恐らくそのときだ わたしが変ったのは
パブロ・ネルーダ 大島博光訳
わたしは祖国に帰ってきた
戦争がわたしの眼の下に入れた
ちがった眼をもって
ほかの人びとの涙と血にまみれた戦火のなかで
焼かれた ちがった眼をもって
そしてわたしは この世の仕組の厳しい奥底を
さらに深く さらに遠く見つめ見とどけようとした
かつて空にかかっていた真実は
ひとつの星のようなものとなり
ついで鐘となった
わたしは鐘がわたしに呼びかけるのを聞いた
その呼びかけにほかの人びとも集まってきた
とつぜん 太陽や星や 鶏頭や《けいとう》黄金をあしらった
黄色や青や銀色の さまざまのアメリカ大陸の旗が
わたしの眼に見せつけた
国ぐにのありのままの領土を
畑や路上の貧乏な人びとを
おびえた農民や死んだインディオたちを
それから 銅や石炭のでる鉱山の
地獄のような巨大な坑道を
しかし かずかずの共和国の内部では
それがすべてではなかった
それは 無情な 不条理なものだった
上の方には 大仰にも
尊大にふんぞり返った冷酷な男が
犠牲者たちの血に汚れた
たくさんの勲章を胸に飾っていた
また 上流のクラブの紳士どもは
優雅な暮らしの羽根のなかを
もの思わしげに往き来していた
その一方 しがない哀れな天使や
つぎはぎだらけのぼろを着た哀れな男は
石から石へと渡って歩き いまもまだ
裸足で 空きっ腹をかかえて歩いているのだ
彼はどうしたら生き残れるのか だれも知らない
(『イスラ・ネグラの思い出』)
[解説]
スペイン市民戦争において人民戦線側が敗北したのち、一九三七年十月、ネルーダはチリに帰る。このファシズムの暴虐と戦うスペイン人民の闘争のなかで、チリ総領事としてマドリードに駐在していたネルーダは、人民の側に立って、詩によってたたかい始める。それはネルーダにおける、純粋詩からレアリスム詩への移行、個人主義から社会主義への移行の始まりだった。こうしてチリに帰ってきたネルーダは、以前と同じ人間ではなかった。「戦火のなかで/焼かれた ちがった眼」で、彼は祖国チリや南アメリカの諸国の現実を見る。階級対立、階級闘争のきびしい現実を見いだす。ネルーダはその現実をかれの言葉で、イメージで、あざやかに捉えている。
(『狼煙』 2号 一九九一年三月)
- 関連記事
-
-
『ニクソンサイドのすすめとチリ革命への賛歌』(1) 2023/02/27
-
ネルーダ「山と川」(おいで一緒に)と詩集『船長の詩』 2023/02/26
-
恐らくそのときだ わたしが変ったのは パブロ・ネルーダ 2023/01/11
-
チリに生きるパブロ・ネルーダ 2022/09/23
-
書評「パブロ・ネルーダの生涯」 2022/04/22
-
この記事のトラックバックURL
http://oshimahakkou.blog44.fc2.com/tb.php/5428-29ebd932
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック