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ミニエッセイ「大島博光とわたし」──春になったら  山本隆子

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山本隆子ミニエッセイ


 山本
大島博光の84歳を祝う会で朗読する山本隆子さん(94年11月)





 春になったら
                        山本隆子 
 一九九〇年頃の夏のある日、吉祥寺の喫茶店で、大島先生はポケットから手帳を出して、できたての詩を見せて下さった。題が「冬の歌」だったので、私が「夏の盛りに」といぶかり、次に「ああ、人生の…」と思わず言いかけたら、先生は声を立てて笑われた。
 その数年前から、たまに吉祥寺界隈でお昼やお茶をご一緒することがあった。
 三鷹のお宅にも、詩人会議の編集部から取材のために仲間と二度ほど、また別の機会にも詩の先輩たちとお訪ねしている。
 せっかくのそんな折に、作品を見ていただくこともなかったが、いつだったか、文化後援会で朗読した私の「危険な奇術師」を読んだと、朝早く電話をいただいたことがある。「この手があるねェ」などと。後にも先にもほめてもらったのはこの時だけであった。
 喫茶店で手帳を見た次の年だと思うが、詩集『冬の歌』が送られてきた。その中に「冬の歌」という項はあったが、その題の作品は見当たらない。詩集を読みながら、その時の記憶をさぐってみたりした。それから二年足らずで静江夫人が亡くなられ、翌年に地域で、先生を励まそうと「八四歳を祝う会」が開かれた。久し振りで会う先生の憔悴した様子がたまらなかった。けれども会場には温かい空気が満ち、爆笑が起こり、先生の表情にも力が湧くのを見と思った。
 その後、数人で取材におじゃました時、帰る頃に、先生は、私に残って夕食を付き合って行かないかと言われ、少しびっくりした。
 夕食は、ヘルパーさんが作り置いてあったのを先生が温めてテーブルに並べられた。私にソファをすすめ、お客さんごっこでもする子どものように、わざと「やあ、どうもしばらくでした」と笑って頭を下げられたのが印象に残っている。濃厚なスープと肉料理を、先生は見事に完食された。
 「詩にはリズムが必要。アラゴンのように」とよく言われた先生がまだお元気な頃話題にされたアラゴンの自作朗読のレコードが、お宅で探して下さったのに見つからず、そのままになってしまい、今も残念でならない。
 私からのおみやげは、いつも花束にきめていた。街で別れぎわにお渡しすると、「ありがとう」と受け取って無造作に持ち、「じゃあ」と、ゆっくり去って行かれた。
 最後にお会いした時は、「近ごろ眠くてね。今とってもいいフランスの新しい詩人の詩を翻訳してるんだが、すぐに眠ってしまって進まなくて困ってる」と嘆かれた。
 「では、眠らないようにツンツンとつついて上げましょうか」と私は言った。
 その後、ごぶさたするうちに、完成したジャック・ゴーシュロンの訳詩集が届き、老詩人の凄いがんばりに胸をうたれた。タイトルが『不寝番』であったのも興味深かった。
 昔、先生からこんなハガキが来たことがある。
 「今、ぼくは穴ごもり中。春になったらまた会いましょう」。

(ミニエッセイ 「大島博光さんとわたし」 『詩人会議』二〇〇六年八月)
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