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稲田三吉氏のエッセイ「アラゴン友の会」

ここでは、「稲田三吉氏のエッセイ「アラゴン友の会」」 に関する記事を紹介しています。
 フランス文学者の稲田三吉氏が『文化評論』1986年3月号に「アラゴン友の会」というエッセイを書いています。アラゴン『フランスの起床ラッパ』の今日の意義を考えさせる文章だと思いました。

   ◇   ◇   ◇

 アラゴン友の会
                      稲田 三吉

  もう一年ほど前のことになるが、フランスで「ルイ・アラゴン、エルザ・トリオレ友の会」というのが設立された。私はかなりおそくその事実を知り、さっそく、連絡先であったシャルル・ドブジンスキーの住所へ、年会費百フランとともに、入会申込みの手紙をおくった。折り返し、会員証とともに、くわしいドブジンスキーからの返事をもらった。それによるとこの会は、アラゴン、トリオレ両作家の作品の普及、読者・研究者の情報交換・親睦が主たる目的で、名誉会長に フィリップ・スーポー、アンドレ・マッソン、会長ジャン・フェラ、その他、ラファエル・アルベルティ、ジャン=ルイ・バロー、エドモンド・シャルル=ルー、マドレーヌ・ルノー、ヤニス・リツォス等のそうそうたる顔ぶれが会員に名をつらね、ドブジンスキーが事務局長をつとめる、とあった。
 私は会長の名を見たとき、一瞬おどろきを禁じえなかった。ジャン・フェラという名を、私は一枚のレコードをつうじてしか知らなかったからである。数年前から親しくつきあっている年輩のフランス女性から、私がアラゴンを研究しているからということで、一枚のシャンソンのレコードを借りた。それがジャン・フェラのものであった。私はその名を知らなかった。だが低音の、声にはばのあるその歌い方には実に魅力があった。ジャケットには、ザンバラ髪でひげをはやした、ひどく男性的な人が笑って写っている。そのレコードでフェラは、「愛に死する者は幸いなるかな」と、「いつの日か、いつの日か」という二篇のアラゴンの詩を歌っている。
 フェラは一つひとつの詩篇の内容をふかく理解し、いずれも自分で作曲して、しみじみと語りかけるように歌う。近ごろやたらに伴奏が派手になって、詩そのものが失われてしまった歌やシャンソンがはやる世の中であるが、フェラのそれは語りというシャンソンの原点を見失っていないように思われた。

 十一月に「アラゴン、トリオレ友の会」の総会なるものが開かれた。私は出席できないので委任状だけ送ったが、年末にこの総会の 報告がとどけられた。現在三百六十名の会員がいること、また「アラゴン、アラゴンを語る」という、生前のアラゴンの肉声を編集したカセットを「友の会」で発売する、などの報告とならんで、次のようなタピスリー(つづれ織)の予約申込みの案内が付されていた。
 それは、ミシュリーヌ・アンリという女性の手になるタピスリーで、「ルイ・アラゴンへの讃歌」と題されている。見本の写真によると、それは、猿ぐつわをはめられ、後ろ手にしばられた数名の男女が、鳥の背にのって天上へ上っていくような絵である。タピスリーであるから、全体が寓意的にえがかれているけれども、それがレジスタンスの犠牲者 たちを表わしていることは明らかである。猿ぐつわをはめられた一人が手に鵞ペンをもち、画面左上の余白にこう書いている──

 だが もう一度行けとなら
 またこの道を わたしは行こう
 牢獄より湧きあがる声は
 明日のひとびとに 語りかける
        (大島博光訳)

  『フランスの起床ラッパ』のなかの「責苦のなかで歌ったもののバラード」の一節である。私は初めこの見本をみたとき、画面ぜんたいから何か暗い、悲惨なものの印象をうけ、レジスタンスの時期から四十年以上もたっているのに、何も今さら、と思わないでもなかった。だが何度も見ているうちに、「明日のひとびと」にほかならない私たちが、このような闘いのなかで死んでいった人々のことを忘れてしまったら、もはや人間の資格を失うのではないか、と思った。
(いなだ さんきち・仏文学者・早稲田大学教授)

<『文化評論』1986.3>
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