(『狼煙』 第62号2009年1月)
*1969年に三方克さんが大島博光にインタビューしたときの貴重な記録が『狼煙』に掲載されています。
「ご本人たちとお会いになったんでしょう?」との質問にたいして「ええ、まあね。」と博光は曖昧に答えています。ただ、「アラゴンの家はすばらしい。」と言うのでアラゴンに会うために屋敷まで行ったかのようです。しかし、最初の渡仏が1974年とされているので、これもマユツバですね。1974年8月、フランス共産党本部を訪れたときは、「アラゴンはバカンスでアビニョンの方に行っているということであった」ために会えませんでした。
斑猫譚 大島博光覚え書
三方 克
─アラゴンとかエリュアールとか、フランスの抵抗詩をぼくら若者が知ったのは、大島さんの翻訳と紹介が大きいと思いますが…。
「そうかもしらんね。アラゴンとエリュアールはずいぶんちがうけれども…。ちがうということを、フランスの知識人は非常に強調する。」
─日本では共通性をいいたがりますね。
「それとフランスの知識人は、驚くべき率直さでものごとを見わけますね。自分を信じている。その信じる度合いときたら、ときに鼻持ちならない時があるけれど、スノッグならともかく、考えてみると、そこまでしないと会話というものが成り立たないわけだよね。」
─そうやって、フランスの詩人と、会話が成り立ちますか?
「ううん、どうかな。こっちが教わることばっかりでね。このインタビューみたいなもんじゃないかな。」
―大島さんが、アラゴンやエリュアールと論争するとか。
「ハハハハ、それは到底無理ですね。」
─なぜですか?
「え、なぜって君、あちら様はダダもシュルレアリスムも本家なんだよ。ブルトンが本家なら当事者なんだから。」
―こっちは本で知った。
「そう。」
―その本の翻訳でぼくらは知ったわけですから。ご本人たちとお会いになったんでしょう?
「ええ、まあね。アラゴンの家はすばらしい。」
―貴族なんですか。
「正嫡じゃないから、ダダを始めたりしたことと無関係じゃないんだろうけど、ヨーロッパの貴族で革命をめざす者は、意外にいるんだね。恋愛がそれにからむ。詩も恋も国事みたいに考えられてきて、アラゴンのエルザ・トリオレへの恋などにも、お父さんのそういった血が入っているのかもしれない。」
─プレヴェールなんか、ちがいますね。
「ああ、まったくね。若いですよ。彼は二十世紀の人だから、パリの大衆の一人で労働ということを馬鹿にしてないですよ。肉体労働者の間で彼のシュルレアリスムが血のように流れている。」
─ぼくの大学の文研(注。文学研究会)で長谷川四郎先生が顧問してるんですが、長髪でな角刈りでしゃれた詩・小説をかいていて…(笑)抵抗詩だけではない詩も訳しています。デスノス、テルトル、ドブザンスキーとか、読んでらしたら、その行き方、どう思いますか?
「当然ですよ。フランスの詩は抵抗詩だけじゃない。ラフォンテーヌ、ポワロー、ラシーヌを見てもね。彼らも抵抗詩人といっていえないこともないけど、今抵抗詩といわれているのは、ナチスドイツのフランス占領に対する知識人の抵抗の詩をいってるわけだから…。」
―でもそこに、フランス文学を流れる権力への抵抗という伝統の血が流れているんでしょうね。
「そうね。それがパリでダダとかシュルレアリスムを生み出したんだと、いえるのかもしれませんね。」
(つづく)
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