冬の歌
大島博光
不幸は忍び足でいきなり やってきた
パーキンソン病症侯群の姿をして
きみは 萎《な》えて動かぬ身を横たえる
病院のベッドの しとねの墓場に
眼に見えぬ 得体の知れぬ病魔に
あの輝いていた眼から 光は消えうせ
子供をおぶって メーデーに行ったり
大雪を歩きまわった脚《あし》も動かない
いま病いと老いとが 生きながらに
わたしたちを生ま裂きに 引き裂いた
かつて 悦びにあふれたうつわは
一挙に 悲しみのうつわと化した
四十年 きみは 優しい逞しい手で
わたしを支えて 生きさせてくれた
四十年 わたしは きみを抱いて
春の香りに酔って うたってきた
四十年も 愛して生きるものには
けっして長すぎはしない 短かすぎる
四十年の愛も 過ぎれば一瞬の夢だ
おお ひとの渇きには 限りがない
病院のベッドの しとねの墓場に
きみはもう傷ついて 傾く太陽
わたしたちには 毎日が別れなのだ
毎日が 末期に見上げる空なのだ
いつも窓には 黄色い灯がゆれていて
そこに きみのやさしい影が映っていた
いつも家には 明るい灯がともっていて
その下で きみは待っていてくれた
そこにいつも きみがいるということに
わたしは あまりに 慣れすぎていた
そこでいつも わたしを迎えてくれる
きみの愛に わたしは甘えすぎていた
おお 失ってみなければ わからない
しあわせの大きさと その深さと
おお 失ってみなければ 気がつかない
人間のこのうかつさと 愚かさと
わが家のなかは もう夜よりも暗い
扉をあけても だれも答えてくれない
明るい灯を ともしてくれたきみは
そこには そこには もういない
なにひとつ 思いわずらうこともなく
バラ色の夕焼け雲などに見とれながら
明日《あす》の日を夢みながら うたいながら
わたしの帰ってゆく家は もうない
運命は わたしに残しておいたのか
こんな冬の日の悲しみと 試練とを
春の歌ばかり 歌ってきたわたしに
いまは 冬の歌をうたえというのか
光薄れたわたしの眼のかいま見るのは
黒く口をひらいた 底なしの井戸穴
わたしは 柿の枯枝にとまっている
灰色のひとりぼっちのひよどりなのだ
いやいやおまえはひとりぼっちじゃない
そんな泣き虫になるな かかずらうな
おのれひとりの不幸や 悲しみばかりに
雪は おまえにだけ降るのではない
いま怒りが 日本じゅうに渦巻いている
腐肉に群がる ハイエナや禿鷲どもが
支配者として のさばっている国で
みんなが日日の収奪や圧制と闘っている
おまえにもたくさんの仲間がいるはずだ
ひとをうちのめす 死や孤独や絶望に
うち勝とうと みんなと腕を組んで
おまえもまた たたかってきたはずだ
忘れるな たくさんのひとたちの手が
おまえをしっかりと支えてきたことを
忘れるな たくさんの他者たちが
おまえを 車座に加えてくれたことを
大事なのはいつも立ち上がってゆくことだ
おのれの傷口や 涙のなかからさえ
最後まで希望を太陽を抱いてゆくことだ
それが冬にうち勝つ おまえの冬の歌だ
(一九八九年六月)
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