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千曲川べりの村で

ここでは、「千曲川べりの村で」 に関する記事を紹介しています。
千曲川べりの村で
                         大島博光

党はすでに根をおろしていた 藁屋根の下にも
すがれた桑畑のなか 炭焼き小屋の中にも
そうして党は わたしを連れもどしてくれた
ふり返ってもみなかった兄弟たちのところへ

春さきの吹雪が吹きつける城下町の電柱に
おお わたしが初めて貼って歩いた党のビラよ
そのまた吹雪に髪をさらした若者たち同志たち
岩の裂け目にひらいた青いすみれたちの眼よ

わたしは思い出す 畳もすり切れた集会所で
暗い裸電球の下で話しあった村のひとたちを
黒びかりに煤けた棟木のようなひとたち
根株のような手で土にしがみついているひとたち

谷間に見捨てられた水車のように動かぬひとたち
暗い不幸がどこからやってくるかが見えずに
畦をせせり隣り同士いがみあっているひとたち
林檎畑の柵で心をも閉ざしているひとたち

麦わらのように踏みしだかれてきたひとたち
繭の中のさなぎのようにおのれの力を知らずに
あきらめの中にうずくまっているひとたち
町はずれの一杯飲み屋でうさ晴らしをしているひとたち

ごぼごぼと音をたてて流れる雪どけ水のように
よどんだ用水池から流れ出たいと夢みながら
ただ遠い海のぎわめきばかりに心ひかれて
脱けだす水路を探しあぐねている若ものたち

だがまた 桑摘みだ桑くれだ蚕あげだと
ろくすっば夜もねずに飼って採った繭の山が
値切られ買い叩かれて いつのまにか横浜の
巨大なビルに化けたことを見抜いているひとたち

わたしは思い出す 戦争に息子と山林を奪われた
地蔵峠の炭焼きじいさんの怒りのまなざしを
流した血と汗で敵をみつめはじめたひとたち
おお 仕事着の下に埋れ火を抱いてるひとたち

そうだ かすみのかかった遠いむかしから
火はもう血のいろ 怒りのいろで燃えていた
あくせく働いて納屋に残った藁くずの中で
血と汗のとりいれを掠めとられた胸ぐらの中に

火は藁屋根ののきを這い 畦道をつっ走り
沼のへりを森から森へと燃えうつり燃えひろがり
さかはりつけにされ さらし首にされようと
百千の宗五郎たちがいた 茂左ェ門たちがいた

そうだ そのむかしのろしのように立ち上って
むしろ旗 竹槍 鍬をかぎして城をめざし
鳥打ち峠を斜めに駈けくだった祖父たちの血が
このひとたちの胸にも腕にも流れているはずだ

そうだ そこには ものの本にも書き込まれ
古い語り草ともなっている五加村のひとたちがいた
火の見やぐらの半鐘を打ち鳴らして隊伍をくみ
竹槍を手に地主屋敷へと押しかけたその人たち

そうして庭土のなか深く埋めかくした赤旗を
ふたたび掘り出してメーデーに駆けつける人たち
古い畦をぶちこわすトラクターを夢みながら
堅いうねのなかに新しい種子をまいている人たち

そうしてきょう わたしは忘れずに書いておこう
あの深いから松林におおわれた浅間の高原を
そのキャベツ畑 麦畑を 演習場に奪おうと
アメリカ帝国主義の黒い手がのびてきたとき

この村の人たちがむしろ旗をおし立てて
どしゃ降りの雨のなか 軽井沢へと駈けつけたことを
そうして労働組合の兄弟たちと腕をくんで
ふるさとの大地を敵から守りぬいたことを

党はすでに根をおろしていた 藁屋根の下にも
すがれた麦畑のなか 炭焼き小屋のなかにも
そうして党は わたしを連れもどしてくれた
ふり返ってもみなかった兄弟たちのところへ
                       (一九四八年)

(解説)「千曲川べりの村で」は1948年の作ですが、発表は詩集『ひとを愛するものは』(1984年)。1946年2月に長野で入党してからの当時の活動を鮮やかに記していて貴重な作品です。
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