Ⅱ
『地上の住みか』とシュルレアリスム
『地上の住みか』の書かれた時期が、シュルレアリスムの時代であったことを思えば、ネルーダの詩における特異な表現も、シュルレアリスムの側から説明することができよう。それまで知られなかった潜在意識、あるいは深層意識の流れを把握し、夢の全能を肯定し、理性やモラルや美学的偏見などの、あらゆる束縛から思考の働きを解放すること、そこにシュルレアリスムの旗じるしがあった。突飛なイメージの自由な結合、対立矛盾するような言葉の大胆な並列・使用、オートマティスム、幻覚や夢の描写、これらの点において、ネルーダもまたシュルレアリスムの手法を用いているように思われる。
しかし、『地上の住みか』において、潜在意識の世界を追求し、いわゆる新しい現実である「超現実《シュルリアリテ》」を追求しながらも、ネルーダは依然として直観的なマテリアリストとしてとどまっている。もろもろの物──物質は依然としてネルーダの詩の主要な要素としてとどまっている。つまりネルーダは、シュルレアリスムの形而上学に救いを見いだすのではなく、具象的な物の世界に救いを見いだしているのである。シュルレアリストの時代、アラゴンがヘーゲルの観念論に傾倒し、エリュアールがドイツ・ロマン派のノヴァリスから霊感をうけていたのに対して、ネルーダは、じかに物の世界に立ち向っている。この「物たち」を詩の主要な要素とするマテリアリスムの手法は、のちの『基本的なもののオード集』において、いっそうはっきりと意識的なものになる。ネルーダの詩的意識の扉をたたき、詩を呼びおこすのは、「物たち」である。ネルーダの詩に神秘があるとすれば、それはネルーダが物の世界に没入することから出てくる神秘であり、「物たち」のもつ神秘である。そのとき、言葉もまた神秘的な働きをもつようになるだろう。言葉が、物たちの深い本質を反映し、物たちの無限の関係の秘密を反映するからである。
こうしてネルーダは、不合理の哲学とじぶんの文学的嗜好との矛盾を次第に感じはじめる。そしてその決定的な転換は、ファシズムの嵐のなかで──スペイン戦争の戦火のもとで行われることになる。
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