詩人をつくる
大島博光
新体詩の定型であろうと、どんな形式であろうと、詩として表現しようと努力することによって、作者が言いたいことがはっきりしたり、詩的なイメージがそこに加えられたり…。
形式も、考える仕掛けなのです。
そういう形式・定型をわがものとすれば、そういう形式・定型で、詩が作者に現われてくるでしょう。
ユーゴは脚韻で思考したといわれるのも、そのことを語っています。
鉱石を加工し、磨いて宝石がつくられるように、素材に手を加え、形式を与え、肉づけをして、詩がつくられるのです。
このような過程が、逆に詩人をつくるのです。
〝素朴な詩人などはない〟、というのは、この過程があるからです。
定型にすると、「きれいに流れてしまいそうだ」というおそれはないと思います。
なぜなら、内容が違うからです。
革命的ロマンチスムや、叙事詩そのものが、新しいリズムや抒情を生むし、生まなければならないと思います。
ここのところも弁証法的に発展するでしょう。
詩の方では、文語体にもどることはできないし…。
それどころか、「短歌的」リズムを越えて、新しいリズムが生まれてくるはずです。
詩芸術における「前衛」という意識を強くする必要があります。
(『狼煙』六号 1992.03)
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