


昭和28年12月、父が亡くなり、私と母と妹の3人は東京、日本橋から8時間
汽車にのり、松代の母の実家にひっこして来ました。5年生の時です。
初めて学校へ行く朝、外に出た私は、びっくりしました。
雪のつもった道をみんな防空頭巾をかぶり、くつ下もはかず、ゴムの万年ぞうりか
古い下駄ばき、女の子はつまかけのついた雪下駄をはいて上手に歩いて行きます。

子供用の赤い布のカサ、赤い雨ぐつに赤いランドセル、チューリップの
ししゅうがしてある黄色いカーディガンは、東京では普通のかっこうでした。
ところが道路に出たトタン、悪がきにつかまってしまいました。
ランドセルの中に汚れたワラジを入れられたり、雪合戦の標的にされたりで
学校についた時は頭やランドセルの中までびしょびしょでした。
それをまわりで見て笑っていた女の子達が信じられませんでした。

その日、教室のそうじが終り、玄関まで来るとくつもカサもありません。
公使の河口さんが雪の中、一生けんめい探してくれました。
「やだやだへえ。ひでえもんだしょ、先生。便所のこえだめの中にぶちこんであったのいよ」
可口さんは折れてグシャグシャになったウンチまみれのカサと雨ぐつを雪の上に並べました。

メガネのドンちゃん! メガネのドンちゃん!
今日も男の子達が、からのアルミの弁当箱で拍子をとりながらあとをついてきます。
ここでは、子供がメガネをかけているなんてめずらしかったのです。
私は木の枝をひろい、マーチングバンドの指揮棒のようにふって、みじめな自分の心をふり払い
ました。通りすがりの人達が「まあ、やだやだへえ、元気のいい ずねえ女の子でもなあ、
どこんちのもんだえ」と言うのがきこえきした。

お母さんは早くみんなと同じ物を持たせようと、毎晩遅くまで自分の着物をほどいて肩掛けカバンや
防空頭巾をぬいました。電灯のカサに黒いふろしきをかぶせ、ねている私がまぶしくないようにして、
ぬい物をしている母を見ながら、もう少しつらい事はだまっていようと思いました。

それは新学年が始まり、6年生のクラス委員をきめた日におこりました。
私が黒門を出たとたん、クラスの男の子達にかこまれました。「きたりもんのくせに学級委員をうけるなんて意気だぞ!」
ふりあげたその子の手には大きなお裁縫バサミがにぎられていました。
びっくりした私がその子の手を払いのけようとした時、耳にひどい痛みが走ったのです。
肩に生あたたかいものがしみてきました。「うわあ!」と声をあげてまわりの子供達は皆いなくなりました。

ある日、気がつくと私は松代城の前にある河東線の電車のふみ切りの中にいました。
「もうじき電車がくるよ、こっちにおいで」どつぜん声をかけてきたのはホームレスのカオルさんでした。
『おっかさんが心配しているよ。帰る家があることは幸せなことだ」アカで黒びかりしている顔。くさいにおい。
それなりに目だけはやさしく私を見ていました。その直後電車は大きな音をひびかせ走り去って行きました。

2学期が始まった日、りんご箱で作った手押車にのって、サトちゃんという男の子がお母さんとやってきました。
顔は青白く目ばかりがギョロギョロしています。
みんなと一緒に入学したのですが、「筋ジストロフィー」という病気が進みずっと休んでいたのです。
お母さんはサトちゃんと同じ病気のお父さんの介護もしているので疲れはてて、おばあさんのように見えました。

クラスの皆は、お母さんにかわって送りむかえをする事にきめました。
まだ友達のいない私は、元気すぎる石屋のかっちゃんと授業がはじまると消えて、
終るといつの間に席に戻っている正夫のグループです。
朝、サトちゃんの家に行った3人は、家の中をのぞき、びっくりしました。
板の間にひかれた薄いフトンの上にとけこむように寝ているお父さん、
その横にサトちゃんがコロンところがっていたのです。
ころがっでいた茶わんのかげからネズミが一匹とびだしました。

サトちゃんの手押車をかわりばんこに押しながら、学校近くまで来た時、まず正夫がきえました。
おこってかっちゃんが「マーサ!おめえずれえぞ!」とおっかけて行ったきり戻って来ません。
仕方なく私は一人で車を押すと石にのりあげ、車は横だおしになり、サトちゃんはほおり出されました。
まっさおになってサトちゃんの顔をのぞきこむと目があいました。生きてる!!私はほっとしました。

サトちゃんの席は私の横です。
今までサトちゃんの目が気味悪くて、いやでいやで、たまらなかったりですが、今日は「痛かった?ごめんね」
の気持があったので、国語の教科書のページが変るたびにめくってあげました。
「次、私が読む番だよ、ドキドキするネ。と話しかけるとサトちゃんは弱々しく笑いました。
「今朝のこと許してくれたんだ!」私はうれしくなりました。

その日から私は每日、動けないサトちゃんのために教科書のページをめくってあげたのです。
今日、サトちゃんは休みです。でも手は自然にのびてページをめくろうとします。
「あっ、またやっちゃった」と思った時、松沢先生が「またやったナ。いいんだよ。皆は前をむいて
いるから知らないけど、節子は毎日サトちゃんの教科書のページをめくってあげていたんだよ」
先生のことばに皆はいっせいにふりかえって私を見ました。
その目はきたりもんを見る冷たい目ではありませんでした。

2月の寒い日、お父さんとサトちゃんが亡くなりました。
小雪のまう中、クラスの皆は野辺送りに行きました。
手伝いのおじいさん2人が「おら、こんな軽いかん桶ははじめてだ」
「サトシももうらしいな、こんなちっちゃな箱にはいっちまってよう」
と話しているのが聞こえました。ガタンガタンギュー、ギシギシと荷車な動きだしました。
その横を風に吹かれる布切れのようについて行くお母さんの姿がありました。
私はふみ切りに立っていた自分を思い出し、身ぶるいをしました。

今日は卒業式です。サトちゃんは先生が描いた絵になって出席しています。
式が終り、みんなほっとして、おしゃべりが始まった時、また校長先生が段の上に出て来ました。
「今朝の信毎に6年2組のことがでのりましたね。体の弱かったサトシ君を
クラスの皆で送りむかえしたことです。本当に良い思い出をありがとう」
講堂の中はしーんと静まりかえっていました。

教室にはもう誰も残っていません。そこに私はひとりでぽっんと立っていました。
転校して来て1年と少ししかたっていないのに、いろんな事がたくさんあったせいか、
もう何年もすぎているような気がします。
「さとちゃんありがとう!節子さん!よくがんばったよね」
私は大きな声で自分をほめると、静かに教室をあとにしました。
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