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服部伸六詩集 解説(上)

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服部伸六詩集 解説(上)
                       大島博光

 わたしが服部伸六とはじめて出会ったのは、一九三七年頃ででもあったろうか。新宿の三越の裏通りのあたりに、文学青年や絵描きのよく集まる「ノヴァ」という酒場があって、わたしもよくそこでとぐろをまいていた。新領土の集まりのあと、服部伸六ともそんなところへ行って、いっしょに飲んだような気がする。たしか、かれはまだ慶応の制服をきた美青年であったが、すでに言葉の罠で神秘をからめとったり、重層的なイメージの隙き問から地獄をかいま見せるような詩を書いていて、わたしたちをひどく驚かしたのだった。ここでいう地獄とは、当時ランボオの「地獄の季節」がわたしたちのあいだで流行(はや)っていて、その後、服部伸六がみずから「内なる地獄」と呼んだところのものである。
 ある夜、それも新領土の集会くずれの五、六人で新宿三丁目裏にあった「山小屋」あたりで夜おそくまで飲んだことがあった。電車もなくなり、行くあてもなく、みんなで酔いどれ行をしているうちに、いつか明治神宮の絵画館の前に出た。外苑の木立のうえにもう夜が明けそめていた。酔いほほけ、疲れはてた眼に映った、あんなに美しい、うすばら色のあけぼのを、わたしは見たことがない。
 あのときいっしょにいた酒井正平は戦争で殺された。「黒い歌」ですでに名声をあげていた楠田一郎は胸を病んでまもなく死んだ。永田助太郎は戦後まもなく、渇きのあまり、メチル・アルコールまであふって飲んで、死んでしまった。服部伸六もやがて戦争に駆りだされて中国大陸に渡った。しかし運命は服部伸六を生きながらえさせたうえ、戦後、世界を股にさまよい歩く優雅なノマードにしたてあげた。
     *
 まず「弾きがたり」がうたわれる。弾きがたりというのは、ギターなどを弾きながら語る吟遊詩人のうたを指すのにちがいない。したがって詩人は語りかける相手をもち、語りかけることがらをもっている。そうして歌はやはり叙事詩風なものになってゆく。「カラカンダの勇士のきみ」は、戦後、カマボコづくりのミキサーで指を三本切りおとし、泣き笑いながら酔っぱらっていて、何かペーソスを誘う悲歌のようにきこえる。詩人はここで「戦後」そのものを風刺しているように思われる。つづいて「蜜と乳の流れる墓地」では、詩人は資本主義的自由を痛烈に風刺している。「うた(一)」では資本主義は「神様の姿をした悪魔」となって現われる。これらの風刺詩にたいする反歌のように、「うた(二)にはつぎのような詩句があらわれる。

 うすもやの泉のほとりとおぼしきあたり
 むかし埋めた宝を探す海賊のごとく
 ひたむきにあなたは探すむかしの酒を

 むかしおぼえたあの心のたかぶり
 きよらかで透明なあの酔いごこち
 むかし奏でた仲間との二重奏

 どれもこれも今は消えはてた・・・

 消えはてたむかしの泉、青春の日の輝きを呼びかえすこれらの詩句ほどに、なつかしくも美しいものはない。このとき、詩人はむかしの純粋詩人にもどるのだ・・・

(つづく)

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