お知らせ

ここでは、「お知らせ」 に関する記事を紹介しています。
千曲川

大島博光記念館へようこそ。
長野詩人会議が中心となって建設運動をすすめ、2008年7月にオープンしました。
愛と抵抗を歌った博光の詩の世界にふれていただけます。


「サム・トゥッ・ソリ」松代公演

2016年4月3日(日)15:00 松代文化ホール


サム写真

「サム・トゥッ・ソリ」は、1998年11月の「日本のうたごえ50周年記念祭典」に初来日した「韓国民族音楽人協会」のミュージシャンの特別編成ユ二ット。その演奏は深い感動を呼び、民衆の想いを歌い上げる日韓音楽交流の契機となった。99年、01年日本公演をはじめ数次にわたって来日。16年4月のJAPAN TOURは、実力派ミュージシャン5人を揃えた新たな編成で、その初心ともいうべき韓国民主化運動の熱い思い、人間らしく生きる力を歌い上げる。同じ東アジアで暮らす市民こそ仲良くしよう!そんな思いが広がることを願って、センタープロが企画招聘。全国11か所で公演予定。

◇2016年4月3日(日)15:00開演(開場は30分前)

◇松代文化ホール

◇入場料 3,000円   高校生以下・障がい者 1,500円

◇主 催 サム・トゥッ・ソリ 松代公演を成功させる会

◇後 援 長野市 長野市教育委員会 松代音楽協会 日本のうたごえ全国協議会

◇連絡先 レストランはなや 〒381-1233 長野市松代町清野2567-1

  電話/FAX 026-278-8743 080-3200-5104(縣)090-8083-9358(玉木)


演奏曲(予定)

 コーラスアンサンブル
  我々の歌が雲に覆われたこの地に一条の陽射しとなれるなら
  荒野にて/同志のために/朝露/彼らのための行進曲
  死んだ男の残したものは(日本語)/人間の歌(日本語)/労働歌謡メドレー ほか
 メンバーソロ曲など



著作権に関して


大島博光の作品・著作物の使用に関するお問い合わせは下記にお願いします。

メール:oshimatomomit@gmail.com

なお、web上では自由にお使いいただいて結構です。


2016年3月6日 (著作権継承者)大島朋光



家族の軌跡


<2011年9月、東北を訪れたとき、小野駅前応急仮設住宅が建ち、新たな生活が始まっていた。自治会長の武田文子さんに「何が必要ですか?」と尋ねると、即座に「布団!」と答えた。避難所から引っ越したばかりで、布団までは支給されていなかった。池田町に戻り、町長に東北の状況を説明し、布団の提供をお願いしたところ、回覧板、有線放送、新聞など地元のメディアを駆使し、町は町民に発信した。その結果、380組の新品の布団が集まり、小野駅前応急仮設住宅に運び込まれることになった。それが東松島市民と池田町民をつなぐ大きなきっかけになった。……(池田町での)報告会は、ときどき東松島市からゲストを迎えながら、毎回満員御礼の状態が続いた。……報告会は9回目以降、写真から映像に見せ方を変えた。毎回20分〜30分の状況を伝える映像を流してきたことで、素材が集まってきた。それをまとめて、ドキュメンタリー映画を制作しましょう!と報告会の中で新たな企画を立ち上げた。参加者は、15回の報告会でおよそ400人。報告会に参加することで、映画製作の協力者になっていただいた。>(映画リーフレットより)


年賀状



嶋田誠三講演会チラシ

(嶋田誠三さんより)
<利夫が戦時中なぜ詩を書き出したのか。ヨーロッパの近代詩、シュルレアリズムへの傾倒。そして戦後の日本の現実に対峙し、民衆の立場に立った時、大島さんと出合い変革の詩を志します。労働運動・農民運動の中で、自分の詩を磨き上げていきます。やがて朝鮮戦争が始まり祖国が危機に直面し、大島さんのアラゴンの「フランスの起床ラッパ」に出合い、「ふるさとの川の岸べに」「われらの街はささやきに充ち」を残して、革命運動の第一線に飛び込み、その実践の中からさらに民衆を決起させる詩を目指しました。そして幾つかのすぐれた詩を残しながらも、谷川岳登山中遭難します。利夫の詩は未完に終わりましたが、その詩作の全期にわたって、その詩は光かがいています。できるだけ分かりやすい詩の解説もしたいと思っています。>



文化祭チラシ
  


宮林コンサート
 バラまつり
朗読の会



5月3日から7日までの5日間、ジャン・ユンカーマン監督作品『映画日本国­憲法』がWEB上で全編公開されています。

沖縄
佐相憲一講演会
しなの鉄道

北陸新幹線の開業により、長野方面行きのダイヤがだいぶ変わりました。

屋代駅
屋代駅



ハンドメイド

ヴェネチアの悲劇

1)ナンシー・キュナード
 共産党入党後もアラゴンは、芸術の面でも、思想の面でも、私生活の面でも、さまざまな矛盾に苦しみ、混乱と動揺がつづく。まことに生の弁証法は複雑である。
 一九二七年一月に入党して、二月にはアラゴンは新しい恋人に会うためにロンドンに渡る。ところが、この恋人は、共産党員アラゴンには不釣り合いなイギリスの大ブルジョアの娘で、キュナード郵船の創設者の孫娘ナンシー・キュナードであった。

