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12 エリュアールの「自由」が発表される

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エリュアールの自由が


(『レジスタンスと詩人たち』 第二章 レジスタンスの高まり)

彫像






12 エリュアールの「自由」が発表される

一九四二年四月、エリュアールのポケット版の詩集『詩と真実一九四二年』が、検閲の許可証なしに出版された。そこには、「忍耐」「日曜日の午後」「燈火管制」「最後の夜」などが収められ、冒頭には「自由」がかかげられていた。

小学生の ノートのうえに
机のうえに 樹の幹に
砂のうえ 雪のうえに
わたしは書く きみの名を

読んだ すべてのページのうえに
すべての 白いページのうえに
石や血や 紙や灰のうえに
わたしは書く きみの名を

エリュアールの詩は、人びとの手から手にわたり、口から耳に伝えられて、たくさんのひとびとをはげました。パローは『戦時下の知識人』のなかで、「自由」について書いている。
「……この詩は初め『フォンテーヌ』(泉)誌に掲載されて、たちまち成功を収めた。オーディジオはマルセイユで公然とこの詩を朗読した。マックス・ポル・フーシェは、連合軍の通信員たちにこの詩を紹介し、わたしはわたしで、クレルモンフェランにおける会議の折、これを朗読した。そこには、オーヴェルニュ地方におけるレジスタンスの最初の指導者たちが集まっていた。いたるところで、この詩はひとびとの熱情をかきたて、気力を呼びさました。それは占領地帯からわれわれの方へ送られてきた希望のメッセージであり、あの囚人たちがしばしば独房からわれわれに伝えるのに成功したメッセージにも似ていた。RAF(英軍機)がこの詩を空からフランスじゅうにばら撒いた……」
またのちに、エリュアールじしんが、この詩についてつぎのように語っている。

「わたしはこの詩を一九四一年の夏にかいた。

小学生の ノートのうえに
机のうえに 樹の幹に
砂のうえ 雪のうえに
わたしは書く きみの名を

金塗りの 絵本のうえに
戦士たちの 武器のうえに
王たちの かんむりのうえに
わたしは書く きみの名を

これらの最初の数節を書きながら、わたしは最後のしめくくりには、愛していた女の名まえをかかげようと考えていた。この詩は彼女にささげることになっていた。だがすぐ、わたしの頭に自由という言葉がひらめいたのに気がついた。

力強い一つの言葉に はげまされて
わたしはふたたび 人生を始める
わたしは生れてきた きみを知るために
きみの名を呼ぶために

自由よ

こうしてわたしの愛していた女性は、彼女よりもはるかに大きな願望を具象化することになった。そしてこの自由という言葉は、わたしの詩においては、ひとがよく心をそそぐ、きわめて単純な、きわめて日常的な意志──つまり占領軍から自分を解放するという意志を強調することにほかならなかった……」

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