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陽に輝くカテドラル─アラゴンはうたう 佛学生の抵抗(早稲田大学新聞)

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陽に輝くカテドラル──アラゴンはうたう 佛学生の抵抗(レジスタンス)
                               大島博光

 第二次大戦の暗いみじめな思い出が、わたしたちの胸のなかにも、焼け跡の灰のなかにも、まだなまなましくうずいているのに早くもまた戦争を叫ぶいまわしい声がきこえ戦争の匂いが立ちこめている。わたしたちは今こそ、戦争の意味するものを、はっきりと見つめねばならぬ。
 とくに「学徒出陣」といういつわりの光栄に飾られて、空しく青春を戦火のなかに投げ棄てねばならなかった多くの若ものたちの血の叫びは「きけわだつもの声」のなかに、怒りとなり呻めきとなって鳴りひびいている。わたしたちはこの叫びの意味するものをもっとはっきり見つめねばならぬ。
 こんどの戦争における日本の学生たちの不幸と惨めさは、全くきわだっている。というのは、例えば、ナチ・ドイツの野蛮な鉄蹄にふみにじられたフランスの学生たちは、その不幸と惨めさのなかでもなお、祖国フランスと文化のために戦い抵抗することができたのだ。アラゴンはそのような学生たちの抵抗運動をストラスブール大学の歌詞のなかで歌い、学生たちをはげまし鼓舞したのであった。この詩の一部分の大意を紹介すれば、この詩はつぎのように始まっている。

 陽の色に輝やく大講堂
 ドイツ人どもに囚われながら
 おまえはなお倦むことなく数える
 めぐる季節を 月日を 流れる時を
 おお ストラスブールの大講堂

 学生たちは別れを告げて旅立った
 アルザスの空とぶこう鶴と
 おまえの薔薇形窓の思い出を
 いっぱいつめた背負袋を肩に
 それは幸先よくうまく運んだ

ストラスブールは独沸国境に近い町で、いち早くナチに侵入され学生たちはリュックを背負ってフランス中央のクレルモンの町に疎開し、そこに大学をひらく

 教えるとは 希望を語ること
 学ぶとは 誠実を身につけること
 彼らはなおも苦難のなかで
 その大学をふたたび開いた
 フランスのまん中クレルモンに
 いにしえの学識高き教授たち
 審判者(さばくもの)の眼ざしをもつ若者たち
 君たちはこの避難所で
 大洪水の翌の日を準備する
 再びストラスブールへ帰えりゆく日を

しかし残虐なファシストの暴力は学生たちを追求し、若い血は流される。

 奴らは鉄の拳でまき散らす
 われらのかまどの灰までも
 奴らは手あたりしだい撃ち殺す
 見よ 教壇に崩折れたこの肉体を
 何を為すべきか為すべきか わが友よ
 <無垢な幼児たち>の大虐殺を
 エロードが命ずるとすれば
 知れ それは君たちのうちより
 ひとりのキリストの生まれいで
 美しい血の色に驚くを怖れるからだ 

ナチの手で学生たちの血は流される。詩もまた調子を高める。学生たちの虐殺が<幼児大虐殺>にたとえられて、深いひびきをもって歌われる。聖書によれば、ユダヤ王エロードは幼きキリストを殺さんとして、命じて多くの幼児たちを殺させた。ここでエロードがヒットラーを象徴していることは言うまでもない。

 ストラスブールの息子たちは倒れる
 だが 空しくは死なないだろう
 もしも 彼らの赤い血が
 祖国の道のべにふたたび花咲き
 そこにひとりのクレベエルが立ち上るならば
 今よりはかずかずのクレベエルたち
 それは百人となり 千人となり
 つずく つずく 市民の兵士たち
 われらの山やまに 町まちに
 義勇兵とパルチザンたち

「ひとりのクレベエルが立ち上るならば」─このクレベエルとは一七九二年のフランス革命に志願兵として参加し、マインツ・フルーリュの戦いに功をたてたストラスブール出身の将軍である。アラゴンはフランス革命の伝統と郷土の革命革命戦士と愛国者の象徴にクレベエルをここに呼び出し、学生たちの革命的愛国心に呼びかけてるのだ。そうして詩はさらにつずけられる。

 ストラスブールの プラーグの オスロオの
 三つの受難の大学
 見つめよ奴らの撃ちまくる間も
 奴らはやがて敗れ 逃げゆく
 奴らの運命は敗北と知れ
 武器なき英雄たちよ 武器をとれ
 ストラスブールとフランスと世界のために
 呻めき唸りつぶやく
 あの深い声を聞け
 まんじの殺人者どもは滅るのだ

ナチの野蛮な暴力と追求の下、祖国フランスが最も苦難のさなかにあった時、アラゴンがなおこのような堅く激しい祖国と勝利への確信をもって、ひとびとに呼びかけはげますことのできたのは、ほかならぬ、彼が祖国とその同胞とその文化とを深く愛し、祖国フランスを愛し戦うことがそのまま自由と独立のためのたたかいだったからである。かくて彼は『コンミュニストこそが真の愛国者でありうる』と言うことができたのだ。─いま、アラゴンのこの詩は、わたしたち日本人の心に、いっそう深い呼びかけと鼓舞をもって鳴りひびいてくる。──(学園卒作家)

<「早稲田大学新聞」1950年5月>

*   *   *
この文章は三一書房版「フランスの起床ラッパ」(1951年2月)出版の前年に発表されていること、訳文も異なっていること、ガリ版刷りの「フランスの起床ラッパ」とも異なっていることなどから、翻訳の時期や推敲の過程を知る上で参考になります。ちなみに、ガリ版刷りの「フランスの起床ラッパ」ではつぎのようになっています。

  ストラスブール大学の歌

 日の色をしたカテドラルよ
 ドイツ兵たちの捕りょになったカテドラルよ
 お前はあくこともなくかぞえている
 季節々々を月々を刻一刻を
 おおストラスブールのカテドラルよ

 この町からある日人々はのがれていった
 お前のばら形をした窓々と
 アルザスの鸛(こうのとり)の思い出を
 旅嚢につめて肩におい
 ちまたをはしり

 教えるとは 希望を心にいだくこと
 学ぶとは 誠を胸にきざむこと
 かって彼らはひらいた
 その大学を 国難せまる
 フランスの中央クレルモンで
 ・・・

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