昭和27年、奈切哲夫が「大島博光救援会」をつくって呼びかけ、詩人たちが募金に応じていたことがわかりました。現金書留などの封筒が保存されていました。
この年5月、博光は肺結核のため胸郭成形手術を受け、長男朋光も小児結核で長期入院となり、桃子を妊娠していた静江は看病と出産準備のため花屋ができなくなり「病気と貧乏のどん底」*に。みかねた奈切が発起人となって始めたようです。
一口50円で、200~500円が多いなかで西條八十は破格、手紙には「とりあへず参千円小為替でお送り申し上げます」。小山清茂(作曲家)、長谷川健(松代出身・早稲田の後輩)は古い友人、『角笛』や『新領土』の同人もいますが、関係がわからない方もたくさんいます。
博光の口から聞いたことはありませんでしたが、大変ありがたいことだったのは間違いありません。

<募金者リスト>(封筒・手紙より)
安藤一郎 東京都港区芝高輪
井上栄志乃 東京都杉並区下高井戸・・・『角笛』同人
木村茂雄 函館市湯浜町
駒澤真澄 長野県埴科郡寺尾村
小山清茂 東京都北多摩郡久留米村
西條八十 東京都世田谷区成城町
斎藤磯雄 東京都杉並区高円寺
坂井徳三 東京都板橋区前野・・・篠原病院宛
佐藤和夫 栃木県小川町
佐藤さち子 船橋市宮本町
杉浦伊作 浦和市
田中久介
田村正也 東京都三鷹市上連雀・・・『角笛』同人
土屋二三男 東京都中野区野方
中島睦行 長野県更級郡青木島村
中野嘉一 三重県松阪市殿町
野田真吉 東京都杉並区成宗
長谷川健 長野県松代町
福永英二 鎌倉市浄明寺
真壁仁 山形市宮町
益子和夫 東京都新宿区歌舞伎町
松永伍一 福岡県三潴郡
松本隆晴 長野県上田市丸掘・・・『新領土』同人
向井孝 姫路市亀山
村野四郎 東京都文京区林町・・・『新領土』同人
山口真 大阪市東住吉区
吉岡憲 東京都新宿区上落合
由谷卓 姫路市網手区
拝復 大島博光氏のご病気まったく御気の毒の至りに存じます。わたしも十年前からの闘病生活、もう五年も職から離れてゐるので、こころざしと金銭とは甚だかけ離れてゐてきまりが悪いが貧者の一灯として、同封百円お納め下さい。 ・・・大島氏にもげんかくな療養生活が望めたらお願いしたいと思います。将来のために。それから長男の方は、誰か是非世話して東京都下清瀬の小児結核療養所に入れてあげて下さい。経費は国又は都負担で出来る筈です。一年もはいっていれば完全に丈夫になれますから。
昭和二十七年七月二日
大島博光救援会発起人殿
◇ ◇ ◇
*・・・
わたしの病気と貧乏のどん底のなかでも
きみは敢然と立ち向かって くじけなかった
ひまわりのように きみはいつも輝いていた
たたかって生きる希望に 生きるよろこびに
黒を憎み くらやみに組することを拒み
絶望を拒否したきみは 楽天主義の模範だった
きみのおかげで わたしは愛を信じることができた
きみのおかげで わたしは人間を信じることができた
・・・
(「妻静江を送る」)
この年5月、博光は肺結核のため胸郭成形手術を受け、長男朋光も小児結核で長期入院となり、桃子を妊娠していた静江は看病と出産準備のため花屋ができなくなり「病気と貧乏のどん底」*に。みかねた奈切が発起人となって始めたようです。
一口50円で、200~500円が多いなかで西條八十は破格、手紙には「とりあへず参千円小為替でお送り申し上げます」。小山清茂(作曲家)、長谷川健(松代出身・早稲田の後輩)は古い友人、『角笛』や『新領土』の同人もいますが、関係がわからない方もたくさんいます。
博光の口から聞いたことはありませんでしたが、大変ありがたいことだったのは間違いありません。

<募金者リスト>(封筒・手紙より)
安藤一郎 東京都港区芝高輪
井上栄志乃 東京都杉並区下高井戸・・・『角笛』同人
木村茂雄 函館市湯浜町
駒澤真澄 長野県埴科郡寺尾村
小山清茂 東京都北多摩郡久留米村
西條八十 東京都世田谷区成城町
斎藤磯雄 東京都杉並区高円寺
坂井徳三 東京都板橋区前野・・・篠原病院宛
佐藤和夫 栃木県小川町
佐藤さち子 船橋市宮本町
杉浦伊作 浦和市
田中久介
田村正也 東京都三鷹市上連雀・・・『角笛』同人
土屋二三男 東京都中野区野方
中島睦行 長野県更級郡青木島村
中野嘉一 三重県松阪市殿町
野田真吉 東京都杉並区成宗
長谷川健 長野県松代町
福永英二 鎌倉市浄明寺
真壁仁 山形市宮町
益子和夫 東京都新宿区歌舞伎町
松永伍一 福岡県三潴郡
松本隆晴 長野県上田市丸掘・・・『新領土』同人
向井孝 姫路市亀山
村野四郎 東京都文京区林町・・・『新領土』同人
山口真 大阪市東住吉区
吉岡憲 東京都新宿区上落合
由谷卓 姫路市網手区
拝復 大島博光氏のご病気まったく御気の毒の至りに存じます。わたしも十年前からの闘病生活、もう五年も職から離れてゐるので、こころざしと金銭とは甚だかけ離れてゐてきまりが悪いが貧者の一灯として、同封百円お納め下さい。 ・・・大島氏にもげんかくな療養生活が望めたらお願いしたいと思います。将来のために。それから長男の方は、誰か是非世話して東京都下清瀬の小児結核療養所に入れてあげて下さい。経費は国又は都負担で出来る筈です。一年もはいっていれば完全に丈夫になれますから。
昭和二十七年七月二日
大島博光救援会発起人殿
◇ ◇ ◇
*・・・
わたしの病気と貧乏のどん底のなかでも
きみは敢然と立ち向かって くじけなかった
ひまわりのように きみはいつも輝いていた
たたかって生きる希望に 生きるよろこびに
黒を憎み くらやみに組することを拒み
絶望を拒否したきみは 楽天主義の模範だった
きみのおかげで わたしは愛を信じることができた
きみのおかげで わたしは人間を信じることができた
・・・
(「妻静江を送る」)
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