動を繰り広げた。「古くなったからと云って捨てるのではなく、良い物を残していくことが文化を大切にすることだ」「少数意見をよくきいて尊重することが民主主義だ」と訴え、討論会やガリ版の新聞発行、多くの女子生徒を巻き込んだ「カルチェラタン」の大掃除などによって生徒の過半数が運動に賛同するようになる。反対運動を通して好意を抱くようになった女生徒・海と文芸部の俊だが、海が切り盛りするコクリコ荘に招待された俊は二人の間の出生の秘密を知ることになり・・・

博光がテレビで見て感動した(「博光語録」)というチェコ映画は「慈悲の天使」(1993年)で、2001年12月18日(火)にNHK BS で放映されたものです。ビデオも出ていないので見ることはかないませんが、かえって美しくて威厳のあるヒロインの姿を想像したくなります。威厳があるとは、自分の生き方に確信を持ち、それを貫き通す強い意志があるということでしょうが・・・。

映画の終盤、初老を迎えたペッピーノの顔に憂いの影が刻まれます。
体の変調を自覚して診療所で検査を受けますが、異常はないと言われます。
気が晴れないまま裏山に登って、おなじみの三つ岩になにげなく石を投げます。
一度に三つの岩に当たると幸運の扉が開くという言い伝えのある岩に、いままでどうしても当たらなかった石がこの時当たってしまいます。すると彼の目の前に現れたのは・・・
彼の憂いは自分の体力の衰えばかりでなく、イタリアで社会主義をめざす活動の行く末についての思いがあるのではないか、ジュゼッペ・トルナトーレ監督はそのことを暗示したのではないかと思いました。
旅立っていく息子(おそらくトルナトーレ監督)の汽車をペッピーノが絶叫しながら追いかけるのは、自分に残された最後の希望が去っていくからなのでしょう。このシーンは同時に、トルナトーレ監督自身が熱い思いで父親を追いかける姿をダブらせているように見えました。

シチリア!

『ニュー・シネマ・パラダイス』のジュゼッペ・トルナトーレ監督が、故郷シチリアを舞台に共産党員として生きた自分の父親とその家族のことを描いています。
シチリアの貧しい牛飼いの家に生まれたペッピーノは、幼いときから農場や牧場で働いた。小学校でムッソリーニを讃える歌を強制されるが拒否して女教師に立たされる。大戦中、米軍の空襲と占領があり、混乱する人々。戦後、王制か共和制かの国民投票があり、共和制支持を訴えるペッピーノ。共産党事務所で入党を認められ、党員証を受けとる。うれしそうに党員の心得を読むペッピーノだった。
ペッピーノは洋裁をしている美しい娘マンニーノに恋する。ダンスを練習してマンニーノに近づき、親しくなる。共産党員であることを打ち明けるペッピーノに、貧しいペッピーノとの結婚を許されないマンニーノは「党は私を奪うように言わないの?」と逆襲。結局、駆け落ちのように押し込んで親に認めさせ、一緒になった。
市民への虐殺に抗議するメーデー行進、未開墾地の占拠闘争などで活躍するペッピーノ。やがて市議会議員となって議会で鋭く保守派を追及。娘だけは父に反発する。小学校で父親の職業を問われて「失業者」、「では貧乏ですね」と先生に烙印を押されたからだ。
ソ連に視察旅行に行ったが、おそろしいものを見たと言うだけであった。
総選挙に立候補して選挙活動するが演説会の聴衆は少なく、若者がいない。マフィアと闘うから共産党を支持するのだと母親。結局落選したが、家族でシャンペンでお祝い、5人目の子が授かったからだと嬉しそうにペッピーノ。
毛沢東主義の若者たちのデモ行進で共産党は改良主義だと批判するのをみた息子、改良主義とは何か、自分たちが未熟とはどういうことかとペッピーノに質問。
「未熟とは、世界を抱こうとするが腕が短すぎることだよ」
旅立っていく息子を駅に見送りにいくペッピーノ、ふり返らないまま別れようとしたが、汽車が動き出すと熱い思いにかられて腕を振りながら追いかけるのだった。
◇   ◇   ◇
さいごのペッピーノの答えは名文句ですが、「博光語録」におなじような言い回しがあるのが思い浮かびました。
「詩人は詩を書いている時 全世界を胸に抱いている」これは誰か詩人の言葉かな? 忘れちゃった でもいいんだよ そういう気持ちで書くわけだから そういう詩を書きたい そういう詩人になりたい そう言えるような詩人になりたい
今日は朝から二時間も座っていたよ 全世界を抱くのも疲れるよ


ベトナム激戦史1967-攻防ケサン基地-
「ベトナム激戦史1967-攻防ケサン基地-」2005年 ベトナム作品

ベトナム制作の映画とあってDVDを購入して観た。
内容は題名からうけるイメージとはだいぶ違って、主人公の新兵とベテラン兵が二人で敵に捕まるなどの苦難を乗り越えて前線基地に秘密指令を届けるストーリー。
恋人と再会を約束して基地に派遣された新兵アン。経験もないくせに尊大なアンはタバコのことでいさかいを起こして罰を受けていた。前線での激しい戦闘のさなか、無線機の故障で連絡がとれなくなった指揮官は秘密指令の文書を前線に届けることにし、ベテラン兵タンと新兵アンにその役を命じた。自分は配達兵ではない、戦闘に参加したいと不平タラタラのアンだったが、途中の野戦救護所で瀕死の兵士に妻からの手紙が届き、読み上げられる手紙に涙しながら息絶える様子をみて心が動かされる。

谷間の沢で水浴びする娘たちを目撃してくぎ付けになるアン。(こういうシーンはアメリカ映画でよくあるサービス。「オー・ブラザー」など。)アンをたしなめるベテラン兵タンは穏やかだが芯のある理知的な二枚目。彼女はいるのか?美人なのか?というアンの問いに、美人だが人妻だ、とさびしく答える。

地雷を踏んで危機一髪となったり、落とし穴に落ちて敵のパトロール隊に捕まるが、原住民の弓矢少年に助けられるなどして、ついに激戦のケサン高原に着く。砲弾と銃弾の行き交う戦場を、負傷したタンを助けながら前線部隊に着き、指揮官に指令文書を渡した。増援部隊を送るからもちこたえて戦うようにとの指令に部隊は励まされた。

任務を達成して帰省が許された二人だったが、アンは配達兵の訓練をうけたいと思った。故郷に帰ると、恋人の母親が「遅すぎた!あまりに帰るのが遅すぎた!」と号泣して、その遺影を見せるのだった。米軍の爆撃で恋人は殺されたのだ。アンが戦場から初めて出した手紙は読まれていなかった。

ベトナム戦争ではおびただしい数の夫婦や恋人がひき裂かれ、殺されていったことをあらためて思った。北爆もケサンの爆撃も沖縄の嘉手納基地から飛び立ったB52が実行した事実を前にすると、日米軍事同盟と沖縄の米軍基地の本質がくっきりと浮かぶ。菅直人がこれを極東の安定に貢献したと言ったのは恥知らずというほかない。