サン・マルタン街の歌
ロべ-ル・デスノス
大島博光訳
サン・マルタン街なんか もう好きじゃない
アンドレ・プラタールが 姿を消してからは
もう サン・マルタン街なんか 好きじゃない
なにもかも ぶどう酒さえも 好きじゃない
サン・マルタン街なんか もう好きじゃない
アンドレ・プラタールが 姿を消してからは
あいつは おれの友だち 相棒だった
おれたちや パンも部屋も わかちあった
もう サン・マルタン街なんか 好きじゃない
あいつは おれの友だち 相棒だった
ある朝 あいつの姿は 消えちゃった
しょっぴかれた というほか なんにも分らぬ
もう サン・マルタン街で あいつに逢えぬ
メリや ジャックや ジェルべや マルタンの
聖者たちにきいても たのんでも わからない
丘に身をかくした 聖ヴァレリアンもご存じない
時がたっても なにひとつとしてわからない
サン・マルタン街に アンドレ・プラタールはもういない
一九四二年
訳註 一九四二年、ナチス・ドイツ軍による占領下、パリ第三区のサン・マルタン街で、友人のアンドレ・プラタールが逮捕されたのち、ロべ-ル・デスノスはこの詩をかいた。アンドレ・プラタールは、収容所に連行されたのか、モン・ヴァレリアンの丘で銃殺されたのか、なにもわかっていない。つまり「聖ヴァレリアンもご存じない」というわけである。なお、ナチスによる人質銃殺によって有名になったパリ郊外モン・ヴァレリアンという名の由来には、この詩にあるように、そのむかし聖ヴァレリアンがこの丘に身をかくしたという故事があるのかも知れない。
ロべ-ル・デスノスは、一九四四年二月二二日、パリで逮捕され、ビュフェンワルドの収容所に送られた。終戦後、解放されたが、チブスのためチェコスロバアキヤで死んだ。
<掲載誌不詳>
ロべ-ル・デスノス
大島博光訳
サン・マルタン街なんか もう好きじゃない
アンドレ・プラタールが 姿を消してからは
もう サン・マルタン街なんか 好きじゃない
なにもかも ぶどう酒さえも 好きじゃない
サン・マルタン街なんか もう好きじゃない
アンドレ・プラタールが 姿を消してからは
あいつは おれの友だち 相棒だった
おれたちや パンも部屋も わかちあった
もう サン・マルタン街なんか 好きじゃない
あいつは おれの友だち 相棒だった
ある朝 あいつの姿は 消えちゃった
しょっぴかれた というほか なんにも分らぬ
もう サン・マルタン街で あいつに逢えぬ
メリや ジャックや ジェルべや マルタンの
聖者たちにきいても たのんでも わからない
丘に身をかくした 聖ヴァレリアンもご存じない
時がたっても なにひとつとしてわからない
サン・マルタン街に アンドレ・プラタールはもういない
一九四二年
訳註 一九四二年、ナチス・ドイツ軍による占領下、パリ第三区のサン・マルタン街で、友人のアンドレ・プラタールが逮捕されたのち、ロべ-ル・デスノスはこの詩をかいた。アンドレ・プラタールは、収容所に連行されたのか、モン・ヴァレリアンの丘で銃殺されたのか、なにもわかっていない。つまり「聖ヴァレリアンもご存じない」というわけである。なお、ナチスによる人質銃殺によって有名になったパリ郊外モン・ヴァレリアンという名の由来には、この詩にあるように、そのむかし聖ヴァレリアンがこの丘に身をかくしたという故事があるのかも知れない。
ロべ-ル・デスノスは、一九四四年二月二二日、パリで逮捕され、ビュフェンワルドの収容所に送られた。終戦後、解放されたが、チブスのためチェコスロバアキヤで死んだ。
<掲載誌不詳>
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