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小宮山量平が所蔵していた「武蔵野詩集」原稿のこと

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小宮山量平が所蔵していた「武蔵野詩集」原稿のこと
                                               大島朋光

 小宮山量平のミュージアム「小宮山量平の編集室」に大島博光の原稿があると小熊幹さん(「週間上田」編集長)から連絡があり、上田にあるミュージアムを訪ねました。ミュージアム代表の荒井きぬ枝さんから渡された封筒には「武蔵野詩集」と書かれ、中に原稿用紙に書かれた四十九篇の詩があり、博光の詩は「二月の風」で、「日本抵抗詩集」(新日本文学会編集・一九五三年刊)に収録されているものでした。

詩のサークルが持ち寄る
 武蔵野詩集というので武蔵野の自然や風物を歌った詩集と思っていましたがとんでもない。当時の社会状況を歌った政治詩や自分たちの闘いを歌った詩が中心です。軍事基地反対、米軍宿舎建設反対をテーマとしたものが十五篇ほどあります。ついで労働組合、ビラまきなどの闘いや労働者の生活の厳しさを歌ったもの、メーデー事件、入院生活を歌ったもの、若者の日常生活などです。作者の所属は府中病院群灯詩話会、村山病院どんぐり会、横河電機、武蔵野電気、電気通信研究所、国立高校など。三多摩地域の詩のサークルが持ち寄った作品と思われます。
 作者の名前は次のとおりです。きいれ・まこと、こばやし・つねお(「武蔵野」同人)、さき・かづ子、たに・としお、のざわ・きくお(府中病院「群灯」詩話会)、ひらしま・しげお、まさる(府中病院「群灯」詩話会)、阿木燈火、井川さとみ、井田京子(府中病院「群灯」詩話会)、宇佐美靜治、海原満、海波隆造、金井重雄(国立町在住「弾跡」グループ)、窪木冬衛、栗栖康雄(村山病院)、栗田良平、犬吠埼紹介、五味眞理子、紅林美江、高木廣士、高澤定子(村山病院どんぐり会)、左みち子、山岡和範(「武蔵野」同人)、山村恵也(村山病院)、山路源兵衛、小宮千代子(横河電機)、大山昭一(電気通信研究所)、大島博光(「角笛」同人)、大和田理恵、谷敏雄、淡英明、鳥居明人、田中利男、唐木田明雄、島泰子、平山幹男(武蔵野電気)、麻和近、末次正寛(「角笛」同人)

末次正寛と山岡和範
 三十九名のうち末次正寛と山岡和範はよく知っている詩人です。末次正寛は博光の家の近くに住んでいて、「角笛」同人に参加して日頃から親しく交流していました。山岡は詩人会議で博光と晩年まで親しく交流し、二〇〇八年に博光記念館をつくる会に参加、二〇一六年五月に逝去されました。
 山岡和範は一九五二年、広島の大学を卒業して東京の小学校に赴任し、同年「武蔵野」(武蔵野文化懇談会)に参加し、博光と会ったとされ、(コールサック社「山岡和範詩選集」山岡和範略歴)武蔵野文学懇談会に博光も顔を出していた可能性があります。博光の主宰した「角笛」にも「武蔵野」を受贈したことが記されています。博光の蔵書からは残念ながら「武蔵野」の実物は見つかっていません。

米軍宿舎(グリーンパーク)反対運動
 三鷹駅の北側は武蔵野市で、広大な緑の住宅街が広がります。かつてここにグリーンパークという米軍用の住宅地区がありました。私が在学した都立高校ではESS(英会話クラブ)がここを訪問して米軍の家族と交流をしていました。
 ところが、当初、建設反対の運動があったことが「武蔵野詩集」でわかりました。「武蔵野詩集」には米軍宿舎建設に反対する詩がかなりあり、山岡和範の二篇もこれに関わった詩で、彼の略歴を見ると、「一九五二年、米軍宿舎反対運動に参加」とあります。
 
平和な通研の屋上で
                 阿木燈火 

オヂさん ここから見てください!
オヂさんを案内して
かつての中島飛行機
今は平和な通研の屋上で
ひろびろとした武蔵野を見る

青黒い森
重なる市民の瓦屋根
平和な白い小学校の建物
キラキラさざ波を立てるプールと
それをかこむ芝生を
そして今日も青く澄んだ秋の空

オヂさん ところで右手をごらんなさい
あの迷彩をほどして静かに横たわっているのが
問題の米軍宿舎候補の旧中島です
オヂさん その建物は見ている通り
爆撃に打ちひしがれ
窓はふっとび天井はうなだれ
壁はくずれて雑草が生い茂っていますが
かつてはモーターがうなりを上げ
クレーンがにぶい音を立ててゆったりと動き
人が、工場が活動していたのです
そして戦争の道具を作っていたのです

しかし……
今 工場はすべてがとまって 黙っています
戦争の罪を引き受けて工場は死んだのです
そうです
それは 不気味な死人の姿です

私は今までこれが
平和な工場として生き返ることを望みました
平和な住宅になると聞いて喜びました
……

しかしオヂさん!
武蔵野市長はここを米軍宿舎となるのを承知したと言います
緑の平和な学園都市を
爆撃目標の軍事都市となるのを承知したといいます
夜の女たちが闊歩して 子女の純血のけがされるのを承知したといいます
市長は
悪魔が又もや動き出すのを許したのです
……

オヂさん!
私の切なる願い
平和な物資を作る平和な工場
平和な人の平和の住宅
これを実現するために
米軍兵舎反対に立ち上がりましょう!

小河内ダム建設反対運動
 かつて小河内ダム建設反対の運動があったことを初めて知りました。「日本抵抗詩集」(一九五三年刊)に博光の「二月の風」とともに掲載されているこばやし・つねおの「小河内谷のじじいが歌」という七ページに及ぶ詩です。奥多摩・小河内ダムの建設予定地に住む古老の目を通して山村工作隊の若者の姿を描いています。

……
そうしてまためぐってきた春とともに
裏山のうぐいすの声とともに 
吹きこんできた季節の風とともに
その頃から
この谷へやってきた若者たち
若者たちはどこからともなく
いつかこの谷へあつまってきた
おのおの背おったリュックサックの中へ
食糧とともに 色刷りのビラをも
幾色か ぎっしりつめこんでやってきた
紙芝居と 幻燈写真と
日本と世界の話題をつめて
それに 笑顔と勇気をも.
ともにつめこんでやってきた
そして若者たちは この谷の春を
ビラの花々でいっせいにかざった
残り少なにくすぶっていたいろり辺へは
夜ごと 明るい笑顔をもちこみ
茶のみばなしへくわわりにきた
その若者たちのはなしは みょうに
わしらのしなびた胸の勇気を
しばしば かきたてることがあった
それにまた 幻燈と紙芝居とが
餓鬼どもといっしょに わしらの面にも
笑いと怒りの花を咲かし
餓鬼どもは若者の歌を いつかおぼえた

こうして若者たちがあらわれてから
わしらは一つ一つうなづける話を
加勢して貰いながらの麦畑で いろりの傍で
やさしくわかりよく聞かされたのだが
そして はずかしいが ダムに関して
多くをはっきり知ることも出来たのだが
しかしなぜかわしは その若者たちを
腹底から信じることができなくていた
「ダムは軍事基地を築くための発電所だ」
「軍事基地から村を守れ」
「都有林 二万二千町歩を解放させろ」
「大山地主、官僚、土建屋のくいものになる小河内ダムに反対しろ」
それはまったくそのとおりだった
そしてわしもむすこの一人を戦争でなくし
ふたたび戦争の準備はまっぴらだし
住みなれた村はかわいいし
それを食いものにしようとするやつらには腹も立ったが
なぜかわしは
ああ なぜか若者たちを 信じることができないでいた
……
 
日本抵抗詩集
 大島博光とこばやし・つねおの詩が収録されている「日本抵抗詩集」は新日本文学会が編集・発行したアンソロジーです。「ここには一九五二年の民衆詩、抵抗詩の成果があつめられている。これは日本民族のもっとも深い深みから発した声である。今年の四月、日本はいつわりの独立をしたが、日本民族のなかからいかにそれに反対するはげしい動きがでているかは、ここに明かである。日本民族の魂は、その深みのなかではっきりとたたかいのリズムをつくりだしてきているということができる。」「ここに集めた詩は全国の詩人集団、詩サークルの時、ガリ版ズリの雑誌、詩集、詩のビラ、さらに同人雑誌、組合機関紙、文学雑誌その他、広い範囲にわたって眠をとおし、そのなかからえらんできたものである。それ故にその地域は日本全土に及びその詩の題材は非常に広況で、日本国民のあらゆる生活をふくんでいる。そしてこれこそが民衆詩の特色であり、それが専門詩人の詩をふみこえるところのものである。」(編者のまえがき)

 朝鮮戦争前後の時代、たくさんの詩のサークルが職場、地域、病院にあり、多くの若者が参加して、現実と向き合った詩、闘いを歌った詩を書いていたことがわかりました。この「武蔵野詩集」も時代の息吹きを伝える貴重な資料だと思いました。

(狼煙87号 2019年1月)

小宮山量平のミュージアム
 
武蔵野詩集
神代植物公園


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