FC2ブログ

「赤いポスター」(下)

ここでは、「「赤いポスター」(下)」 に関する記事を紹介しています。
 この事件から十一年後の一九五五年に、アラゴンはこのグループの英雄的な国際主義と指導者マヌーシアンのうつくしいヒューマニズムの精神を思い出し、これを讃えて「思い出すための歌章」──つまり「赤いポスター」を書いたのだった。

  思い出すための歌章
    ──赤いポスター

 きみらは求めなかった 栄光も ひとの涙も
 息絶える 最期(いまわ)の祈りも 葬(とむら)いの鐘の音(ね)も
 あの日から はや十一年が過ぎた 十一年が
 きみらはさりげなく 銃を手に執って闘った
 死もパルチザンの眼を眩(くら)ますことはできなかった

 きみらの顔写真は 町まちの壁に貼られた
 その黒いひげづらよ 怒り立ったざんばら髪よ
 きみらの名を呼ばうのはどうしても叶わぬので
 一滴の 血の痕のような そのポスターで
 道ゆく人びとの眼に 恐怖をふり撒こうとしたのだ

 きみらをフランス人とは だれも思わぬふりをした
 昼まは きみらの方に 眼もやらずに通り過ぎたが
 消灯の頃ともなれば だれかがそっとやってきて
 きみらの下に書いた フランスのために死んだ
 だが暗欝な朝がくると それはまた変えられていた

 とうとう二月の末 きみらの最期の時がきた
 ものみなが いちように霧氷の色を帯びていた
 そのときだ きみらの一人が静かに言ったのは
 幸せをすべての人に 幸(さち)あれ 残った人に
 ドイツの人民を憎まずに わたしは死ぬ

 さようなら苦しみよ悦びよ さようなら薔薇よ
 さようなら 人生よ さようなら 光よ風よ
 結婚して幸福になり 時にはわたしを思っておくれ
 やがてエレヴァンに すべてけりがつくとき
 きみはこの美しい世界に それからも残るのだ

 明るい冬の太陽が 向うの丘を照らしている
 自然はこんなに美しく 心は張り裂けんばかり
 正義は 勝ち誇るわが足跡の上にやってくる
 わが愛するメリーネよ 恋びとよ 親なし娘よ
 きみは生き永らえて 子供を生んでおくれ

 銃が火を噴いたとき 仆れたの二十三人
 いち早く その心臓をささげた二十三人よ
 国はちがっても われらの兄弟たち二十三人よ
 死ねほどにも 生きることを愛した二十三人よ
 フランス と叫びながら仆れた おお 二十三人よ
                     (飯塚書店『アラゴン選集』第三巻一〇八ページ)

 この詩の後半部で、アラゴンはマヌーシアンの手紙の内容を忠実に、しかし詩の言葉として歌いこんでいる。「親なし娘(オルフェリーヌ)」という呼びかけなどは、脚韻上きわめて効果的に使われていて、もしもマヌーシアンの手紙を読まないなら、それがそのまま詩人の発案であるかのようにさえ思われる。・・・「国はちがってもわれらの兄弟たち」というのは、このグループがハンガリー人、スペイン人、アルメニア人、イタリー人、ポーランド人などによって構成されていたからである。

(白石書店「レジスタンスと詩人たち」)
関連記事
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://oshimahakkou.blog44.fc2.com/tb.php/645-c74d6e4c
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック