fc2ブログ

創作紙芝居 「はあちゃんとカオルさん」

ここでは、「創作紙芝居 「はあちゃんとカオルさん」」 に関する記事を紹介しています。

1
はあちゃんとカオルさん
作·画 赤澤節子

2

昭和30年頃は外部から松代に入った人達を「来たりもんのくせに」とか「よそもん」と呼び、
「なかをかんまされるから」と、なかなか受け入れてもらえませんでした。
けだるさが感じられる程、静かな町の通りでしたが、つたやさんの店の中だけはちがいました。

3

「姉ちゃん、はやくしとくれや、カリント100匁いよ!」
「おっしゃん、おめさんよりオラの方が先だんか!」
「このもんは、いつもそうなのよ!!」「おい、コッペパン20個まだかい」
もう毎日、お客さんは店員さんをつかまえるのに殺気だっていました。

4

さて、この頃の松代町には今も思い出話(80代以上)になると必らず出て来る有名人が二人いました。
はあちゃんとカオルさんです。はあちゃんは当時の絵葉書にもなった病院の子どもでした。
木造2階建で大きなガラス窓にかこまれた産婦人科と外科の入院設備もある明るい病院でした。

5

昔のことなので内科の患者も多く、タタミの待合室はお茶の間サロンのようです。
番号札もないので「次の人」と呼ばれると、こすい人はさっと入っていき、
先に待っていた人とトラブルになりました。

6

家は東条なので、朝、お父さんは自家用車で出勤、そのあと、まだ子供のはあちゃんが
お盆をハンドルがわりにまわしながら「ブーブー」とさけびながら走って病院まで行きます。
診察がはじまると「ハアちゃんに外に行って遊でおいで」
ハアちゃんはブーブー言いながら外にでていきます。

7

大きくなったはあちゃんは自動車、特にバスが大好きです。オケのタガのハンドルを左右に
廻しながら「ブーブー」と病院の近くにあるバス会社まで毎日走って来ました。
村の人達はそんなハアちゃんに出合と「おや、もうお出かけかい。気をつけて行くんだよ」
と声をかけました。

8

今日も長野行のバスは満席で出発しました。寺尾の橋を渡ってまもなく、誰かが「おい、ありゃ何だい?」
バスのはるか後に小さい砂ぼこりがあがっていて、それがどんどん近づいているのです。
「馬じゃなしかい」「馬にしちゃ砂ぼこりが小せえぞ」「え?こりゃたまげた。はあちゃんだし」
バスの中は大さわぎになりました。

9

バスが見えると古戦場の近くで畑仕事をしていた人達があわてて道路に広げたムシロをどかします。
「おうおう、またはあちゃんだぞ」「はええなァ」。はあちゃんはバスの後の
お釡から出る煙を右に左によけながら、ゆうゆうと走ってくるのです。

10

ところが古戦場をすぎた頃からバスの走りがおそくなりました。「運転手さん、はあちゃんに
追いつかれるぞ」そしてバスはとうとう小島田の停留所でエンコしてしまいました。
運転手さんはお釜にマキをくべながらウチワでバタバタお釜の中に風を送ります。
小島田はなぜか、はあちゃんの折り返し地点。なかなかエンジンがかからないバスを
横目で見ながらはあちゃんはひとりで松代へむかって走って戻っていきました。

11

ある日、運転手の春日さんがポンコツジープから取った本物のハンドルを持って来ました。
「おい、はあちゃん、運転免許証をやるぞ。おれよりバックがうまくなったからな」
はあちゃんは一世一代の笑顔を見せました。
春日さんは「おやじさんに見せてやりたいいい顔だったよ」とよく言ってました。

12

もうひとりは「おもらいのカオルさん」男の人です。
昔から松代の人ですが、どこに家があるのか誰も知りません。
弁護士の資格を持っているとか郵便配達をやったことがあるというのは、どうやら本当らしい
のですが、いつもナベや水筒・弁当箱など身につけ、1日中歩いているのです。
「カオルさん、この野菜持っておいきや」と生の人参、ジャガイモなど出したら、
「この寒空に煮て食えっていうのかい。あんたは思いやりってものがないのかい!」
と言われた人もいました。

13

今日、カオルさんは石井さんちでお昼をもらおうと、寄ったみたいです。
石井さんの奥さんの話。まあ、おめさん、きいておくれや。昼にな、カオルさんがやってきた
のいよ、玄関へ出なかったら「この家留守かいや」って裏口の木戸から入ってくるでもや、
持っていた茶わんのめしをだしたら、「めしはあるから、おつけをおくれ」ってナベをだすのいよ。
本当にずねえじゃなしかい。明日あたりおめさんちの方に行くから気をおつけやな。

14

ここは上野駅です。終戦後間もないので、うす暗くだだっぴろい上野駅の講内はアメリカ兵や
大きな荷物を背負ったヤミ屋、ルンペン、くつみがきの少年達でごったがえしていました。
小学校1年の私は夏休みなのでお父さんと松代に行きます。これから8時間の汽車の旅が始まるのです。
そこへカオルさんがあらわれました。お父さんの前に来ると、持っていたタバコの吸いがらの入っ
たカンの中から少し長めの吸いがらを取り出し、「ダンナ、お近づきのしるしに一服どうぞ」
と差し出したのです。カオルさんは東京〜松代間をフリーパスで往復していたのです。
松代駅改札口も風のように通りぬけたのです。

15

おばあちゃんの家ではお昼ごはんは必らずひとり分残しておき、ハエがつかないようにザルをかぶせておきます。
「おばあちゃん、これ誰の?」「カオルさんが来るといけないから、とっておくんだよ」
へえ、カオルさんて汽車にただで乗れるし、えらいんだねえ。私は本気でそう思っていました。

16

私は松代に来るとひと月近く友達がいないので淋しかったのです。
近所の子ども達からこれをカオルさんにわたさないと遊んでやらないと言われ、
きれいな紙につつんだ小石のアメを渡してしまったのです。
カオルさんはうれしそうに受け取りました。
その日からカオルさんに会うのがこわくて外には出られませんでした。
ところがある日、おつかいに行く途中ばったり会ってしまったのです。
カオルさんは「うそをついてはいけないよ」とひと言いうと行ってしまいました。

17

昭和28年、小学校5年の12月、父のとつぜんの死で母は私をつれ松代に戻ってきました。
日本橋での生活や教育と松代での生活や学校のギャップ、それが「きたりもん」のくせに
生意気と受けとられ、いじめにエスカレートし、ついには耳を切られるまでになりました。
ある日、私はぼうっとしてお城の前の線路のまん中にたっていました。
「もうじき電車がくるよ、こっちへ来なさい」と声をかけたのはカオルさんでした。
ふみ切りから出ると同時に須坂行の電車が通りすぎました。

18

いつごろからか、まずはあちゃんの姿がバス会社から消えました。
見知らぬおじいさんが運転手さんに「最近はあちゃんの姿が見えないネ、いないと何か
さびしいよ」「ああ、はあちゃんネ、父親が亡くなって、おばあちゃんが東京の実家に
つれて行ったってさ。東京には大きな病院があるからそこで見てもらうそうだよ。」

カオルさんも、アメリカ軍払い下げのラシャの重いオーバーを着て、
のったり歩いていたのを最後に見かけなくなりました。
(おしまい)

紙芝居制作者の赤澤節子さん

関連記事
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://oshimahakkou.blog44.fc2.com/tb.php/5750-7b6fcb68
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック