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『ネルーダ詩集』解説Ⅱ Neruda's Poems—Commentary 2 (3) 「大いなる歌」

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大いなる歌

林




 『大いなる歌』

 『大いなる歌』 Canto Generalは、題名のしめすように、まさに全般的・全体的な世界をうたい、あらゆる主題を追求している。そこには、新大陸の大自然と地理、南アメリカ諸国と諸国人民のいりくんだ民族史、征服者《コンキスタドレス》たちに反抗して闘ったインディオの英雄像などが歌いこめられている。それは新大陸の詩的エンサイクロペディアであり、宇宙創成史である。一九五三年、サンチアゴで催された「作家会議」で、『大いなる歌』についてネルーダじしんがこう語っている。
 「わたしの前に、すでにわたしの『大いなる歌』を書き始めていたのは、アンドレ・ベロ(一七八一─一八六五。南米ヴェネズエラの詩人・政治家)である。そして多くの詩人たちが、わがアメリカの地理的および民族的な意義を表現することを、根本的な義務と見なしてきた。わが大陸を統一し、発見し、ほかのひとたちに理解してもらい、再発見してもらうこと、それがわたしの目的であった……」
 ここにネルーダは自分の詩の源泉を見いだす。歌うべき自分の大地、自分の兄弟たち、自分の祖国を見いだす。自分のアラウカ族の過去、ポリヴァールからレカバーレンにいたる解放者たちの伝統、南アメリカのすばらしい歴史、そして故郷テムコの森など、すべてがネルーダにもどってきたのである。
 アラウカの血
 ネルーダの心臓に脈うっていたのは、アラウカの血である。
 十六世紀のなかば、南アメリカにやってきた、スペインの征服者たちは、チリ南部に住んでいたマプチェ族をアラウカ族と呼んだ。
 アラウカの人民は、初めはインカの侵略者たちとたたかい、のちにはスペインの征服者たちに抵抗した。インカの皇帝が処刑され、インカの人民が奴隷となったときにも、アラウカの人民は屈服しなかった。しかもこの奇蹟的な抵抗は、その後、数世紀にわたってつづけられる。しかし、冷たい雨と風と石の国から生れた、この貧しい種族は、ただ自由と独立を愛し、祖国の岩山と牧場を愛する点において、偉大であるにすぎなかった。
 ネルーダは、このことをよく知っていた。しかしかれは、この人たちをこそ祖先として選び、この祖先の真実の姿に眼を閉じるようなことはしなかった。

 わがアラウカの祖先たちは 帽子に
 けばけばしい羽根飾りなどはつけなかった
 婚礼の花のうえに寝たりはしなかった
 かれらは石であり 木であり
 槍のかたちをした葉っぱであり
 戦士の刃のような梢であった(『大いなる歌』)

 この祖先たちは、身を切るような風の吹く草原《バンバス》をさまよい、焚火をかこんでは「煮えたぎる金属のように強烈な酒」(ランボー)を飲んだ。ネルーダはただしかった。かれは、インディオの血のなかのもっとも高貴なものを選んだのである。この野性にあふれた荒々しい祖先こそ、人間の為すべきことを教えているのである。何ものにもまして、自由と独立を愛するということを。
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