僕の母
大島秋光
「跡」
人生の折り返し地点を過ぎてしまったこの頃、ふと、僕は母がやって来たことの跡をたどっているのに過ぎない─という思いに捉われる時がある。山登りも、スキーも・・・。
五十才にしてスキーに熱中し始めた母は、毎週のように日帰りスキーに出かけ、湯の丸のオーストリースキー教室などにも通っていた。まだスキーにそんなに興味のなかった僕もさそい出してくれて、万座や八方尾根、上越などに連れて行ってもらった。思い出深いのは五月の春先に夜汽車に乗って母と二人だけで立山へ行った時のことだ。今では滑降禁止になってしまったタンボ平を、黒部・立山アルペンの大観峰からのロープウェイをリフトがわりに使い、観光客の視線に優越感を感じながら、まだうまくない僕は母のあとを追いかけるように滑ったものだった。その後三十才を過ぎて僕もスキーに熱中しだした・・・。
小学生の頃はよく家族連れで高原や山につれていってくれ、蓼科、日光、那須などのバンガローに泊った。母は日光の戦場ヶ原や湯の丸、尾瀬、山中湖などが好きで、高山植物や野鳥の声を楽しみに何度も通っていた。これまた、三十才過ぎて子供の時の体験が甦えるかのように僕も山登りに夢中になりだした。そして高山植物やバードウォッチングの世界にも入っていった。母が二度も大雪山へ行った時は僕にとっては他人事だったのだが、娘の小学校最後の思い出に・・・と登った山は結局大雪山なのだった。母がこだわった湯の丸は僕らのファミリーのスキーや山のホーム・ゲレンデになってしまい、十年以上も夏・冬と通い続けるようになっている。
母の行動範囲は拡がるばかりで、カナダヘスキーに行ったり、ヨーロッパ・アルプスを見に行ったりとすごい行動力だった。さすがに僕はもうその跡を追えないでいる。
<「大島静江をしのんで」1994.3>

大島秋光
「跡」
人生の折り返し地点を過ぎてしまったこの頃、ふと、僕は母がやって来たことの跡をたどっているのに過ぎない─という思いに捉われる時がある。山登りも、スキーも・・・。
五十才にしてスキーに熱中し始めた母は、毎週のように日帰りスキーに出かけ、湯の丸のオーストリースキー教室などにも通っていた。まだスキーにそんなに興味のなかった僕もさそい出してくれて、万座や八方尾根、上越などに連れて行ってもらった。思い出深いのは五月の春先に夜汽車に乗って母と二人だけで立山へ行った時のことだ。今では滑降禁止になってしまったタンボ平を、黒部・立山アルペンの大観峰からのロープウェイをリフトがわりに使い、観光客の視線に優越感を感じながら、まだうまくない僕は母のあとを追いかけるように滑ったものだった。その後三十才を過ぎて僕もスキーに熱中しだした・・・。
小学生の頃はよく家族連れで高原や山につれていってくれ、蓼科、日光、那須などのバンガローに泊った。母は日光の戦場ヶ原や湯の丸、尾瀬、山中湖などが好きで、高山植物や野鳥の声を楽しみに何度も通っていた。これまた、三十才過ぎて子供の時の体験が甦えるかのように僕も山登りに夢中になりだした。そして高山植物やバードウォッチングの世界にも入っていった。母が二度も大雪山へ行った時は僕にとっては他人事だったのだが、娘の小学校最後の思い出に・・・と登った山は結局大雪山なのだった。母がこだわった湯の丸は僕らのファミリーのスキーや山のホーム・ゲレンデになってしまい、十年以上も夏・冬と通い続けるようになっている。
母の行動範囲は拡がるばかりで、カナダヘスキーに行ったり、ヨーロッパ・アルプスを見に行ったりとすごい行動力だった。さすがに僕はもうその跡を追えないでいる。
<「大島静江をしのんで」1994.3>

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