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西條八十先生の思い出(上)

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西條八十先生の思い出(上)
                              大島博光

 わたしが最初に西條八十先生に会ったのは、わたしが早稲田の仏文に入った、一九三一年(昭和六年)のことだった。
 そのとし、高田牧舎の前あたりにあった、早稲田の文学部の校舎は、たしか、むかしの坪内逍遙や片上伸などで知られる、緑色の洋風木造二階建から、四階建てのモダンな建築に変った。校舎の前に、ちょっとした芝生の広場があって、わたしたちはよくそこに横たわって、遊びのプランなどをたてたものだった。
 教壇に立った西條先生も、瀟洒な、ハイカラな背広に痩身をつつんだ壮年の教授だった。先生はすでに高名で、先生の作詞した歌が巷に氾濫していた.早稲田においても、先生は名物教授のひとりで、先生の講義をあてにして仏文に入ってくる学生もいた。先生はしばしば、わたしたち四、五名の学生を連れて、学校の近くの喫茶店に講義の場所を移した。それほどにもその頃は、仏文科の学生は少なかった。せいぜい、十七、八名だったろう。この喫茶店での講義は後に早稲田の伝説ともなった・・・

 早稲田のキャンパスの近くの喫茶店
 わたしたちは 先生を囲んで坐っていた
 先生のヴエルレーヌの話がおもしろかった
 ということくらいしか おぼえていない
 しかし そのとき 先生の前にあった
 チキンライスのだいだい色だけは
 鮮やかにいまもわたしの眼に見える

        *
 いま引用した詩は、一九八〇年、わたしが西條嫩子さんにすすめられて書いた「香りもない花束──わが師西條八十の思い出に」という詩から引用したものである。これを書いたとき、わたしも七〇歳であった.

 いつか わが身もこころも老いさらばえて
 遠い春の日をはるかに思いかえしても
 すべては茫漠とかすんで 墨絵のようだ
 だが墨絵ながらにわたしは書いておこう
 わが師西條八十の思い出のはしばしを
 先生にささげるには あまりに貧しく
 色どりもなく香りもない花束であろうと


 思えば、この詩を書いてからさえ、もう十六年もすぎて、わたしはますます老いぼれとなり、記憶もうすれ、思い出をかくペンもすすまない。結局、前に書いたこの詩をたよりに思い出をたぐるしかない。したがって、このあとにも引用するわたしの詩節はこの「香りもない花束」からの引用である.
           *
 それから忘れられないのは、二学年の六月未、先生がわたしたち仏文のクラス十数名を、水上温泉へ連れて行ってくれたことである。

 思い出せば わが春の日も輝いていた
 あの六月の 奥利根のみどりのように
 われら 十人あまりの仏文科の学生を
 先生は 水上温泉へひき連れて行った
 まるで 小学生たちの遠足のように・・・

 夕ぐれて 西日がまぶしく射していた
 宿の広間には 膳と酒とが並べられ
 詩人の司祭する 青春の祭りが始まった
 おお 湧きあがった笑いよ 歌ごえよ
 だが 若わかしかった先生もとうに亡く
 あのときの若者たちは どこにいるだろ

          *
 先生のランボオについての講義で、忘れられない一つの詩節がある.それは、「初めての夜」という詩の冒頭の一節で、およそつぎのようなものである。

 ──彼女は すっかり脱いだ
 すると 無遠慮な大樹は
 その枝葉を窓べに伸ばした
 いたずらっぽく すぐ近くへ そばへ


「すっかり脱いだ」彼女を見ようとする願望を、大樹の枝葉に託して、きわめて自然にやさしく表現したこの手法を、先生がたいへん愛していたことが、その講義とともに、いまも思い出される。たしか、先生はご自分の詩でも、どこかでこの手法を──つまり暗喩(メタフォル)の手法を活用されているはずである。
           *
 その頃わたしは やみくもに反抗を養っていた
 ひとりよがりの コップのなかの反抗を
 そうして卒業論文にランボオを書いた
 いかめしかった吉江先生とならんで
 微笑みながら 先生はそれを講評された


 ランボオについて書いたこの卒業論文のおかげで、わたしは先生の知遇を得ることになった。そうして卒業後しばらくして、先生の主宰する詩誌「蝋人形」を編集することになった。

 その後 わたしは先生の近くで 八年
 「蝋人形」の編集をすることになる
 おお 柏木三丁目の西條邸の茶の間よ
 赤松に石燈籠をあしらった芝生の庭よ
 女子大生だった嫩子さんが姿を現わす


 西條邸の茶の間が、「蝋人形」の編集室であった。いまは亡き横山青蛾、門田ゆたか、といった詩人たちがよく集まっていた。仕事が片づくと、西條夫人をかこんで、花札の遊びが始まった。そうして夕ぐれには、みんなで新宿に繰り出して行ったことが、楽しく思い出される・・・
           *
 いつか、先生は風邪でやすんでいた。お見舞いにゆくと──「からだじゅう霜柱だらけだよ」と言われた。
 この言葉を、わたしは驚きをもって覚えている。先生はいつもイメージで、詩のことばで、思考しているのだと。わたしはそこに、先生の溢れでる詩想の秘密のひとつを見る思いがした。

(「西條八十全集 月報11」1997年)

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