パリ滞在中の一日、わたしはモンパルナスの駅前のホテルを出て、地下鉄(メトロ)でガール・レスト(東駅)に行った。駅前のカフェーのテラスでコーヒーをのみながら、堂々としたガール・レストの駅舎を眺めやった。
この駅頭で、家出をして無賃乗車をしてきた少年ランボーは警官につかまって、マザスの牢獄にぶちこまれたのであった。わたしはそんな光景を思い描きながらコーヒーをのんだ。
そこからほど近くにあるコロネル・ファビアン広場を訪ねていった。広場の一角にあるフランス共産党をさがして。あたりの壁には、この春おこなわれた大統領選挙のビラがまだそのまま残っていた。
「みんなの幸福と自由のため
フランスの独立のため
フランソワ・ミッテランに投票しよう
フランス共産党」
ビュット・ショーモンの丘につづくコロネル・ファビアン広場はだらだら坂になった広場で、下から登っていくと、正面の角のテラスに、日本の青年が三人、コーヒーをのんでいた。あいさつをすると、ひとりはすでに六年もパリにいる画家であり、ひとりは詩学を勉強している青年であり、ひとりは陶芸を勉強にきた青年であった。
ひとりが言った。
「こんなところに日本人がなんにきたのです?」
「フランス共産党を訪ねてきたのです」
日本人とはパリでは、モンマルトルでも、シャンゼリゼでもサン・ミッシェルやサン・ジェルマンでもよく会うのだ。かれらはといえば、この近くに、何かペンキを塗るアルバイトにきて、テラスで一ぷくしていたのである。

コロネル・ファビアン広場と近代的なフランス共産党の建物
お供え用の花を手にペール・ラシェーズ墓地へ
この駅頭で、家出をして無賃乗車をしてきた少年ランボーは警官につかまって、マザスの牢獄にぶちこまれたのであった。わたしはそんな光景を思い描きながらコーヒーをのんだ。
そこからほど近くにあるコロネル・ファビアン広場を訪ねていった。広場の一角にあるフランス共産党をさがして。あたりの壁には、この春おこなわれた大統領選挙のビラがまだそのまま残っていた。
「みんなの幸福と自由のため
フランスの独立のため
フランソワ・ミッテランに投票しよう
フランス共産党」
ビュット・ショーモンの丘につづくコロネル・ファビアン広場はだらだら坂になった広場で、下から登っていくと、正面の角のテラスに、日本の青年が三人、コーヒーをのんでいた。あいさつをすると、ひとりはすでに六年もパリにいる画家であり、ひとりは詩学を勉強している青年であり、ひとりは陶芸を勉強にきた青年であった。
ひとりが言った。
「こんなところに日本人がなんにきたのです?」
「フランス共産党を訪ねてきたのです」
日本人とはパリでは、モンマルトルでも、シャンゼリゼでもサン・ミッシェルやサン・ジェルマンでもよく会うのだ。かれらはといえば、この近くに、何かペンキを塗るアルバイトにきて、テラスで一ぷくしていたのである。

コロネル・ファビアン広場と近代的なフランス共産党の建物

お供え用の花を手にペール・ラシェーズ墓地へ
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