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服部伸六 「ヒクメットとビリチスのくに」(中)

ここでは、「服部伸六 「ヒクメットとビリチスのくに」(中)」 に関する記事を紹介しています。



ビリチスの国


(昭和詩大系『服部伸六詩集』─カナンの海のほとりで)

ジョルジュ・バルビエ
ビリチスの唄──ジョルジュ・バルビエによるイラスト






 しかし、ベルガモまでたどりついたとき、わたしの幻想には、にわかに変化が生じた。そこの博物館のヘレニズム時代の陳列品のなかに、小さな小さなテラコッタの人形をみたからである。このテラコッタが、ビリチスの唄のなかにあるお護りの女神像のひとつにちがいないと考えたからである。

ナシジカのお護りの小さなアスタルテは、カミロスの上手な陶工が作ったものだ。それは親指ほどの大きさで、黄色の細かい土でできている。

その髪は垂れて狭い肩に丸くかかり、眼はきれ長く、口は小さい。なぜなら、それは美の女神だからだ。

右の手は、そのデルタの上におかれ、股の切れ目にそって小さな穴が彫られている。なぜなら、それは愛の女神だからだ。

左手は円くてずっしりと重い乳房を支えている。大きい腰からは、肥沃な腹がふくれ出ている。なぜなら、万物の母神だからだ。
(ピエール・ルイス「ビリチスの唄」筆者訳)

 「ビリチスの唄」はピエール・ルイスの偽作だとの説もあるが、鈴木信太郎氏の立派な訳があるはずである。
 現存する円形劇場のうちで一番巨大といわれベルガモの山の下にある田舎町は、当時ベルガモ王国の首府だったのだ。そこの小さな博物館だけが、当時をしのぶ物品を保存している。往来に出れば、現代トルコ人の造ったけばけばしい安ものの陶器を売る店が、ずらりと並んでいる。それにプラスチック製のバケツなど。
 けれども、古代を思う旅人にとって、この町はまだまだ宝庫であろう。海岸に立ってみると、海をへだてて、レスポスの島がみえる。

レスビアンの聖地、サッフォの島は
紫色にかすんで波のかなた

しかも、ここはトルコ領なのに
かしこはギリシャ領

鳥ならば、国境のない鳥ならば
飛んで行くのは、わけはない

 いつの日か、訪ねる日のあることを念じ、島を横目にみて、わたしは道をつづける。その日の泊りの町イズミールへと。
 イズミールはむかしはスミルナと呼ばれていた。ヒクメットが書いた唯一の小説「浪漫者」(レ・ロマンチック)ではスミルナとなっているので、改名は最近のことだろう。
 ビリチスが生れたパンフリア高原などを背にしてこの港は栄えて来たし、今でも栄えつづけて、この国第一の商工業の都市となっている。このイズミールの港は、おそらく十六才の小娘のビリチスが海をわたってレスポスの島へと、ミチレーヌの町へと向った港であったにちがいない。

イオニアの岸辺づたいに、わたしを連れてきてくれた舟よ。
わたしはお前を返そう、輝く波に。
そしてわたしは足どりも軽く、
砂浜へ飛び降りる。
(「ビリチスの唄」筆者訳)
(つづく)
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