詩は有用である─東京民研音楽部会によばれて

ここでは、「詩は有用である─東京民研音楽部会によばれて」 に関する記事を紹介しています。
随想 
 詩は有用である
                          大島博光

 過日、わたしは東京民研音楽部会のみなさんの勉強会によばれて、エリュアールの「自由」やわたしの「春がきたら」という詩について話をする機会にめぐまれた。

 小学生の ノートのうえに
 机のうえ 樹の幹に
 砂のうえ 雪のうえに
 わたしは書く きみの名を
 
 このように始まるエリュアールの「自由」は、第二次大戦中の対独レジスタンスのなかで書かれた有名な詩で、連合軍の飛行機でばらまかれて、ナチスの軍靴のもとにうちひしがれていたフランス人民をはげまし、抵抗に立ちあがらせたといわれる。
 はじめ、この詩は恋人のニューシュにささげられるはずだったが、エリュアールの頭のなかにふと自由の理念がひらめいて、恋人の名の代りに自由が置かれるようになったといわれる。そのとき愛を歌うことと自由をかちとることとは同じたたかいだったのだ。戦後、この詩は小学校の教科書にのせられて、フランスの子どもたちにひろく読まれているという。
 わたしの「春がきたら」という詩は、けやきの樹が春にはさかんに樹液を吸いあげる、その生命の激しさを歌ったもので、戦後まもなく三鷹の古老の植木屋さんから開いた話を詩に書いたのである。思えば、その植木屋の老人こそは詩人だったということができる。
 終りに、会のみなさんは、その「自由」や「春がきたら」を、丸山亜李さんの作曲による歌曲で合唱してくれた。わたしは、詩が作曲されてほんとうの歌となり、新しいひびきや旋律をもって歌われる、その歌の力というものを感じて、たいへんはげまされる思いをつよくした。
 こんにち、世界じゅうで詩は読まれなくなっているといわれる。しかし、人びとが自由をもとめ、子どもたちの成長をねがい、生きる悦びや春の歌をもとめ、幸せや平和をねがい、深い心の渇き、あこがれ、愛などをもつかぎり、詩はうたわれつづけ、詩は読まれつづけるだろう。それにこたえて、詩人たちは魅惑にみちた、みずみずしい泉のような詩をつくらなければならない。
 「詩はパンよりも有用である」──これもエリュアールの言葉である。

<掲載誌不詳(全教関連誌)1992年>

関連記事
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://oshimahakkou.blog44.fc2.com/tb.php/776-659eeeda
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック