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軍事クーデターから三週間  座談会 チリの事態をめぐって(下) (2)反動派、議会でも人民連合の施策妨害

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(『赤旗』1973年10月5日)
 
アジェンデ




反動派、議会でも人民連合の施策妨害

 ──チリのクーデターとの関連で、日本で民主連合政府ができても、結局クーデターで倒されるのではないかという論評がおこなわれているが。
 大高 両国の制度および条件の相違や、具体的な経過の分析なしに単純に結びつけるのは無責任な議論だ。チリでは日本のような議院内閣制でなくて大統領内閣制で、議会の力関係とは別に、内閣がつくられる。七〇年九月の大統領選でのアジェンデ候補の得票率は三六・三%だったが、キリスト教民主党と国民党が候補をたて、三つどもえの接戦となったため一位になったという事情がある。このときの人民連合の議会での勢力上院(定数五十)で十六、下院(定数百五十)で五十七、いずれも三分の一前後にすぎなかった。だから反動派は議会を利用して人民連合の政策推進を妨害した。日本では議会で多数を占めて政府をつくる仕組みだから、こうした妨害はうけなくてすむ。
 井出 チリでは米・反動が、アジェンデ政権成立まえから、何度もクーデタを試みているがいずれも失敗している。これは、人民連合がクーデターの策動を暴露し、デモやゼネストでたたかったことと同時に、人民連合政府の最初の段階では、少数派だった人民連合が、中間層を代表する政治勢力キリスト教民主党とのあいだで、合意を追求し、同党が公約しながらこれまで実行しなかった銅国有化や大土地所有の収用などの改革を実行し、支持基盤を拡大していた。銅資源国有化法は、右翼の国民党も反対できず全会一致で可決されたが、これなどはその典型だ。
 大高 だから反動派は経済的、社会的混乱をつくりだして中間層の人民連合からの離間をはかった。
 井出 クーデター直前の時期にも、チリ共産党はキリスト教民主党との対話によって政治的危機をのりこえることを提案し、サンチアゴの枢機卿やキリスト教大学の学長などの支持をえていた。そしてこの対話がうまくゆかないときは、国民投票によって民主的に解決することをアジェンデ大統領が提案している。軍事クーデターはこのような民主的解決をいっさい無視して強行されたものだ。

中間層を離間させた極左

 ──チリでは、トラック業者の政治目的をもったサボタージュに、すべてではないが、商店や医師、技術者、弁護士などが応じていった。人民連合は労働者や農民の多くからは強い支持をえていたといわれるが、都市中間層のあいだでは複雑だったようだ。これには国民党や「祖国と自由」の策動、暴力団支配があったことは、さきに説明があったがそれだけだろうか。
 増田 人民連合の内部に、中間層をどちらがつかむのかという点で、反動派に乗ずるすきを与えた要因はあったと思う。人民連合の政策では、国有化あるいは半官半民化の対象としたのは、チリにある三万を超える企業のうち独占的な百五十程度の企業にすぎなかった。しかし、これ以外の企業でも反動派が生産サボや破壊活動にでた場合、法律にもとづいて国家管理したが、人民連合の一部がこれを企業主に返還することに反対した。また極左のMIR(左翼革命運動)も中小企業を占拠した。またキリスト教民主党フレイ政権(六四〜七〇年)時代の農地改革法を運用して、八十ヘクタール以上の大土地所有を収用したが、社会党などは四十ヘクタール以上の土地を収用せよと主張し、MIRは中小農場を占拠する行為にでた。これは人民連合の政策に反するものだが、反動派はいっせいに、人民連合は中小企業まで国有化すると大宣伝した。
 大高 反動派は新聞、テレビ、ラジオなど宣伝機関の七〇%を握っていた。それを使って大宣伝し、中小企業家、小商店主の恐怖心をあおりたてた。
 井出 それから、人民連合政府は労働者の賃金は大幅に引きあげたが、技師や技術者の待遇に十分な考慮を払わないことがしばしばあった。こうした不備な点があったことは、チリ共産党も指摘していた。
(つづく)
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