『二〇の愛の詩と一つの絶望の歌』

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 『二〇の愛の詩と一つの絶望の歌』

 「ほんの少し食べて、たくさん書いた」──サンティアゴの学生下宿に落ちついたネルーダの暮らしぶりである。彼はまもなくフランス語の勉強を放棄して、詩に専念する。書いた詩を『クラリダド』などに投稿する。こうして一九二三年、かれは最初の詩集『たそがれ』を自費出版する。わずかばかりの家財道具や時計や服までが印刷代に変わった。この詩集にはマルーリ街五一三番地の学生下宿で毎日のように眺めたたそがれ、夕焼け、田舎から出てきたばかりの若者の孤独が歌われる。アルベール・サマンなどフランスの象徴派の影響がそこにあらわれていても不思議ではない。「遠い詩人たちの声がわたしの声といりまじっている」とネルーダも認めているからである。
 しかし、翌一九一四年に刊行された『二〇の愛の詩と一つの絶望の歌』には、すでに、ネルーダのスタイルや調子の萌芽がみいだされる。かれはこの詩集についての思い出をこう語っている。 

 『二〇の愛』について


 「・・・わたしのもっとも素朴な自我をもとめ、わたし独自の調和のとれた世界をもとめて、わたしはほかの愛の詩集を書き始めた。こうして『二〇の愛の詩と一つの絶望の歌』が生まれた。
 これは苦悩にみちた牧歌的な詩集で、そこには、わたしの故郷、南部の厳しい自然を背景にした、わたしの青春時代のもっとも狂おしい情熱が秘められている。この詩集をわたしが愛するのは、その沁みるような深い哀調にもかわらず、そこには生きる悦びが見いだされるからである。この詩集を書くのに、インペリアル川とその河口がわたしを助けてくれた。『二〇の愛の詩』は、あの学生街と大学の都市、分かち合った愛のすいかずらの匂いのただようサンティアゴの哀歌である」(『回想録』)
 この詩集の冒頭は「女の肉体」によって飾られている。

   女の肉体

 女の肉体よ 白い丘よ 白い腿よ
 天の与えたきみの姿かたちは この世界にも似ている
 ぼくのたくましい農夫の肉体は その鋤で
 大地の深みから 息子を躍りあがらせる
 ・・・

 ここでは、女の肉体は、丘や深い土壌や河床をもつ大地との比喩によって描かれ、きわめて具象的でありマテリエールである。詩人の感性はかれをとりまく世界にじかに向かっている。そこでは人間は肉体をもち、肉体をもった人間として描かれる。

 ここに歌われている女について、ネル-ダはこう語る。
 「わたしはしょっちゅう『二〇の愛の詩」の女はどんな女かと尋ねられた。それは答えるのにむつかしい質問だ。この哀愁にみちた熱烈な詩のなかには二,三人の女が歌いこめられているが、いわば、ひとりはマリ・ソル(太陽のマリ)で、もうひとりはマリ・ソンブラ(影のマリ)である。マリ・ソルは、無数の夜の星とテムコの濡れた空のような黒い眼とに魅せられた田舎の相聞牧歌である。彼女はその陽気さと生きいきとした美しさをもってすべてのページに現われ、港の波や山の上の三日月にとり巻かれている。マリ・ソンブラは首都の女子学生だ。灰色のベレー帽、とてもやさしい眼、学生たちの気まぐれな愛がもつスイカズラの不断の匂い、都会の隠れ家での情熱的な逢引きによって癒され静まる肉体。・・・」(『回想録』)
 この詩集によってネルーダはラテン・アメリカにおける、もっとも有望な詩人のひとりと認められる。そしてやがてこの『二〇の愛の詩と一つの絶望の歌』はラテン・アメリカにおいてベスト・セラーとなる。

<新日本新書『パブロ・ネルーダ』>

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