『マチュ・ピチュの高み』
『マチュ・ピチュの高み』は、十二の歌から成り、『大いなる歌』のなかの第二章を構成する。この長詩は『大いなる歌』のなかの傑作として名高い。
この長詩は、作者の長い彷捏のうちの、一つの到達点として書かれた。詩人は外交官として世界じゅうをさまよい歩いてきただけではなく、いわば人生の探求者として知的彷捏をもつづけてきた。ありうべき生の意義を探しもとめながら、かれがマチュ・ピチュに最初に見いだしたのは、空虚と悲惨と死であった。
とうもろこしが穀倉にこぼれ落ちるようにひとも尽きることのない無駄ないとなみや悲惨な出来ごとのなかに落ちた 一回ならずとも七回も八回もそしてひとつの死が いやたくさんの死がめいめいにやってきた毎日 塵(ちり)やうじ虫や 場末の泥のなかに消えたランプのような小さな死が 大きな翼をひろげた小さな死が人めいめいに短かい槍のように突き刺さった (「第三の歌」)
さらにまた、死をかいま見た詩人自身の内面的体験が語られる。
力強い死はいくどとなくわたしを誘(いざな)った
それは波のなかの眼に見えない塩のようだった
・・・わたしはいくどとなく立った
生と死をわかつ剣が峰に 風の狭い隘路に
農業と石の経帷子(きようかたびら)に
最後の足音をのみこむ天なる虚無のふち
眼もくらむ奈落へときりもみに落ちこむところ (「第四の歌」)
このように内面化された死の意識はすでに、肌を刺す風と寒さと孤独から成る、マチュ・ピチュ遺跡の悲劇的な光景を予告する。そして詩人はウルバンバの谷から、切り立った崖道をマチュ・ピチュめざして登ってゆく。
そのときわたしは 大地の梯子(はしご)をよじ登り
人里離れた密休の 肌を刺す薮をぬけて
おまえのところまで 登って行った マチュ・ピチュよ
山の高みの郡市よ 石の段階よ
大地も死の経帷子(きようかたびら)の下に隠さなかった者の住居よ
石の母よ コンドルたちの泡よ
人類のあけぼのに高く聳えた岩礁よ (「第六の歌」)
この廃墟の跡からふたたび人間が現われ、かれらの生活ぶりが歌われる。
ここで ヴィクーニャから金色の糸が紡がれ
恋びとたちや墓や母親たちを飾り
王や祈祷帥や戦士たちを飾った
ここで詩人は、インカ人民そのものの眼で、消えうせた空中都市の生活ぶりを思い描いている。山の高みの異様な石の都市──雄大なマチュ・ピチュの石の建築は、スペイン征服者の襲撃をまぬかれ、時間による腐蝕にも耐えて生き残った。このモニュマンはそれ自体、インカ人民の歴史と創造力を具象的に物語っている。
天なる鷲座よ 霧の葡萄畑よ
崩れ落ちた砦(とりで)よ 盲目の新月刀よ
滝のような階段よ 巨大な瞼よ
三角の上着よ 石の花粉よ
赤道上の三角定規よ 石の船よ
最後の幾何学よ 石の本よ
これら、たたみかけるようなメタフォール(暗喩)の積み重ねは、石を積み重ねたこの大遺跡そのものを表現しているかのようだ。「三角定規」「幾何学」など、幾何学の分野から借りた術語によって強められたイメージは、幾何学的厳密さをもって建造されたモニュマンを視覚的にも再構成する。そしてこれら無秩序なイメージ群、相矛盾するイメージ群によって、豊かな現実の弁証法的表現が可能となる。
しかし、ネルーダがアンデスのテラスに求めたのは、死や諦観についての瞑想でもなければ、滅びさったインカ文明の石の建築美についてのロマンティックな観照でもない。かれが探しもとめたのは人間にほかならない。
石のなかの石よ では人間はどこにいたのか
大気のなかの大気よ では人間はどこにいたのか
時間のなかの時間よ では人間はどこにいたのか
この悲壮な三つの問いは、化石と化した死の都市にむけられている。詩人はこの石の都市を建設し、そこで労働して生きた人間たちを、──インカ帝国の人民たちを探しもとめる。そして詩人はたずねる──この人間も、こんにちの人間のように飢えていたのではないか。荘厳な城塞都市も、かれらの襤褸のうえに築かれ、かれらの汗と血のうえに築かれたのではないか。詩人は人間を追求し、人間を見いだす。
このすばらしい渾沌のなかに
この石の夜の中に わたしの手をさし込ませてくれ
そしてあの 千年も囚われた小鳥のような
忘れさられた むかしのひとの心臓を
わたしの胸のなかに 脈うたせてくれ!
