fc2ブログ

(14)恐怖キャンペーン

ここでは、「(14)恐怖キャンペーン」 に関する記事を紹介しています。
(14)恐怖キャンペーン

 「ノー」の番組を貫いていたのが喜び、明るさ、希望であったのとは対照的に、「シー」の番組を支配していたのは恐怖、暴力、死であった。「シー」の側は視聴者に「ノー」への恐怖心を植付けようと躍起になっていた。「ノー」が勝てば暴力と混乱に引きずり込まれる、という恐怖キャンペーンである。「ノー」の番組がカラフルな虹の色に象徴されるとすれば、「シー」の番組の基調となったのは陰気な灰色と血の色だった。例えば、虹の色から黒と赤の二色(これは極左を象徴する)に変った「ノー」の旗が映り、上方から垂れてきた血で画面が真っ赤に染まる、といった工合である。不気味な黒いマントに身を包み大きな鎌を持った男とか、覆面をした男たちに追われて必死に逃げる子供連れの母親の姿とか、まるで安手のホラー映画のようなシーンがこれでもかこれでもかと流された。

 デマにも事欠かなかった。「シー」の番組は、人民連合時代の混乱状況を示す映像をくりかえし流した。その中に、大統領官邸のモネダ宮前で暴力行為を働く暴徒の映像があった。五十人ほどの覆面をした男たちが車をひっくり返し、路上でタイヤを燃やし、パンフレットをばらまき、赤と黒の旗を振りながら、シュプレヒコールをあげている。それにナレーションがかぶさった。「あなたが投票するとき、もしノーが勝てば最初の犠牲者はあなたの家族の一員かもしれないことを考えてごらんなさい」。しかし、これは始めから底が割れていた。このシーンは、放送の一月前、警官に警備されながらモネダ宮の前で広告会社によって撮影されたヤラセであった。そして、そのことはとっくに反政府系新聞「ラ・エポカ」紙によって暴露されていた。同紙の記者が撮影現場の近くに駐車してあった二台の乗用車のナンバー・プレートから、制作者が、これまでもチリ政府の宣伝番組をたびたび請け負ってきたアルゼンチン人の広告業者であることを突き止めたのである。

 嘘はこれに限られなかった。元プロサッカー・チームのスタープレーヤーだったカスリーの母親の証言が放送された数日後の「シー」の番組に、彼女の家の近くに住むという三人の女性が出演し、彼女の話しはまったくのでたらめだと口々に語った。しかし、これもすぐに真相が判明した。住民たちが、問題の三人の女性が地区ではまったく見慣れぬ顔であり、近所に住んでいるというのはまったくの嘘であることを新聞記者に証言したからである。しかも、三人のうちの一人は以前、学校の父母会の金を横領した前歴のあることも明らかとなった。カスリーは、「ノー」の貴重な十五分をこんなことへの反論で無駄にしないで欲しいと語った。彼は言った。「ノー」の十五分は「明日に向けて平和と希望を求める喜びの時間なのですから」。
 こういう例もあった。夫が陸軍将校だったという若い女性が小さな子供と一緒に登場した。彼女は涙ながらに語った。この子は父親を知りません。パパと言ったことがないんです。父親はこの子が生まれる前に爆死しました。バラバラになり遺体も何も残りませんでした。私たちは人間です。他の人間をこんな風に破壊するなんて人間のすることではありません。二日後、「ラ・エポカ」紙が彼女とのインタビューを掲載した。その中で、彼女は夫の死が、放送でほのめかされていたように反政府テロ組織のテロ活動によるものではなく、勤務中のヘリコプター事故によるものであり、事故の原因は機械の故障であったことを認めた。どうして番組の中でそのように明言しなかったのかと記者に聞かれて、彼女は「言うまでもないと思ったから」と答えている。

 興味深いのは、「ノー」の番組が、これら「シー」の番組のデマへの反論を一切おこなわなかったことである。真相の解明は反政府系の新聞が独自の調査にもとづいて行なった。「ノー」の番組はひたすら、自分たちが伝えたいメッセージを説得的に送りだすことに専念した。そこで語られる衝撃的な事実、しかしユーモアと明るさを失わない語り口、番組を通じて流れる豊かな人間性は、それだけで、「シー」の側の低俗さへの何よりも雄弁な反論となった。
(つづく)
<有延出(高橋正明) 『文化評論』 1989年1月号>
 
少女



関連記事
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://oshimahakkou.blog44.fc2.com/tb.php/5671-f32326f8
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック