
松代文化ホールで大島博光生誕100年記念のつどいが行われました。
群馬と東京の音楽教育の会有志の皆さん65名が、丸山亜季先生のピアノで4曲を演奏。
ベトナム戦争の中で書かれた「僕はパルファン川の歌声を聞く」、アラゴンの「フランスの起床ラッパ」より「薔薇と木犀草」、エリュアールの「自由」、そして「春がきたら」。
詩に曲がついて歌われることの意味を強く感じました。

博光の訳詩にであい最初に作曲した「僕はパルファン川の歌声を聞く」。
「学校で習った詩のようにこころよかった」という1行に亜季さんは心動かされ、2日ほどで作曲した。
音楽教育に生涯にわたって係わってきた亜季さんらしい心の揺らめきが語られました。

会場からは暖かな拍手がおくられ、アンコールの声に応え、「春がきたら」を再度歌ってくださいました。はじけるような元気いっぱいの歌声、歌う皆さんの何と輝いていたことでしょう。

つどいは大島朋光記念館の大島朋光館長のあいさつに続いて、「大島博光の詩と生涯」がスライドとナレーションによって紹介され、西島史子さんによる詩の朗読は「心にこんなにもしみたことは無かった!」感動を呼びました。
スライド制作は博光をもっともよく知る館長が作ったもの。千曲川の風景をバックに館長夫人のナレーションが館内に響き渡りました。

東栄蔵先生の「信州文学と博光」と題する講演は、期待に違わず分析的でありながら大変わかりやすいお話でした。
・・・『老いたるオルフェの歌』は亡き妻への恋歌として比類がない。他に挙げるとすれば「智恵子抄」になる。ぜひ手にとって読んで欲しい。
博光は千曲川の詩を人生の節々で11篇書いている。千曲川をうたった詩には藤村の『千曲川旅情の歌』があり、美しい詩だが、旅人の立場でうたっている。これにたいし博光は、自分の生の原点としての千曲川を歌っている。この様な詩人はほかになく、「千曲川の詩人」といっていい。この点を「信州文学と大島博光」として位置づけられる。・・・





閉会のあいさつに壇上に立った大島秋光副館長は「自分は親父は病人だと思っていた。肺結核で片肺を切除し、体調が悪くて目かくしタオルをして昼間から寝ている父、収入を得なかった人という印象を持っていたが、今日のこのつどいで、親父はすごい財産を残してくれたと感じた」と印象深い話をされました。


はなやにて東先生を囲んで懇親会。「今日の講演のために博光の詩を改めて全部読み込んだ、宿題を与えられたようだったが勉強になった」と東先生。
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