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紙芝居 走れ ひまわり号(上)

ここでは、「紙芝居 走れ ひまわり号(上)」 に関する記事を紹介しています。
 
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長野『ひまわり』の会 30周年記念紙芝居
作・画 赤澤節子

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30年といえば20才の人は50才に、50才の人は80才に

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昔は障がいがあるために教育を受けられずひっそりと隠れるように家の中で
暮らしていました。「死ぬまでに1度でいいから汽車にのって旅をしてみたい」
ひとりの高令者がつぶやいたひとこと。その夢を生きているうちに、ぜひ、
かなえてあげたいと、ひまわり号は誕生しました。障がい者の夢と希望をのせて
ひまわり号が初めて走ったのは昭和57年11月3日、上野から日光まででした。
NHK報道ヘリコプターが、その列車を追って全国放送されたのです。

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何でも、はじめはひとりの勇気ある行動から始まります。家でこのTVを見ていた
元国鉄職員の太田さんは生まれて初めての体験に「これで思い残すことはない」
と涙で語るお年よりを見て、感動を押さえきれませんでした。そこで

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「そうだ、長野にもひまわり号を走らせよう」と決意したのです。
本州大学(長野大学)の教授や学生、知的障害の子持つ、手をつなぐ親の会、
肢体不自由児(者)父母の会そして国鉄職員の代表に呼びかけました。
そして「ひまわり号を走らせる実行委員会」を立ちあげました。
これが現在の「長野ひまわり号の会」なのです。

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当時、障がい者の旅行は個人では行けませんでした。改札口も狭く、車イスは通れ
ません。エレベーターもないので、荷物と一緒に荷物搬入口からホームへ出ました。
階段はボランティアの智慧と力でのり切りました。
「ダイヤの遅れは絶対出さない」これがひまわりのモットーなのです。

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集合時間よりずっと早く駅についた皆さん。その中でひときわ目をひいたのは
着物を着た白足袋の高野さんでした。高野さんは明治生まれの80才。
全盲の彼女の将来を心配した両親が厳しくしつけました。目は見えなくても
高野さんは人のよろこびや悲しみも感じとることができるのです。
この2年後高野さんは亡くなりました。

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そして、いよいよ長野県にひまわり号が走ることになりました。
昭和59年11月上田から直江津へ。今はなつかしい緑色とオレンジ色の通勤列車。
全国共通のひまわり号のエンブレムには、誇り高く緑色で「信州」の文字が
入りました。生まれて初めて乗る列車にワクワクしている皆の気持を感じながら、
いざ直法律に出発進行!

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みんなの1番の心配事、それはトイレです。通勤列車なのでトイレのない車輌
もあります。そこで電車のまん中のドアの通路に白い大きな布を左右の綱ダナから
綱ダナにはりました。そこにポータブルトイレを置き、車ごと入れる広い個室トイレ
を作ったのです。ドアの窓には外から見えないように紙で目ばりをしました。
電車にのってビールを飲んでみたいと言ってた皆もこれで心おきなく飲めますね!
(つづく)

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