かちとられた人民連合政府
──一九七〇年九月
第二次大戦後のチリ
第二次世界大戦が終わると、チリではアメリカ帝国主義とこれに従属した少数の資本家、大地主の寡頭支配体制が強化されます。そのなかで、一九四六年チリ共産党は急進党とともに「民主同盟」を結成して、急進党のゴンサレス・ビデラを大統領に当選させましたが、その後急進党は右傾化し、共産党との同盟を破棄し、一九四八年共産党を非合法化するまでにいたったのです。
一九五二年の大統領選挙では、共産党と社会党、そし国家民主党の三党が「人民の戦線」(FP)を結成して、社会党の指導者サルバドール・アジェンデを統一候補にたてました。この選挙でアジェンデは約五万票を獲得しました。
この時成立したイバニェス政府は人民弾圧を強化しましたが、チリの経済的困難は増大し、一方、人民のたたかいは強化され、統一戦線の結成が追求されます。そして、チリの労働者階級は、さまざまな共同闘争の積み重ねの上に弾圧をはねのけて団結をかちとり、チリ労働者統一中央組織(CUT)を結成します。このCUTを土台にして、さらにFPの経験を積極的にひき継ぎ、一九五六年四月、統一戦線としての「人民行動戦線」(FRAP)が結成されます。これには、共産党、社会党、人民社会党、人民民主党、民主党が参加しました。一九五八年の大統領選挙ではアジェンデ統一候補は三五万票余獲得して、チリの統一戦線の成長ぶりを示しました。共産党は一九五八年、十年ぶりに合法化をかちとり、こうして、一九六四年の大統領選挙では、アジェンデは約九八万票を獲得して第二位になります。
アジェンデ政府の誕生
そしてFRAPは、さらに広範なチリ人民を結集するいっそう強固な統一戦線として、一九六九年十二月、人民連合(UP)へと発展したのです。人民連合には、共産党、社会党、急進党、社会民主党、人民統一行動運動、独立人民行動の六つの政党が参加しました。『人民連合の基本綱領』は、つぎのように述べています。
「真に人民的な唯一の選択、したがって人民の政府がになうべき根本的な課題は、帝国主義者、独占体、寡頭地主の支配を終わらせ、チリにおいて社会主義の建設をはじめることである」
人民連合は、ついに一九七〇年九月の大統領選挙で、アジェンデを当選させました。チリ人民は、アメリカ帝国主義、大資本家、大地主の抑圧をはねのけ、さらに人民連合政府の成立を阻止するためのたびたびの反動的クーデターの策動を、人民のゼネストでうちやぶることによって、人民連合政府の平和的、合法的な樹立を可能にしたのです。
(三年間の偉大な業績へつづく)
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