  ロンドンの一夜
  わたしは二月の黄色い霧のなかを歩く
  これから始まる愛を抱いて ただひとり
  彼女はやってくるだろうか
  わたしはいらだつ足どりで果てしなくほっつき歩く
  幽霊(ファントム)たちと出会いながら……
        (『未完の物語』)

 ナンシーは一八八六年生まれで、アラゴンより十一歳年上である。彼女は一九二〇年の初めからパリに住んでいた。彼女は数冊の詩集をもつ女流詩人で、エズラ・パウンドなど、アメリカの知識人たちとつきあっていたが、やがてパリの前衛芸術家たちと接触するようになる。「ひじょうな美人」で、旅行が好きだった。彼女はアラゴンといっしょに、スペイン、オランダ、イタリア、ドイツ、フランスのあちらこちらを旅行して歩いた……。二人の生活には落ちつきがなく、絶えず揺れ動いていた。喧嘩をし、また仲直りをして……。

  彼女は過ぎゆくものしか愛さず わたしは流れる時の色どりだった
  サン・ルイ島さえも彼女には ひとつの旅にすぎなかった
  彼女はいつもよその土地を語り それを聞きながらわたしは夢みていた
   海の音をなつかしむ貝殻のように

  ひとりの女 それは未知のうえに開いた扉で
  ひとりの女 それは泉が歌うようにきみに忍びこむ
  ……
                          (『未完の物語』)

 三十年後にうたわれた思い出は美しい。
(つづく)

<新日本新書『アラゴン』>

バラ
レクチャー コンサート・高橋真知子(フルート)&

彷徨える異邦人、琉球の心象風景(ドキュメンタリー映画・舘野素子)

2015年2月15日(日)17時半開演/カフェレストランSHU 相模原

高橋眞知子写真

鈴木豪「無力の涙」企画に参加させていただきます。
当然のこととして、ものごとを考えていこうという趣旨です。ささやかではありますが演奏と映像で、語り合う場を作りたいと考えました。

前半はフルート・レクチャーコンサートです。
フランス作曲家の中でも象徴的な存在、C.ドビッシー。同じくフランス人で37歳にしてこの世を去った
P.O フェルーの名曲、他、フランス系カナダ人のD.グージョンの1990年の作品「Saturne(土星)」を演奏します。土星は環をまとった美しい太陽系の惑星のひとつ。神話の世界では天空と農耕の神をシンボルとし,巨大な惑星です。

レクチャーでは、フランス詩人、ヒューマニストのマックス・ポル フウシェについて、また唯一フーシェの存在を語り、レジスタンス詩人を日本に紹介した詩人、大島博光氏(1910-2006)を紹介したいと思います。

後半は舘野素子氏の沖縄のドキュメンタリー「戦争に文字を連れさらわれて」から、15分ほどの映像をご鑑賞下さい。その後、意見交換をしたく思っています。

場所 :カフェレストラン SHU / 相模原市緑区日蓮981
連絡先:電話 042-687-2333 /
URL : cafe-shu.com

高橋眞知子・フルート
高校卒業直後の1969年、スイスのジュネーブ音楽院の入学試験を受けました。人生の大一歩です。
大昔の話ですが当時確か、初級、中級、上級と合計9年間あり、その上にヴィルトーゾ最上級クラスがありました。こともあろうにそのクラスに入学を許された時は、身に余る光栄(!)とその何倍もの困惑で身の置き場がありませんでした。困惑は大きなものでした。卒業までに時間はあと1年間。これで何の勉強になるのか。何のための留学か。目標は4年間と心に決めていたのです。スタートから想定外の計算違いが起きてしまいました。死に物狂いの習得はそれこそ時間との戦いでしたが、その結果めでたく首席で卒業。しかし帰国するわけに行きません。ここで親を説得し独立する決心を。20歳、不安と同時に高ぶる喜び。
このようにして、4年後の帰国プランを返上し、金銭苦労と、主にヨーロッパ諸国の演奏活動の巡り歩きが始まります。
スイス、フランス、ドイツ、ギリシャ、イタリア、オランダ、その他諸国、ソリストとして、または室内楽グループや、複数のオーケストラ、現代音楽アンサンブルのソロ・首席奏者を務めました。
思えば、日本の演奏家として、とても稀な体験をしてきました。これ等全てが私の宝です。
ヨーロッパで若者の指導にも携わってきましたが、この10年、沖縄の芸術大学で教えています。
これもあと少しの時間を残すところとなりました。

舘野素子
「週刊ダイヤモンド」の記者をしていた時、突然の癌に。残りの時間が少ないことを実感しました。ならば好きなことをと、定年3年前に退職。しかし待っていたのは母の介護。世の中計算通りにはいきません。母の病状が安定してきた時、ドキュメンタリー映画が、私の表現したいことのツールになることを知り、63歳にして映画美学校通い。それからは、カメラの重さにも耐えて映画狂いの日々。蓄えと年金を使い果たしながら、体力の限界を試す映画作りに励んでいます。昨年は「盆、遺影も踊る津和地島」を完成。
現在「戦争に文字を連れさらわれ」を製作中。