小熊忠二(長野)
大島博光先生が来長される。今の先生のお体にとっては、信州の寒さは地獄の季節のはづ。それでも来られる!
1985年、長野市の地附山の崩落があった一カ月程まえ、あの道を通り博光ご夫妻と戸隠の水芭蕉を見に行った。そのとき奥さんは女房と義妹の肩を杖に、或いはかがみ、水芭蕉を眺め歩いた。それがあの名フレーズ、〝その水にわたしは青い魚を見た/その水にわたしは君の名を書いた〟が生まれたと思われる。先生が戦前につくられた傑作「深夜の通行人」や、戦後間もなく出版されたアラゴンの「フランスの起床ラッパ」の名訳の叙事、〝おお/夕ぐれのわが祖国の大地の沼よ〟によって、わたしは限りなく高揚されたことを思い出す。
これほどの愛の詩人は、もう長く、表れないのではないか。
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