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服部伸六詩集 解説(下)

ここでは、「服部伸六詩集 解説(下)」 に関する記事を紹介しています。
服部伸六

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 優雅なノマードとなった服部伸六は、カナンの海のほとりを歩き、ランボオが最初に逃げて行ったキプロスをさまよい、ナジム・ヒクメットの祖国トルコにまで足をのばし、あるいはアフリカの奥地を歩き、あるいはまたモロッコのリフ族の山地などを歩いている。地図のうえの世界をさまよい歩きながら、かれはじぶんの詩的世界を拡大し、旺盛な好奇心や関心をいたるところで発揮し、発展させる。その点で「カナーンの海のほとりで」の純粋さをわたしは愛する。そのなかの「ランボオとキプロス」をとりわけ愛する。
 「ランボオとキプロス」はユニークな、いわばひとつの体験的なランボオ論といっていい。有名な「地獄の季節」の詩人ランボオは、パリ・コミューン(一八七二年)の敗北後、絶望のあまリフランスを逃げ出したのである。そして一八七九年、かれはこのキプロス島にやってきて、イギリス総督邸造りの工事監督となる。こんにちのキプロス共和国も、当時はイギリス領だったのだ。そして東方の詩人服部伸六は、このランボオの歩いたトロードスの山道をたどって、ランボオの「内なる地獄と外なる地獄」について語ってくれる。夢幻のようなイメージにみち、地獄の炎にみちた「地獄の季節」──この「内なる地獄」を書いたランボオが、キプロスで見いだしたものは、やはりイギリス帝国主義の植民地的経営の外なる地獄だったのではないか。服部は書いている。
 「ランボオはここの素敵なブドー酒を呑んだだろうか。キプロスからの手紙には一切、酒の話などありはしない。金と病気の話ばかり。」
 ところでキプロスはまた、古代ギリシャの植民地で、ギリシャ文化の誕生した地であり、アフロディテが生まれたという伝説の島である。詩人はそのことをも楽しく語ってくれる・・・
 「内なる地獄と外なる地獄」という主題は、詩人服部伸六の中心的な主題のひとつであるように思われる。この問題は、「節分の夜の観光バス」というユーモアにみちた散文詩のなかでも提起されている。世界詩人連盟が、節分の夜に、地獄を見てまわる観光バスをしたてるという発想で、そのパンフレットにはこう書いてある。
 「アルチュール・ランボオが見た地獄、アウシュビッツのユダヤ人が見た地獄を見ることは、今や詩人にとって絶対の条件であります。わが世界詩人連盟は、今回、地獄観光コースを選びました。二週間の全行程、各自その内なる地獄を、外なる地獄と対比することによって、詩と地獄とのかかわりあいを探っていただくことになっております。・・・」
 この主題は、音楽における主導旋律の何楽章かにわたるヴァリエーションといったかたちで展開される。「アッツ島」も出てくる。ちょっとばかしベトナムも出てくる。そしてこんな会話がかわされる。
 「・・・そういえば今夜はテトだ。ベトナムで休戦がほんものになるかならぬか、という夜だ。鬼どもは地球の外へ出て行ってもらわにゃならん。もちろんベトナムからもじゃ・・・」
 「・・・鬼は心のなかにいるのと違いますかね。たとえば、あなたの心のなかに・・・」
 「い・・・や、そうかも知れん。俺の心のなかの鬼を追い出すのが、第一にせねばならぬことかも知れん」
 ここにこの詩人の善意をよみとることができる。地獄めぐりの観光バスが、節分の夜におこなわれたということには、「鬼を追い出す夜」という想いがこめられていたのである。
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 この優雅なノマードは、世界を股にさまよいながら、世界を股にかけて、ユーモアと風刺にみちみちた文明批評をくりひろげている。石油から死の問題まで、ヘレニズムから革命まで、およそ形而下から形而上にいたるあらゆる問題が対象となる。あるときは、それは野放図に拡散されて、わたしなどの尺度を越えてしまう。あるときは、かれの風刺はもろ刃の剣ともなる。とにかく、着陸するときの飛行機のように、詩人はせりあがってくる外部世界への応接に忙しいのだ。かれはそれを「低見の見物」と称している。それは多くの眼をもちすぎた者の幸福ででもあろうか。
 「まっくらくらのクリスマスの夜」では、このとてつもない無神論者は、イエスの神話をあばいてはばからない。中世だったら、むろん破門され、火あぶりの刑になること疑いないような冒�を働いている。しかしかれにはどうやらそんなことはどうでもいいのかも知れない。このコスモポリタンは、ほんとうは、「イエスのお話も、神と自然と人間とがいっしょに暮らしていた太古の神話時代のつくり話とへだたりはない」ということを言いたかったのかも知れない。かれはレバノンの葡萄作りの農夫に語らせている。
 「《ああ、アドニスですかい。あれはアダムのことですたい。》
 きみは開いた口がふさがらなかった。イスラムとキリスト教とが混り合うこの近東の地では、旧約聖書とギリシャ神話とが混淆されていたのだ・・・ああ、アドニスの青春は、旧約のむかしほど古く美しかったのだ。・・・復活祭だなんて、多分、この永遠の青春のお祭りにちがいない」
 このギリシャ的な人間讃歌をうたうとき、この詩人の声にはよどみがない。かれはさらに、ノートル・ダムのミサを覗いて見ながら、クリスマスの由来や本質をせんさくし、その神話を無神論者の論理であばいてみせるが、性急に結論を出そうとはしない。むしろ巧みにはぐらかしてしまう。そのときのかれの声には「今ひとつカがない」のだ。だからこそ、まっくらくらのクリスマス、というわけだろう。
     *
ところで、詩人について語り夢を語るときほど、服部伸六が詩人に還るときはないように思われる。「奴隷海岸にて」において、かれは奴隷商人の老人に語らせている。
 「・・・夢じゃよ。幻覚だよ。むつかしくいえば、錯乱状況という奴さ。あばら屋の代りに、宮殿を。古びた木の腰掛けの代りに金ピカの椅子を。・・・湖の底にピアノを。おう、おれには新しい天と地とをつくる力があるのじゃ。かつて存在したことのないような世界がつくられるのじゃ・・・」
 このように、ランボオの「見者(ヴォワイヤン)の美学」を想わせるような夢を語る老人は、むろん詩人の幻影であり、かれ自身の分身であるにちがいない。そしてそういう服部伸六をわたしは愛する。

 身震する幸福を
 しいたげられても だまされても
 持つことの出来る硬い心を
 石の花を
 友よ 今日も又詩人と呼ばれよう
                    (「萎んでゆくものは」)

 二〇世紀の世紀末の
 疎外された老いぼれたちよ
 みんな集まれ

 三〇世紀を人間の世紀とするため
 詩人学校をつくろうではないか
 三〇世紀のおれたち青年の夢のため
 宣言をつくろうではないか
            
こう歌うとき、作者は優しい心をもって、詩人共和国というものを夢みている。そうしてそういうときの服部伸六をわたしは愛する。
                             一九七七年五月

<「服部伸六詩集」1977年>

服部伸六

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