「ぼくはパルファン川の歌ごえをきく」に夢中に─生誕100年記念のつどいにて丸山亜季先生

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「ぼくはパルファン川の歌ごえをきく」に夢中に
  ─生誕100年記念のつどいにて丸山亜季先生のあいさつ

最初に「ぼくはパルファン川の歌ごえをきく」というベトナムのグエン・スオン・サインという詩人の詩を大島博光先生が訳された、に作曲しました、これを最初に歌います。
それは大島博光先生の詩に作曲した一番古いものです。
ベトナム戦争の頃、赤旗にこの訳が載ったのです。
私はそのころのベトナム支援の詩をたくさん読みましたけれども、これを読んだとたんに、これ!と思って、本当にその晩から、曲をつくってきたんですけど。
なぜそんなに夢中になってしまったかというと、闘いそのものは描いてはいないけれど、ふるさとのパルファン川のことを歌っている中で、一番最初に目についたのは「学校で習った詩のようにこころよかった」その一行だったのです。そこでどきっとしました。私は小学校に入ったときから戦争の時代に育ちました。「学校で習った詩のように」といえるものを私たちは習ったんだろうか?と泣くほど、涙が出るほどこの曲に惹かれました。このひとは、グエン・スオン・サインというひとはきっとベトナムの素晴らしい詩を学校で国文の時間に教わったんだろうなと思いました。だからこそ、「学校で習った」ということが中心になっていると思いますけれども、彼は詩を志したのかもしれません。
パルファン川というグエン・スオン・サインの生まれ故郷の川、いつも小さな舟が行き来していて、そこにベトナムのたくさんのちっちゃな舟歌が聞こえていたその川、南ベトナムだと思います。彼は北爆のひどい時期に北ベトナムに行っていたんです、戦って。そこからただの望郷ではない故郷への想いを歌っているんです。それがどんなにベトナムの人たちと同じ心なのか、自分たちの大地、自分たちの故郷、自分たちの町・村・川・山、自分たちの希望を取り返したいのですね、理不尽に踏みにじられているこの祖国を。だから私が祖国という時のイメージとこの人たちが祖国といっているイメージは違うんだろうなとわかります。そういうことが一体となって作ったということなのです。
私が大島先生にふれたのもそれを読んで初めてお名前を知ることができたんです。その後、フランスの起床ラッパを読んでものすごく感動したんです。そういうかかわりで私は大島先生の曲をいくつかその後も作ったのです。
歌ってくれる人たちは群馬や東京などの音楽教育の会という私たちの教師とか保育士とかその他のひとたちで組織されていますが、授業の中で「学校で習った詩のように」というそういう音楽を子供たちに伝えていく仕事をしている人たちです。その人たちとみんなでこれから4曲を歌います。
(2010.11.3 松代文化ホール)

★ぼくはパルファン川の歌声をきく
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