・・・・
わたしが見るのは こき使われた祖先だ
畑のなかで眠っている男だ
わたしに見えるのは 怖るべき突風の下で
雨や夜で暗い顔をし 重い石の姿をした
ひとつの肉体 千の肉体 ひとりの男 千の女たちだ
ヴィラコツチャ(*)の息子 石切りのファンよ
緑の星の息子 ひやめし食いのファンよ
トルコ石の孫 裸足(はだし)のファンよ
立ち上って昇ってこい 兄弟たち
わたしといっしょに よみがえろう (「第十一の歌」)
*ヴィラコツチャ──インカの雨の神で、世界と人間を創造したとされる。
ネルーダがマチュ・ピチュに消えた人間たちを兄弟と呼びながら、インカの人民のなかに見いだしたものは、現代におけると同じ根本的な問題であった。自由奔放な詩的ファンタジーみちたこの抒情詩をつらぬいているのは、史的唯物論の赤い糸にほかならない。
兄弟よ 登って来い わたしといっしょに生まれよう
・・・・
もの言わぬ農夫よ 織工よ 羊飼いよ
守護神の野生リャマを馴らしたものよ
危険な足場のうえの石工よ
アンデスの涙を運んだものよ
・・・・ (「第十二の歌」)
詩人がいっしょに生まれようと呼びかけ、自由と解放のために立ち上ろうと呼びかけているのは、現在、未来の人間たち、とりわけラテン・アメリカ諸国人民にむかってである。
<新日本新書『パブロ・ネルーダ』>
『マチュ・ピチュの高み』は、十二の歌から成り、『大いなる歌』のなかの第二章を構成する。この長詩は『大いなる歌』のなかの傑作として名高い。
この長詩は、作者の長い彷捏のうちの、一つの到達点として書かれた。詩人は外交官として世界じゅうをさまよい歩いてきただけではなく、いわば人生の探求者として知的彷捏をもつづけてきた。ありうべき生の意義を探しもとめながら、かれがマチュ・ピチュに最初に見いだしたのは、空虚と悲惨と死であった。
とうもろこしが穀倉にこぼれ落ちるようにひとも尽きることのない無駄ないとなみや悲惨な出来ごとのなかに落ちた 一回ならずとも七回も八回もそしてひとつの死が いやたくさんの死がめいめいにやってきた毎日 塵(ちり)やうじ虫や 場末の泥のなかに消えたランプのような小さな死が 大きな翼をひろげた小さな死が人めいめいに短かい槍のように突き刺さった (「第三の歌」)
さらにまた、死をかいま見た詩人自身の内面的体験が語られる。
力強い死はいくどとなくわたしを誘(いざな)った
それは波のなかの眼に見えない塩のようだった
・・・わたしはいくどとなく立った
生と死をわかつ剣が峰に 風の狭い隘路に
農業と石の経帷子(きようかたびら)に
最後の足音をのみこむ天なる虚無のふち
眼もくらむ奈落へときりもみに落ちこむところ (「第四の歌」)
このように内面化された死の意識はすでに、肌を刺す風と寒さと孤独から成る、マチュ・ピチュ遺跡の悲劇的な光景を予告する。そして詩人はウルバンバの谷から、切り立った崖道をマチュ・ピチュめざして登ってゆく。
そのときわたしは 大地の梯子(はしご)をよじ登り
人里離れた密休の 肌を刺す薮をぬけて
おまえのところまで 登って行った マチュ・ピチュよ
山の高みの郡市よ 石の段階よ
大地も死の経帷子(きようかたびら)の下に隠さなかった者の住居よ
石の母よ コンドルたちの泡よ
人類のあけぼのに高く聳えた岩礁よ (「第六の歌」)
この廃墟の跡からふたたび人間が現われ、かれらの生活ぶりが歌われる。
ここで ヴィクーニャから金色の糸が紡がれ
恋びとたちや墓や母親たちを飾り
王や祈祷帥や戦士たちを飾った
