愛とたたかいを編む
大島博光詩集 冬の歌
私は待っていました。大島博光さんのこの詩集が出るのを。アラゴンとエルザのように詩人の愛そのものであった静江夫人の難病と別れの吹雪のなかで、悲しみと苦悩の吹きだまりから自らをゆさぶり立ち上った党員詩人の魂が、この詩集に満ちていて私たちを励まします。「杖をついてでも、車いすでも山へ行きたい、というんだよ」。私に、山好きな夫人のことをこんなふうに話された時、もう病いは重かったのでしょう。
「Ⅲ冬の歌」の〝きみが地獄の岩に〟を90年10月『民主文学』誌上に読んだ時、私は涙が溢(あふ)れたのでした。「冬の歌」それは、二度と春の来ない別れの歌であるのに、詩人は自らを叱咤(しった)する。平和と民主主義を求めつづける「鳩の歌」の詩人はどこへ行ったのだ!と。〝われもまた ふるいたち/ひとをまたはげますことこそ 詩人の任務だ/不幸のどん底からさえ 反抗者のように立ち上れ/きみが倒れたら ほかの人びとがあとを継ぐだろう〟と。
こうして立ち上った詩人は、この詩集に数多くの愛とたたかいと告発の詩を編みました。平和への憧憬(しょうけい)をかかげた「Ⅳ鳩の歌」、天皇美化、国家機密法、改憲のたくらみや遂行する政治への鋭い告発「Ⅴ風刺の季節」。そして私はこの詩集を、三中総を学び、日本共産党の歴史と展望を自らの血や息吹としたいと願う人びとに「Ⅵわたしは党をうたう」の章を朗読してきかせたい想いに駆られます。
アラゴンのいうように詩人は自分の歴史を、〝どのように党へやってきてどのように変ったか どのように水は澄んだかを……〟語っています。〝八〇歳になった〟という巻末の詩では、謙虚に〝もしもわたしが 少しでも人間らしくなり/いまも 詩のようなものを書きうるとすれば//そうしてなお 生きる希望をもつとすれば/それはひたすら 党の教えのおかげなのだ〟と詩(うた)っているのです。緑色の表紙の写真。風そよぐからまつは博光さん、光るヤナギランのひともとは静江さんの姿でしょう。
(小森香子・詩人)
(『赤旗』1991年6月28日)
- 関連記事
-
-
ナイーブな詩精神の真骨頂──大島博光詩集『冬の歌』書評 土井大助 2023/02/18
-
冬にうち勝つ「冬の歌」 コラム『朝の風』 2023/02/17
-
剛直さと優しさ 大島博光詩集『冬の歌』 津森太郎 2023/02/10
-
愛とたたかいを編む 大島博光詩集 冬の歌 小森香子 2023/02/09
-
この記事のトラックバックURL
http://oshimahakkou.blog44.fc2.com/tb.php/5457-12937760
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック