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「捨てられた女」の詩人ヴァルモール

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 「捨てられた女」の詩人ヴァルモール

 マルスリーヌ・デボルド・ヴァルモール(一七八六ー一八五九)は、ルイズ・ラベとならんでフランスの偉大な女流詩人である。アラゴンは、ある講演のなかで、フランスの詩の歴史のなかにある「あの現実という金の粒」や「あの人類の光」を消し去ってはならぬと前置きして、さらつぎのように呼びかけている。
 「一八三四年、リヨンの織物工たちが蜂起したとき、マルスリーヌ・デボルド・ヴァルモールがあげた叫び、犠牲となった労働者たちの声そのものであったあの叫びをわすれさせてはならない・・・」(飯塚書店「アラゴン選集」第二巻二七九ページ)
 ヴァルモールのこの叫びは、一八七二年、虐殺され流刑にされたコミューヌ戦士を前にしてあげた、ヴィクトル・ユゴーの激烈な抗議の声に先駆けたものであった。
 一八三一年十一月、リヨンにおいては絹織物業がイギリスその他の国との競争のために不振となり、休業がふえ、労賃の切り下げが行われた。およそ三万の絹織物工たちが賃金の値上げを要求して立ち上った。彼らは「働きながら生きるか、それとも戦って死ぬか」としるした黒旗をかかげて戦ったが、のちにパリの正規軍によって鎮圧された。時の七月王制政府はますます反動的になり、一八三四年三月、あらゆる結社、定期的集会を禁止するにいたった。これに抗議して共和主義者たちは宣伝を強化した。リヨンでは一八三一年に蜂起した記憶がまだ生まなましく残っていたので、政府の新しい法律の制定と労働者の逮捕に抗して、一八三四年四月、ふたたび絹織物工たちが蜂起したのであった。蜂起は四日間の死闘ののち、蜂起した労働者たちがコルドリエ協会において銃殺されたのを最後に、鎮圧された。(以上は西海太郎「フランス現代政治社会史」による)
 ヴァルモールのつぎの詩は、弾圧のむごたらしさと、人殺しどもの冷酷さを、ふるえる怒りをもってあばきだしている。

 街なかで

    ─不吉な日のリヨンで
                        マルスリーヌ・デボルド・ヴァルモール

もう わたしたちには 死者たちを葬る 金もない
牧師はそこにいて 葬式の値段を指さしている
横たわった死体の群は 一斉射撃で穴だらけにされて
経帷子を 十字架を 悔恨(くやみ)の言葉を 待っているのだ

人殺しどもは勝ち誇って 口笛ふいて 通ってゆく
どこへ? お役所へ 血の代金を受けとりにゆくのだ
奴らは人民の血をまき散らしたが その手は疲れない
その手は 戦うまもなく 道ゆく人を刺し殺した

神もとくとご照覧になられた 天に飛びさった女子供を
神は 踏みにじられた花ばなのように 摘みたもうた
男たちは・・・眼まで 血のなかに漬かっている
怒りわななくその魂を 風も吹き払うことはできなかった

魂は自分の死んだからだから 離れようとはしない
牧師はそこにいて 葬式の値段を 指さしている
横たわった死体の群は 一斉射撃で穴だらけにされて
経帷子を 十字架を 悔恨(くやみ)の言葉を 待っているのだ
生者ももう 危険を冒してまで生きようとはしない
道のまんなかに立つ 金(かね)で雇われた 見張り番よ
死者は 不屈な証人をじっと見守り 解き放つ兵士だ
明日 その不屈な証人は はっきりと証言するだろう・・・

 女たち

黒い喪のリボンをつけて 涙のかぎり泣きましょう
傷ついた人たち 運ぶことさえ 禁じられたのです
その人たちはもう 蒼ざめた屍(むくろ)の山になりました
神よ その人たちを哀れみ給え みんなだれひとり武器ももっていなかったのです
       一八三四年四月四日 リヨンにて

(以下略)


<自筆原稿>


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