ここで詩人は、インカ人民そのものの眼で、消えうせた空中都市の生活ぶりを思い描いている。山の高みの異様な石の都市──雄大なマチュ・ピチュの石の建築は、スペイン征服者の襲撃をまぬかれ、時間による腐蝕にも耐えて生き残った。このモニュマンはそれ自体、インカ人民の歴史と創造力を具象的に物語っている。
天なる鷲座よ 霧の葡萄畑よ
崩れ落ちた砦(とりで)よ 盲目の新月刀よ
滝のような階段よ 巨大な瞼よ
三角の上着よ 石の花粉よ
赤道上の三角定規よ 石の船よ
最後の幾何学よ 石の本よ
これら、たたみかけるようなメタフォール(暗喩)の積み重ねは、石を積み重ねたこの大遺跡そのものを表現しているかのようだ。「三角定規」「幾何学」など、幾何学の分野から借りた術語によって強められたイメージは、幾何学的厳密さをもって建造されたモニュマンを視覚的にも再構成する。そしてこれら無秩序なイメージ群、相矛盾するイメージ群によって、豊かな現実の弁証法的表現が可能となる。
しかし、ネルーダがアンデスのテラスに求めたのは、死や諦観についての瞑想でもなければ、滅びさったインカ文明の石の建築美についてのロマンティックな観照でもない。かれが探しもとめたのは人間にほかならない。
石のなかの石よ では人間はどこにいたのか
大気のなかの大気よ では人間はどこにいたのか
時間のなかの時間よ では人間はどこにいたのか
この悲壮な三つの問いは、化石と化した死の都市にむけられている。詩人はこの石の都市を建設し、そこで労働して生きた人間たちを、──インカ帝国の人民たちを探しもとめる。そして詩人はたずねる──この人間も、こんにちの人間のように飢えていたのではないか。荘厳な城塞都市も、かれらの襤褸のうえに築かれ、かれらの汗と血のうえに築かれたのではないか。詩人は人間を追求し、人間を見いだす。
このすばらしい渾沌のなかに
この石の夜の中に わたしの手をさし込ませてくれ
そしてあの 千年も囚われた小鳥のような
忘れさられた むかしのひとの心臓を
わたしの胸のなかに 脈うたせてくれ!
・・・・
わたしが見るのは こき使われた祖先だ
畑のなかで眠っている男だ
わたしに見えるのは 怖るべき突風の下で
雨や夜で暗い顔をし 重い石の姿をした
ひとつの肉体 千の肉体 ひとりの男 千の女たちだ
ヴィラコツチャ(*)の息子 石切りのファンよ
緑の星の息子 ひやめし食いのファンよ
トルコ石の孫 裸足(はだし)のファンよ
立ち上って昇ってこい 兄弟たち
わたしといっしょに よみがえろう (「第十一の歌」)
*ヴィラコツチャ──インカの雨の神で、世界と人間を創造したとされる。
ネルーダがマチュ・ピチュに消えた人間たちを兄弟と呼びながら、インカの人民のなかに見いだしたものは、現代におけると同じ根本的な問題であった。自由奔放な詩的ファンタジーみちたこの抒情詩をつらぬいているのは、史的唯物論の赤い糸にほかならない。
兄弟よ 登って来い わたしといっしょに生まれよう
・・・・
もの言わぬ農夫よ 織工よ 羊飼いよ
守護神の野生リャマを馴らしたものよ
危険な足場のうえの石工よ
アンデスの涙を運んだものよ
・・・・ (「第十二の歌」)
詩人がいっしょに生まれようと呼びかけ、自由と解放のために立ち上ろうと呼びかけているのは、現在、未来の人間たち、とりわけラテン・アメリカ諸国人民にむかってである。
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