fc2ブログ

大島秋光 「僕の母」(3)

ここでは、「大島秋光 「僕の母」(3)」 に関する記事を紹介しています。
 「花屋」
 吉祥寺の路上で「こも」にくるんだ花を広げて裸一貫で商売を始めた母は、僕が小学生二年のとき、朝日新聞の地方版に「結核の主人と三人の子供をささえて」というような美談として記事になった。店をかまえるようになって軌道に乗って来たが、僕は高校・大学と花屋のアルバイトが組み込まれてしまった。毎月の十五日と月末には榊と仏花と生け花のお得意さん廻りの仕事があった。母はあまり売り上げ額の少ないお客さんも大切にし、花好きの人には必ず廻るように言われた。又、お花の先生の中で「花の心」が通じ合える先生にはどんなことをしても花材をそろえた。それはもうけ主義ではなく花を愛する心を持った人にはとことん尽くす母の誠実さでもあった。しかし当時の青二才だった僕は、不効率で母の神経が細か過ぎでずいぶんと反発したものだった。
 花屋の最大のドラマは何といっても「暮」だった。十二月の中頃、松が入ると根引松の根をナタで切り落とす寒風の中でのつらい作業があった。千両が入ればカナヅチで根をたたいて割った。菊やストックなどが入れば新聞紙に束ね直して湯揚げをしなければならない。二十五日から二十八日にかけてはけいこ花を何百杯分も組んでけいこ場に配達した。もうこの頃は次の花を組むのに夜の二時三時までかかり、朝になってしまったこともあった。「何もしないでボーナスが貰えるサラリーマンはうらやましい」とよく言っていたが、あと何回でも花屋の「暮」をやりたいとも言っていた。

静江
関連記事
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://oshimahakkou.blog44.fc2.com/tb.php/899-10c23501
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック