先生とわたし
大島博光
一九三一年から一九三四年にかけて、わたしは早稲田の仏文科の学生として西條八十教授の講義をうけた。しょうしゃな背広に身を包んだ先生はまだ若く、華やいだ雰囲気と巧みな話術で、わたしたちを魅了した。学校周辺の喫茶店が、しばしば教室にかわることもあった。それは後年、仏文科の伝説ともなったものである。わたしはわが師西條八十の思い出にささげる「香りもない花束」(「無限」四四号)のなかに書いた。
早稲田のキャンパスの近くの喫茶店で
わたしたちは 先生を囲んで坐っていた
先生のヴェルレーヌの話がおもしろかった
ということくらいしか おぼえていない
しかし そのとき 先生の前にあった
チキンライスのだいだい《﹅﹅﹅﹅》色だけは
鮮やかにいまもわたしの眼に見える
仏文科の教授としての西條先生については、またつぎのような型破りの思い出もある。
思い出せば わが春の日も輝いていた
あの六月の 奥利根のみどりのように
われら 十人あまりの仏文科の学生を
先生は 水上温泉へひき連れて行った
まるで 小学生たちの遠足のように……
夕ぐれて 西日がまぶしく射していた
宿の広間には 膳と酒とが並べられ
詩人の司祭する 青春の祭りが始まった
おお 湧きあがった笑いよ 歌ごえよ
その頃、「パリの屋根の下」「自由を我等に!」などのフランス映画がかかって、わたしたちはそれにうつつ《﹅﹅﹅》を抜かしていた。それらの映画が、のちにフランス人民戦線の勝利へとつながるところの、フランスの民主勢力の高揚の反映だったことなど、当時のわたしは知るよしもなかった。……そればかりか、日本のうえにいよいよ濃くなってゆきつつあった時代の闇を漠然と感じながら、その本質を見抜くすべなどもわたしにはなかった。
(つづく)
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