2010年5月に「アラゴンと大島博光」と題して講演された川上勉先生が、続編─3.「状況詩」の意味─を寄稿してくださいました。
アラゴンと大島博光
3.「状況詩」の意味 立命館大学名誉教授 川上勉
フランスのレジスタンス詩は、「状況詩」と呼ばれることがある。
詩というものは、それがいつの時代のどんな詩であれ、なんらかのかたちで時代を反映していると言えないこともない。そういう意味では、すべての詩は「状況の詩」には違いないが、レジスタンス詩をとりわけ「状況詩」と呼ぶのは、もっと固有の意味がある。私が5月15日に、『アラゴンと大島博光』と題して話した中味は、このことでもあったのだが、時間の関係上説明は省略せざるをえなかった。今回は「状況詩の意味」について、大島博光さんの訳業と関連づけて述べておきたい。
まず、ドイツ軍占領下(1940~1944)で、アラゴンが刊行した詩集や詩論の、主なものだけを抜き出してみると、以下の通りである。
『断腸詩集』1941
『エルザの瞳』1942
『ブロセリアンド』1942
『グレヴァン蝋人形館』1943
『原文どおりのフランス語で』1943
『フランスの起床ラッパ』1944
『祖国のなかの異国にて』1945
これ以外にも小説や評論なども執筆しているのだから、占領下のフランスという事情を考慮すれば、極めて多作な時期であったと言うべきだろう。それにしても、この多産な詩の製作は、「状況詩」と密接に関係していると思われる。それはなぜか。
以前の話のなかで、ドイツ軍占領下の数年間は、それほど長期にわたる期間でもないのに、情勢の特徴によっていくつかの段階に分けられると述べた。この情勢の変化が、アラゴンの詩にも明らかな変化をもたらしているのである。そのことを、大島博光さんは『アラゴン選集』第二巻(飯塚書店)の巻末解説のなかで、次のように指摘しておられる。
「アラゴンのレジスタンスの詩は、その時どきの状況に応じて書かれている。フランスの敗北、占領下の圧政と塗炭の苦しみ、抵抗、蜂起といった状況において、フランス国民の要請にこたえて書かれており、およそ三つに分けられる。
第一は、敗北し、為すことを知らぬ、惨めなフランスにたいする嘆きの歌である。
第二は、ナチス・ドイツ軍の血なまぐさい圧制と虐殺にたいする怒りの歌である。この怒りの歌には、しばしば塗炭の苦しみをなめた人びとの悲しみの涙がいりまじっている。
第三は、勝利を予告する戦いの歌である。
それはまさに「状況の詩」である。しかも、この状況には、あらゆるフランス人の未来がかかっていたのだった。」(強調点は引用者による)
一冊の詩集のなかにも、いろいろな状況や感情を歌った詩が含まれているから、なかには例外的なものもないわけではないが、おおまかにアラゴンの詩集を分類すると、第一の時期には『断腸詩集』と『エルザの瞳』が属し、第二の時期は『ブロセリアンド』『グレヴァン蝋人形館』、そして第三の時期は『フランスの起床ラッパ』ということになる。
アラゴンのレジスタンス詩をこのように三つの時期に分類する捉え方は、実は、小場瀬卓三氏にすでにその例がある(『群像』1953年12月号)。ついでに言えば、小場瀬氏は、当時フランスのレジスタンス運動について積極的に紹介したフランス文学者のひとりで、この三つの時期区分について、「抵抗運動そのものの発展に対応したもので、けっして作者の個人的な感情の移り行きだけを示すものではない」と付け加えていることは大事である。
状況詩というのは、このように、たいへん緊迫した時代状況のなかで、詩という比較的短い文学形式を用いて、悲惨な状態に対する嘆きや、圧制や虐殺に対する怒りや、戦いや蜂起への呼びかけを直接的に表現するものなのである。しかもそれは、詩人の側からの一方通行的な嘆きや怒りや呼びかけではなくて、国民自身がそれを待ち望んでいる歌でもある。それゆえ、状況詩について考えるとき、大島さんが「フランス国民の要請にこたえて」詩が作られると書いておられるのは、とても重要なことなのである。アラゴンのレジスタンス詩を三つの時期に区分することの意味は、それらがそのときどきの国民の要請を敏感に反映している状況詩だからである。状況詩によって詩が国民のものとなるのだ。
念のために言っておくと、状況詩は、ドイツ軍の占領下という戦争の時期にしか書かれないのかといえば、決してそんなことはない。人間と現実との強い緊張関係のなかから状況詩は生まれると思う。自分や自分たちがどのような状況に置かれているかについての厳しい認識から生まれるのである。
以前に触れたように、大島博光さんが戦後最初にアラゴンの作品に接したのは、『フランスの起床ラッパ』であった。つまり、フランスのレジスタンス運動が最も高揚し、激烈を極めた戦闘の時期を反映して、国民に戦いへの蹶起を呼びかけた最も激越な詩集だったのである。それゆえ、大島さんは、まさに典型的な状況詩から出発して、アラゴンの全体像を見渡す視界を広げ、そして、レジスタンスの戦いの意義をわが国に紹介されたことになる。
<大島博光記念館ニュース第16号>
アラゴンと大島博光
3.「状況詩」の意味 立命館大学名誉教授 川上勉
フランスのレジスタンス詩は、「状況詩」と呼ばれることがある。
詩というものは、それがいつの時代のどんな詩であれ、なんらかのかたちで時代を反映していると言えないこともない。そういう意味では、すべての詩は「状況の詩」には違いないが、レジスタンス詩をとりわけ「状況詩」と呼ぶのは、もっと固有の意味がある。私が5月15日に、『アラゴンと大島博光』と題して話した中味は、このことでもあったのだが、時間の関係上説明は省略せざるをえなかった。今回は「状況詩の意味」について、大島博光さんの訳業と関連づけて述べておきたい。
まず、ドイツ軍占領下(1940~1944)で、アラゴンが刊行した詩集や詩論の、主なものだけを抜き出してみると、以下の通りである。
『断腸詩集』1941
『エルザの瞳』1942
『ブロセリアンド』1942
『グレヴァン蝋人形館』1943
『原文どおりのフランス語で』1943
『フランスの起床ラッパ』1944
『祖国のなかの異国にて』1945
これ以外にも小説や評論なども執筆しているのだから、占領下のフランスという事情を考慮すれば、極めて多作な時期であったと言うべきだろう。それにしても、この多産な詩の製作は、「状況詩」と密接に関係していると思われる。それはなぜか。
以前の話のなかで、ドイツ軍占領下の数年間は、それほど長期にわたる期間でもないのに、情勢の特徴によっていくつかの段階に分けられると述べた。この情勢の変化が、アラゴンの詩にも明らかな変化をもたらしているのである。そのことを、大島博光さんは『アラゴン選集』第二巻(飯塚書店)の巻末解説のなかで、次のように指摘しておられる。
「アラゴンのレジスタンスの詩は、その時どきの状況に応じて書かれている。フランスの敗北、占領下の圧政と塗炭の苦しみ、抵抗、蜂起といった状況において、フランス国民の要請にこたえて書かれており、およそ三つに分けられる。
第一は、敗北し、為すことを知らぬ、惨めなフランスにたいする嘆きの歌である。
第二は、ナチス・ドイツ軍の血なまぐさい圧制と虐殺にたいする怒りの歌である。この怒りの歌には、しばしば塗炭の苦しみをなめた人びとの悲しみの涙がいりまじっている。
第三は、勝利を予告する戦いの歌である。
それはまさに「状況の詩」である。しかも、この状況には、あらゆるフランス人の未来がかかっていたのだった。」(強調点は引用者による)
一冊の詩集のなかにも、いろいろな状況や感情を歌った詩が含まれているから、なかには例外的なものもないわけではないが、おおまかにアラゴンの詩集を分類すると、第一の時期には『断腸詩集』と『エルザの瞳』が属し、第二の時期は『ブロセリアンド』『グレヴァン蝋人形館』、そして第三の時期は『フランスの起床ラッパ』ということになる。
アラゴンのレジスタンス詩をこのように三つの時期に分類する捉え方は、実は、小場瀬卓三氏にすでにその例がある(『群像』1953年12月号)。ついでに言えば、小場瀬氏は、当時フランスのレジスタンス運動について積極的に紹介したフランス文学者のひとりで、この三つの時期区分について、「抵抗運動そのものの発展に対応したもので、けっして作者の個人的な感情の移り行きだけを示すものではない」と付け加えていることは大事である。
状況詩というのは、このように、たいへん緊迫した時代状況のなかで、詩という比較的短い文学形式を用いて、悲惨な状態に対する嘆きや、圧制や虐殺に対する怒りや、戦いや蜂起への呼びかけを直接的に表現するものなのである。しかもそれは、詩人の側からの一方通行的な嘆きや怒りや呼びかけではなくて、国民自身がそれを待ち望んでいる歌でもある。それゆえ、状況詩について考えるとき、大島さんが「フランス国民の要請にこたえて」詩が作られると書いておられるのは、とても重要なことなのである。アラゴンのレジスタンス詩を三つの時期に区分することの意味は、それらがそのときどきの国民の要請を敏感に反映している状況詩だからである。状況詩によって詩が国民のものとなるのだ。
念のために言っておくと、状況詩は、ドイツ軍の占領下という戦争の時期にしか書かれないのかといえば、決してそんなことはない。人間と現実との強い緊張関係のなかから状況詩は生まれると思う。自分や自分たちがどのような状況に置かれているかについての厳しい認識から生まれるのである。
以前に触れたように、大島博光さんが戦後最初にアラゴンの作品に接したのは、『フランスの起床ラッパ』であった。つまり、フランスのレジスタンス運動が最も高揚し、激烈を極めた戦闘の時期を反映して、国民に戦いへの蹶起を呼びかけた最も激越な詩集だったのである。それゆえ、大島さんは、まさに典型的な状況詩から出発して、アラゴンの全体像を見渡す視界を広げ、そして、レジスタンスの戦いの意義をわが国に紹介されたことになる。
<大島博光記念館ニュース第16号>
- 関連記事
-
-
アラゴン「すべての女たちのなかのひとりの女を」 2012/03/03
-
フランスの起床ラッパ もくじ 2012/03/03
-
アラゴンと大島博光 3.「状況詩」の意味 2011/01/12
-
東大教養学部新聞1950年7月5日号で「フランスの起床ラッパ」 2010/07/28
-
陽に輝くカテドラル─アラゴンはうたう 佛学生の抵抗(早稲田大学新聞) 2010/07/27
-
この記事のトラックバックURL
http://oshimahakkou.blog44.fc2.com/tb.php/863-a614b9a3
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック